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第六十二話 王太子妃から王妃へ







 ヴェルサイユ宮殿の南側にある正方形の菜園。

 王の菜園と呼ばれ、文字通り王家の食卓を一手に担う役割を果たしている。

 代々菜園の監督を務めるル・ノルマン家。

 現在の監督はジャック・ルイという男だった。

 マリーは彼と作物の栽培について話をした。

 王の菜園は最高の食材を王家の食卓に並べるための物だった。

 マリーの求める物とは少し違った。

 飢えの恐れを打ち消すだけの多量の収穫を見込める作物や、気候の異常に耐えうる作物が望みだった。

 それでもその支出を抑えて多種の植物を栽培してのけたその働きは絶賛に値すると思った。。

 いずれ助言を頂く事になるかもしれない。





 夫は相変わらず睡眠の為のみベッドを使っていた。

 その方がこちらに行動の制限が付かなくはなるのだけれど。

 すでに一年……流石に心配になってきた。

 彼は大丈夫なのだろうか?

 事情は流石に聞けない。

 男の体の事情など女である自分にはまるで分からないからだ。

 心の準備はとっくにできていたからいつでも大丈夫だ。

 気長に待つしかないだろう。

 自分はこの人を愛しているのだから。





 毎朝のランニング、そしてその後の稽古は欠かさない。

 雨の日も雪の日も。

 なぜ走り続けるのかと聞いてくる者もいた。

 そういう時はこれが自分の健康法だと答えた。

 稽古は自室で誰も入れない様にして行った。



 夫が寝てる間にしているこの鍛錬について、夫自身は何も言わなかった。

 少しは気付いてもいるかと思ったがまるで素振りも見せないのだった。

 妻が一部では暴れん坊と呼ばれている事さえ気づいてない様に見えた。


 もしかしたら…………夫は実は自分の想定以上に大物なのでは?





 カークとは相変わらず意見が違っていた。

 彼は命に換えても自分を守る覚悟があった。

 主が我が身を顧みず前に出るのを認める訳が無い。

 背中を預ける戦友のような関係を望んでも。


 ビスケはそこまで深く考える様子は無い。

 彼女は自分とも比較的気安く接してくれるのがありがたかった。

 背中を預け合う戦いにも抵抗は無いかもしれない。


 しかし……

 

 同行時に自分の命にもしもの事があったなら二人の首が飛んでしまうだろう。


 二人ともそれは分かっているはずだった。

 それでも部下を辞める素振りなど全く見せない事には感謝この上無かった。

 

 こんな主と部下の関係が変化も無く二年も続いた。





 ショワズール公爵が身を引いた後、テレーが新たに財務総監の任に就いた。

 しかし長く続いた政権の後はころころ人が変わるのがお決まりのパターンである。

 どれだけ持つのだろうか。

 その情勢をマリーはじっと観察していた。


 デュ・バリー夫人は相変わらず政務に興味の無い王を喜ばすような散財を繰り返していた。

 王の目を楽しませるため贅沢の限りを尽くして自らを着飾り、様々なイベントで王を喜ばせる。

 それは財政を逼迫させる物でしか無い。

 マリーがフランスに嫁いで来る一年前に王の愛妾となった彼女はもう四年もこの様な生活を続けていた。




 マリーは贅沢が元々性に合わない人だった。

 できるだけ質素を重んじる姿勢を保ち続けた。

 それでも平民と比べれば桁違いに贅沢なのだろうが。

 周りの人間は皆身分の高い、いわゆる上流階級なのだ。

 それらの中にいるのだから贅沢は避けられなかった。

 食事は必ず多量に残るし最低限の身なりでもかなりの金額になる。

 馬だって所有しているのだ。

 その事は自覚しておかねばならない事だった。



 デュ・バリー夫人はマリーの質素を好む姿勢を感じ取っていた。

 当然快くは思っていなかった。

 自分への当てつけでは無いか、と。





 興味が民に向いているマリーにとって王族貴族の社交界は面倒な物だった。

 それでも週に一度の王室による晩餐会には当然出席しなければいけない。

 パリに赴きオペラ座なども夫と共に何度か行った。

 王太子妃として行ったので観衆から大歓迎を受けたりした。

 舞踏会にも行かされた事もあった。


 1774年一月末に舞踏会で一人の軍人に声をかけられた。

 最初はマリーの容姿とたたずまいを褒め称えていたが、実際のところ暴れん坊王女と影で囁かれているのに興味を持ったらしい。

 そのように呼ばれてまで何をなされたいのかと問われ、民の為にこの国を造って行きたいと答えた。

 その青年は目を丸くして感心した。

 この様な事に興味を持つ者は滅多にいなかったので何者であるのかを尋ねておいた。

 スウェーデンの将校アクセル・ド・フェルゼンと名乗った。

 年は十八歳で理知的な美青年だった。

 マリーは顔と名前くらいは覚えておいても良いかと思った。

 

 



 そうこうしている内にマリーがフランスの地を踏んでから四年の月日が経った。

 彼女は十八歳になっていた。





 1774年五月十日、国王ルイ十五世が天然痘により亡くなった。

 

 これにより王太子ルイ・オーギュストがルイ十六世として国王に即位した。



 そして王太子妃マリーアントワネットが…………




 とうとう王妃になってしまった。






 明けましておめでとうございます。

 今年からマリーアントワネットが王妃になりました。

 これからも暴れん坊らしいマリーが見られるはずです?

 ということで今年もよろしく願います。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 王太子妃(Crown Princess)から王妃(Queen)になったのに王女(Princess)になったというのは完全に支離滅裂で意味不明。
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