第四話 カーク、マリーに突っ込む
噴水を横切り宮殿を一周した所でマリーは次の目標を見た。
東側に伸びる石畳の大通り。
地平線までくっきりと見える平地が広がっている。
パリの街まで続く大通りだ。
宮殿からパリまでは十四キロも離れているので地平線と街はセットで眺められる。
「マリー様!」
マリーの白馬の背後に付けているカークが怒鳴る。
マリーは意に介せず答えた。
「カークさん、これからパリの街を見学に行きたいと思います。競争といきませんか?」
「お断りします!私が貴女に勝てるわけがない!」
「?」
勝てないと言っちゃうの?
「そもそも私は貴女の三倍重い。馬にかかる負担が違う。勝負にならない。マリー様が私と話す為、わざと速度を緩めていたのも分かる。貴女の乗馬の腕が私に劣らない事も認めます。しかしそんな事より……」
カークの顔が真っ赤になった。
「こんな事してる場合ですか〜〜!!」
びくっ! びくっ! びくっ!
マリーと白馬と黒馬がそろって驚いた。
両者の馬がぴたっと停止した。
ここぞとばかりにカークがまくし立てる。
「さっき私共がすり抜けて行った方を誰と心得ますか?マリー様の婚礼に尽力したショワズール公爵閣下ですよ! すり抜けた後に振り向いたのですが、地面にへたり込んでしまわれていた。あの方は元々軍人で歴戦の勇者であらせます。その御方がへたり込んでしまう様な目に遭わせてしまったのです、私達は!」
「なんとショワズール公爵でしたか。全然気付かなかったわ」
「とにかくこれ以上迷惑をかけるのはおやめ下さい。帰りましょう」
「……分かりました。街の見聞は後程にしましょう。ご迷惑おかけしました。ごめんなさい」
素直に謝るマリーを無言で見つめるカークだがこの人なんなんだと言う気持ちは変わらない。
ここでマリーは馬から降り立った。
「銀星号はお返しします。それでは私は帰りますね」
ここで降りるのかとカークは思った。
馬小屋までかなり距離が残っている。
しかし帰ってくれるだけましかと思いカークは二頭の馬を引いて帰ることにした。
「では失礼致します」
そう言うと背を向けて歩き出すマリー。
カークは彼女の背を見送る。
と、一瞬マリーが立ち止まり振り向いた。
にんまり笑って穏やかに声を発した。
「大丈夫、後始末は私がします」
そう言うと彼女は一目散に走り去っていった。
あっという間に小さくなっていくその姿にカークは頭を抱えた。
結局最後まで何なんだあの人は……
馬小屋に戻ったカークを待ち受けていたのは馬小屋の面々ともう一人、ショワズール公爵だった。
事態を重くみて馬小屋に駆けつけたのだろう。
「何があったのだ、聞かせてもらおうか?」
公爵に迫られカークは言葉に詰まってしまった。
何をどう話せばいいのやら……
結局カークはマリーに馬をぶん取られると言う失態を犯したため、取り敢えず縄で拘束される事になった。
ずっと自室でくつろいでいたルイ・オーギュストの耳にドアをノックする音が入った。
「ただいま帰りました」
「やあ、おかえり」
迎え入れた妻を見るとその目がキラキラと輝いている。
どうかしたのかと思うと彼女が堰を切ったように喋り始めた。
「まあ、聞いてくださいな!」
シュワズール公爵は事をどう収めようか悩んでいた。
カークはともかくマリー様をどうするか。
二度とこの様な事を起こさない様きつく叱ってもらわねばなるまい。
国王に注進し取り計らってもらいたい所だが、連日続いた婚礼の儀の為に過労気味となり自室で静養中だった。
となれば王太子に頼むしかないか。
公爵は馬小屋の責任者達と共に王太子の部屋に急いだ。
マリー様もいるだろうから、もうこんな事をしないと誓ってもらおう。
「ああ、マリーか。馬小屋へ行ったよ」
公爵達の前で王太子はゆったりと答えた。
馬小屋? ではマリー様はまだこちらに戻ってない?
マリー様が馬小屋へ行った後、どんな騒ぎを起こしたのかを王太子様はまだ知らないと言うことか。
「聞いてください!マリー様が馬小屋でしでかした事を」
「ああ。馬を拝借して庭園を走り回ったのだろう?」
え?知ってる?
「どうしてそれを?」
「マリーから聞いた」
「ええっ!?しかしマリー様は馬小屋へ行ったと……」
「ああ。だから話した後に馬小屋へ行った。御礼の一言も言ってなかったと」
「で、ではマリー様は今馬小屋に?」
「だね」
マリーは夫に馬に乗って見た景色を伝えたのだった。
庭園内の良く手入れされた木々の緑の深さ。
水を湛えた噴水像の見事さ。
くつろぐ人々の表情。
華やかなヴェルサイユ宮殿の全体像。
宮殿から続く大通りの更に向こうに小さく見えるパリの街。
広がる地平線。
嬉々とした表情で語りまくる妻の言葉を彼はのどかに聞いていたのだ。
聞き終わった後、妻に一言答えた。
「それは良かったね」
結局ショワズール伯爵は何の成果も得られず馬小屋に戻る羽目になった。
「これで大丈夫です」
馬小屋ではマリーがカークの縄を解き終わっていた。
公爵も馬小屋の責任者もいない状態ではマリーを止められる者はいなかった。
「マリーさま、勝手にこんな事をしてよろしいのですか」
「私が責任を持ちます」
事も無げによく言えるものだ。
「そうですか。ではお聞きします。馬上での会話、あの時見れば知ることができるとおっしゃっていた。何をです?」
「ああ、この国の文化、生活、暮らし、人です」
「……?」
「この国に来たばかりの私がまず知らねばならないことです」
「知って……どうされます?」
「役立てます。この国の未来を作るために」
カークの顔色が変わった。
こんなこと言う王族見た事も聞いた事もない。
しかもまだ少女だぞ?
と、そこに乱れた足音が。
ショワズール公爵達が息を切らせて走り込んできた。
「マリー様〜!」
「おお、公爵様、こんにちは。お待ちしてました」
笑顔で迎えるマリーに青息吐息のショワズールは問いかけた。
「何故こ奴の縄を解いたのです?」
「その前に、先ほどは大変失礼致しました」
神妙に俯くマリーは言葉を続けた。
「庭園を馬で走っていた時、カークの馬と共に公爵様を挟む形ですれ違ってしまいました。その上公爵様を地にへた……」
「あ〜! マリー様!!」
慌ててマリーの言葉を遮るショワズール。
仮にも将軍の地位にまで登りつめた漢が馬にニアミスされた位で地にへたり込んだなどと知られては面子が立たない。
なんでこんな年端もいかない少女に振り回されねばならないのか。
最早マリーを追求するのにくたびれたショワズールはカークに責任を押し付けて幕引きするしかないと思った。
「マリー様……」
「おお、それから。私はカークさんをお付きの者として迎える事にしました」
「ええっ!!」「ええっ!!」
ショワズールとカークが揃って声を上げた。
「今日彼に接してみて、とても良く出来た人だと実感しました。ぜひとも我が従者にと」
「い、いけません! この様な者を従者になど認めるわけにはいけません!」
「夫は認めましたよ」
「ええ〜〜っ!!」
「さっきお願いしたら二つ返事で了解頂きました」
「そんな話王太子様から聞いてませんよ!」
「おや、それでは聞いてみてください」
「……」
ショワズールは再び王太子の元へ赴くこととなった。
「ああ、認めたよ」
王太子はさっきと変わらぬトーンで答えた。
「しかしその様なことは我々が……」
「まあ本人が気に入ったのだからいいんじゃない?」
だめだ。
この人何も分かってないし気にしてない。
ショワズールは憔悴しきった表情で立ち尽くすのだった。
のちにルイ・オーギュスト王太子は『マリーアントワネットという暴れ馬にいい様に振り回される騎手』とも、『マリーアントワネットという暴れ馬の手綱を握れる唯一の男』とも呼ばれる様になったという。
カークとマリーの関係性が出来上がってきました。
彼のこれからが大変でしょう。