第三話 カーク、マリーアントワネットに遭遇す
カークは今日も馬の世話をしていた。
2m近いその巨体は馬よりでかいなどと言われる事もしばしばだった。
もともと彼は将来を嘱望された軍人だったのだ。
友人の妹が身分の高い貴族にちょっかいをかけた時、身を挺して彼女を庇った結果ここにいる。
自分に特に非が無かった事でかろうじてこれで済んだ。
軍人であるが故、馬術は得意で自分で馬の世話をする程だったので今の仕事に支障はない。
しかし自分を此処に追いやった理不尽が今も横行しているかと思うとやりきれない。
そんな事を思い返している間も彼は淡々と仕事を進め、馬に鞍を取り付けていた。
「良い馬ですね」
いきなり背後から女性の声がしてカークは面食らった。
慌てて振り向くとそこには誰もいない。
「この馬の名は?」
今度は傍から声がしてカークはぎょっとする。
そこには自分の隣で馬を眺める少女がいた。
いつの間に?
「馬の名を教えていただきたいのですが?」
「え、あ、……銀星号です」
「おお、確かに銀の立髪。美しい」
こっちが答えてる場合じゃない、一体この女性なんなんだ?
そう思うカークにまた問いが。
「このような素晴らしい馬を扱うあなたのお名前をお聞きしたいです」
「え、あ、あの、カークと申します」
「そうですか。私は、マリーアントワネットと申します」
「えええ!?」
一体何でこの馬小屋にマリーアントワネット王太子妃が突っ立ってるぅ?
「この馬は走らせる準備ができているようですね」
「は、はい? はい……」
「持ち主は?」
「まだ……決まってません」
「では誰が乗るんです?」
「は、私が銀星号の訓練のために」
「では代わりに私に銀星号の背を預けさせてはもらえませんか?」
「えっ??」
言ってる事がどんどんおかしくなっていく。
この人何がどうなってる人なんだ?
「あ、いや、そんな事は無理です!姫様に乗馬などとてもできません!」
「できますよ」
「いえ、そんな、たとえ王女様のご命令であっても」
「そうですか……それでは」
マリーが宙を舞った。
次の瞬間には彼女は白馬の背にまたがり手綱を握っていた。
いつの間にか持っている鞭で尻を叩くとあっさりと銀星号は走り出した。
「では行って参りま〜す」
「うわっ行くな〜!」
カークが大慌てで手を伸ばすが僅かに届かずマリーを乗せた白馬は小屋の出口に吸い込まれて行った。
呆然と立ち尽くすカーク。
ここに至ってやっと周りの人間がざわめき始めた。
「おい、何が起きたんだ?」
何人かに問い詰められカークはやっとの思いで答えた。
「マリーアントワネット様が……馬に乗って行ってしまった」
馬小屋を出たマリーは宮殿の外周を回ることにした。
右端側から回り込み宮殿の真裏にある噴水庭園に向かってまっすぐ走っていく。
かつてルイ十四世が強引にセーヌ川から水を引き噴水を作らせたと言う贅沢な庭園だ。
どどっどどっどどっ
馬の速度を上げるマリーの眼前に迫るのは庭園の象徴、ラトナの噴水だ。
昼下がり時、庭園で憩いの時を過ごしている人々の姿も見える。
そこに馬を駆る少女が疾風の如く噴水を横切って行った。
あちこちでざわめきの声が聞こえ出した。
すれ違った老婆が声を上げる。
安らぎを与える場所にしてはいささか速度が過ぎていた。
髪を一直線に靡かせて白馬を駆る少女は完全に庭園の異物と化していた。
マリーは思う。
まずはこの地の景色を目に焼き付けねば。
自分の祖国となったこのフランス王国の。
可能なら民の街も見て回りたい。
と、その時背後から叫び声が聞こえた。
「マリー様〜! お止まり下さい〜!」
見ると黒い馬に乗ったカークが必死の形相で追い掛けて来ていた。
マリーは笑みをこぼした。
馬には馬を、正しい判断だ。
どどっどどっどどっ
カークの黒馬がマリーの白馬の横に付けた。
マリーが速度を緩めたのだ。
「何のおつもりですか〜!」
「馬に乗り見る景色はまた違うものですね〜」
「だから何をしたいのです〜?」
「まず見る事です、見れば知る事ができる」
「何を知るのです〜!」
「それは、おっと!」
1m間隔で並走する馬達の前方に人影が見えた。
「お気をつけて!」
「分かっております!」
棒立ちになる男性の背中が眼前に迫る。
二頭の馬が男性の両脇スレスレををすり抜けた時、風圧でその体が不自然にゆらめいた。
数瞬後、男性はその場にへたり込んでしまった。
「あああ、な、何だあれは……いや、あれはマリーアントワネット様ではないか!!」
彼こそはマリーアントワネットとルイ・オーギュストの政略結婚を推し進め仲を取り持った男、ショワズール公爵だったのだ。
史実に登場しないオリキャラ、カークが登場です。
マリーとの関係性に注目下さい。