第百五十四話 やっと会話になる
「な、何をやっている〜!!」
もみ上げの男が叫ぶ。
「おや、おいでですか」
絞っている乳を見据えていたマリーが顔を上げた。
口元から白い歯がのぞく。
「マリー様……」
カークががっくり脱力した。
また自由過ぎる事を……
「帰ってきたね、あんた」
マリーの後ろから赤ん坊を背負った女性が出て来た。
「クロを置いて何してたんだよ」
「お、おめえどうしたんだ?!」
もみ上げ男が問い掛けた。
どうやら夫婦らしい。
「この娘があんたの代わりにクロを連れて来てくれたんだよ。自分の牛を放って置いてどうすんだよ」
「てめえ、女房にどんな説明したんだ〜!?」
叫びつつ、もみ上げ男はマリーを睨んだ。
「あなたの牛、クロでしたか、ちゃんとつないでおきましたので。とても大人しい良い牛ですね」
いつからそういう牛という事になった?
「なんで乳絞ってるんだ〜!?」
「それはもちろん……」
「あんたがクロ連れて行っちまったからだよ! 弟まで連れて行ってこっちゃ一人で大変だったんだよ!」
「……です。お子さん背負って大変そうでしたので」
手慣れた手つきで乳搾りするマリーを凝視するもみ上げ男。
「おめえ……牛飼いの娘か?」
「いえ、違います。子供の頃牛飼いの方と仲良くさせて頂いてました。牛に乗せてもらったり乳を絞らせてもらったり……急所を教わったり」
「…………」
急所って何だ?
「あなたの扱う牛の糞が良き肥料だという事は知ってます。これからも役立てて欲しい。あなたが牧草に使う分の肥料を農民の皆さんに分ける為に無理をする時もあると聞いてます」
「な、なに! どうしてそれを?」
「あたしが言ったよ」
「お、お前どうして……」
「聞かれりゃ言うさ。良い娘だし」
大した時間も無かったはずなのにそこまで聞いてるのか。
打ち解け過ぎだろう。
「しかもお金ではなく肥料で育った麦が収穫された時に分けてもらうそうですね」
「おや? それは言ってなかったけど」
首を傾げるもみ上げ男の女房だが構わずマリーは続ける。
「農民との信頼が無ければできないでしょう。しかも麦が不作の時は……」
「……」
「苦しみを分かち合って来たのですね」
「聞いた風な口を……そう言う事だ! お前らにつけ入る余地はねえ!」
「もし農民の皆さんに分ける肥料が足りない時はうちの肥料で補ってもらえませんか?」
「やかましい……」
「あんた!!」
女房が進み出た。
「あんたリックの言った事間に受けすぎだよ。確かに商売敵になるかもしれないけど。だけど分かるだろ? この娘は農民の為を思ってこういう事やってるんだよ! それに腹立てて嫉妬でもしてるのかい?」
「何だとお〜!」
今度は女房に向き直り腕を振り上げた。
次の瞬間振り上げた腕の手首と肘がつかまれ腕が外側へ肘が内側へ捻られ、更に前方下側に引っ張られた。
「おおっ?」
ずんっ
マリーはもみ上げ男を横にして見せた。
「その手は奥さんではなく私に向けて下さい。私が原因で夫婦喧嘩は弱ります」
「な、な、な、お前一体?」
驚愕する男の姿を見てカークはもうここまでと判断した。
腕を離して直立したマリーの傍に立つと声を張り上げた。
「ええい、控えい! このお方をどなたと心得る! 我がフランス王国の王妃マリーアントワネット様にあらせられるぞ!!」
「え…………」
あっけに取られる牛飼い二人と女房。
「嘘つけ〜!」「嘘だろ」「嘘でしょ」
正常な反応をする三人。
カークも致し方ないという表情だ。
どうやって信じさせようか。
「あ、信じなくていいですよ」
「マリー様! 何言ってるんですか !!」
「重要なのはそこじゃないです。牛由来の肥料と人由来の肥料の共存です。権力で承服させるのは望みません」
「そうですか……やれやれ」
「さて」
マリーは立ち上がったもみ上げ男に微笑んだ。
「続きをしましょう。お名前は?」
少しは会話らしくなってきたでしょうか。
マリーが正体ばらしに無頓着なのもお約束かな。
そして遂にもみ上げ男の名前が分かる!
って正に重要なのはそこじゃないですね。