第百五十三話 牛とのお付き合い
全然帰る素振りを見せないマリーに業を煮やしたもみ上げ男が一歩下がると牛の尻を叩いた。
ばんっ
んもお〜
牛が反射的に前に進んだ。
どどっ
マリーは笑顔で突っ立ったままだった。
牛がマリーの脇を突っ切って行く。
瞬間マリーは両手を差し出した。
片手が牛の後頭部を、もう片手が首の下に触れた。
前進する牛の頭部上下二箇所が自動的に撫でられていく。
足を止めた牛が思わずマリーの方に振り向いた。
マリーは構わず上下両側から牛を撫で続けた。
んも?
予想外の反撃? に牛は所在なさげに首を傾け飼い主を見た。
もみ上げ男が突っ込む。
「何やってんだ〜?!」
マリーに言ったのか牛に言ったのか分からない。
一方事態を見たカークとビスケはマリーの背中に張り付いている。
縄がぐいっと引かれて牛とマリーが引き離された。
「ああ、大丈夫ですか」
鼻輪ごと引っ張られる牛を気遣うマリー。
「ほっとけ、帰れ!」
「マリー様、これ以上は……」
背中越しから進言しようとするカークだが。
「いえ、この方は自分の仕事に誇りと自信を持っておられるからこれだけ言い切れるのでしょう。多少の脅しはかけても暴力に訴えようとしてません」
そう言われてもみ上げ男の顔が真っ赤になる。
暴力に訴えないと安心しきっているって事か。
「この、いい加減帰れ!」
とうとう拳を振り上げマリー目掛けて落とそうとした。
カークがかばおうとする前にマリーは前進して拳を避けた。
もみ上げ男の脇を通り抜けると牛に歩みより背を撫でた。
「少しお話ししたいと思いますが」
今までのやり取りを何だと思ってるのかという台詞。
「この〜!!」
マリーに振り向き腕をぶん回すが空振りして牛の角に当たった。
どんっ、んもっ!
驚いた牛が走り出した。
「ああ、いけない」
マリーが牛の首を抱えて地を蹴った。
しゅとんっ
空中に浮いたマリーの体が見事に牛の背に納まり股がっていた。
「何〜!!」
背中に突然重量が乗っかり牛は益々驚いて全速力で駆け出した。
どどどどっ
「マリー様!」
「お、おい!」
走り去る牛を慌てて追いかける牛飼い達とカーク達と役人達。
それを遠巻きに見送るモントレイユの農民達。
「何やりに来たんだあ?」
マリーを乗せた牛は自分の住処に向かって逃げるように走っていた。
「これは……体の割に意外と臆病なんですね。来た時は凄い圧でしたが受けに回ると弱い性質ですか」
牛の背に揺られながらマリーは冷静に分析していた。
揺れが大きいのに器用にバランスを保ちながら。
「何年振りでしょう? 牛にまたがるのは……」
土色の道が緑の牧草に変わった。
真冬に広がる緑の中に建物がぽつんと建っていた。
牛舎だ。
マリーを乗せた牛は牛舎の入り口に走り込んで行った。
「マリー様〜!」
「クロ〜!」
マリーと牛を追って走るカーク達と牛飼い達。
牛との距離は離れる一方だった。
それでもただ一直線に走る牛を見失う事もなく牧草の上を走って行く。
小さく見える牛が牛舎に入るのを見てカークは少し息をついた。
これで追いつける。
ビスケとバジーが遅れ気味だが気にしてられない。
やがて牛舎の目の前にまでたどり着き、カークは牛飼い二人とほぼ同時に入り口に走り込んだ。
「マリー様!」
カークの視界に入ったものは……
牝牛の乳を絞っているマリーだった。
久々に牛にまたがったマリー。
本当に何年振りなのでしょう?
四年半前のはまたがったとは言えないしなあ……
オーストリア時代でしょうね。