第百二十八話 地上にて
「さて、すっかり遅くなってしまいました」
マリーは服を着替え軽い火傷の手当てを終えていた。
それでも髪の手入れまではできていなかった。
このまま帰ったら夫が仰天するだろう。
という事で今日はパリに泊まると夫には伝令を頼んでおいた。
これもフィリップ伯爵の計らいだった。
「それはそうと、ビスケさん、ツバメコはどうですか?」
「はい、今のとこ大丈夫ですがこの先は……とにかくうちで飼います。室内なら……」
「やれるだけの事は、ですよね」
「はい!」
「それにしても……パリに新たな課題が増えましたね」
カークが返答する。
「地下ですか」
「陥没の危険があるし犯罪者に利用される。今回は違いましたが本当に邪教や反国家な者どもが地下に潜んでいたら脅威です」
「実際市門で税金取られるのが嫌で地下道掘って素通りする奴らなら、ざらにいますぜ」
バジーが被せた。
「しかも今も建物おっ立てるために採掘は続いてるって事でさ」
「パリは何と悩ましい街でしょうか……」
マリーは被りを振った。
「とても解決できませんね、一人の力では」
「だから皆の力が必要、ですか。しかし……」
カークはマリーを正面から見た。
「音頭を取る一人も必要です!」
「…………肝に銘じます」
神妙な面持ちとなったマリーだが次の瞬間笑顔に転じた。
「でも収穫もありました。地下迷宮の探検は良い経験になりました。克服できた事もありました」
「克服? ……犬、ですか」
「犬? 何だそりゃあ」
事情を知らないバジーが聞いた。
「そう、克服できたから言いますが私は犬に恐ろしい幼児体験がありまして」
「幼児体験……」
「幼少期に迷子になって森で夜を迎え、一人怯えていた時山犬が襲ってきました。大きさ、色、数、みんな迷宮で見た犬達とほぼ同じ。そのため恐怖体験が蘇ってしまったのです」
「その後どうなったのです?」
「噛まれる直前に女性が現れ山犬を叩き伏せてくれました」
「……」
そんな事できる女性マリーアントワネット王妃くらいしか知らない。
いや思い当たらない事もないか。
「それ以後私は心に抱えた幼児体験の恐怖を克服すべく心身を鍛える事になりました。その結果とっくに乗り越えられたと思っていたのですが……やっと今日でしたね」
「それで……マリー様を助けた女性はどなたですか?」
カークが聞いた、一応。
「その人が後の私の師、ヒバリコ先生でした」
やはり……にしても何者なのだろう。
「苦労しましたね〜、子犬から初めて犬より大きな動物で慣らそうと馬に乗ったり」
「私はマリー様の師について知りたくなりました」
カークは単刀直入に聞いた。
「ええっと……私の武術馬術国語外国語地理歴史経済科学速読術算術珠算などの先生でした」
「…………」
余りに多い、しかも聞いた事の無い単語まで混じっている。
この人の先生であるとはこういう事なのか。
カーク達は驚きを通り越すのを隠せなかった。
「何より人としてどう人と接するべきかを教えて下さりました。民の何たるかも。受けた恩は計り知れません」
何と言っていいか分からないが次元の違う師弟なのだろう。
「他に何かありますか?」
「マリー様の師はマリー様に何を望んでおられるのでしょうか?」
これも単刀直入だった。
「それは…………なんでしょう?」
マリーは首を捻った。
そこで首捻るのか?!
「いや、そこまで教育しておいて何もないって事はないでしょう!」
「いえ。先生は自分の望みを人に押し付けるのを嫌う人なので具体的にこうして欲しいは無かったですね。教えるだけ教えて後は自分で考え決めなさいという方針でした」
「はあ……」
まだ実体は掴めそうに無い。
これ以上聞くのもなんか怖い気さえする。
「私の学んだ事は母には内緒の物が多かったのであまり人には聞かせない様に習慣付けていたのです。だからこうして話すのもむず痒いですね」
マリーは苦笑してみせた。
カークも頃合いかと思った。
「そうですか、では今回はこの辺でという事で」
マリーはこくりと頷いた。
「それでは! 今日はこれで。明日のためにしっかり休養を取りましょう!」
「はっ御意に」
「ビスケさん、今夜はあなたの実家に泊めてもらえますか?」
「え〜っ!? 何をおっしゃってるんですか、無理ですよ〜」
「ご迷惑はおかけしません。ツバメコの様子も見られるし」
「勘弁してください〜! 」
結局ビスケはマリーに押し切られ実家に泊める事になってしまった。
突然の王妃の来訪にビスケの家族は上を下への大騒ぎになった。
そして翌日。
ベルサイユに戻ったマリーを迎えた国王ルイ十六世は彼女を見るなり一言言った。
「髪型変えたね」
それ以上の事は何も問い正さない夫にマリーは感激した。
(感謝この上ありません!!)
やっと地下迷宮編終わりです。
これからは地上勤務が続くんでしょう。
それが普通ですがw
地下との話の落差が大きくなるかな?