第十一話 パリへ行く前に
「まあ、狩りですか!」
ルイ・オーギュスト王太子が部下達としていた会話にマリーが食い付いてきた。
彼は朝食後に趣味である狩猟の日程を相談していたのだ。
そこに妻が首突っ込んでくるとは。
「興味あるのかい?」
「はい。子供の頃、狩りについて行った事が何度かあります!子供用の銃を頂いた事もありました」
「では、一緒に行きたいと?」
「はい!」
「しかし……」
王太子は腕を組んで思案顔となった。
「獲物を仕留める時血が流れ、そして死ぬのだよ。裏若き女性にその様なものを……」
「全然大丈夫です!さっき食べた羊も鳩もそうして食肉になったのでしょう?」
「え?」
夫の部下達が顔を見合わせた。
言われてみればそうだけど、そんな言い方する?
ちなみに夫自身は安穏と聞き流してる。
「だから心配なさらないで下さい。夫の趣味を妻が一緒に楽しみたいのです」
マリーの表情にあどけなさが浮かんできた。
「お願いします……」
部屋の片隅で直立していたカークはその表情を見逃さなかった。
(かなり年相応の女の子っぽくなってるかな……王太子様にはいつも見せてるのだろうか?)
彼女の戦闘時の表情を知ってるだけにカークにはこの落差がむず痒い。
妻の熱意に釣られるように夫は答えた。
「そうだね。今度連れて行こう」
「ありがとうございます〜!」
顔をほころばせて飛び跳ねんかの様に喜ぶマリー。
夫はのその有り様を見てのどかに微笑みを浮かべた。
カークは二人を眺めながらため息ついた。
(仲はよろしいのだな。ならここでは面倒事はない、よな?)
「私はこれからパリの街を見聞したいと存じます。もしよろしければの話ですけど御一緒されますでしょうか?」
マリーのやや控えめな誘いに対して夫は興味なさそうに答えた。
「遠慮しとくよ。私には見飽きた景色だ」
「分かりました。では私と部下達とで参ります」
「ああ、気をつけてな」
予定通りだ、とカークは思った。
後はビスケと合流するだけだ。
「では行って参ります」
マリーはカークを引き連れ部屋を出た。
廊下を歩きながらマリーは呟いた。
「王太子様も来てくれたら嬉しかったのになあ〜」
「いや、それでは予定が狂うでしょう! 王太子様はまず行かないでしょう、と言ったのはマリー様ですよ」
「まあ、そうですけどね。ふふふ」
やれやれ、とカークが肩を落とした時、向こうから二人の小間使いを従えた女性が歩いてくる姿が見えた。
二十代後半位で極めて高い美貌を豪勢な衣装に包んだその姿。
彼女は国王ルイ十五世の愛妾デュ・バリー夫人だった。
国王がぞっこんであるため彼女とその取り巻き達は、ショワズール公爵と勢力を二分する派閥を形成していた。
マリー自身は母マリア・テレジアから事あればショワズール公爵を頼れ、と言われていた。
テレジアは愛妾という存在自体に嫌悪感を持っており、大人の事情で口には出さなかったもののマリーにもそれは伝わっていたかもしれない。
そしてこの宮殿でのルールでは王室の人間に対して勝手に声をかけてはならない。
挨拶も会話も王室の人間から声をかけるのを待たねばならないのだ。
なので今ここで挨拶するも無視するもマリー次第となる。
デュ・バリー夫人が間近に接近してきた。
カークの額に緊張の汗が滲んだ。
我が主はどうされるのか、と……
二人の女性がすれ違わんとする瞬間。
「おはようございます!!デュ・バリー夫人様!!」
満面の笑みと元気な声。
マリーの普通が夫人に浴びせかけられたのだった。
デュ・バリー夫人は引き気味の体勢でマリーを見下ろす形となった。
嫁入りに来たマリーを国王達と迎えに行った時もこんなだったけれど。
これは言ってやらねば。
「おはようございます。ところで王女様、こんな事を言うのも何ですが笑顔が過ぎますわ。故郷のオーストリアではどうか知りませんけど、ここでは笑顔は控えめに。歯を見せて笑うなどはしたない」
此処ではそう言う風潮は確かにあった。
特に王族、貴族階級は砂糖菓子をたくさん食べていたので虫歯が多く、歯を見せて笑うことが無理筋だったのだ。
「大きな声もいけません。大声で笑ったらそれこそ育ちを疑われますわ」
夫人の小言に対してマリーは虫歯の一本も無いきれいな歯を見せて笑顔を続けている。
「ご忠告ありがとうございます。でも私はこれを止める事はできないです。そういう性分なのです。笑うのが好きで隣人と一緒に笑えたら嬉しいと思います。だから貴方様とも一緒に笑えたらこの上有りません」
デュ・バリーは言葉を失った。
考え方が食い違い過ぎる。
おそらく声や笑顔以外もほとんど。
「ご遠慮します。笑う理由がありません。それでは失礼」
立ち去ろうとする夫人の背にマリーは声をかけた。
「ご意見が違うのは分かりました。それでもお会いした時は必ずお声をかけ挨拶しますのでよろしく願います」
「……」
デュ・バリーは言い返さなかった。
無視される屈辱よりはその方がましと思ったからだ。
彼女達は無言ででマリー達から立ち去って行った。
カークはマリーの傍らで大きく息を吐いた。
(ああ〜、気が張り詰めた〜!)
パリに行くための段取り編です。
はて、いつ出発できるやら。