あとがき
9月21日前後がメイボン、秋分祭
4月30日・5月1日に行われるのがベルテーン祭
映画『ミッドサマー』で夏至祭
ラヴクラフトでも冬至祭や万聖節は、良く出てくるのですが
他のサバトは、出て来ないのでモチーフとして取り上げてみようかなとか…
メイボンは由来が良く分からないケルトの神というか伝説の人物なんですが
あるいは、サウロンサウルスこそ、メイボンだったのかも知れない(みたいな)
ベルテーンは火を起こして邪悪な霊や病を退散させるみたいなこともやるので
なんとなく呪殺の儀式ってことにできないかな~
そんな感じで選びました
(やはり頻繁にネタとして取り上げられない日なだけあって
題材になり難いんでしょうね…)
ちなみにサウロンサウルスが見える人間と見えない人間の法則が分りましたか?
結論からいえば見えない人間は
「サウロンサウルスから逃げられない人間」だということです
作中でほのめかされていたのは発掘現場の人間は全員が見えた
そして最後のアールズマスでも全員がサウロンサウルスを見ることが出来たことです
(…老人たちは見ていなかったでしょうが、顔を上げれば見えていたはずです)
つまり距離的に離れていた人たち、サウロンサウルスが被害を出す前の場所にいた人には
サウロンサウルスが見えているというのが法則性を仄めかしていた訳です
(新大陸とヤーネンドン(旧大陸)が距離的に離れていることが
読者には明確に説明されていないのでほとんど頭の中で結びつかないでしょうけど…)
この物凄く理不尽で一方的なサウロンサウルスの異能は
サウロンサウルスに食われる獲物には、サウロンサウルスが見えない
サウロンサウルスから逃げ切れる獲物は、サウロンサウルスが見える
という因果逆転の能力なのです
捕食者が見えないから逃げられずに食われるのではなく
食われる運命にある獲物は、最初からサウロンサウルスを知覚できないのです
キリスト教の神学思想として「予定説」というものがあります
神によって救済される人間は、予め神によってさだめられ
救済されない人間は、神によってそのように運命づけられている
というものです
サウロンとは「怖気を催す者(Abhorred)」
これはギシリア神話のモイライのアトロポスの「身の毛のよだつ鋏」
―――人間の寿命を司る命の糸を断ち切る鋏に由来します
すなわちサウロンサウルスは、死に至る運命そのものであり
サウロンサウルスに食い殺される生き物には
逃げられないことがあらかじめさだめられている訳です
(異論はあるでしょうが死は、見えない物でしょう?)
しかしユダヤ・キリスト教世界観では運命は神が定めるものと考えていますが
ギシリア神話では、神々であっても運命には逆らえないし
運命そのものを変更する力がないと考えられています
サウロンサウルスも自ら獲物を決定する能力を持ちません
彼(彼女?)もまた運命に従って捕食するのみなのです