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3004年8月1日




翌、3004年8月1日。

サウロンサウルスの一般公開が始まった。

世にも珍しい”見えない恐竜”の標本である。


「サウロンサウルスの最大の特徴は…。

 もちろん全長25mの大きな体ですがー。」


特設展示場では、()()()ガイドがサウロンサウルスの解説をしていた。


「背中の放熱板をご覧ください。

 これは、スピノサウルスと同じ長い神経棘しんけいきょくが胴体から伸びています。

 生きていた頃、皮膚か脂肪で包まれて膜を作っていたと考えられています。」


彼女の前の来場者は、ぽかーんと口を開けている者が半分。

もう半分は、この世紀の大発見を、その目で目撃していた。


「大きい。」

「ゾウの2倍はあるって…。」

「偽物なんじゃないの?」


こんな会話は、他の展示品でも聞くことができる。

だがサウロンサウルスの前では、奇妙な会話が続いていた。


「見える?」

「あんた見えないの?」

「本当に見えるの?」

「何がここにあるんだ?」

「恐竜の化石なんか見えない!」


「おい、見えるっていうのなら証拠を見せてくれ!!」


と同じようにガイドに突っかかる来場者が絶えなかった。


当然、こんな事態は予測済み。

だから館長は、クレームを無視するようにガイドに指示していた。


「ティラノサウルスやサウロンサウルスは、今を生きるカラスに近い仲間です。

 恥骨が前に向かて伸びているのが分かりますか?

 これが獣脚類の特徴です。


 今の時代を生きている鳥の仲間たちは、この獣脚類の特徴を受け継いでいます。

 つまり二本足で立っている鳥たちは、サウロンサウルスの子孫かも知れません。」


ガイドも発掘の様子などより、骨の特徴を繰り返し解説していた。

見える客は、その解説に納得する。

見えない客は、警備が展示場から引き離していった。


博物館を出た後も群衆の騒ぎは、終わる気配がない。


「せっかくサウロンサウルスの標本を見に来たんだぜ!?

 なのに貴方は見えないんですねって納得して帰れるか!!」


「ふざけんなよォ!

 金返せー!!」


「これは、何か信仰に関わる重大な事件かも知れない。

 ああ、神よ!!」


「何かの陰謀だ。

 これは、政府の陰謀だぞ。」


「あんなデカい生き物がいる訳ない。

 作り物だ!!」


この事件は、新聞でもラジオでも騒がれた。

やがて噂が噂を呼び、人が人を呼ぶ大反響。

毎日、ヤーネンドン王立自然史博物館は、長蛇の列。


「これ、全部、サウロンサウルス目当てかー。」


来場者は、まずその人出に圧倒される。


もちろん王立自然史博物館は、以前から大人気だった。

ヴィネア帝国最大の自然史博物館として有名だ。

それが倍の来場者数となると10万人近くにも達する。


「すごく並んでるよー。

 止めようよー。」


「これは、確かに止めた方が良いなー。

 帰ろうかー。」


ここまで来て渋々帰っていく人も珍しくなかった。


近所の飲食店もホテルも鉄道もパンパンだ。

新聞記者も飽きずに未だ通って来ている。


「マカンドルー新聞です。

 サウロンサウルスは、見られましたか?」


「いいえ!!

 もう、最悪です!!」


人混みに揉まれ、半日を費やした来場者は、怒り狂っていた。

お目当ての恐竜の標本は、見られなかったのだから。


「ご家族の誰も見えませんでしたか?」


記者は、質問を続ける。


もちろん目を引く面白いコメントなど出て来ない。

だがどの新聞社もしつこく取材を命じていた。


「見えませんよ!!

 今日は、さっさと帰ります!!」


それだけ答えて家族連れの客は、小走りで石畳の道を急いだ。

他の客にも記者が声をかけるが収穫はなさそうだ。




3004年9月22日。

サウロンサウルスの公開から2ヶ月近く過ぎた、ある日。


「あの………。」


一人の来場者に警備係が声をかける。


男は、50半ばの風体。

修行僧のようなボロボロの長衣を被り、両腕を胸の前で広い袖に通していた。


これだけでも十分、不審者なのに仲間らしい若い男女を引き連れている。

皆、男と同じような不潔な風貌をしていた。


おまけに巨大な荷物を持ち込んでおり、他の来場者を怖がらせている。


「何かね、お嬢さん。」


僧侶のような男は、警備係の呼び掛けに応えた。

痩せた唇が不吉に動き、目を背けたい汚れた歯が覗く。

目がギラギラと怪しく光り、警備係を威嚇した。


「当博物館と致しましては、そのような荷物は、困ります。

 申し訳ありませんがお引き取り願えませんでしょうか。」


「なんだと。」


男は、片方の眉毛を吊り上げた。


不審な来場者が展示品を破壊することは、ままある。

警備が咎めるのも当たり前だ。


だが今回は、事が事だけに容易に解決しない。

相手は、10人で明らかに怪しい風貌をしている。

協力的な態度でもない。


「アナベル、どうした?」


通りかかった一人の警備係が最初の警備係に声をかける。


他の警備係も次第に集まってくる。

すっかり謎の修行僧集団は、警備係に囲まれてしまった。


警備係たちは、繰り返し同じことを訴えている。


「申し訳ございません。

 そのような汚れた服装で当博物館に入らないでください。」


「そんな大きな荷物も困りますな。」


人数が増えてくると警備係も態度が高圧的になり始めた。

警棒を振り回し、修行僧たちを睨み付ける。


「さっさと帰った方が身のためだぞ、汚い連中め。

 俺たちが殴らないとでも思ってるんじゃないだろうなっ?」


「そらッ!!」


警備係の一人が長衣の男を警棒で殴る。

殴られた男は、しゃがみ込んで手で殴られたところを抑えた。


「むう…。

 何をするか、無礼者共!!」


集団のリーダーらしい男が大声で怒鳴った。

長衣の袖から両手を出し、骸骨のような指で警備係をす。


「下がれ!!

 我々は、因果律に抗い、目覚めつつあるヤラティーに仕える使徒なのだッ!

 ボリ神の導きにより偉大なる業を為し、崇高な目的で…!!」


「早く出てかないか!」


喚き始めた男を警備係が両手で突き飛ばす。


「カーラ!

 年寄りにはやめておけ。」


男に乱暴した警備係を別の一人が制した。

流石にやり過ぎだと思ったのだろう。

だが止められた警備係は、まるで反省の色がない。


「だって他の客が困ってるじゃん。

 さっさと追い出しちまおう。」


と言って暴力で修行僧たちを追い出す事が正当だと主張した。

そんな彼女の言葉に他の警備係も同調する。


「そうさ。

 こんな汚い連中に構ってるほど暇じゃないんだ。」


おもむろに警備係たちは、修行僧たちに警棒を構えて歩み寄る。

彼らのリーダーらしい男が叫ぶ。


「おのれ…。

 我々を侮辱しおったなァッ!!」


男は、起き上がると走り回る鶏のように慌ただしく腕を振り回した。

血走った両目が狂信者のそれを物語っている。


「はあ……ッ。

 かあっ!!」


一瞬、目に見えない何かが、この場を走り去った。

そうかと思うと警備係たちは、阿呆のように立ち尽くし、解散していった。

生ける者を近づけない金剛寺院の呪僧に伝わる秘術か。


厄介な警備係を追い払うと男は、再び広い袖に両腕を通した。


「とんだ邪魔が入ってしまったわ。」


振り返って今度、男は不快そうに弟子たちに向かって喚く。


「お前たち、急ぐぞ。

 目覚めつつあるヤラティーが我々との対面を待っておる!」




修行僧たちは、他の来場者たちに気味悪がられながら館内を早足で進む。

ボロボロの長衣の裾を引き摺り、目深に被ったフードの下に昏い瞳が輝く。


「おお…!

 感じるぞ、ヤラティーが私を呼んでいるのだッ。」


彼らは、迷うことなく真っ直ぐにサウロンサウルスの展示場に乱入する。


「どけー!

 どけ、愚民共っ!!」


男が喚くと弟子たちが他の来場者たちを棒のような物で突き倒す。

その棒術は、素早く鮮やかで奇妙な手捌きだった。


そもそもこのような長い棒を彼らは、最初から持っていなかった。

大きな荷物を背負っているが、その中に棒はない。


「なんだ、こいつら!」

「きゃあ!!」

「な、なんだよー。」


他の来場者たちは、サウロンサウルスの展示場から締め出された。

残った修行僧たちは、我が物顔で展示場を占拠する。


「おお…。

 おお、ヤラティーよ…。

 遂に出会ったな…っ!!」


骸骨のような腕を袖から伸ばし、男は歓びに震えながら陶酔していた。

怪しい光が瞳を満たし、この世ならざる言葉が薄い唇から零れる。


それは、呪文の詠唱であり、人の声帯から搾り出される音ではない。

鳥の鳴き声とも獣の咆哮とも違う。

例えようもなく寂しく、未知なる響きが部屋を満たしていった。


彼に率いられていた弟子たちは、荷を解き、巨大な香炉を並べる。

それぞれ異なる絵や模様を彫られた鋳物のかなえで色は、黒々としていた。

弟子たちの手により、そこから乳香のけむりが立ち、陽光にたなびく。


しばし音律と匂いが、この部屋を支配した。

来場者たちは、吠える犬のように目を三角に剥き、ぎゃあぎゃあと金切り声を上げていた。


しかし長衣の修行僧たちは、まったく無視して儀式を進めていく。


「目覚めるが良い!!

 大いなる竜よーっ!!!」


唐突に男が天井に向かって両手を上げ、儀式が最高潮に達した。

それを合図に修行僧の集団から一人が前に進み出る。


修行僧が汚れた長衣を脱ぎ去ると白い素肌が露わになる。

突き出した乳房と細い腰、丸みを帯びた肢体は、女の身体である。

頭髪は、一切を剃り、禿かむろにしている。


しかし白い肌は、人間のものではない。

血の気すらない完全な白だ。

おまけに虹色に輝き、金属的な反射光を放っている。


異形の女がサウロンサウルスの前に進み出る。


その瞬間、数億年前の地層から掘り出された標本がにわかに動いた。

巨大な頭骨が顎を開き、女を頭から飲み込む。

そして腰から下を残して噛み切った。


真っ赤な鮮血が部屋に飛び散り、正気に返ったように来場者たちが叫ぶ。

その後は、狂乱の嵐が館内を洗い流し、大混乱が引き起こされた。


倒される展示品、怪我をした来場者たち。

駆けつけた警官隊を待っていたのは、破壊された瓦礫と怪我人の山だ。


しかしあの謎の僧侶たちは、誰も見ていない。




蘇ったサウロンサウルスは、ヤーネンドンを我が物顔で蹂躙する。


勝手気のままに人間がついばまれ、手足が往還に飛び散る。

帝都のあらゆる建物が破壊され、巨大な力に圧倒される。

軍隊も警察もサウロンサウルスの侵寇を食い止められない。


「その恐竜は、見えるのか?」


「見えません!!」


依然としてサウロンサウルスは、無色透明だった。

駆り出された軍隊や警察を混乱させたのは、これだ。


市民を何処に逃げせばいいのか。

どうやって恐竜を攻撃するのか。

誰を信じればいいのか。


「サウロンサウルスが来るぞ!」


「サウロンサウルスなんて何処にもいない!!」


「誰か本当に見える奴は、いないのか!?」


「俺は見える!!」


こうなると恐ろしいのは、恐竜より人間だ。

300万人の帝都の住民は、悪魔になった。


混乱に乗じて暴動が起こった。


誰を殺し、何を盗み、壊そうとも罰する者はない。

もはや帝都は、無法地帯となってしまった。

まさに悪夢の始まりだった。




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