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タンスの角に小指を打ち付けてしまえ2


 そして、その日の夕方。

 気持ちを立て直し、誤魔化しながらも何とか仕事を終え、娘を迎えに行こうと職場を出たところで、女性は近くに人だかりを見つけます。

 その中心には青を基調とした制服が見えます。騎士の制服です。


「失礼、待ち人が来たようです。お話しいただいて感謝いたします」

「いやいや。今日のことは本当に大変そうだったからね。騎士様が側にいりゃ無茶なこともできないだろうさ」

「ほんとほんと。ちょっと惜しいけど……頑張ってください!」

「ははは……ありがとうございます」


 彼等との話を終えると、騎士はまっすぐに女性のところへやって来ました。


「お久しぶりですね、ステラ殿。義妹から話を聞きました。早速ですが、ご自宅までお付き添いさせていただいて良いでしょうか?」

「お、お久しぶりです、フェリクス様。忙しいお時間をいただいて申し訳ありません」

「いえ……顔を上げてください。謝られるよりは、お礼を一つ言っていただけると嬉しいです」

「あ……ありがとう、ございます」


 商家の奥方とよく似た言葉を女性にくれた騎士フェリクスは、手を差し出します。


「お荷物を」

「いえ、そんな、別に重くはないですし……」

「女性に荷物を持たせては男が廃るというものです」


 女性は、騎士を荷物持ちにしてしまうのは申し訳ないと思いましたが、その厚意を無下にするわけにもいかず、しっかりと買い物まで済ませて商家へ戻りました。

 差し伸べられたその手の温かさに涙がこぼれそうになりながら、この生活は壊されないようにしようと思ったのです。


 それから数日過ごしたある日のこと。女性は仕事終わりに商家の奥方に呼び止められました。

 案内された部屋には驚いたことに商家の(あるじ)に女性の義父母まで揃っていました。一体何の集まりでしょうか。

 いいえ、女性には分かっていました。この顔触れで出てくる話はきっとあの男のことでしょう。


「調査の結果がまとまったのよ。父と母には先に見てもらったわ」

「そう、ですか」

「残念ながら法的な制裁はともかく、私的な制裁はできないのよねぇ。そこで、ものは相談なのだけど……」

「ちょ、ちょっと待ってください。結論から話されているようで、話が入ってきません」

「あらあら、私としたことが。まずは調査結果の報告だったわね」


 奥方は女性をソファに案内すると、報告書を渡しました。

 女性はそれに目を通していきます。紙を捲るたびにその目は徐々に据わっていきました。


「これは、たとえ殴ったとしても気が済みそうにありませんね……」


 その紙にあったのは正しく男の裏切りの証拠です。

 地の底から這い出てきた鬼のような声で呟く女性の手に握られた報告書は、くしゃりと皺になってしまいました。


「もし、自分の夫が同じようなことをしていたら……ええ、物理的にも精神的にもどん底へ突き落としてしまいたくなることでしょう」


 まるで氷の女王が降臨したかのような、ヒンヤリとした空気が満ちていたようで、奥方の隣で商家の主はカタカタと震えていました。


「けれど……」


 奥方は、そんな自分の夫のことなど気にすることなく、ため息を吐くと続けました。


「残念ながら、手を出してしまったら養育費も毟れなくなってしまうのよねぇ。子ども一人でも育てるのは大変だというのに……」


 手酷い裏切りの数々に対して、法律の範囲内でしか報復できないことを嘆く奥方に恐ろしいものでも見るような視線が向けられます。主に男性から。


「――それで、ものは相談なのだけれど」


 そんな言い出しから提案されたのは“ちっちゃい神殿”で願ってみないかというものでした。


「ちっちゃい神殿、ですか?」

「ええ。小さい願い事なら叶えてくれるという噂はご存知かしら。直接報復はできないにしても、そこで小さな報復を願えば少しは溜飲が下がるでしょう」

「ですが、たしかその場所は……」

「北の遠吠岬ですね。馬車で一週間と少しくらいかかるでしょうか」


 女性の座る椅子の後ろに控えていた騎士が呟きます。

 ちっちゃい神殿はこの街から往復で二週間以上必要な場所でした。それを知って、女性は少し考え込みます。

 そんな女性を思考から引き戻すかのようにその腕に軽く触れて奥方が続けました。


「少し遠いけれど、行って損はないでしょう。ここだけの話、どうやら噂は確からしいという話よ」

「叶うのですか?」

「願い事によるみたいだけれど。聞いた話だと……靴を履くとき必ず足がつるとか、どれだけセットしても一掴みだけ寝癖が直らないとかね。ああ、そうそう。何故か願ったことからグレードアップして叶ったなんて話も聞いたわ」

「考えてみます」


 女性は行くとは言いませんでした。何しろ、添い遂げようとした男が愚図だったものですから、必死に働かなくては生活ができないのです。しかし男への怒りはずっと胸のうちに燻ぶっていました。


 その怒りの炎が燃え上がったのは、それからほんの数日後のことでした。


 その日は珍しく職場を見て少し周りを見回してもあの青い制服が見当たりません。騎士という職業は多忙なものでしょうから、仕事を終えて外に出れば出迎えてくれていた今までが異常だったのです。

 そんな時を狙ったように不運というものはやって来るものなのかもしれません。


「やあ、ステラ……」

「ねぇ、ジョン、早く行きましょ」

「ああ、そうだね。ということで、悪いけど今日は一緒にいられないんだ」


 その邂逅は時間にして一分にも満たないものでした。流れるように近付いてきて流れるように去っていた男と、その腕に引っ付いた赤毛の女を見送って女性は呟きます。


「何だったのかしら……」


 ちなみに、同じように見ていたパンピーは何となく男が期待していたシチュエーションが見えていました。


『女に取り合われるほどいい男、ってやつをやろうとしていたんだろうなぁ』


 その言葉が聞こえたわけではないでしょうが、女性は苦々しい調子で呟きます。


「浮気性のナルシスト……とんだ男ね」


 ナル男が見えなくなってから、女性のところまで急いで駆けてくる足音が聞こえました。


「遅れて申し訳ありません。大丈夫でしたか?」

「さっきすれ違いましたけど、何もありませんでした。ご心配いただいてありがとうございます」

「すれ違った……その様子だとそこまであなたの心を乱すことはなかったのでしょうか」

「いいえ」


 少し安堵したような声に、女性が否定の言葉を紡げば、騎士は微妙な表情で固まります。


「そうですね……少し、ニ週間程度お休みを頂いてこようと思います」

「あ……では、例のところへ?」

「はい。もうあの男には見切りをつけることにしました」


 女性は一旦庁舎に戻ると二週間の休暇を申請してきました。数日は仕事を調整する必要がありますが、無事に許可がおります。

 商家に娘を迎えに寄ったとき、二週間の不在を伝えれば、その意味を汲んだ奥方は「そう言ってくれるのを待っていましたよ」と言いながら荷物から馬車まで準備万端な様子を見せてくれました。


「ソフィアちゃんも一緒に連れて行ってあげると良いわ。道中はあんな愚弟を思い出さずにいられるようにきっと義兄が楽しませてくれるでしょう」

「え、フェリクス様に同行していただけるのですか?」

「ええ。せっかく親子水入らず……あら、これは気が早かったかしら。ええと、ともかく安全を確保するのは大事ですからね」


 途中で小さな声でなにか呟いていましたが、きっと気遣ってもらったのでしょう。女性は素直に頭を下げます。

 騎士だって長期の休みを取るには前もって申請しておかなければならないのは変わりません。初めから一緒に行ってくれるつもりだったのだと分かり、その心強い同行者にほっと安堵しました。


「それでは、よろしくお願いします」


 そして辿り着いた神殿のそのまた奥にある崖の上で女性は思いの丈を叫ぶのです。


「あんの、二股男ーー!! タンスに小指を打ち付けて転げ回ってしまえーーっ!!!」



   ФДФ



 パシリの意識が神殿へ戻ってきました。彼を通じて同じ情景を見ていたナル神父とシスターリコリスもふぅ、と息を吐きます。もちろん、それは形だけで風は生じません。石像なので。


『なるほど今回のターゲットはさも自分がいい男でもあるかのような愉快な勘違いをしているあの男ですか』


 冷笑混じりに聖女が呟きます。


『煮ても焼いても心が痛まない素晴らしい素材ではありませんか』


 何故かキラキラした光が見えそうな明るい調子でナル神父が喜びました。


『うーん……制限内でどれだけコケにできるかねぇ』


 ちっちゃい石像達は各々思うところを口に出します。そうしてかなえる願い事、かなえる規模、かなう時間、細々としたものが決まったらいよいよその神秘の力が使われるのです。


『二週間後が楽しみですね』




   ФДФ



 二週間の旅行から帰ってきて、女性はいつものように騎士と行き帰りを共にしていました。そして、仕事に向かう途中でとうとう出くわしてしまったのです。


「ねぇ、ジョン! どうして……どうして診療代をくれないの? お腹にいるのはあなたの子どもなのに」


 男の腕に取りすがるようにして蜂蜜色(・・・)の髪をした女が言います。


「ハッ、それはどうだろうな? 聞いたぞ、君は他に三人も同じようなことを言っている相手がいるんだってさ」

「誤解よ! 彼等はただの友人だもの。あなたとは違うわ」

「どの口が言うんだか。同じことを君の口から聞いたんだよ、昨日。あぁ……こんなに尻軽だなんて思わなかった。それに金、金って聞き飽きたね」

「だって……しょうがないじゃない。産むのも堕ろすのもちゃんとした医者にかからないと私が危ないもの」

「自分の身が一番なんだ」

「当たり前でしょ? 誰だって結局、自分の身が一番可愛いのよ。……ね?」


 キラリと光を反射する銀色に、周りで見ていた人の中から悲鳴が漏れます。


「うわっ! な、何するんだよ」

「あなたが私を助けてくれないなら、道連れにしてやる」

「ちょ、待った、落ち着けって……」

「ねぇ病めるときも健やかなるときも私を支えて? 一生ね」


 それは、他人の修羅場でした。奇しくもそこは先立って女性が男と修羅場を繰り広げた場所に近い街角です。

 その主演の男が助けを求めるように周囲へ視線を走らせて、女性を見つけてしまいましました。


「ステラ……っ!」


 波が押し寄せるかのように視線が女性へと向けられます。


「君から説明してくれよ。僕は君の恋人で、いずれは結婚するんだって。だから誓いの言葉は……」

「お断りよ! 二度と顔を見せるなこの二股男がっ!」


 男の言葉を遮って女性はピシャリと言い放ちます。刃のように鋭い言葉に唖然とした男は助けを求めるように伸ばした腕を落とします。それを嬉しそうに引き寄せて胸に抱く蜂蜜色の女をちらりの見ると、女性はその場から早足に遠ざかりました。


「ま、待っておくれよ、ステラぶっ!」


 ハッと我に返り追いかけようとした男ですが、不思議なことに躓くものもないはずの曲がり角でバランスを崩し、滑らせた足の、特に小指を重点的に打ち付けてしまいました。折れていないのが不思議な痛みに転げ回ります。涙に歪む瞳は女性を追いかけていましたが、彼女が振り向くことは二度とありませんでした。



   ✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣



 クスクスと、堪えきれないというような笑い声がちっちゃく聞こえてきます。


 願われた通り……ではありませんが、拡大解釈した中で最も愉快な仕上がりでした。

 普通の街角で、普通の部屋で“何故か”足を滑らせて、“何故か”必ず小指を打ち付ける。

 それで痛いのは、本人ばかり。

 規模も被害も極々軽微。



 何しろここは、ちっちゃい神殿。

 かなえられる願い事は規模にあったちっちゃいものだけ。

 それでもかなう願い事があるのだと、巷では密かに噂されているのです。


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