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タンスの角に小指を打ち付けてしまえ1

短編です。

長くなったので分けただけです。


 ここは、ちっちゃい神殿。

 かなえられる願い事は神殿の規模にあったちっちゃいものだけ。

 しかしちっちゃくてもかなうものがあるのです。

 今日もまた、願い事を持った人がやってきました。


「あんの、二股男ーー!! タンスに小指を打ち付けて転げ回ってしまえーーっ!!!」

「しまえー」


 ザザンと波が砕ける崖の上。思いの丈の限りを叫ぶのは小さな子供をつれた若い女性でした。

 ここもちっちゃい神殿の一部です。この神殿では願い事をここで叫び、かなうのを祈るのが作法なのでした。


 一通り叫べば一先ず気持ちも落ち着くというもの。女性は来る前に醸していた、まるで地の底から這い出てきたかのように疲れ切り、黒く暗く翳らせていた恨みの強い感情を引っ込めて帰っていきました。


 それを見ていたのは三つの無機質な瞳。

 石像です。


『なかなかにちっちゃい願い事ですね。浮気男への復讐がそれですか』

『浮気するような男の器なんて、たいてい豆皿よりも小さくてどうしようもないものですけれど、そんな相手に対してはなかなか小気味よい報復になりそうですわね』

『……器の大きさっていうならあんたらも相当だけどな』


 その神殿には三つの像がありました。それはそれは小さい石像が。

 中央に立つのは神父イーゴイスト。右目にモノクルをし、目を閉じて、穏やかな雰囲気のまま腕を緩く開いています。


 通称、ナルシスト神父。


 その右隣には目を閉じて、手を組んでひざまずくシスターリコリス。


 通称、ドS聖女。

 もしくは、毒舌聖女。


 神父の左隣には、彼等二人から逃げようとするかのようにそっと足をあげ、唐草模様のほっかむりをした神使パンピー。


 通称、パシリ。


 彼等は叫ばれた願い事のうち、気まぐれに一つだけを叶えてくれます。


『今日はこれにしましょうか』

『腕の振るいがいがありますわ』

『……あんたらがやるわけじゃねぇだろ』

『何を言うのですか。貴方の成果は私のもの』

『したがって、願い事を叶えたことになるのはわたくし達。よく働くのですよ、パシリ』

『……』


 広く知られてはいませんが、この神殿で叫んだ願い事はかなう可能性があるのです。

 ……ただし、ナルシスト神父や毒舌聖女の興味を引けたらの話ですが。


『……まぁ、いい。とりあえずナル神父、モノクル貸せや』


 実は、ナル神父のモノクルは過去を見通す特別な品でした。少し力を込めれば簡単に割れてしまいそうなほど細く薄い石のモノクル。……石像なので。

 パシリはそれを借りて先程の願いの主の過去を眺めます。



   ФДФ



 パシリは見ました。

 先程の若い女性が産まれたばかりの赤ん坊を大切に抱いている様子を。暖かな光が入る小さな診療所のベッドの上、目尻には一筋の光が伝います。

 その腕に抱く布の塊からは小さな小さな手が覗き、母を求めるように宙を掻いていました。

 おそらくこの赤ん坊が連れていた子どもなのでしょう。


「元気な女の子ですよ」

「そう……産まれてきてくれて……ありがとう」


 疲れが覗く顔ではありましたが、赤ん坊を見る眼差しは母親のそれ。

 女は強いものだとパシリは思いました。

 しかし解せないのは――そこに男の姿がないことです。


 もしや出産に立ち会えなかったのでしょうか。


 もちろん、すべての父親が子どもが産まれるその瞬間に立ち会えるものではないということは分かっています。何らかの重要な用事があったり、遠方へ出ていたりという可能性はあります。

 しかし、パシリはこのとき、そんな理由で男が不在にしているのではないのだと察していたのです。


「ところで奥さん、旦那はどこにいるんだい?」


 出産から一晩ほど進めたときのことでした。手伝いにやってきていた産婆に女性はそう尋ねられます。

 さり気なくされた問いかけでしたが、産婆の目にはどこか疑心のようなものが浮かんでいました。一晩経っても赤ん坊の父親がやって来ず、連絡もなかったとのことです。


「きっと仕事で忙しくしているのでしょう」

「連絡の一つも寄越せないほどかい?」

「あの人は仕事に真摯に向き合う人なのです」


 赤ん坊を抱いた女性は彼女の家へと帰っていきました。その様子を診療所の人々はどこか心配そうに見送ります。

 結局、女性のパートナーは一度として姿を見せなかったのです。


 月日が過ぎて、二年後。


 女性は少し大きくなった赤ん坊と小さな部屋に住んでいました。旦那の姿は今は見えません。

 女性は子どもを抱き上げると家を閉め、出かけてゆきます。行き先はどうやら商家のようでした。


「今日も、よろしくお願いします」

「あら、良いのよぉ。一人見るのも二人見るのも同じだもの」

「本当に、いつも申し訳ありません」

「あらあら、子育ては皆で助け合うものよ。それに、何度も言うけど謝られるよりは、ね?」


 朗らかに笑って女性の子どもを引き受けたのは商家の奥方でした。奥の間にも子どもがいるようで、サラサラとした金の髪が遊びたそうにちらちらと覗いています。


「いつも、ありがとう、ございます……」

「ええ、ええ。そう、お礼の方が嬉しいわ。この子はちゃんと見ておきますから、あなたは安心して仕事をしていらして」


 こうやって子どもを預けるのはきっと珍しいことではないのでしょう。子どもは慣れた様子で家の奥へと駆けて行きます。それを追いかけながら、商家の奥方はどこか遠くを見るような目をして呟きました。


「あのクズ……愚弟はまったくもう……見つけたらお尻の毛まで毟ってやるんだから」


 マイルドにまとめると、こんな感じの内容です。淑女にあるまじき単語の数々は聞かなかったことにしました。パシリの精神衛生上。


 さてさて、出産には立ち会わず、育児も参加しない。さらに実姉にはクズだなんだと罵られる人でなしは一体どこのどいつなんだと、モノクルをそっと押し上げ目を凝らします。


 見えてきたのは一つの修羅場。

 あの女性が通りの真ん中で砂色の髪をした男の襟を引っ掴み、ぐっと……若干締めるような調子で引き寄せながら問い詰めていました。ド修羅場です。


「金をくれですって!? やっと顔を見せたと思ったら! むしろ私の台詞よそれは!」

「で、でもね、あの子はとても困っているんだって。お腹の中に子どもがいるんだよ? ちゃんとした医者にかからせてあげなきゃ可哀想じゃないか」


 こいつの話し方、気持ち悪ぃな。

 パンピーは心のなかで呟きました。


「あの子って誰。あなたとどんな関係があって私とどんな関係があるの」

「ジェニーさ! 君の親友だって言ってたんだ」

「知らない」

「えっと……名前を間違えたかな? ジェシだっけ」


 女性が表情を変えることなく返せば、男は視線を彷徨わせてまた別の女の名前で聞き返します。それが二度三度と繰り返されれば、女性の手に力が入ってしまうのも無理はありません。


「くっ……くるし……」

「私と私の子どものことは二年も放っておいて、その女には随分と親身なのね。あなたまさか、その女と関係があって子どもに責任があるとか、言わないわよね……?」

「そ、それは……」


 男は目をそらし、否定の言葉もありませんでした。

 こうなると、誰も助けに出て来ません。遠巻きに見る群衆が男を見る視線は冷え切っていました。


「ねぇ、私にも子どもがいるのよジョン。友人ですらない他人(・・)に施す余裕なんてないの」

「……君に余裕がない? ハッ、お高い服を着ているくせに」


 鼻で笑った男は女性の頭から足までジロジロと視線を向けます。高い服を着ているならば金もある、そう確信し、まるで大金を眼の前にしたかのようにニヤニヤとした笑みを浮かべました。

 一方の女性は失望を隠さずため息を吐きます。


「そう、目も悪くなっているわけね」

「目……? 待てよそういえば、それは姉さんの!?」

「あなたのご実家はとても良くしてくれたわ。経歴に傷をつけることになってしまって申し訳ないと義父さまからは謝られてしまった……」

「はぁ!? 傷!?」


 心外だといきり立つ男ですが、彼は身重の妻を蔑ろにし、時間も金銭も人手も必要になる育児を放棄するばかりか金の無心までする始末。身内ですら……いえ、身内だからこそ男に下す評価は厳しくなったのでしょう。


「そうね、あなたなんて私の傷にもならないただの道端のゴミよ。もういいわ。養育費はもらうけど、それ以外は一切関わらないで頂戴。当然、私からあなたに渡すものなんて無いから」

「なっ、金が必要なのはこっちなんだよ」


 まだ言うか、と女性は怒りに戦慄(わなな)きます。


そうい()うのは()、養育費()を出し()てか()ら言()いな()さい()


 女性は男を突き放します。その瞬間、その顔には感情も表情もありませんでした。怒りが突き抜けると人はその一切を削ぎ落としてしまうのでしょう。

 スタスタと早足に去る女性は、割れた人垣を通り抜け、角を曲がり、娘のいる商家へ駆け込むと地面に崩れ落ちてしまいました。


「あらどうしたの!? こんなに青ざめて」

「ジョンが……」

「あらあの愚弟が……いたのね? そして、あなたの様子を見るにまた口を縫い付けたくなるようなことを言ったのね」


 奥方の言葉に女性は頷きます。今の精神状態ではそれしかできないようでしたが、流石はあの男を知る実姉。的確に男の所業を聞き出していきました。


「姿を見せたのなら、あとは捕まえるだけだわ。いえ、しばらく泳がせて相手も突き止めたほうがいいかしら。……セバス、手配を」

「かしこまりました」


 さっと礼をした執事が部屋を離れるのを見送ると、奥方はまた女性に向き合います。


「さて……ここまで来ると、あの愚弟のことは忘れてしまいなさい。それに、街を歩いていてまた近付かれても困るわね。セバスが調査を終えるまで義兄様に頼んであなたに付き添ってもらいましょう」

「い、いえ、そんな! あの方は騎士ではありませんか。お忙しいでしょうし、わざわざお手を煩わせるのは……」


 奥方の義兄……つまりはこの商家の主の兄が騎士だということは、実は有名な話でした。


「あらあら、大丈夫よ。むしろ、義兄にとっては願ったり叶ったりといったところではないかしら。子ども好きで、一時の休憩に家に来るくらいだもの」


 奥方は、女性の遠慮がちな返事に内心で困りながらも義兄の付き添いがどれだけ有用かを売り込みます。


「行き帰りの時間をあなたに合わせることはそう難しくないそうなのよ。常々あなたのことが心配だと零していたし、一緒に行動できればむしろ心労が減るのではないかしら。流石の愚弟も騎士が隣にいればあなたに無理なことを言うこともないでしょう。それに、何よりあなたの娘、ソフィアちゃんが懐いているのよね。きっと喜ぶわ」


 ここまで言われてしまっては断る方がむしろ失礼に当たりそうです。女性は恐縮しながら提案に頷いたのでした。



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