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夢見た女作家の遺産

作者: flyas

 外は雪が降っている。


 私はマリー。アカデミーに通いながら作家を志している駆け出しの物書き。

 週末にちょっと大きな小説のコンテストを控え、長編を書き上げなければならない。 


 でも今、最初のところで躓いている。

 街ではこの寒さを吹き飛ばすような恋愛小説や老獪な王族たちを打ち倒す爽快な展開の小説が脚光を浴びているけど、いざ自分が書くとどうにもしっくりこない。


 人の小説を見るのは楽しい。けれどそれは自分のじゃない。

 ひと捻りでいいから、自分の小説を描きたいと私は知恵を絞っていた。




 紅茶を淹れ、暖炉に火を灯し、部屋の中をできるだけ快適にして頭の調子を整える。

 たまに椅子から立ち上がり、誰もいない部屋を歩いてはまた椅子に戻る。


 でも、なぜだろう。

 今度こそ参加してみようと志して、本当は何か描きたいテーマがあったというのに、最初の一文、最初の章の入り方がわからない。


 部屋の中にパチパチと、暖炉の木が割れる音が響く。もう数日しかないっていうのに、目の前の用紙は白紙のまま。

 頭の整理をしたかったというのに、気づけば白紙とにらめっこしたしていた(まぶた)が重くなった。


(今回もだめかな……)

(また今度、少し早くから準備して参加しようかな……)


 そんな諦めの言葉が頭によぎる。

 私は眼鏡を外し、しばし休憩と腕の中に顔を沈めた。




「悩んでいるようじゃな」

「……は?」


 ふと目が開けると辺り一面が真っ暗の中にいた。

 その目の前に、髭を生やし、白い法衣を着たおじいさんが声をかけてきていた。


「ななな、なんでしょう? 私はどうなったのです?」


 意味が分からずそう尋ねた。


「ほっほ、お悩みのようだったのでここにお連れしてきただけですぞ」

「へ?」


 ますますもって意味が分からない。

 私は確かに悩んでいた。でも、下宿の部屋に一人でいたはずで、なぜそんな悩みを知っているのだろう。


 おじいさんは朗らかに笑った。

 悪気のなさそうな様子に私は信じてよいかわからず口をへの字に曲げていた。


「私でよければ相談に乗りましょう」

「……た、確かに考え込んでいました。でも、これ、あんまり相談できるような話ではないんです」

「どういった内容でしょうか?」

「それは……」


 私はしばらくどう説明すればいいのかわからなかった。


「その……、文章の書き出しとか、きっかけとかが欲しいんです! 私、物書きを挑戦してみたくて、途中の展開はあるんです! でも、どこまでをそう繋げればいいのかなって……」

「ふむ……」


 とうとう迷っていることをそのまま言った。

 これで答えが出るとは思わないけど、おじいさんは伸びた髭を触りながら考えていることについ期待を寄せてしまう。


「いいでしょう。何事も始まりは肝心です。誰かに読んでもらうとなればなおのこと、多くの人々を引き込むようにしなければならないでしょう」

「は、はい!」

「物書き、ということでしたら……、どんな種類でしょう?」

「えっと、物語です。私が仮想の世界を文章で描きたいんです」


 そのおじいさんはこくりと頷いた。


「よろしい。では……」

「……はいっ!」




 ――。




「――この出来事を、忘れないことです」

「…………えっ?」




 そのおじいさんとの会話は途切れ、その姿も私の目の前から消えた。


「ふぁっ!?」


 気づけば下宿の自室だった。

 暖炉は今にも消えそうな火でくすぶり、湯気を上げていた紅茶はしんと静まっていた。


「……え? あの時なんて言ってた?」


 ぼーっとしたまま額に手を当てて夢を振り返る。


 老年の神父のような、神聖さを纏っていたおじいさんだったが、何も言っていなかったような気がする。

 それとも自分が忘れてしまっただけなのか?


「……ええーっ? なんでようっ! 言ってなかったよーっ!」


 八つ当たりするように声を荒げて地団駄を踏んだ。

 だが、どうしても腑に落ちない。

 教えてくれると悟って答えを待っていた時、何ひとつ言うことなく会話を締められた。


 夢……、ではあっても、それは不思議とはっきりしていた。


「もぉー……、いいわ。あのおじいちゃんを最初に書いちゃお」


 暖炉に木をくべ直し、それとランプで最低限の灯りを確保する。


 ()()()()()を忘れるな。

 おじいさんはそう言っていた。


 ならいいやと、私は教わりかけたことではなく出会ったこと自体を題材に上げた。


 主人公はある時暗闇の中で目覚めました。

 そこで神聖なる、ちょっとヘンクツな神父さんと出会いました。

 そこで何も教えてくれず、探求のために旅立ちました。


 ――よし、いける。繋げられる。


 既に日を跨いだが自然と筆が走る。インクが切れついに書けなくなった時には雪が止み、太陽が少しだけ顔を出していた。






 それから三日後のコンテスト。

 マリーの作品は「独創的」「大胆」と評価されたものの、およそ評論家たちにはその世界が伝わらず、「民衆の流行に乗ることはできないだろう」と落第点をつけられた。


 彼女は以来自身の小説家の道を閉ざしたものの、その文章の才能を買われて当時の有名出版社「洋館書房」で働くことになり、やがて慎ましくも家族にも恵まれる生活を送った。




 数十年後。

 空き家となった家の調査のために一人の若い男が室内を調べていた。

 そこは少し前まで老夫婦が住んでいたという。


「おや? これは?」


 埃のたまった書斎の机の中から束になった紙を紐で止めた書籍が見つかった。

 あまりにもボロボロで、一枚目は擦れて読めなかった。


 だが、男はそれでも、本題に入る二枚目からを慎重にめくって文字を辿る。


「これは面白い……!」


 男が興味津々に呟く。

 それは主人公がこの世を去り、その後神父と出会い、別世界へと移って本当の人生とは何かを探求していく物語だった。


 この時代、国全体で起きていた動乱や反乱による争いがようやく鎮められてきたばかりで、戦死や病死の確認がいまだ後を絶たない。本来尊いはずの人の命が、いとも簡単に失われてしまう様を見てきた男にとって死後を描く物語は斬新だった。


 別の回収品と一緒にされれば散り散りの紙屑にされてしまう。そうわかっていた男はその小説を別にして持ち出した。

 それから責任者の許可を得て小説を持ち帰り、文章を読めるだけタイプして復元を図った。




 しばらくして男が作業を中断する。手書きならではの温もりを消してしまうのが残念でならないがもっと残念なことがあった。 


「……どこにも名前がないのが困ったな。俺のものにするわけにいかないし、したとしても全部を説明できるわけじゃないし……」


 残っている文字の中に筆者の名前もタイトルもないのだ。

 おそらく擦れて読めない一枚目にあったのだろう。それさえあれば評論会やコンテストを追うこともできただろうが、ただ話に惹かれただけの男にはこれ以上手掛かりをつかむ術がない。


 けれども、今周りには病気などで「死」と向き合い、怯えながら生活を送る人を知っている。そんな彼らを勇気づけたい想いに男は駆られていた。


 しばらくタイプライターの前で考え込んだ後、男はことん、と背もたれに寄りかかって目を瞑った。




「悩んでいるようじゃな」

「……ん?」


 男が目を開いた時、そこには髭を生やした老人が立っていた。

 なんとも満足げで、朗らかな眼差しで男を見つめていた。

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