召喚魔法は使えない
理論は完璧だと師匠にも太鼓判を押してもらった。魔法陣にもミスはない。起動に必要な魔石にも十分な余裕がある。準備は万端、いよいよだ。恐ろしい魔物の召喚は怖いけれど、これも人々を守るためだ。
「よし!」
召喚見習いの少年は、勢いづけに自分の頬をぺちんと叩いた。息を整えて、魔法陣を起動させる。床に書かれた文様は、魔石からのエネルギー供給を受けて精密に魔術を執行していく。少年の身を守るための防壁の生成、召喚対象を探す範囲の指定・発見・そして召喚。固唾を呑んで見守る少年の前で、それは姿を表した。
はるか海の底に暮らす海の魔物は、透明な体をしていた。粘度の高い体液で覆われた触腕は、事前調査によると触れた獲物を逃さないための麻痺毒を含んでいるという。大きな目は、海底に差す僅かな光を逃さないためのものだろう。のこぎりのような歯の付いた吸盤と鋭い嘴は、深海の水圧の中でも生きていける獲物すらやすやすと引きちぎるはずだ。魔物自身の皮膚も、強烈な外圧に耐えるための進化をとげていた。しかしそれは、深海の外圧に耐えるために高められた内圧と戦うためのものではなかった。
「そんな…。」
少年は、内側から弾けとんだ「海の魔物だったもの」を震えながら呆然と見つめることしかできなかった。
海の魔物の死体をなんとか全て海に返した少年は、火山に住む魔物を召喚することにした。火山の標高はたかが知れている、前回のような失敗はないさ。少年の期待通り、現れた炎の魔物は弾け飛んだりはしなかった。ただ、溶岩でできた体が冷え固まって割れたせいで、あっという間に瓦礫の塊になってしまっただけだ。チラチラと明るく輝く目、自在に形を変える腕。少年がそれらを見られたのは果たして何秒間だっただろうか。
その後も少年は何度も召喚を試みた。毒沼に住むトカゲは、生存に必要な毒がないここでは生きていけなかった。洞窟に住むスライムは、日差しに負けて干からびてしまった。雪の魔物は体内にこもった熱で、砂鉄の体を持つ魔物は湿気によるサビが原因でやはり長くは持たなかった。
魔物の生態を研究し、自分と同じ環境でも生きられるものを探し続けるうちに、気づけば少年は青年になっていた。召喚されたネズミのような魔物は、一週間経った今も元気に動き続けている。よかった、ついに命を奪うことなく召喚に成功することができた。元少年は胸をなでおろした。魔石からのエネルギー供給には限界がある、次は長期飼育に向けた研究だ。
「さあおいで、君が食べられそうな植物を庭に栽培しておいたんだ。」
声をかけられたネズミモドキは、つぶらな瞳で主人を見上げて愛らしく鳴いた。開け放たれたドアから顔を出し、故郷とよく似た乾燥した大地に駆け出した。そして、空から飛来したタカにさらわれるまでの30分間、彼は幸せそうに木の実をかじっていた。