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アベルの諦念

 

「ヴィンセント」


 夜会用の正装に着替え、上着のボタンを留めていたヴィンセントをアベルが呼び止めた。


「今日の夜会、気をつけろよ。先日例の女性と夫人が邂逅しただろ」


 アベルは王国の影である。

 なので王国内の出来事は大体アベルの耳に入っている。


「大丈夫だ。もし接触して来ても、リリエルはちゃんと守るから」


 そう言ったヴィンセントの瞳の光は強くなっていた。

 その言葉にアベルは頼もしくもあったし、揺るぎなくなった物に対して切なくもあった。


「……絶対に、泣かせるな」


「心得ている」


 グッとヴィンセントの胸を押す。

 アベルの心内を知られないように。



 ヴィンセントが支度を終え去った後、アベルは一人壁にもたれていた。

 目を伏せ自身の気持ちを払拭する。


「……いい目をしやがって…」



 アベル・フェーヴルは王国の影である。


 影とは、暗部や諜報を担う者達の事。いわゆるスパイである。

 各地に間諜を派遣し、裏の裏まで情報を収集する。

 時には暗殺や拷問なども必要に応じてやる。


 それがフェーヴル家の役割だ。

 その成り立ちは元々伯爵家だったが、アベルと父親の功績が認められ最近侯爵家に上がった。


 とはいえフェーヴル家だけでは目が届かない為いくつかの家門が暗部を担い、フェーヴル家はその筆頭に位置している。


 アベルの父親は国王陛下に付き、アベルは王太子クロードに付く。

 16歳頃より独り立ちして、今やアベルの存在はクロードの周りにとって必要不可欠なものとなった。



 そんなアベルの特別はリリエルだった。

 妹のマリアの友人としてフェーヴル家に遊びに来ていた時から好意を持っていた。

 単純に見た目が好みだったのもあるが、マリアと屈託無く話し、にこにこしている姿に目が釘付けだった。


 だが、リリエルは親友でもあるヴィンセントの婚約者だと知るや、直ぐ様気持ちに蓋をする事にした。


 アベルはリリエルを好きだったが、ヴィンセントの事も好きだった。


 王国の影として動くようになってから間もなく、ともすれば忘れてしまいたい出来事に遭遇する事もあった。

 裏事情を垣間見る事はそれまでの価値観を覆すものもあり、最初期のアベルは独り抱え込んだまま眠れぬ夜を過ごしていた。


 そんな中、学園で出会ったヴィンセントはそんな彼の事情を知り、共有する事でアベルの負担を減らしてくれている。


 記憶を保存してくれるヴィンセントがいるからこそ、アベルはいつまでも覚えていなくてはならない物を一旦記憶の片隅に追いやる事が出来、自身を保てているのだ。

 そうこうしているうちに慣れと割り切りをもってして、アベルは王国の影として動けるまでになった。

 一人前になったとてヴィンセントの助力は必要で、時折自宅に招いては記憶を共有する事で負担を減らしていた。


 ヴィンセントがクロードの側近になったのも、この能力があってこそだった。

 王国の裏を知られたから引き入れなければならないのもありはしたが、如何せんこの能力が便利すぎた。

 意図的に記憶を出し入れできる為『思い出す』事をしない限り秘密が漏れることも無い。

 生きる記憶媒体として、ヴィンセントの能力は無くてはならないものだった。


 そんなヴィンセントがリリエルを婚約破棄してしまった事に憤った。

 だが、同時に自身がリリエルを手にできると一度は思ってしまった。


 ──アベルは結局動けなかった。


 王国の影として一人前になっていた彼は、情報を求める対価としてあちこちに現地妻を置いていた。

 住まいを諜報の拠点とし、普段彼女らは情報収集を行う。

 その活躍もあり、王国内の裏情報まで把握できているのだ。

 中には高級娼婦のように身体を張った諜報を行う者もいる。彼女達との関係を円滑に保つ為、アベルは付かず離れず本気にならずを徹底していた。

 幸い『報われない想いを抱いている』と言えば彼女達は文句を言わなかったし、それこそあくまで契約関係だという事を弁える者ばかりだったので今まで目立ったトラブルは無い。


 ちなみに『親子連れ』の方が怪しまれない事もある為、何名かはアベルの子として育てている。

 元々の連れ子も、アベルの血を引く子も関係無く、フェーヴル家に入る事は無い。


 契約上の関係とは言え端から見れば『愛人が多数いる貴族』である。

 父親も同じなので、『愛人が多数いる父親と兄』を見ているマリアの婚期が遅れているのも気にしていた。


 だから、リリエルが婚約破棄されたとて、アベルは手出しが出来なかったのだ。

 婚約破棄の理由を考えたら尚更だった。



 アベルは悩んだ末、ヴィンセントをけしかけた。

 後悔しているなら当たって砕けろと発破をかけた。

 妹マリアの計画に乗ってチャンスを得、自身も機会を作り出した。

 マリアとリリエルが企んでいたお茶会で、リリエルの気持ちを誰よりも汲み取り尊重していたアベルは、二人が再び結ばれるようにきっかけを作ったのだ。


 あの時のリリエルは、ヴィンセントしか見ていなかった。

 アベルが話している時も、ヴィンセントを気にしていた。


 会えて嬉しい。

 会いたくなかった。

 けれど。……やはり嬉しい。


 リリエルの瞳はヴィンセントを見て揺れていた。


 大多数の人間の機微を汲み取ってきたアベルは、彼女の瞳に自分が映る事は無いだろうと、気付いてしまったのである。

 そんなリリエルに自身の想いを告げる事など出来る筈が無かった。


 それならば自分にできる事をしようと動いた。



 結果、二人は結ばれ揺るぎない夫婦仲になったのは喜ばしい事ではあるが、同時にアベルの胸を締め付けた。

 二人が結婚して一年経過しても、どれだけ現地妻を囲っても、想いを忘れられなかった。


 元々リリエルに伝える事の無いものだが、簡単に捨てる事も出来なかった。


「いい加減、諦めないとな…」


 もしも。

 自分がフェーヴル家でなければ。


 リリエルとどうにかなる未来もあったのだろうかと。

 だがその考えは直ぐ様打ち消した。


 叶わないもしもなどは無い。

 それを思い浮かべて夢見ても虚しいだけだ。

 自身がアベル・フェーヴルでなければ出逢えなかった。


 偶然は全て必然なのだ。



 アベルは悶々とした気持ちを振り切る為に一度頭を振り、両手で頬を張った。



 そこへ部下が入室した気配を感じ取る。

 例の伯爵令嬢が入場したとの報告だった。


 それを聞いたアベルは、視線を鋭くした。


 これ以上大事な二人を引っ掻き回されないように。

 部下に伯爵令嬢を見張るように指示を出し、アベルは一人で夜会会場へと向かった。


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