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あなたの手を離さない  作者: 凛蓮月


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6/11

リリエルの不満

 

 最近ヴィンセントの様子がおかしい。


 朝起きて覇気が無い。

 心無しかやつれているようにも見える。


 リリエルは不安だった。


 ヴィンセントはリリエルに心配かけまいと、にこやかに過ごしていた。

 しかしそれはリリエルの不安を煽るだけであった。


「夜会、ですか?」

「ああ、3ヶ月後に。王家主催だから出席する事になる。だから今日ドレスやアクセサリーを見繕いに行こうと思うんだが」

 そう言ってリリエルを見た。

「畏まりました。…でも、ヴィンセント様最近お疲れではありませんか?

 お休みの日くらいゆっくりされては?」


 ヴィンセントの目の下の隈を指し、心配そうに眉根を下げたが、ヴィンセントはリリエルが気に掛けてくれた事が嬉しかった。


「大丈夫だよ。リリエルと出掛けると元気になるから」

 実際気持ちはウキウキとしてくる。

 愛する妻と外出するのは久しぶりだというのもあるが、二人で過ごせる事が何よりもの栄養剤だ。


 結婚してから休日は常にリリエルに寄り添っていた。

 元々活発に動き回る方では無いリリエルは、自宅で本を読んだり刺繍をしたりして過ごす事が多かったが、そんな妻を傍らで見守るのがヴィンセントの休日の過ごし方だった。

 時折気分転換に庭を散歩する事はあるが、デートとなると久々だと胸は高鳴った。


「あまり無理はしないで下さいね。……でも、久しぶりのお出かけですね」

 嬉しそうに笑うリリエルにホッとすると、心無しか気持ちが浮き立つ。

「朝食を食べて支度したらたらすぐに出よう」


 今日はヴィンセントの休みの日。

 リリエルは心配しながらも気持ちは嬉しかった。

 久しぶりのデートである。

 王太子付きのヴィンセントは忙しい毎日だった。

 時折休日も返上で登城する事もある。

 だがそんなヴィンセントを慮ってか、王太子より暫くの休日を貰っていた。


『暫く休め。心身共に健康になったらまた戻って来い』


 実際はヴィンセントの戒めを少し解いて記憶を上書きしろ、というお達しである。


 できればリリエルの笑顔を。


『悲しみで戒めるのも良いが、夫人の幸せな表情の方が踏み止まるだろう。俺ならミリィの真っ赤にした顔を思い浮かべる』


 これは王太子の案だった。

 楽しい思い出を作ってリリエルの笑顔を焼き付ける。

 ヴィンセントは気合いを入れ直した。



「どうですか?」

 ドレスの試着をしたリリエルがおずおずと顔を出す。

 その姿は妖精かと見まごうもので、ヴィンセントは思わず見惚れてしまった。


「うん、うん。いいと思う」

 こほんと咳払いした。

「ではこれにします。ヴィンセント様の髪の色でもありますし」

 にっこり微笑んで試着室に引っ込んだリリエルに、ヴィンセントはしばし呆けて。


 その意味を理解した途端に顔を真っ赤にして両手で覆った。


(それは……それは、リリエル、何て言う殺し文句!もう殺されても悔いは無い!)


 そうして夫が悶ていると知らぬ間に、リリエルは着替え終わり試着室から出て来た。


「次は宝石店に行くか。その前にお腹空いて無いか?先に食事にするかい?」


 腕を曲げると自然にリリエルの手が添えられる。

 その事でお互いに照れてしまいながらも平静を装った。


「そ、そうですわね。少しお腹空きましたわ。ヴィンセント様は?」

「そうだな。少しお腹を満たしてから次に行くとしようか」


 こうして二人で歩いていると、デートしている気分に浸れると、二人は照れながら歩いていた。



 王都で人気のレストランでお腹を満たし、食後の紅茶を嗜んでいると、どこからか声が掛かった。


「あら、お久しぶりですわね、ヴィンセント様」

 その声が聞き慣れない女性の物である事にリリエルはビクッと肩を揺らした。


「……何か御用でしょうか?」


 極めて冷静に対応する様子のヴィンセントに、リリエルは顔を上げた。

 その表情には心無しか焦りが見えた。


「あらお忘れになりましたの?一度は婚約破棄をしてまで私に求婚して下さったのに」


 リリエルはその言葉に目の前が真っ暗になった。

 咄嗟に顔を俯けぎゅっと拳を握り締めた。

 心臓が鷲掴みされたように痛み、早鐘を打つ。


(この方が………)


「……失礼。今日は妻と一緒なもので。邪魔をしないで頂きたい。……リリエル、出よう」


 そう言ってリリエルの手を引き、足早に店を出るヴィンセントの顔色は心無しか悪い。


 ちらりと後ろを振り返ると、忌々しそうに自分達を睨み付ける女性の姿が目に映り、リリエルはさっと目を反らした。



 レストランからある程度離れた所でリリエルは止まった。

 あの女性が追い掛けて来て邪魔されたら嫌だなと思うと、今日はこれ以上楽しめないと思った。


「今日は、もう帰りましょう。宝石はまた次の機会に…」

 馬車に戻った二人は、互いに何かを言いたいのに言葉を出せなかった。

「……分かった」

 ヴィンセントも、一言返すだけで精いっぱいだった。


「……すまない」

「またデートしましょう」


 そう言って、リリエルは無理矢理笑った。



 きれいな女性だった。

 自分では敵わないような、妖艶な魅力があった。

 リリエルの中で黒い物が溜まりそうになっていた。


 馬車の中で二人は無言だった。


 先程の女性の件でリリエルに説明をした方がいいのは分かっていたが、どう言えばいいのかヴィンセントは悩んでいた。


 馬車が侯爵邸に着き、ヴィンセントがエスコートの為にリリエルに手を差し出すが、リリエルはその手を取るのを一瞬躊躇した。

 その事に気付いたヴィンセントは、一瞬顔を歪めたが、リリエルは手を取り馬車から降りた。


 ホッとしたのも束の間、リリエルは「疲れたので休みます」と、先に行ってしまう。

 だがヴィンセントはリリエルを呼び止めた。


「リリエル!待ってくれ…。話を…

 話をさせて欲しい」


 微かに震えたリリエルの手を取り、ヴィンセントは緩く握った。


 聞きたい。

 だけどいまさら。

 聞きたくない。

 だけど気になってしまう。


 暫く俯き躊躇したリリエルは「とりあえず家に入りましょう」とヴィンセントを促した。



 ♠✦♠✦


 居間のソファに腰掛け、使用人がお茶を淹れるとリリエルは「ありがとう」と言った。


 向かい合わせに座り、お茶を飲み一息つく。

 ヴィンセントはそわそわと口を噤んだり開いたりしながらリリエルを窺っていた。



 やがてリリエルはヴィンセントに向き直った。


「あの方が、そう、なのですね」


 穏やかだが、射抜くような声にヴィンセントは一瞬肩を震わせた。


「……そう、です…」

 鼓動は早鐘を打ち、何故か言葉は丁寧になってしまった。


 リリエルは目をつぶり、口を閉じる。

 その間が永遠のように感じて、ヴィンセントは俯くしかない。


 例えば今、説明をしても言い訳じみて届かないと感じた。

 なので、リリエルからの言葉をじっと待っていた。



「あの方と私の違いは何ですか?」

 リリエルの声に、ヴィンセントは息を呑み、真っ直ぐ見た。


「愛しているか、どうでもいいかだ」


 リリエルは一度目を伏せ、再びヴィンセントを見た。


「ならば態度で示してください。

 言葉以外で、あの方との違いを見せて下さい。

 私は貴方の、本当の妻になりたいです」


 本当の妻。

 ヴィンセントは目を見開いた。

 それはつまり、今のまま白い結婚のままではいたくないという意味だ。


「私は強欲なのです。言葉だけでは満足しません。自分が特別だと思いたいし、何より貴方との未来が欲しい。

 ……出来なければ離縁して下さい」


 リリエルの口から『離縁』という強い言葉が出てヴィンセントの心臓はドグンと一際嫌な音を立てた。

 膝の上で拳をぎゅっと握り締め、俯く。


「だが……」


 まだ、『完全にリリエルの信用を得られた』とは思っていないヴィンセントは、行動を躊躇った。


「もう一度言います。

 出来なければ離縁します。私は結婚した旦那様との家族が欲しいです。

 ヴィンセント様がくれないなら、他に行きます」


「それは嫌だ!!」


 今にも泣きそうな顔をして、リリエルに近寄って来た。


「勝手なのは分かっているが、離縁は嫌だ!

 結婚の時の約束もこれから先も守るから…」


 ヴィンセントはみっともなくてもリリエルに縋った。

 全てを捨ててでも妻の側にいたいと願っていた。


 侯爵家の一人息子として育った彼は、格好つけたがりな一面もある。

 できればリリエルには「かっこいい」と思われていたいと思っていた。


 だが実際はかっこいいどころかリリエルに対しては情けない姿を見せてしまう。

 すぐ涙ぐむし、緊張しすぎて手は震える。事ある毎にリリエルに縋る。


(情けなくて、自分勝手。……でも)


 そんなヴィンセントを、リリエルは愛しいと思ってしまう。

 もう意地とかプライドとか関係無かった。


「ヴィンセント様は私が欲しくないんですか?」


 リリエルに跪くヴィンセントの頬を持ち、自分に向けさせる。

 ヴィンセントは目を見開き、次第に顔が赤くなってきた。


「…リリエル……その、いいのか…?」


 チラチラと顔を赤らめて目を泳がせるヴィンセントの額に、リリエルはそっと口付けた。


「もういいのです。私は例え貴方が愛人を作っても、他に好きな女性が出来ても、きっと貴方が好きなのです。

 私に物足りないとか言って余所に行ったりしてどうしようもなくて、妻に手も出せないヘタレで優しい貴方を、私は愛してしまったのです。

 …私もどうしようもないですね」


 へへへ、と笑ったリリエルを心底愛おしく感じたヴィンセントは、リリエルを抱き寄せた。


「私は情けない男だ。君はいつも私を愛してくれていたのに、それに胡座をかいてしまった。

 ありがとう…

 私を見捨てないでくれて……」


 強く抱き締めながら、ヴィンセントは目頭を滲ませた。


「ふふふ…。私が見捨てたら貴方を拾ってくれる人なんていませんからね?

 ……まぁ、本当ならなるべく愛人とかはご遠慮して欲しいのですが」


 そう言ったリリエルを、一度がばりと引き離す。


「何度も言うが、私は愛人は作らない。君が作れと言っても、私は作らない。子どもだって、君との子だけしか欲しくないんだ」


 きょとんとしたリリエルは、ぼぼぼっと顔が熱くなった。

 釣られてヴィンセントも赤くなる。


「……分かりました。…いつかは、すみません…」


「あの時は生きた心地がしなかった。疑われても仕方無いとは思ってるが、二度と言わないでくれ…」


 情けない声を出すヴィンセントを愛おしく感じ、リリエルはくすくす笑った。


「それなら、もっと私を頼って下さい。もうかっこつけないで。

 私たちは夫婦なんです。貴方を支えるのは私の役目です」


 その言葉にヴィンセントはリリエルに何度目かの恋をした。


「リリエル……。好きだ。愛している。……リリエルの方がよほどかっこいいな…」


 ふふふと笑う妻を眩しそうに見つめる。

 彼女には一生敵わないと思った。



 そして。

 ヴィンセントはリリエルを引き寄せ口付けた。


 それはほんの軽く、唇が触れる程度のもの。


 だが二人にとっては、結婚式以来初めてのものだった。


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