マリアとのお茶会
「愛人を作らないのって言ったの!?」
「ええ……まぁ…」
リリエルはごにょごにょとしながらお茶を飲んだ。
リリエルと親友マリアのお茶会は、リリエルが結婚してからも続いていた。
婚約破棄当時、『可愛いリリエルのどこが不満なのよ!』と怒ったのはマリアである。
所詮男は、と大変失望した。
だが、ヴィンセントは結局リリエルの元に戻って何と結婚までしてしまった。
大変納得いかないが、リリエルが良いのならと自分の主張をぐっと堪えた。
それでもまた同じ事をしでかさないかと信用してなかったので、リリエルに内緒で調査をさせた。
だが、さすが侯爵家令息で、マリアの放った内偵はすぐにヴィンセントにバレた。
が「リリエルの親友にも誠意を示したい」と、内偵は継続された。
これにはマリアは驚いた。
今の所ヴィンセントの素行は良好で、疑わしい事は微塵もない。
頃合いを見て引き上げようと思っていた矢先、リリエルから受けた相談に、マリアはちょっと同情した。
「フォルス様は過去はクズだけど、今はリリエル一筋よ?……愛人を取らないの、って言っちゃったのは…」
「ゔ……。けど、ヴィンセント様とはまだ……何も、無いし…」
もじもじと可愛らしい仕草をしている親友の言葉にマリアは笑顔のまま固まった。
「……リリエル?まさか…」
「口付けすらしてくれないのよ?私以外にいるんじゃないかって思わない?」
ぴしっと音がした気がした。
マリア独自の調査でヴィンセントが浮気をする暇も人もいないのは分かっている。
暇が無いのは仕事が忙しいからだ。
記憶力を買われている彼は王太子が出席する会議に必ずいる。そこで話し合われる言葉を一言一句逃さず記録するのだ。
執務室でそれを思い出しながら小さな声まで書き起こす。
おかげで王太子の功績は鰻登りで、次世代も安泰だと社交界で話題になる程だ。
だが彼はそれを表に出していない為“フォルス侯爵の功績”にはなっていない。それ故ヴィンセントが注目される事は無く、女性に言い寄られる事も無いのは調査で分かっていた。
そして、件の王太子が暇を与える隙も無いくらい仕事を寄越す。
確かに王太子の仕事量が多いのは仕方無いが、休日すらままならない時も多い。
さすがに周りは身体が心配になるが、そこは「殿下なりの制裁と彼の力量を見込んで生活に支障が出ないくらいには抑えている」らしい。
王太子曰く。
「僕達の忠告を聞かないのは仕方無いにしても、ミリィの言葉を無視するのはね」
と、笑顔だったらしい。
だが、ヴィンセント自体はそれを黙々とこなしているため、最近ではクロードも見直してきていると、アベル談である。
そんな彼がリリエルに手を出して無いのは愛情の深さなのか、ただのヘタレなのか。
おそらく後者だろうが結婚して1年も経つのに口付けすらままならないのは逆にリリエルを不安にさせると気付かない夫にマリアは呆れていた。
「初夜のときに、信用を得るまで手を出さないとは言われたけど……」
「信用はまだできない?」
「……それは、もう、だいぶ……。以前はどうあれ、今の彼は大丈夫」
それなら、とマリアはとても同情した。
結婚して1年の、口付けすらままならないこの夫婦に説教したくなるのをぐっと堪える。
「リリエル。過去に貴女が傷付けられた事は私未だにフォルス侯爵に物申したいけれど。
だからと言って、今は誠実に接している旦那様に『愛人を作れ』は無いと思うの」
「とは言え、リリエルの不安も分かるのよ。だけど、過去に囚われすぎて今を否定しては前に進めないわ?」
マリアは優しく諭す。
「…ねえリリエル。結婚して一年も経てば、周りから色々催促があるのではなくて?」
リリエルはふるふると頭を横に振る。
その頃には懐妊の話がよく出るが、リリエルに直接言う人はいなかった。
「そう。おそらくね、フォルス侯爵が上手く周りに説明してるからだと思うわ。
リリエルの負担にならないようにね。
その辺りの優しさは信じてみていいと思うわ」
言われてみれば誰からも何も言われない。
期待はされているかもしれないがデリケートな問題ではある。口さがない者もいるわけで。
だがそういう話題はリリエルの耳に入らなかった。
しかし。
「そんな優しさより、私は口付けが欲しいわ…」
ぽつりと溢した親友の本音にマリアは悶えた。
「私の親友が可愛いわ!
リリエル、それ侯爵様に言ってみなさいよ」
にまにまとマリアは悪戯っぽく笑うと、リリエルは顔を赤くした。
「は、はしたないって思われないかしら…。妻から、そんな…」
結婚して一年経過したとは思えない反応に、マリアは更に悶える。
「いいのよ。あの方にはリリエルから誘って丁度いいくらいよ。じゃなきゃお婆さんになっても口付けもしてないって事になりそうだわ」
「それは嫌だわ。私だって、その……ヴィンセント様との家族、欲しいわ…」
ごにょごにょする親友に、マリアは目を細めた。
多分、この夫婦は大丈夫だと、何となくの予感がした。
「それはそうと、マリアはどうなの?」
これ以上の詮索は耐えられなくなったリリエルは、その矛先を親友に変えた。
「え?どうなのって?」
「結婚よ。いい方はいないの?」
リリエルの言葉に、お菓子に伸ばしかけた手を止め、引っ込めた。
それから眉根を下げ、溜息を吐く。
「……貴族の結婚て、愛が無いものばかりじゃない?男性は愛人作るのが当たり前で。
だから、イマイチ興味が湧かなくて」
マリアは困ったように笑った。
マリアの両親は政略結婚というのをリリエルは知っている。
学生時代からの付き合いだ。親友と呼ぶからには家の事も含め色んな話をしてきた。
マリアの父親に愛人がいると涙した彼女を慰めた事もある。
また、兄のアベルも不特定と関係しているとも聞いていた。
後にフェーヴル家の家業を知れば仕方無いとは思うが、割り切れない彼女が結婚に夢を持てないのはある意味妥当だった。
「いつかはお見合いをして、とは思うの。だけど、気持ちが着いていかないの…。
貴女が羨ましいわ、リリエル。
好きな人と結婚できたんだもの…」
「マリア……」
マリアの気持ちを聞いて、リリエルは口を噤んだ。
こればかりは何とも言い難かった。
『いつかはいい人が現れる』なんて保証も無いのに気休めは言えなかった。
「もうやだ。お茶が冷めちゃったわ。ごめんなさいね、湿っぽくなっちゃって」
「いいのよ。…私こそ、嫌な事言っちゃったわ。
何も結婚に拘る必要は無いものね」
それからは尽きぬ話題に時間を費やし、お茶会は恙無く終了したのだった。
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その夜、帰宅したアベルをたまたま廊下に出ていたマリアが出迎えた。
「お帰りなさいませ、お兄様」
「マリアか。ただいま。今日リリエル来てた?」
何気ない一言。
マリアは気付かないふりをする。
「ええ、相変わらず惚気ていたわ。一年経ってもお熱い新婚さんね」
「……そうか。幸せそうなら何よりだ」
ふ、と柔らかに笑みを浮かべた兄に、マリアは気付かないふりをする。
兄が、リリエルの話をする時、愛おしそうな、寂しそうな顔をする事も。
アベルが自室へ行くのを見て、マリアは溜め息を吐く。
アベルはリリエルの事に敏感だ。
今日彼女が来ると一言も言わないでも知っていた。
仕事上特定の相手を作る事がままならない兄に同情はするが、リリエルの幸せが一番だ。
だからあの時──リリエルが婚約破棄された時、兄を勧められなかった。
兄自身も望まないだろうと思った。
想いを告げる事も無い。
リリエルの幸せが兄の幸せでもあるからだ。
「ちゃんと幸せにしなさいよ、侯爵様」
マリアの呟きは誰にも聞かれることは無かった。