夜会の裏側
「やあ、マッケイン嬢。残念ながらここにお目当ての彼はいないよ」
穏やかに、静かに。
怒気を孕んだ声に靴音を響かせた男が、妖艶な女性に近付いた。
「ごきげんよう、アベル様。待ち合わせしてたのですが、置いてけぼりされたようですわ」
持っていた扇をバサリと広げ、口元を隠せば三日月の形をした瞳だけが確認できた。
その事にアベルは不快感を抱きながら、シェリルと少し離れた距離で止まった。
「あの媚薬はどこで手に入れた?あれ用意したの君でしょ」
「なんの事かしら?」
こてんと首を傾げる彼女は悪びれもせずに微笑む。
愛らしい少女のような仕草なのに艶めかしい。そのアンバランスさはなるほど、狙いは高位貴族のみとは言え女性慣れしていない親友は引っ掛かるわけだと苦笑する。
「あれ、隣国で育つ植物が入ってたんだよね。……うちの国では禁止されてる」
その言葉にシェリルはすっと目を細めた。
ヴィンセントが部屋を後にしてすぐにシェリルも部屋を出た。
予め仕込んであったお香はある人物からの貰い物だ。
それが媚薬である事には気付いたが、どういう物で作られているかは知らなかった。
(禁止されている物を渡すなんて……)
「そうでしたの…。頂き物なので存じませんでしたわ」
再び扇で口元を隠し、眉根を寄せる。
内心の焦りを気付かれたくなかった。
「…ま、君を引っ張れるなら何でもいんだけどね」
目線をチラリと移し、控えている部下に合図する。
「……アベル様が影だというのは本当でしたのね」
シェリルの口からその言葉が出た事に、アベルは強い不快感を感じ思わず睨んだ。
「だから何?」
「アベル様でもいいわ。私を愛人にして下さる?」
その言葉はまるで異星人を相手にしているような感覚で、アベルを苛立たせた。
傍若無人でふてぶてしい。
こんな女の為に大事な二人を傷付けられたのかと、反吐が出る思いでいた。
「君みたいな失礼な女性は利用価値無いから無理だ。さっきから名前で呼ばれてるけど君に許してない。不愉快だ。
俺の愛人になりたければ必要な教養を身に付けてから言ってくれ」
冗談じゃないと思った。
アベルの現地妻達は協力関係になった時より訓練を受けている。ただの愛玩用では無い。
時には危険を伴う諜報も行う。その為契約をし、保護の意味も込めて囲っているのだ。
それに高位貴族なら誰にでも愛人にしろとのたまう女よりは身持ちも固い。
肉体を使った諜報もあるが、彼女達は仕事と割り切って行う。
アベルの愛人になると言うのはそういう事である。
苛立ちを抑え、あくまで冷静に対処する。
ここで感情的になっては王国の影の名に恥じるからだ。
それでも声音は低く、怒気を孕んでいた。
「……どうして…………。どうして!!貴族はみんな愛人を持ってるじゃない!?」
金切り声を上げ、シェリルは叫ぶ。
「お父様も!アーバイン様も!みんな、みんな愛人がいるわ!そうでしょ?ヴィンセントだって!!私に求婚してきた!婚約者を捨てて!私に……来た……のに…………」
「断ったんでしょ。ヴィンセントの事」
「ええ、断ったわ。私は浮気相手なんてまっぴらよ!すぐに捨てられる……」
「じゃあ何で貴族夫人じゃなくて愛人狙いなの?」
シェリルは力無く腕を下げ、俯いた。
「貴族夫人になって……夫が愛人を作ったら惨めじゃない……」
それだけの理由だった。
マッケイン伯爵も、アーバインという男にも愛人がいる。
彼女の周りの環境ではそれが当たり前なのだろう。
だからと言って、婚約者がいる男を誘惑したり、媚薬を使って既婚者と無理に既成事実を作ろうとするのはいただけない。
それが犯罪に絡んでくるならなおさらだ。
何と身勝手で醜いのだろう。
自分のプライドを守る為に他人を振り回す。
──だがある意味哀れなのかもしれないとアベルは思った。
「政略結婚でも互いに歩み寄る事もできるだろう。その上で愛が芽生える事もある。愛し合う事もできる。
互いに尊重し、思いやる努力をすればな。
だが、最初からそれを放棄してる奴に、他人の幸せを壊す権利は無い」
アベルはシェリルを睨んだ。
「シェリル・マッケイン嬢。違法薬物使用の罪で連行する」
アベルが手を挙げると、どこからか待機していた影がシェリルを取り囲む。
シェリルは諦めたように大人しく連行された。
「……これでマッケイン家に入る権利を得たな」
暗闇からクロードが顔を出した。
「殿下、アーバインの名に覚えは?」
「アーバイン………居すぎて見当つかないな。他に特徴は?」
「愛人がいるそうです」
一瞬目を丸くして、すぐに思案顔になりクロードはしばし考えたが、肩を竦めて頭を振った。
「ヴィンセントは分かるかな」
「そう言えばヴィンセントが媚薬吸って大腿を花瓶の欠片で刺したらしいです。だから聞けるまでちょっと時間空くかもしれませんね」
「傷は大丈夫なのか?」
「侍医が優秀なので、大丈夫でしょう」
暫く執務が滞りそうだな、とボヤきながら廊下を歩く。
「夫に愛人がいる夫人と、本命の貴族夫人が得られない男とどっちが惨めだろうな」
アベルの自嘲は闇に消えた。
♠✦♠✦
数日後。
ヴァーナ伯爵家に、前フォルス侯爵夫妻がやって来た。
表向きはヴァーナ伯爵夫人に前フォルス侯爵夫人が会いに来た体だ。
実際には王宮主催の夜会で起きた事件の事での話だった。
「ようこそお越しくださいました。急にお呼びして申し訳ございません」
「良いのですよ。たまには領地から出ないと鈍ってしまいますもの」
「それで、早速ですが……」
ヴァーナ伯爵は神妙に口を開く。
和やかな雰囲気は一瞬にしてピリリと研ぎ澄まされた空気に変わった。
「先日の夜会で、婿殿の事をロイド──見張り役から聞いております。何でも罠に引っ掛かり危うく……だったそうで」
「ええ、こちらも影から聞いております。初歩的な罠に掛かるなんて、情けのうございますわ」
ヴィンセントへの監視と内偵は未だ続行中だった。
王国の影であるアベルの部下が付いているのはヴィンセントの能力を買っての事だが、その他にフォルス侯爵家と、マリアの密偵と。
更にファウゼン家からの者である。
あの時、媚薬を吸ってしまったヴィンセントの周りには四名の影がいた。
アベルに報告したのはアベルの部下。
ロイドを呼びに行ったのは侯爵家の影。
マリアの元へ走り、リリエルに知らせたのはマリアの密偵。
そして、ヴィンセントから離れなかったのはファウゼン家の影だった。
ファウゼン家とは、王太子妃ミリアリアの生家である。
ミリアリアはリリエルを心配して独自で着けていたのだった。
『ここ最近の彼の動向を見て、ファウゼン家は撤退させる事に致しました。夜会当日の彼の潔白は王太子妃の名に於いて証明致します』
こんな手紙がヴァーナ伯爵家へ届いたので慌ててヴィンセントの両親を招いたのだった。
ヴァーナ伯爵との約束は、王太子妃によって守られた。
婚姻時の約束の証人に王太子、今回の潔白証明に王太子妃と、強固な二人に守られていると口出しもできないな、と苦笑する。
「まぁ、でも。彼なりに頑張っているようです」
ヴァーナ伯爵は、優しげな眼差しでヴィンセントとの約束を思い返していた。
ロイドの報告ではもう一つもあったが、娘は望まないだろうと今回は目を瞑る事にした。
その理由も心配から来るもので傷付けたからではないというのも考慮した。
もっとも、当の本人であるリリエルが「目から汗が出ました」と言い張るから複雑になりながらも“そういう事”にした。
ヴァーナ伯爵とて鬼ではない。
二人が努力して上手くいっているならば見守ろうと決めていた。
「愚息で申し訳無い。……しかし、頑張りを認めて頂いて、私共も嬉しく思います」
前フォルス侯爵が頭を下げると、ヴィンセントの母も穏やかに笑った。
「けど、これからも影は付けておきますわ。彼らから報告を聞くのも楽しくて」
「私もロイドから報告聞くのが楽しみなのよ。二人の初々しさったら」
ふふふ、と二人の夫人は笑い合った。
これからもヴィンセントの私生活は、本人も希望しているからと影は付けられ、両親に筒抜けになるのだった。




