憎しみというエネルギー
僕の名前は猫山大輔、小説家志望で、Web小説を投稿したり、新人賞に応募しているアマチュア作家だ。将来の夢は皆をあっと言わせる作品を書くこと。
年齢は30歳なのに、定職についていないから親とよく喧嘩する。一応、ライターとして仕事を募集しているが、仕事は未だに来ない。
収入源はたまにする日雇いのバイトや友人の手伝い、両親に月に一度もらう小遣いくらいだ。
そんな僕だが、仮にも小説家志望だ。取材という名目で、色々なところに旅をしたり、色々な人に会ったりする。
作家になっていないから、成果としては目覚ましくない。
しかし、面白い話が聞ける。面白い体験ができる時もある。恐ろしい体験をするときもある。
今日はその中で一つ、可哀そうな小学生の話をする。
■第一章 殺人鬼はいじめられっ子?
土曜日の朝九時、僕は駅の改札前で、大学の旧友と待ち合わせする。
「猫山君」
現れたのは、大山美紀。三十歳の既婚者だ。昔は美人だったが、子供を産んだためか、今はおばさんに見える。
「話って何だい? 言っておくが、金の工面とか、マルチの勧誘とか、宗教の勧誘はお断りだぜ」
僕は単刀直入に話を進める。昔なら、ドキドキと、告白かどうか期待したが、三十にもなると、そんなことあり得ないと分かっている。
「随分な言い草ね」
露骨に嫌な顔をする。気持ちは分かるが、警戒するこっちの身にもなってくれ。
「立ち話も何だから、カフェに行かない?」
しかし彼女はすぐに表情を変える。何か怖がっているようだ。どうやら、かなり切羽詰まっているらしい。
「悪いが金が無い」
残念だがこっちも切羽詰まっている。
それに詐欺だったら、逃げやすい路上で話を聞いた方がいい。
「奢るから」
彼女の表情は硬い。真剣な話のようだ。
「なら、ありがたく」
駅前にあるカフェに案内する。
どんな話だろうか? 悪い奴に脅されているから金を貸せ? それともマルチのノルマが達成できないから商品を買え?
小説のネタになるなら、どんな話でも良い。
「猫山君は小説家志望だったよね」
安いコーヒーを頼んで席に着くと、美紀が口を開く。
「そうだけど、それが何か?」
「前に聞いたけど、小説家志望だから、色々詳しいんだってね」
いまいち話が見えない。
「付け焼刃だが、宗教、心理学、工学、経済学、その他いろいろと知識は取り入れている。新聞も必ず目を通すし、株価もチェックしている」
「だからこそ、相談したいことがあったの」
金の話ではないようだ。
「どんな話だ」
身を乗り出す。小説のネタになる気がする!
「私は小学校のカウンセラーをしているの」
まずは身の上話か。
回りくどいが、それが関係するなら仕方ない。
「それは凄い! 資格の勉強なんか辛かったんじゃないか?」
「確かにつらかったけど、私、いじめ問題を解決したいって思いがあったから、それほど苦じゃなかった」
「立派だね」
美紀は昔からいじめ問題に強い関心を持っていた。卒業論文はいじめっ子の心理分析に関することだった。
カウンセラーになったのも頷ける。
「実際に現場に立つと、簡単にはいかないって思い知らされたわ」
「例えばどんな?」
「カウンセラーはいじめっ子を注意することはできない。あくまでも、いじめられっ子の心を癒すだけ」
「ああ……注意は先生の役目ってことか」
「せめて、いじめっ子にもカウンセリングができればいいんだけど、そうはいかない」
「難しい問題だ」
カウンセラーは心を癒すのが目的だ。いじめを解決する権限は無い。
彼女は教育委員会に入るべきだった。
「しかし……僕はカウンセラーじゃないから、いじめの相談には乗れない。心理学はかじってるけど、本職の君には敵わない」
「ごめんなさい。話がちょっと脱線したわね」
美紀はコーヒーを飲んで深呼吸する。
「いじめられっ子が殺人を犯すと思う?」
美紀の話で、目がさえる。
「それはあり得る」
美紀の言動を見逃さない様に、コーヒーを飲んで気持ちを落ち着ける。
「あり得るってどうして言えるの?」
「実話である」
目を瞑って、記憶をたどる。
「例えば、いじめっ子に復讐した事件がある」
「どんな実話なの」
「大阪産業大学付属高校同級生殺害事件というんだが、二人のいじめられっ子が、一人のいじめっ子をハンマーで殴り殺した」
「まあ!」
「恨みがあったようで、目に釘を打ち込んだりもした」
凄まじい事件だ。
「他に何かある?」
深刻な表情で興味津々だ。かなり根深い問題を抱えているようだ。
美紀の言葉に首を振る。
「日本でのいじめられっ子の復讐殺人はそれくらいしかない。だから復讐殺人は稀な事件だと言える」
「そうなの?」
頷く。
「僕個人の考えだが、復讐ってのはとてつもないエネルギーが必要だ」
「エネルギー?」
「復讐する計画を立てる。武器を手に入れる。実行するための決意をする。どれも凄い精神力が必要だ」
「そうなの?」
ピンと来ていないようだ。とても良い人だ。
「こういえばいいかな」
理解されないと悔しいのでたとえ話を考える。
「いじめられっ子は精神的に強いストレスにさらされている。うつ病にかかっている子もいる」
「そう、ね」
心当たりがあるようだ。
「うつ病は精神的に参っている。起き上がることすらできない人もいる。そういう人が、殺そうなんて行動できるかな?」
「そうね。それなら納得する」
美紀は意味深に眉を顰める。
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
「そうね。ちょっと混乱しちゃって」
美紀はかなり狼狽えている。コーヒーを持つ手が震えている。
「私が受け持ってる小学校で、五人の児童が行方不明になってる」
本題を切り出した。
「その五人はいじめっ子?」
「そう」
「その五人は友人同士?」
「よく遊んでいたみたい」
「その五人は、グループで誰かを虐めた」
「そうよ。そして先週から五人とも、姿を見せなくなった」
そこで、三日前のニュースを思い出す。
「君が受け持っている学校は、西東南大山小学校か」
ここから電車で十五分の場所だ。
「ニュースになったから、猫山君なら知ってて当然ね」
真っ青な顔で肯定する。
「君は……いじめられっ子が犯人だと睨んでるんだな?」
「そうは思いたくないの……でも、昨日……」
美紀の膝がカクカクする。
「昨日、何があった?」
「昨日、いじめられっ子と面会したの。そしたら、あの子、楽しそうにクツクツ笑ってた!」
冷汗が額に浮き出る。
「考えすぎじゃないか?」
話を聞いて、ガックリする。
「え?」
「いじめられっ子は強い恨みを持っている。その恨みが晴れた。天罰が下った。そう考えたんじゃないか?」
「でも、笑うなんて」
「それくらい許してやれよ。いじめられてたんだぜ」
被害妄想というかなんというか。
「いじめられっ子は小学生だろ?」
「そうだけど」
「小学生が五人も行方不明にできると思うか? 殺せると思うか?」
一人なら納得できる。しかし五人となると、大人でも不可能に近い。
「それは……そうだけど」
美紀は納得いっていないようだ。
「なんでそんなに怯えるんだ?」
「あなたはあの子の目を見ていないからそう言えるのよ!」
大声で怒鳴る!
「落ち着け! 周りに迷惑だ!」
今までガヤガヤ騒がしかったのに、水を打ったように店内が静かになる。
美紀はふうふうと肩を怒らせる。
「分かった! 信じる!」
俺はグッと親指を立てて席を立つ。
「信じてくれるのね!」
満面の笑みになる。
信じるって言葉がそんなに嬉しいのか?
「とにかく外に出よう!」
人の目があるため急いで外に出る。
美紀はスッキリした笑みで一緒に外に出る。
「今日はありがとう! おかげですっきりした!」
店を出ると美紀は足早に改札へ行く。
「おい! 何か相談があったんじゃないのか!」
「話を聞いて欲しかっただけ。誰も信じてくれなかったから」
「話を聞いて欲しかっただけって……」
「無職のあなたじゃ、何にもできないでしょ」
美紀は強烈な捨て台詞とともに、改札の向こうへ行ってしまった。
「無職の俺じゃ何もできないだと……」
その通りだから反論できない!
「無駄骨か」
ガックリと肩を落として帰宅する。
彼女はその日から行方不明となった。
■第二章 いじめられっ子、清水剛
月曜日の朝、僕はいつも通り、家族のために朝飯とお弁当を作る。
ほぼ無職なので、これくらいしないと家を追い出される。
「飯出来たぞ」
時間になったから、親父、母親、姉、妹を叩き起こす。
「おはよう」
親父はいつも通りぶっきらぼうだ。
「おはよう」
母親はいつも通りにこやかだ。
「うるさいニート」
「張り倒すぞこの野郎」
暴言を吐いた妹の布団を引っぺがす。
「私の代わりに仕事行ってきて」
「ニートに何言ってんだ」
ぐちゃぐちゃいう姉の布団も引っぺがす。
「お弁当ここに置いておくから、各自持って行けよ」
皆がむしゃむしゃ飯を食っている間、台所に四つ、お弁当を置く。
皆はテレビの天気予報や新聞やスマホに夢中だ。
ありがとうの一つくらい言ってほしいね。
そんな時、チャイムが鳴った。
「大輔」
「分かってるって」
親父が命令したのでしぶしぶ従う。
「猫山大輔さんですね」
制服を着た警官が二人、玄関の前に居た。
「そうですけど」
俺は内心焦った。
後ろめたいことはなくても、警官は怖い。
「大山美紀さんのことでお話しがあります」
「美紀のことで?」
俺はそこで、美紀が土曜日の夜から行方不明だと知った。
「あなたは行方不明になる当日に大山美紀さんと出会った。様子が変だったとか、何かありませんか?」
そこで俺は、美紀が言っていたいじめられっ子のことを思い出す。
「そう言えば、カウンセリングしている児童を怖がっていました」
「怖がっていた?」
「五人の児童が行方不明になった事件の犯人が、カウンセリングしている児童じゃないかって」
「ふむ」
二人の警官はメモを取る。重要視していないのか、さらさらっと書いたように見える。
「その子の名前は聞いてる?」
「聞いてません」
警官はそれを聞くと、分かりましたと言って去った。
「あんた、何やったの?」
振り向くと姉ちゃんや妹が興味津々にドアの隙間から覗いていた。
「知り合いの女性が行方不明になった」
「兄ちゃんに女性の知り合いなんて居たの?」
失礼な奴だ。
「そろそろ遅刻するぞ」
「おっと!」
姉ちゃんと妹は足早に外へ飛び出した。
「大輔、夜に話を聞かせてもらおうぞ」
親父はギロッと睨んで外へ出る。肩身が狭いね。
「行ってくるわ。戸締りしっかりね」
母さんは頬っぺたにキスをして仕事に行った。
「いじめられっ子ね」
一人になると、自室で腕組みする。
美紀の不安は的中していたのではないか?
そんな予感がした。
「警察はそれほど重要視していないみたいだったが」
小学生が大人を誘拐するなんて、馬鹿らしい話だ。俺が警官なら鼻で笑う。
「しかし、美紀の怯えようは……」
あの時、美紀の表情は深刻に見えた。
「調査してみるか」
虎穴に入らずんば虎子を得ず。
才能が無い以上、他の人と違うことをしなければ、作家にはなれない。
「美紀の携帯に折り返し電話してみるか」
何をやればいいのか分からないので、試しに電話をする。
『もしもし』
男が電話を取った!
「私は大山美紀さんの友人です」
『美紀の友人ですか』
「失礼ですが、あなたはどなたですか」
『美紀の夫です』
夫か。ならば電話に出ても不思議ではない。
だが疑問が浮かぶ。
美紀は携帯を自宅に残して消えたのか?
「私、実は美紀さんが居なくなった日の朝、美紀さんと話しました」
『美紀と!』
「私自身、美紀さんが居なくなったと警察に聞きました。よろしければ、お会いして、お話しできませんか」
『もちろんです! 今すぐ会えませんか!』
「良いですよ! 失礼ですが、住所を教えてください」
トントン拍子に話が進んだ。
美紀の住まいは西東南大山小学校から歩いて三十分のところにあった。
「お待ちしていました」
チャイムを鳴らすと旦那さんが現れた。良い男だと思うが、初老の老人に見えるくらいげっそりしている。
「お邪魔します」
家に上がる。
家は一軒家で、そこそこ裕福そうだ。車も一台ある。
「それで……さっそくですが、美紀とお話ししたことを教えてください」
旦那さんは名前も名乗らずに、言葉を急かした。
俺は土曜日の朝、美紀から受けた相談の内容を話した。
「そうでしたか……」
旦那さんは心当たりがあると、表情を曇らせた。
「旦那さんも同じ相談を?」
「ええ。と言っても、相手にしませんでしたが」
「私自身同じ気持ちです」
ただ、と付け加える。
「もしかすると、その少年が事件にかかわっているかもしれません」
旦那さんは目線を行ったり来たりさせる。
「猫山さんは、小学生が殺しなんてあり得ると思いますか?」
「あり得ます。ただし、大人を殺したという事例はありません。誘拐なんてもってのほかです」
「ですよね……」
事実は小説より奇なりというが、不可能なものは不可能だ。
「質問ですが、奥さんは土曜日の夜に居なくなったんですか?」
「そうだと思います」
「思いますとは?」
「私はその日、仕事でした。だから夕方ごろ帰りました。ただいまと言っても返事がありませんでした。不思議だなと思ってリビングに行くと、スマホは置きっぱなしで、食材なども出しっぱなしでした」
「食材が出しっぱなし?」
「料理をしていたんだと思います。私はそれを見て、何か買い足しに行ったのかと思ったんですが」
「しかし、それから帰って来なかった」
「昨日、捜索願を出しました」
警察が俺を訪ねた事情が分かった。
警察はスマホの履歴から、俺を怪しんだ。
ただ、それでも引っ掛かりを覚える。
「家は荒らされていなかったんですね」
「はい。鍵もかかっていました」
「玄関も綺麗なまま?」
「はい」
不審者が無理やり侵入しようとすれば、必ず抵抗した痕跡が残る。不用心に玄関を開けても、不審者なら中に入らない様にもみ合う。
それが無いなら、事件性は低い。
「まるで家出したみたいですね」
旦那さんの表情が暗くなる。
「実は……警察から、妻は駆け落ちしたんじゃないかと言われまして」
「駆け落ち!」
「私は違うと思っています! ただ、夕方ごろ、黒い乗用車が家の前に止まっていたらしくて」
それって誘拐じゃ?
だが家は荒らされていなかった。
それを踏まえると、警察の判断も間違いとは言い切れない。
「その車に奥さんが乗ったと?」
「乗用車が止まっていた。それだけしか分かりません」
もしも無理やり乗せたのなら、悲鳴の一つも聞こえるはずだ。
「申し訳ないですが、僕も家出だと思います」
旦那さんは苦笑する。
「警察にも言われました。私は絶対違うと思うんですが……」
元気のない笑みだ。
「ただ、安心しました」
「何が?」
「実は……猫山さんが間男かと、疑ってしまって。だから会いたいと思って」
「僕がですか!」
「出会った瞬間、この人は違うって分かりました」
どういう意味だこの野郎。
「猫山さんは、妻に男の影を感じましたか?」
「全然」
「そうでしょうね……」
それから気まずい沈黙が漂う。
「そろそろお暇します」
「わざわざ来てくださり、ありがとうございます」
お互い会釈する。
「最後に一つ質問です」
「何でしょう」
「奥さんが怖がった児童の名前、知っていますか」
「清水剛という名前でした」
無駄足ではなかった。
「ありがとうございます」
再度会釈して外へ出た。
「顔見知りの小学生なら、抵抗なく家に上げても不思議じゃない」
足は自然と西東南大山小学校へ行く。
「小学生でも、人を殺せる。薬を使えば眠らせることもできる」
胸騒ぎがする。
「清水剛が何らかの方法で大山美紀を気絶させ、大人の誰かが大山美紀を乗用車に乗せて連れ去った」
現実的な話だ。
「清水剛に話を聞いてみるか」
学校に乗り込んでみれば、何か分かるかもしれない。
■第三章 清水剛と友人に
学校に着くと、さっそく美紀のことで話がしたいと伝える。
「申し訳ありませんが、警察でない方は」
しかし門前払いされた。
当たり前といえば当たり前だ。
「弱ったな……」
せめて清水剛の住所が分かればいいんだが。
「放課後にもう一度来るか」
このまま門の前で鎮座していたら警察を呼ばれる。
駅のカフェでコーヒーと煙草で時間を潰す。
「小学生の殺人鬼か」
何度もあり得ないと思う。この気持ちは、美紀や旦那さん、警察も同じだろう。
ましてや女とはいえ、大人の女性を誘拐する! 考えられない。
「もしも体格が良かったら」
ハッとする。
小学生は成長期だ。ぐんぐん背が伸びる。伸びる子は小学生でも百七十を超える。
美紀の身長は百五十程度だった。
背筋がゾクゾクと寒くなる。
「背の高い子に声をかけてみるか」
行動あるのみだ。黙っていてはチャンスが逃げてしまう。
放課後の午後三時。遠目から校門を眺める。
「あの子は!」
ランドセルを片手にぶら下げる子が目に入った。
背が高い。百七十以上ありそうだ。
居ても立っても居られず、後をつける。
「君! ちょっと話があるんだけど」
ある程度学校から離れたら、声をかけた。
「何ですか」
小学生は立ち止まる。
背が高い! 百七十ある俺すら見下ろす! 百八十以上あるぞ。
Tシャツから見える腕も太い。丸太みたいだ。
ジーパンなどパツパツで、女性のウエストくらいある。
本当に小学生か? 現役のボディービルダーに見えるぞ。
「君の名前は、清水剛か?」
「そうです」
声変わりは終わっている。そう感じるほど大人っぽい。
「君、小学生だよね?」
「そうです」
いじめっ子はこんな屈強な男をいじめたのか。
不謹慎だが、尊敬するほど勇気がある。
「なんですか」
ギロリと目玉が動く。爬虫類みたいだ。
「ちょっと聞きたいことがあってね」
「大山美紀さんのことですか」
清水剛は俺をじっくりと観察する。
「よく分かったね」
「昼、警察の人に聞かれました」
朝の警官は警官の鏡だった。仕事が早い。
「僕も話が聞きたいんだけど、良いかな」
「良いですよ」
すっごい落ち着き様だ。顔も険しいから、大学生と言われても驚かない。
「立ち話も何ですし、僕の家に行きませんか」
「君の家に? 良いのかい」
「人に聞かれたくない話です」
いじめに関することだ。理解できる。
「分かった。お邪魔するよ」
「ついて来てください」
清水剛はのっしのっしと歩く。
片手に持つランドセルがアンバランスで仕方ない。
ショルダーバッグに変えたほうがいいんじゃないか?
「ここです」
清水剛は大きな一軒家に着くと、小さな門を開けて中に入る。
二世帯住宅だ。かなりの金持ちだ。
駐車場に、黒い乗用車が一台止まっている。
嫌な予感がする。
それでも中に入るのが僕だ。
「お邪魔します」
玄関に入ると、いきなり消臭剤と香水の臭いがした。
思わずせき込む。
「どうしました」
「香水と消臭剤の臭いにむせてしまった」
「そうですか」
苦笑いしたのに、彼は無関心に廊下の奥に行った。
後に続いて部屋に入る。
すると目に飛び込んだのは、凄まじい筋トレ器具だった。
「リビングに筋トレ器具を置いているのか!」
懸垂台にダンベル、ベンチプレスにスクワットができる環境だ。
下手なジムより、器具が充実している。
「ここが一番広くて落ち着きます」
清水剛はソファーにドカリと座る。貫禄がありすぎる。近くにランドセルが無ければの話だが。
対面に座らせてもらう。
「大山美紀さんの話ですね」
清水剛は肉食獣のように目を光らせる。
「美紀さんは君のことを怖がっていた」
隠しても仕方ないので正直に話す。
「あなたが警察に喋ったんですね」
清水剛は俺の強さを測定するように、頭の先からつま先まで見る。
「最初は与太話と思ったが、こうして対面すると、彼女が怖がったのも頷ける」
「正直ですね。好感が持てます」
嘘を吐いたら殺すと言っている感じだ。
そんなことは無いと信じたい。
「僕は君が大山美紀と、行方不明になったいじめっ子を殺したのではないかと思っている」
「はははははははは!」
清水剛は大笑いする。
「もしも僕が犯人なら、あなたは殺されますよ?」
「君が犯人なら、嘘を言っても殺される。だろ」
僕は強気に出た。
殺人鬼は、弱い者に狙いを定める。
怯えては殺してくれと言っているようなもんだ。
「確かにそうですね」
清水剛はクスクスと笑う。
「僕が犯人という証拠はありますか」
「動機があるってことくらいしか分からない!」
胸を張って笑う。嘘を吐いてはいけない。
「確かに僕には動機があります」
清水剛はうんうんと頷く。
僕もにっこりと、同じようにうんうんと頷く。
「しかし、君が大山美紀を殺したとは思えない」
「どうしてですか?」
清水剛は驚いた表情をする。
「彼女を殺す動機がない」
清水剛は目を細める。
動機はあるようだ。
しかし、どんな理由か分からない以上、踏み込むのは危険だ。
「ただし、君なら美紀を殺せると思っている」
「なぜですか」
清水剛は目を見開く。
「君は美紀のカウンセリングを受けた。なら、君が家を訪ねても、彼女は不審に思わず、家に上げただろう」
「その通りです」
同意。否定しない。認めている。
「君の体格なら、彼女を絞め殺すことも容易い」
「正解です」
清水剛の唇が震える。笑みを我慢しているんだ。
「しかし、絞め殺した彼女を持ち運ぶことはできない」
「できない? なぜ?」
落胆したような表情だ。
「美紀は絞殺された後、車で運ばれた。黒い乗用車が近くに居たと証言もある」
「僕の家の車と同じ色ですね」
「君は小学生だ。運転なんてできないだろ?」
清水剛は黙る。
「猫山さんでしたっけ?」
「猫山大輔だ」
お互いに目を見つめる。目を逸らさない。
「僕はやってません」
冷たい声で言った。
「それが聞きたかった!」
僕は大げさに、胸をなでおろした。
「聞きたかった?」
「君の迫力に圧倒されてしまってね! 変なことを考えてしまったよ」
「へー……そうだったんですか」
清水剛は残念そうに呟く。
冷たい汗が流れる。
逃げるべきだ。だけど逃げ切れない。
「突然だが、お願いがある」
「何ですか」
興味なさげな返事だ。
「君の筋肉を見せてくれないか!」
「はぁ!」
清水剛は大口開けた。
俺だって変なこと言っているのは分かる!
でも仕方がない!
殺人鬼にしろ何にしろ! 目の前の男はとてつもなく良い身体をしている!
取材しなくてはいけない!
「僕は小説家志望だ。だから一応、筋トレとかしてる」
「なんで小説家志望なのに筋トレ?」
「小説のネタになるかもしれないだろ!」
「はぁ……」
毒気抜かれた顔だ。
「とにかく! 俺は君の身体が見たい! お願いだからシャツを脱いでくれ!」
「猫山さんって変人ですね」
「よく言われる! おかげでニートだ」
「面白い人だ!」
清水剛は楽しそうにシャツを脱ぐ。
「凄い身体だ! 小学生とは思えない!」
見事な腹筋だ。六つに割れている。脇腹もキッチリ筋肉の溝ができている。
胸板も厚い。首も太い。
「後ろを向いて、背筋を見せてくれ!」
「はいはい」
清水剛は後ろを向くと、グッと背中に力を籠める。
「鬼の顔みたいだ!」
肩の筋肉、広背筋、僧帽筋、あらゆる筋肉が美しく発達している。
「筋肉の彫刻だ。ボディビルの大会に出場したらどうだ?」
「猫山さんって、かなりのマニアですね」
清水剛は初めて、小学生らしい笑みを浮かべる。
「小説を書くために色々調べてるからね」
「そうは言っても、僕の身体を称賛する人が居るなんて思いませんでした」
清水剛は饒舌に微笑む。
「一緒に筋トレでもやりませんか」
清水剛の顔は友人と遊ぶかのように穏やかだ。
「ぜひやらせてくれ!」
俺は喜んで筋トレをした!
「つ、疲れた」
みっちり一時間筋トレすると、酸欠で眩暈がする。
上半身裸だから、汗が床に滴り落ちる。
「猫山さんって凄いですね」
清水剛は片手懸垂を軽々こなしながら笑う。
「なんで褒めるの?」
「懸垂十回できる人なんてそうそう居ませんよ」
「片手懸垂三十回できる君に褒められても、複雑なだけだ」
お互い、くったくなく笑う。
香水や消臭剤のおかげで、汗の臭いも気にならない。
「そろそろ帰らせてもらうよ」
シャツを着る。汗がべとついて気持ち悪い。
「シャワーを貸しますよ」
「そこまで世話にはならないよ」
身支度を整えると、手を差し出す。
「とても楽しい時間だった。ありがとう」
清水剛は困惑する。
「その……こちらこそ」
握手を交わした。手は武骨でごつごつしていた。
「良かったら、また遊びに来てくれませんか?」
清水剛は可愛らしい顔で言う。
「もちろんだ! ラインを交換しよう」
連絡先を交換する。
「じゃ、またね」
「はい」
手を振ると、清水剛も寂しげに手を振った。
「人殺しには見えなかったな」
帰宅途中、首をかしげながら清水剛のことを考える。
「最初会った時は、人殺しかと思うくらい怖かった。でも一緒に筋トレしてからは小学生の顔だった」
じっくりと考えると、一つの答えにたどり着く。
「人殺しって言われたら怒るのも当たり前か!」
俺の態度が悪かった。だから怒った!
それだけだ。
「こんな性格だから、就職できないんだろうな」
自分の性格の悪さに呆れる。
ブルブルとスマホが震える。
『明日、また、遊べませんか』
清水剛からだった。
「寂しいのかな」
微笑ましい文面に自然と笑みが浮かぶ。
良いよと返事を送った。
「しばらく、退屈しないで済みそうだ」
最近、スランプで小説が書けなかった。
しばらく、良い気晴らしができるぞ。
■第四章 真相
あれから何度も清水剛の自宅に友人として行った。
中中楽しかった。
何より、彼の才能に舌を巻いた。
「君は凄く勉強熱心だな」
筋トレが終わると彼の自室へ案内される。
本棚は化学や数学など様々な参考書で埋め尽くされている。
小学生の部屋とは思えない。受験前の高校生の部屋だ。
「一応、高校の入試問題も解けるようになりました」
「僕よりも頭がいいな!」
清水剛は照れたように鼻の頭をかく。
その姿に微笑んでいると、ある書籍に目が止まった。
「君は人体解剖学まで読めるのか!」
人体解剖学。人間の体のつくりを書いた学術書だ。
その隣には柔道や空手といった武道の本もある。
さらに筋トレの本もある。
止めとばかりに、運転免許取得に使う参考書まであった。
「いじめっ子を殺すために読みました」
清水剛は唐突に自白する。
「殺すため?」
「分かってたんでしょ。僕が大山美紀と行方不明になった五人を殺した犯人だって」
懺悔するように下を向く。
「……やはり君が殺したのか」
あの予感は……嘘じゃなかったのか。
「あなたは凄い人だ」
涙を流す。
「僕は、あなたを殺すつもりだった。あなたはそれが分かっていた。それでいながら、僕と友達になってくれた」
言葉が出ない。
「僕は……初めて友人ができた。あなたという友人ができてしまった」
巨体が縮こまる。
僕はその姿が可哀そうでたまらなかった。
「確かに僕は最初、君を疑った。でも、途中で考え直した。君は殺していないと。だから友達になれた」
「なぜ殺していないと?」
「大山美紀を運ぶ手立てがない」
「自分で運転したんです」
とんでもないトリックに耳を疑う。
「君が運転したのか! 誰の助けも借りずに!」
「僕は人殺しだ。それなのに、運転したことを驚かれるなんて、意外です」
力なく笑う。確かにそうではあるが……。
「質問していいかな?」
「なんでも質問してください」
覇気のない声だ。
「僕は、君がいじめられっ子だと思えない」
「なぜですか」
「そのガタイだ」
身長百八十を超える男を虐める?
いじめっ子はどんだけ勇気があるんだ!
「三か月で、この身体になりました」
「三か月!」
信じられない!
「三か月前の、僕の写真です」
清水剛は机に飾られた写真立てを指さす。
そこに映っているのは、ひ弱な小学生だった。
「これが三か月前の君だって……」
何度見比べても、信じられない。
「ついて来てください」
清水剛は力なく立ち上がると、部屋を出る。僕はそれについていく。
案内されたのは、玄関のすぐ横に設置された地下室の扉だった。
扉を開けると、胸をえぐるような臭いがした。強烈な吐き気に襲われる。
「死臭です」
彼は迷いなく地下室への階段を下りる。僕は逃げずについていく。
地下室の前に立つと、禍々しい腐臭が体を包んだ。
「ここに、皆が居ます」
ガチャリとドアを開ける。震える足を進ませる。
中には、ぐちゃぐちゃになった腐乱死体が散乱していた。どれもこれも原型が無い。それどころか何人殺されたのかすら分からない。
靴の数から、最低でも三人は死んでいる。しかし、肉片や血を見る限り、もっと死んでいるはずだ。
「十五人殺しました」
清水剛は血の池地獄で冷笑する。
「猫山さん。僕はここで首を吊ったんです」
天井を指さす。そこには、一本のロープが吊るされていた。
ロープは途中で引きちぎられている。
「君は、自殺しようとしたのか」
清水剛は頷く。
「僕は小学校一年からずっと虐められていました。親に相談したら、反撃しろと言われました。反撃なんてできませんでした。だから僕は、小学校六年まで、耐えました」
「だが、限界が来た」
僕は目の前の小学生が気の毒で仕方なかった。
地獄のような風景なのに、逃げたいと思わなかった。
「僕は死んでやると思った。それが皆への復讐になると思った」
じっとロープを見つめる。
「でも、いざ首を吊ると、苦しくて苦しくてもがいた」
「ロープを引きちぎったのか!」
とんでもない力だ!
「僕は目を覚ますと天井を見ていました。目の前には千切れたロープがありました。首には千切れたロープがありました。手はロープを引きちぎったため、ずたずたの血まみれになっていました。筋肉が断裂したのか、腕はパンパンに腫れあがっていました」
狂気的な笑みを浮かべる。
「その時僕は分かった! 僕はとてつもなく強い力を秘めていた!」
笑みはすぐに消える。
「だから、この力で殺そうと思いました」
「だから勉強した。だから身体を鍛えた」
清水剛はこくりと頷く。
「僕は凄い力を秘めていた。でも、その力に身体は耐えられない。だから鍛える必要があった」
「なぜ勉強まで頑張った?」
「猫山さんも分かるでしょ。化学の知識があれば、爆弾なんて簡単に作れる」
ニヤリと笑う。
「勉強すればするほど、殺しの手段が増える!」
殺すために、学校の勉強を頑張る。
狂った理由だ。
「死ぬ気になったら何でもできるって本当ですね。やる気になったら何でもできるって本当ですね」
両こぶしを握り締める。
「死んでもいいと覚悟したら! やる気になったら! 勉強も筋トレも苦痛じゃなくなった! 学校に行くことさえ辛くなかった! それどころか! 虐められることすら嬉しくなった!」
高笑いが地下室に響く。
「虐められれば虐められるほど! 恨みというエネルギーが沸き上がる! だから僕は頑張れた!」
頬からたくさんの涙の筋が流れる。
彼は復讐の化身だ。それが彼の身体を作った。彼の頭脳を作った。
「でも……あなたのせいで、僕は弱くなった」
震える両手を見つめる。
「あなたと遊ぶようになってから、勉強する気が無くなってしまった。筋トレだって、あなたが居ないとやる気にならなくなった」
清水剛は地下室を見渡す。
「前はここに来るたびに胸が躍った。だのに今は、むなしいだけだ」
茫然自失だ。
僕は無意識に声をかける。
「いじめっ子を殺した理由は分かる。でも、大山美紀はなぜ殺した?」
「あいつは、僕の考えを理解しなかった。考え直せと言った」
清水剛と向き合う。
「猫山さん。僕は間違っていますか?」
黙って、彼の言葉を聞く。
「僕はいじめられた。だから復讐した。そのために頑張った。生活リズムも完璧にしたし、たくさん食べるようになった。勉強だって必死に頑張った。筋トレだって頑張った。そうしたら背がぐんぐん伸びた。腕も太くなった。テストで満点もとれるようになった。すべては殺すためです」
清水剛は散乱した腕の一部を踏みつける。
「僕は恨むことで強くなった! すべては殺すためだ! それなのにあの女は間違いだと言った! 親は馬鹿なこと言うなと言いやがった! 許せない! 絶対に許せない! だから殺してやった! 僕を侮辱した奴は! 全員殺してやった! それが僕の生きる目的だから!」
怒気で地下室が揺れる。
「猫山さん! 僕は間違っていますか! 答えろ!」
俺は正直に答える。
「僕は君を尊敬する」
じっと、見つめあう。
「君はつらかった。そのために頑張った。そしてやり遂げた」
瞼を閉じる。
「君の才能と努力は、まぎれもなく、称賛に値するよ」
目の前の少年は確かに人殺しだ。
でも僕は、非難する気になれなかった。
「……ありがとうございます」
清水剛は付き物が落ちたように微笑んだ。
「猫山さん。ここでお別れです」
清水剛の瞳は死んでいた。
「なぜだ。理由を聞かせてくれ」
「あなたと居ると、恨みというエネルギーが散ってしまう」
彼の顔は死人だった。
「僕は、恨み続けることでしか生きられない。人を殺すことでしか生きられない。そういう人格になってしまった」
彼はもう一般社会に戻れない。彼が一番分かっている。
「今まで楽しかった」
「僕も、楽しかったです」
僕は別れを済ませると、速足で外に出た。
それから僕は、彼と会っていない。
■第五章 終わり
これで僕の話は終わりだ。
僕はこの話を思い出すと、彼がどうしているか考える。
そしてすぐに、悪寒に襲われる。
彼は今もこの世界を生きている。
自分に憎しみを与えてくれる存在を捜している。
彼は憎しみが無いと生きていけない悪魔だから。
そしてこの世界は、憎しみや悲しみに満ちている。
彼は今も、どこかで笑っている。