西の都 Megalopolis
衝撃は右脚の太腿の裏側を襲った。
「くそッ!」
不意を突かれた若い男は罵り声をあげながら、右手の狭い路地に頭から転がりこんで建物の陰に身を潜めた。痺れた右脚を伸ばして、古びた赤レンガの壁にぴたりと背中をつけ座りこんだ時にはレーザー銃を手にしていた。精悍な顔立ちにクルーカットの男の目は怒りにギラついている。
左耳のモジュールに触れるとホログラスが左目を覆う。銃を左肩越しに壁からわずかに突き出した。銃身部は前面360度対応で、壁に身を潜めたまま反撃ができる。先端の自動焦点スコープが回転して通りの様子をうかがう。
けれどもホログラスに人影は映らず、超小型ドローンの赤外線反応も捕捉できなかった。普段から人通りの少ない荒れ果てた通りは、日中にもかかわらず静まり返っている。
次の瞬間、男は動物的な勘で路地の右手を振り向いたが、構える間もなく右手首に足蹴りを食らってレーザー銃が宙を舞う。しかし、男の反応は機敏で遅延がなかった。
銃が地面に落ちるより早く、左手の袖に隠し持っていたテーザーナイフを握り、襲撃者の腰の辺りを薙ぎ払うように一閃した。
パッと眩しい電光が閃いて襲撃者の身体を斜めに横切る。仕留めたと思ったのもつかの間、左手首に強い衝撃が走った。テーザーナイフがすっ飛んで路地の壁に当たって跳ね返り、乾いた音を立てて地面に転がる。
男は唖然唖然となったが、痛みをこらえて素早く右手を背中に伸ばす。予備の小型レーザー銃を首の後ろに隠し持っている。
「おっと、やめとき!」
女の弾んだ声に男は手を止めた。
この若者は通称シン、この街を牛耳るシンジケートの下部組織の一員だが強気一辺倒の突っ張ったチンピラではない。したたかな切れ者で、怒りを抑えて相手の意図と力量を推し量りながら隙をうかがっていた。
「貴様、俺が誰か知っているのか?こんなことをしてただですむと思うなよ!」
地面に座ったままふてくされて脅し文句を吐いた。まだ右脚が痺れて立ち上がれない。まともに戦っても勝ち目がないなら探りを入れてやると、シンはわざと居丈高に振舞って相手を挑発する。
「知ってるっちゃ。プラウドの幹部ね。イキがっちゃって、カワイイわね~」
女は年に似合わず落ち着き払っていた。両目はホログラスで覆われ表情はうかがい知れない。黒づくめのボディスーツが、長い手脚と見事にくびれたウエストにピッタリ張りついている、頭部をすっぽり覆うタイトなヘッドカバーには猫耳まで付いている。
「ふざけるな!レーザーで後ろからいきなり撃ちやがって!」
シンは唸り声をあげた。カワイイだと!得体のしれないコスプレ女の軽いノリに惑わされ、思わずカッとなりかけたが自制する。
「あんたと一緒にしないでね、レーザー銃保持は重罪よ!うちが持ってるわけないでしょ?」
「何が重罪だ!善良な市民に暴力を振るいやがって、お前が言うな!」
シンは言い返しながら痺れたままの右太腿に手をやった。レーザーは出力が高ければやすやすと身体を貫通する。けれどもアーミーパンツの分厚い生地には焼け焦げた跡すら見当たらない。
「貴様、俺に何をした?レーザーでもテーザーでもないな。電磁波銃か?」
不審そうに咎めるシンに向かって若い女は肩をすくめて見せた。
「さあ、何かしらね~?大丈夫だっちゃ、すぐ歩けるようになるから!」
娘はケロッとして面白そうに見おろしている。こいつ、もしや頭がおかしいのか?シンは眉をひそめた。ハロウィンでもあるまいし、キャットスーツなんか着やがって。
メガロポリスのスラム街にはドラッグ中毒の若者が掃いて捨てるほどいる。この場所でプラウドの構成員を襲うなんて、ドラッグでイカレているとしか思えない。
「貴様、どうやってテーザーをかわした?てっきり命中したと思ったんだがな」
「貴様呼ばわりされる覚えはないっちゃよ。うちにはちゃんとキャットって名前があるっちゃ」
「名前なんか知るか!いかれたコスプレしやがって、キャットウーマンにでもなったつもりか?どうやってかわしたかって聞いてんだよ!」
シンはイラついた。挑発するつもりが体よくいなされて、のらりくらりとした女の態度に頭に血が上ってくる。
「かわしてないっちゃ。あんたがミスったんでしょ?」
キャットはからかうようにシンをたしなめた。
「バカぬかせ、この距離で外してたまるかってんだ!そのレザースーツだな。おおかたテーザープロテクティブか何かなんだろ?」
シンは悪態をつきながら、さりげなく左手のリングに親指で触れている。
救難信号を出して仲間を呼びよせてもいいのだが、女に手玉に取られて助けを呼んだあっては沽券にかかわる。相手に殺す気がないのならあせって救援を呼ぶこともないと思い直した。
おまけにこの謎めいた女ときたら、ほれぼれするほどスタイルが良い。ホログラスの下から色白の頬とつんと上を向いた形の良い鼻と唇がのぞいている。なかなかの上玉らしいと、シンは激怒しながらもひどく好奇心をそそられた。
「いったい何の用だ?この街はプラウドのシマだぜ。こんなことをしてタダで済むと思うな!すぐに仲間がやって来てお前は・・・」
気を惹かれていると悟られたくないシンは不機嫌そうな唸り声を出す。
「キイキイうるさいっちゃね~、プラウドに連絡するならすればいいやん!テーザーもそのリングで出したんやろ?でも、女に叩きのめされたなんて知られたいん?カッコ悪すぎるんとちゃう?」
女は話を遮ると、ホログラム越しにシンを眺めながら関西弁を交えてからかう。
「不意打ちを食わせといて、勝手なことをほざくんじゃねえよ!」
心の内を見透かされたシンは鼻白んで小声で悪態をついた。
「心配ないっちゃ!誰にも言わへん。実はね、うち、あんたに頼みたいことがあるっちゃ!」
「貴様は人に頼みごとをするのに、いちいち背後から襲うのか?ふざけんな!誰がお前の頼みなんか聞くかってんだ!・・・あッ、痛てッ、何しやがる!」
まくしたてていたシンは不意にうろたえて叫ぶ。娘がいきなりシンの股間をハーフブーツで踏みつけたのである。
「へ~、けっこう立派じゃない?」
靴底で急所を圧迫したままグリグリと動かす。
あまりの悪ふざけについに自制心を失ったシンは、反射的に右手で首の後ろからレーザー銃を取り出した。間髪を入れず股間を踏みつけていた娘の長い脚が小さく鞭のようにしなって、シンの手から銃を弾き飛ばす。
「クソッたれ、やりやがったな!」
シンは左手で右手首を押さえてうめいた。二度も強烈な蹴りを受けた右手首は痺れて力が入らない。
「無駄な抵抗をするからだっちゃ。これでうちの三戦三勝やん!どうするっちゃ?うちの話を聞く?それとも街中に流してほしい?メガロポリスきってのストリートファイター、小娘にボコられるゥ~!見ものだっちゃね、いい笑いモノになるっちゃよ~」
キャットはヘッドカバーの右耳の位置に付けたモジュールを思わぶりに指で軽く叩いて見せた。このビッチめ、抜かりなく録画してやがった、とシンは仏頂面のまま黙りこんでほぞを噛んだ。
けれどもこの女が武道の達人なのは間違いない。手も足も出なかったシンはふと不吉な噂を思い出す。
「何者だ、お前?まさか特殊部隊か?例の大陸の・・・?」
キャットは無言でシンの傍らに片膝をついてヘッドカバーを外した。
眩しいほど明るい蓬髪を手早く耳の後ろに撫でつけて、イヤーモジュールに触れる。ホログラスが左右のモデュールに自動的に収まって女の両目があらわになった。