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青い月の王宮 Blue Moon Palace  作者: 深山 驚
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忍び寄る影 Creeping Shadow

 数日が何ごともなく過ぎ去った。陽気が一段と春めくにつれて、桜のつぼみも一斉にほころび始め、今朝も明るい朝の陽射しがドーム一杯に降り注いでいた。


「今日も研究所ね、タク?」


 出勤の支度をしながら貴美が声をかけると、ホログラムでメールを見ていた匠が顔を上げる。


「そうだよ。カミは明日から有給休暇だろ?今夜は遅くなる?」


「ううん、特に予定はないわ。早く帰れると思う。でも念のため買い出しをお願い!」


「わかった、帰りにスーパーに寄るよ。カミ、休み前なのに予定がないって珍しいじゃん!最近デートもしてないだろ?」


「なによ、うるさいわね~。忙しくてデートどころじゃなかったの!そっちこそどうなの?」


 ナラニと話してから気持ちに踏ん切りがつき、貴美はいつも通りに振舞えるようになっている。問題は進行中だが、もうむやみに考え込む事もなく、自然に身体が動くから精神的にもずいぶん楽になっていた。


「デートじゃないけど、マユが家族旅行から戻って、お土産もあるからお茶しようってさ。今メールが来た」


「ああ、小田君が追っかけてる子ね!タク、まさか男の友情を裏切る気じゃないでしょうね~?」


「男の友情は、たとえ火の中水の中でも揺らがないよ。でも、とびっきりの可愛い後輩に言い寄られたら、もろくも崩れ落ちるかも・・・それが怖い!」


 匠はしかつめらしい顔で悩まし気に答えた。真弓とは気の置けない友達以上の関係はない。今日も二人で小田の誕生日のサプライズパーティの企画を練るつもりだった。


「ば~か!十七の子にいじられて遊ばれているんじゃないの、ロバ君?」


 貴美はウィンクして笑った。木村真弓の口癖も匠から聞いて知っている。


「ちぇっ、誰だ、つまんない話を姉ちゃんに吹きこんだのは?って僕か・・・?」


 匠は上目遣いで目をまたたかせ大袈裟に肩をすくめた。


「ばっかなロバの奴!」

と、貴美が追い討ちをかける。


「ロバはもうイーヨー。それ以上言うと泣くぞ!」


 匠が混ぜっ返すと貴美は吹き出した。匠もつられて笑う。

 

 「クマのプーさん」が世に出てから二百年以上経つが、二十二世紀末の今も児童文学の古典として広く愛読されている。子供の頃、二人で肩を並べて坐って、復刻された絵本を夢中になって繰り返し読んだのを思い出す。

 二百年も経つと、歴史に名を残そうとあがいた権力者たちも、とっくに忘却の彼方に葬り去られ、その名はデジタルデータの中で虚しく眠っている。だが、クラシック音楽や古典文学は、時代を超えても色褪せることなく、人々の心を掴み感動を与え続けていた。


「じゃあ、良い一日をね!それからね、タク。十七歳に手を出したら法廷強姦になるわよ!」


「やれやれ、姉貴まで小田と同じことを言うかな~?むしられてるのはこっちですよ~だ。だいたい小田が夢中になってるのに、口説いたりする訳ないじゃん!」


 貴美は明るく笑って手を振って家を出て行った。結局、何が貴美を悩ませていたのかは分からずじまいだが、元気を取り戻したようだ、と姉を見送った匠はほっとしていた。



 自宅からエアバスの停留所に向かう貴美の姿を、アロンダは通りの反対側のバス停のベンチにもたれて見つめていた。先週の金曜日に男が匠のエアスクーターに細工をしてから四日が過ぎた。あれから張り込みを続けては、出かけるタクを尾行する毎日である。

 テニスボールに残ったDNAから、男の素性はシティ在住の大手ゼネコン社員と判明した。この実験都市に居住するレジデントは、DNAを登録する決まりになっているが、言うまでもなく最も重要な個人情報として厳重に管理されている。

 ところが、アロンダは脳心理研究所と同じ手口で、シティの行政統括本部に入り込み、たちまち男性職員たちと親しくなった。

 男たちがどうにも抗しがたい魅力がアロンダには備わっている。ストーカーに悩まされていると話をでっち上げて、まんまと男の情報を手に入れたのだった。

 アロンダは第二世代が自らに課してきた禁忌きんきに縛られず、自由奔放に行動する。女の魅力を利用することに抵抗を感じない。その点でも特異な新人類だった。


 ところが、調査はそこで頓挫とんざする。シティポリスの捜査データベースにもアクセスしたのに、名前と所属企業以外の情報はまったく見つからなかったのである。


「一介のゼネコン社員のわけがない!あの中村という男が仕掛けた装置は、民間人が手に入れられる代物じゃないもの」


 さすがのアロンダも、シティの保安部隊「ガーディアン」の本拠地に乗り込むのは無理だ。どこかに接点があるはずなのに、タクの尾行に時間を取られて、それ以上調査ができないまま時が過ぎた。


 と、その時、停留所でパスを待っている貴美が、出し抜けにこちらを振り向いた。アロンダは素早く視線を逸らせて、立ち上げていた手元のホログラムに目を落とす。

 張り込みを始めてから毎日服装も変えている。今日はカジュアルな装いの上に、青いウィンドブレーカーを羽織ってフードを頭に被り、ファッショングラスをかけている。そっと上目遣いに様子をうかがうと、貴美は向き直って停留所に到着したエアバスに乗り込むところだった。アロンダは呑み込んでいた息をふうっと吐いた。


「怪しまれずにすんだようね。第二世代のうえに諜報員だから勘も鋭いわ。服装も変えておいて正解だった」


 目立つ宅配バイクの代わりにエア・スクーターに乗り換え、近くの街路樹の陰に止めている。

 十分ほどしてバックパックを背負った匠が家から出て来た。ヘルメットを被りスクーターに跨る姿を見て、アロンダはベンチから立ち上がった。足早にエア・スクーターまで歩きヘルメットを取り上げたが、すぐにその手を止める。

 匠がスクーターから降りてしきりに車体を調べているのが見えた。アロンダの顔は緊張で一気に引き締まった。


「今日だわ!」


 匠を狙う相手が動くのは間違いない。アロンダはヘルメットを戻して足早に通りを渡った。匠の家の近くまで歩くと街路樹の陰に身を潜めて様子を窺がった。やがて、匠はスクーターの始動をあきらめ、バス停に向かって歩き出した。アロンダはフードを深く被り直し、油断なく周囲に目を光らせながら匠の後を追った。


 密着マークしなきゃ・・・


 

 数時間後、匠はシティの中心街にある研究所を出て、真弓との待ち合わせ場所に向かった。ドームを支える基盤を見学したいから、お茶の前に付き合ってほしいと昼前にメールが届いたのである。

 真弓は専門学部に進んだら、建築学と考古学を専攻する予定で、都市工学にも関心を持っていた。暇を見つけては出歩いて、シティをあちこち調べて回っている。

 真弓と会うのは楽しいが、シティ外縁部に出るには、最寄りの駅まで地下鉄に乗りそこからは先は歩かなければならない。

 よりによって、今日スクーターが故障するなんてついてないな・・・匠はぼやきながら、浄水場や変電所が立ち並ぶ地区を通り抜けて外周道路へ向かった。


 待ち合わせ場所に向かう匠を、黄色いヘルメットを被った作業員が足早に追い越して行く。サングラスをかけ金属製のアタッシュケ ースをぶらさげた、二十代後半とおぼしいアフロ・オリエンタルのハイブリッドで、身長は優に190 cmを超えていた。肉食獣を連想させるしなやかな足取りで歩道を闊歩して行く。


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