気まぐれ猫 Cat Fools Shin Again
大滝を残してメガロポリスの繁華街へ向かった女は、途中でスラム街に沿って向きを変え、人気のない狭い路地に入った。しばらくすると、地元の犯罪組織プラウドの幹部シンが暗がりから姿を現わした。
「なかなかの名演技じゃねえか。しかし、化けるもんだな!いかにも都会のオフィスワーカーって感じだ。いかれたコスプレ女とは思えないゼ、キャットウーマン」
シンが軽口を叩くと、女は黒髪のウィッグを脱ぎ、頭を振ってもつれた金髪を落ち着かせてホログラスを引っこめた。
「この前は、あんたのレベルに合わせてコスプレしただけだっちゃ!」
青い目をくりくりさせてシンをからかう。
「ちッ、相変わらず減らず口が減らないヤツだ」
「減らず口が減らないってな~に?あんたの日本語の方がよっぽどおかしいっちゃ!」
キャットがけらけら笑うと、シンはバツが悪そうに黙りこんだ。口じゃ女には勝てないと言うが、この女の口の悪さは筋金入りだ。おまけに格闘技の達人で、腕力でも勝てないときているから、ちょっとばかり凹む。
「シン、お礼だっちゃ。これで機嫌を直すっちゃよ!」
キャットがシンの仏頂面をのぞきこんで、大滝の懐から掠め取ったドル紙幣を手渡した。
「すげえな!ドルの現ナマとは豪勢だな。三千ドルも持ってやがったのか!」
シンは百ドル紙幣を数えてヒューと唇を鳴らした。金目当てに引き受けたわけではないが、文字通り現金なものであっという間に機嫌が直ってしまう。
この路地でキャットがシンを襲撃してからというもの、二人の間には奇妙な友好関係が成立している。神秘的な美少女が気になって仕方がないシンは、風変わりな頼みごとを交換条件なしで引き受けたのだった。断れば二度と会えないぞ、と心の隅でささやく声がしたからである。
「今どき、現ナマでドルを持ち歩くのは、俺たち裏社会の人間か、でなきゃギャンブラーか海外派兵の軍人ぐらいなもんだ。あいつはどう見たって軍人だ。どうして抵抗しなかったんだ?」
シンは強面のストリートギャングらしく振舞おうと努めた。謎めいた毒舌の美少女との再会に胸がときめいたのだが、自分でもそうとは認めたくないと、つい意固地になってしまう。
「知らないっちゃ。うちも頼まれただけだから」
キャットは肩をすくめた。
「うちの連中は、ヤツを蹴りつけても手応えがなかったと言ってたぞ。パンチやキックに合わせて、身体を逸らせて衝撃を弱めるテクがあるんだってな?まさかあの野郎、虎部隊じゃないだろうな?」
「虎部隊より強いかもよ。ケロッとしてたっちゃ!」
「バカ言え!虎部隊より強いヤツなんかいるか?いるとしたら世界最強の特殊部隊の・・・何だ?あのロボットみたいな恰好したヤツら?」
「機動歩兵のことけ?」
「それだ!動画で見たんだが、三百キロもある鎧で武装した現代の騎士とか言ってたな」
「モビールスーツだっちゃね。生まれつき運動神経の伝達速度が異常に早い連中から選抜するっちゃ。神経電動ユニットが発揮する性能は、兵士のスピードで決まるから」
「お前、見かけによらず物知りだな。ま、今日は見かけもインテリっぽいけどよ。悪くないゼ!」
「お世辞を言ったって、デートはしないっちゃよ!」
キャットが釘を刺すと、シンも負けじと言い返した。
「誰がデートを申しこんでるってんだ!うぬぼれんな!減らず口ばかり叩きやがって」
「そうそう、うちの減らず口は減らないから減らず口だっちゃ!」
「ちぇッ、しつこいヤツだ!ちゃんと言い直しただろうがッ。だいたい、外人のお前に言われたくないゼ」
キャットの悪ふざけにも慣れて、シンは口で言うほど腹を立てていなかった。それどころか、こうして言い合っていると、何となくほのぼのと心が温もるような気がするのだった。
「シン、あんたの手下、頭をひどくぶつけたけど大丈夫け?」
「ああ、脳震盪を起こしただけだ。あいつは石頭だから心配ない」
キャットはアハハっと朗らかに笑った。こいつ、ひどく大人びてるかと思うと、時どき滅茶苦茶に可愛い・・・シンは一瞬引きこまれるように、無邪気な笑顔に見入った。
「うち、用があるからそろそろ帰るっちゃ、また電話するっちゃ」
キャットはウィッグを被り直してホログラスを展開した。
「今夜のようなうまい取り引きなら、いつでも乗るぜ!」
最初の出会いから数日後、キャットはどうやって探り出したのか、シンのIDに電話をかけてきたのである。けれども、キャットのID通話にはロックがかかっていて電話番号もわからず、こちらからは電話をかけられない。ロックを解除しろと言いたい気持ちをグッとこらえて、シンはビジネスライクに振舞った。
「了解だっちゃ!」
キャットはニコっとシンに笑いかけると、路地を元来た方向へとって返した。
シンは反対方向へ歩き路地を出たところで、突然ピタッと立ち止まった。振り向いて大通りから路地をのぞき見ると、ジャケットの内ポケットから手のひらサイズの平たい赤外線探知ドローンを取り出し、キャットが向かった方向へ飛ばした。
配下のラガマフィンに尾行させるのは気が引ける。今夜の襲撃も異様な結末に終わり、そもそもの出会いからして、キャットには何か大きな秘密があるらしい。自分で探り出すまでは組織の仲間にも隠しておいた方がよさそうだ、とシンは本能的に感じていたのだ。
音もなく飛び去ったドローンの位置を、闇市で手に入れた軍用IDのモニターで追っていたシンは不意に顎に手をやって首を傾げた。ドローンを示す赤いドットが、小さな円を描いて回り始めたのだ。
忍び足で路地を抜け、廃屋に囲まれた小さな空き地に出ると、ドローンが街灯の灯りに照らされながら、一メートルほどの高さを所在無げに円を描いて飛んでいるのが目に入った。
「どうなってんだ・・・?いったいどこへ消えた?」
シンは呆然とスラム街の廃ビル群を見上げてつぶやいた。ドローンはキャットの身体から発する赤外線を確かに捉えていた。人間が尾行するのとはワケが違う。どうやってドローンの追跡をまいたのか?
「まさか。本物のキャットウーマンじゃあるまいな?」
そんなバカな、とシンは狐につままれたように立ちすくんだ。キャットが今夜の襲撃計画は頼まれ仕事だと言ったのを思い出す。
「あいつ、いったいどんな秘密を隠してやがるんだ?」
憂いがちに太い眉をひそめてつぶやく。キャットの身を案じるシンのまなざしは、まるでわがままな王女に忠誠を誓った騎士のように真剣そのものだった。