美食への対価
家に戻った透は、変わり果てたリビングを見て硬直した。
「……おかえり」
「た、ただいま?」
リビング中央にある椅子に、リリィが座っている。
その周りには、大量の紙が散乱していた。
リビングが紙だらけだ。足の踏み場が無い。
もちろん、原因はリリィである。
透が呆然として眺めている間にも、リリィはさらさらと紙に筆を走らせなにかを描いている。
それが描き終えたところで、はらりとリリィは紙を床に落とした。
「……あの、なにをしているんですか?」
「魔術書、作ってる」
「ああ」
なるほど、と透は思った。
リリィは魔術書店の店長だ。
魔術書店にあった商品は、先日の大火で失われてしまった。
その商品をいま、リリィは制作しているのだ。
言われてみれば、透はリリィが握る手にうっすらと魔力を感じた。
魔力を込めて文字や図柄を描くことで、透が使ったような魔術書になるのだ。
透がしばし様子を眺めていると、リリィが突如ぱたりとテーブルに突っ伏した。
それと同時にぐぅ……とリリィのお腹から音が響いた。
「……お腹へった」
「お昼ご飯は食べなかったんですか?」
「食べた。……少し」
リリィがソファに目を向ける。
そこには食べかけの肉串が無造作に置かれていた。
街中の露天で販売している肉串だ。
「……美味しくなかった」
そう言うと、リリィがキッと透を睨んだ。
悪いことをした覚えはちっともない。
僕は無実だ。透は手を上げ首を振る。
「舌が肥えた……」
「あー、ははは」
どうやら昨日と今朝の料理で、リリィの味覚が少し贅沢になったようだ。
たしかに舌が肥えていると、この肉串は食べられないな。
透は内心、リリィに強く同意した。
「リリィ殿。ここは共有スペースなのだ。これでは足の踏み場もないではないか」
「むー」
「リリィさん、そこでご飯を食べたら汚れちゃいます。僕がご飯を作ってるあいだに、片付けておいてくださいね」
「ん、頼んだ」
「はい、頼まれました」
頼んでいるのは透の方だが、子どものような見た目のリリィが尊大に振る舞う様子が微笑ましくて、透はついつい頷いてしまう。
そんな透とリリィのやりとりに、エステルが僅かに頬を膨らませた。
なにか気に障ることでもあっただろうか?
そう首を傾げるが、思い当たる節がない。
ひとまず疑問を棚上げし、透は夕食作りに厨房へと向かうのだった。
透が調理を終えて食事を運び込む頃には、リビングは今朝と同じように整頓された状態に戻っていた。
今か今かと夕食を待っていたエステルとリリィが、透の登場に目を輝かせた。
その横で、まるで「僕もいるよ!」と言わんばかりに、ピノがぽよんぽよんと飛び跳ねる。
ピノは透が帰宅し、さらに料理を作っていることがわかった上で、一人でリビングに訪れたのだ。賢い。
ピノの愛くるしい様子に微笑みながら、透はそれぞれの前に、皿を置いた。
「本日の料理は、ステーキでございます」
「「おおー!」」
「(ぽよんぽよん!)」
オークの肉に、透は絶妙な加減で火を入れた。
味付けはシンプルに塩胡椒だ。
まるでA5ランクのシャトーブリアン。
脂が多いため、そのしつこさを感じさせぬよう、香辛料を強く効かせている。
透が席に座り、手を合せる。
「それじゃあ、頂き――」
「ちょっと待った」
透の言葉を、エステルが強い口調で遮った。
座席から立ち上がり、彼女がリリィの皿を取り上げた。
いままさにステーキを食べようとしていたリリィが、目をつり上げた。
「……喧嘩?」
リリィの全身に魔力が満ちる。
その強い魔力によって、ナイフとフォークがぐにゃりと変形した。
「リリィ殿は、何故ステーキを食べられると思ったのだ?」
「……どういう意味?」
「これは、私とトールが狩ったオークなのだ。一緒にオークを狩ることもなく、手伝いもしていないリリィ殿が、なんの代償も払わずただでステーキにありつけるはずがないではないか」
「エステル。別に僕は――」
「トールは黙っていてくれ」
「あ、はい」
別に透は、リリィに無賞でご飯を提供しても良いと考えている。
しかしエステルにひと睨みされ、透は慌てて口を噤んだ。
とても、意見を言える雰囲気ではない。
「家はシェアする約束になっているが、食事まではシェアする約束はしていないのだ」
「…………」
「それに、リリィ殿は冒険者だ。冒険者にとって対価がどれほど大切かは、存じていると思うが」
冒険者は、慈善事業をやっているわけでも、公僕として市民のために働いているわけでもない。
対価があって、そのために働いているのだ。
もし対価なしに働くものがいれば、〝対価なしに働くことが当たり前〟の世の中になってしまう。
そういうごく一部の者のせいで、対価を得て動く〝すべての真っ当な冒険者〟が、〝意地汚い冒険者〟と白い目で見られるようになる。
それを防ぐためにも、冒険者は対価を大切にしている。
決してお金が欲しいというだけで、対価を要求しているわけではないのだ。
リリィのつり上がった目が、徐々に下がっていく。
その目には、うっすら涙が浮かんでいた。
「リリィさん。あの――」
「……っ!」
なにか言葉をかけようと思った透だったが、その前にリリィが勢いよく立ち上がり、走ってリビングを出て行ってしまった。
「……」
これは、怒ってしまったんじゃ?
険悪な雰囲気に、透の肝っ玉が冷え込んだ。
「トール。私を見損なったか?」
「……いいや。エステルの言ってることは間違ってないよ」
リリィは家族ではない。仲間でもない。
ただのシェアハウスの同居人だ。
透らが手に入れ、作った料理に対価を求めるのは、当然である。
「こういうことは先に解決しておかないと、あとあとになって、より大きな問題になるからな」
「そう、だね……」
たしかにその通りだ。
我慢すればしただけ、感情の爆発は大きくなる。
我慢した分だけ、対価を求めてしまう。
人は、そういう生き者だ。
だからといって、透はこの手の雰囲気を好きにはなれなかった。
なるべくなら、誰ともぶつからずに生きて行きたいと、透は考えている。
そのためなら、自分が我慢すれば良い。不利益を被っても良い。
相手を怒らせるより、そちらの方が何倍もマシである、と。
(このままステーキを食べるか? いやあ……この状態だと、美味しく食べられないだろうなあ……はあ……)
透が一人肩を落としていると、リビングの外側からドスンドスンと足音が近づいてきた。
バタン、と扉が開かれ、何故か少しだけ泣きそうな顔をしているリリィが現われた。
その手には、黒い布が携えられていた。
透の前に近づき、リリィがその布を差しだした。
「これ……」
「えっ?」
「あげるから。……食べさせて」
どうやら、リリィはステーキが食べたいがために、エステルの言う代償を持ってきたらしい。
透はそれを受け取り、広げた。
「……コート?」
見た目はロングコートだ。
だが生地がコートよりも薄い。
「賢者のローブ。防御力バツグン」
「おおー!」
「着ているうちに、持ち主の魔力に馴染む。使えば使うほど、強くなる」
「すごい! これは、リリィさんが作ったんですか?」
「んん。わたしの師匠から貰った。大人になったら着ろって」
「えっ、それは、頂いたらまずいのでは?」
リリィの師匠が何者かを、透は知らない。
だが、気軽に貰って良いものとは思えない。
「いい。わたしには合わない」
「……」
たしかに、という言葉を透は辛うじて呑み込んだ。
見た目が少女であるリリィには、黒よりも現在着用している緑色の方がよく似合う。
また、このローブはリリィの体には大きすぎる。
透でピッタリくらいのサイズだ。
残念ながら、リリィは身長があまり伸びなかったようだ。
「だから、食べていい?」
「……」
リリィの声は、ひどくか細かった。
まるで断られることを怖れているかのようである。
(そんなに僕の料理が食べたいのか……)
リリィの態度にやや困惑しながら、透はエステルを見た。
これでは透が貰っただけだ。エステルにはなにも当たっていない。
「私は、1食いくらで対価を受け取る形を想像していたのだがな。まあ、本人がそれで良いなら良いが……」
「エステルは何も貰ってないけど良いの?」
「ああ。料理を作っているのはトールだしな」
「そっか」
とはいえ、透はやや貰いすぎのように感じた。
「このローブ、大切に使わせていただきます。リリィさん、これから僕が作る料理は、全部無料で食べて頂いてかまいませんよ」
「ほんと!?」
リリィの表情が、ぱぁっと明るくなった。
エステルが「おいおい」と少し咎める目をしたが、すぐに首を振った。
彼女もまた、ローブにはそれだけの価値があると悟ったのだ。
皆が椅子に座ると、改めて透が音頭を取り、オークのステーキにありついた。
ステーキを口にした者はみな、無言で食を進めた。
言葉を発するより、ステーキを頬張っていたかったのだ。
透は肉の味以上のおいしさを、感じたのだった。
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