クイーンロックワームとの死闘
透は以前に、これと似た嫌な空気を感じたことがあった。
思い出すとすぐ、森の奥に〝なに〟が潜んでいるかがわかった。
「……」
ごくり。透はツバを呑み込んだ。
「ど、どうしたのだトール」
「エステル。……少し後ろに下がってて」
「魔物か? だったら私も――」
「大丈夫」
透は表情を努めて冷静に保って言う。
「すぐに終わるから」
透は〝これ〟から一度、戦わずに逃げている。
あの頃の透は、決して勝てないと確信した相手だ。
だが今は違う。
透は以前よりもレベルアップした。さらに魔術も覚えた。
確実に戦力は上がった。
だから、もしかしたら――と透は考えた。
――今の自分ならば、勝てるのではないか? と。
「トール? 何故笑っているのだ」
「……ん?」
エステルに指摘され、透は口元に手を当てた。
透の口角は、大きくつり上がっていた。
サラリーマンだった頃の透ならば、自分の命が関わる状況で笑みなど浮かべない。
悲壮感を顔に浮かべながら、尻尾を巻いて逃げだそうとしていたはずだ。
だが、いまは違う。
強敵を相手に、笑いながら立ち向かおうとしていた。
なにが透を変えてしまったのか。
異世界転移か、リッドの肉体か。
――あるいは【魔剣】か。
あからさまに『取れ』と言わんばかりのスキルポイントに、岩さえも難なく切り裂く凶悪な切れ味の良さ。この剣に、デメリットがないはずがない。
もしかしたら【魔剣】は、透の魂を徐々に変質させているのではないか?
そう思ったところで、取得してしまったスキルを手放す方法はない。
少なくとも透は知らない。二度と手放せないかもしれない。
ならばもう手遅れだ。諦めて、うまく共存していく道しかない。
この選択を、透は間違いだったとは思わない。
いずれにしろ【魔剣】を取得しなければ透は生きられなかった。なるべくしてなったのだ。ならばこの道が――生きていることが、失敗だとは思わない。
前方で、木々が倒れる音が響いた。
透は思考の一切を、戦闘にのみ注ぐ。
森の奥から、不吉な空気を纏った巨体が姿を表した。
「……来たか」
それは洞窟で見た、ロックワームの親玉だった。
親が姿を現わした瞬間、透は全力で≪筋力強化≫を施し、突っ込んだ。
「――シッ!!」
親の体を一閃。
これまで敵を一撃で切り伏せてきた透の攻撃は、しかし皮膚を浅く切り裂いただけに留まった。
「ははっ!」
――そうこなくっちゃ!
相手の強さを、透は<察知>で嫌というほど感じ取っている。
これが見かけ倒しであったなら、どれほど落胆したことか。
<察知>で感じた感覚と、違わぬ強靱な実体に、透は笑った。
次の瞬間だった。
親が刹那の間に体を一回転させた。
透は横から、まるでトラックにひかれたかのような衝撃を受けて吹き飛んだ。
激しい音とともに、透は山積みにした丸太にぶつかった。
その衝撃で丸太が崩れ、透を押しつぶす。
「トール!!」
エステルが、これまで聞いたことのない甲高い声で叫んだ。
彼女にはそれだけの大事故に見えたのだ。
しかし、それほどの衝撃を受けても、透はほとんど痛みを感じなかった。
強化魔術のおかげだ。
「……いける」
確信を得た透はニッと口を斜めにし、すぐさま<無詠唱>で魔術を連発した。
≪ファイアボール≫≪ウォーターボール≫
≪ロックニードル≫≪エアカッター≫
そのいずれもが通常の魔物相手であれば、致命的な威力を宿していた。
しかしロックワームの親には致命打とならなかった。
それでも痛みは感じているのか、親が体を捩る。
距離を取られたままだと、一方的に魔術で撃ち殺されると本能で感じたか。親が素早く透に近づいてきた。
通常のロックワームとはまるで違う。驚異的な速度だ。
だが、
(いくら素早くても、図体が大きければどこかには当たる)
透は慌てず丸太をかき分け、素早く体勢を整える。
そして襲いかかる相手に、【魔剣】を〝合せ〟た。
すると、今度は面白いように、外皮を容易く切り裂けた。
「ピギャァァァ!!」
生まれて初めて命にかかわる痛みを感じたか。親の甲高い悲鳴が森を劈いた。
「痛がってる暇はないよ」
【魔剣】を振ってから、透は即座に追撃を行っていた。
剣で斬りつけながら、腹の下から≪ロックニードル≫を当てる。
腹の下を狙ったのは、単にそこが一番柔らかそうだと思ったからだ。
≪ロックニードル≫が当たるたびに、ずんずんと腹の底を揺らすほどの音が響く。ダメージがあるかは、わからない。だが透は構わず≪ロックニードル≫の使用を続けた。
相手の攻撃を躱し、合せ、カウンター。
常に魔術を撃ちながら、相手の死角に回り込む。
透は、自分よりも何倍も大きな魔物と対峙しても押し勝っていた。
すべては無属性魔術のおかげである。
≪筋力強化≫がなければ、いかに切れ味の良い【魔剣】といえども、この親の質量には勝らなかった。
透が次々と親に傷を付けていく。その傷から、ドクドクと薄黄色の液体がこぼれ落ちる。ロックワームの血だ。その血が徐々に、勢いを失う。
それでも戦意は衰えない。
透の魔術を察知して、腹部に防御を集中させている。
初めは≪ロックニードル≫を受けて体を捩っていたが、いまはさしたるダメージを外側から見て取れない。
親が意識を向けると、幾ばくか防御力が上がるようだ。
戦いの中で、相手も徐々に学習している。
だが、甘い。
透は全力で魔術を発動させた。
魔術の予兆を感じた親が、腹部に意識を向けた。
それを見て、透はニッと笑った。
「≪ファイアーボール≫」
透は相手の傷口目がけて、マナを込めに込めた≪ファイアーボール≫を撃ち放った。
ボッ! と音速の壁を越えるような音とともに飛翔した≪ファイアーボール≫が、一瞬にして親を呑み込んだ。
「ピギャァァァ!!」
腹の下から攻撃が来るだろうと構えていた親は、透の≪ファイアーボール≫に反応出来なかった。
本来ならば堅い外皮が弾くはずの高熱が、傷口から入り込み体内を焦がしていく。
「≪ファイアーボール≫!」
「ピギャァァァ!!」
追加で一発。
「≪ファイアーボール≫ッ!!」
「ピギャ――ガボッ!!」
さらに一発。
三発放つ頃、親の口から悲鳴とともに、炎が舞い上がった。
体内すべてに行き渡った炎が、親を焼き尽くす。最後の足掻きとばかりに、親が僅かに透に近づいた。だが、それが最後だった。
親は体を丸め、黒焦げになった大地に倒れたのだった。
○
「そんな……クイーンロックワーム!?」
魔物が現われたとき、エステルは再び死を覚悟した。
クイーンロックワームは、ランクCの冒険者が束になって、はじめて安全に倒せるレベルの魔物である。
その外皮の硬さは、通常のロックワームの比ではない。戦い方はロックワームと同様に、防御力にものを言わせたごり押しだ。
それでも、桁が違う。
素早さも力強さも、ロックワームとは別格だ。
実際、エステルはロックワームの攻撃は躱せても、クイーンの攻撃を躱せる自信はなかった。
ランクEの冒険者と、ランクCの魔物。その力量差は、覆せぬほどに大きい。
ランクDのロックワームのように、攻撃が通じれば勝てるといったレベルにない。
そのクイーンロックワームを相手に、なんとトールは互角以上に戦っているではないか!
「トールは、本当に迷い人、なのか?」
迷い人は、誰しもが劣等人と呼ぶに相応しい脆弱な人間だ。
エアルガルドの歴史上、この認識を外れたことは一度もない。
だがトールは、ゴブリンの大群をほとんど一人で倒してしまったし、魔術をあっさり覚えて、その上<無詠唱>にも成功してしまった。
トールは迷い人の常識を、覆し続けている。
エステルの常識が、覆され続けていた。
トールは相手の攻撃を巧みに用いて、クイーンを深々と切り裂いている。同時にクイーンの腹に魔術を打ち込んでもいる。
「これほど戦える者が、迷い人……?」
エステルは白昼夢を見ている気分だった。
己の常識が、なんとか現実を打ち消そうとする。だが現実は容赦なく、常識を打ち砕いた。
「どこかしら妙だとは思っていたが……」
エステルは確信した。
――彼は迷い人の器に収まる人物ではないのだ。
トールは次々とクイーンにダメージを与えていく。深々と切り裂かれた傷口から、ドクドクとクイーンの血が流れ出す。
その傷口目がけて、トールが≪ファイアボール≫を連続で撃ち放った。
それはあたかも、火の上級魔術≪フレア≫の如く、凶悪なマナが込められた≪ファイアボール≫だった。
「……すごい」
Cランクの冒険者が束になって討伐するクイーンを、トールは大けがを負うこともなく、たった一人で倒してしまった。
その現実に、エステルはただ呆然とするしかなかった。
洞窟の中で出会ったアイツとの、感動の再会回でした。