ドラゴン=馬車
「ワイバーン? ……にしては、やけに大きいですねー」
嫌な予感がした。アミィはじっと、その飛翔する物体を観察する。
それは、ぐんぐんとこちらに近づいてきた。それも、尋常でない速度だ。
粟粒ほどのそれが、爪ほどの大きさになったとき、アミィはやっとその正体に気がついた。
「ま、まさか……ドラゴン!?」
これから実行する儀式魔術のことなどすっかり頭の中からすっ飛んだ。
「神代戦争が終わった後、ドラゴンは人間との関わりを絶ったはず。何故ここにドラゴンがいるんですか!?」
まさか、こちらの計画を潰しに来たか。しかしドラゴンは、人間には一切関心がない。たとえ街が一つ滅びゆこうとしている最中であっても、かの生物の興味を惹くことはないだろう。
では、何故?
さっぱりわからない。
呆然としているアミィの耳に、甲高い音が届いた。まるで婦女子の悲鳴のようなそれは、ドラゴンの風切り音か。
アミィが見守る中、ドラゴンはフィンリスからかなり遠い場所で突如停止した。するとその体から、二つの点が落下を始めた。
「んん-?」
目にマナを込めて、《遠視》魔術を発動する。
魔術は距離を飛び越えて、二つの点を拡大した。
「そんな……」
その点の正体に気づいたアミィの喉から、うめき声が漏れた。
ドラゴンから落下した二つの点の正体は、今頃レアティスの麓あたりで野宿をしているはず二人――トールとエステルだった。
アミィの予想では、最低でも帰還までは三日かかると踏んでいた。それをまさか、一日も巻いてしまうなんて完全に想定外だ。
しかし、アミィが想定を外したとて、一体誰が責められよう?
本来三日はかかる工程を、ドラゴンを利用して一日短縮するなど尋常ではない。全人類の知者を集めたところで、この結果を想定する者など誰もおるまい。
仮にそのような想定を許してしまえば、明日世界が滅亡する可能性すら考慮せねばならなくなる。あまりにも馬鹿馬鹿しい。
「まさか、ドラゴンを利用するつもりですか?」
アミィのこめかみに、じとっと冷たい汗が流れ落ちた。
こちらが準備した術式はドラゴンとは相性がめっぽう悪い。もしドラゴンも相手にしなければならないのであれば、計画は水に流した方が良い。
そんなアミィの不安は、ひらりと体を回転させ戻っていくドラゴンの姿を見て霧散した。
どうやらドラゴンは彼らの味方になったわけではないようだ。
「……となると、彼らはただ、ドラゴンを馬車のように使っただけですかー?」
にわかには信じがたい。だが、おかげで予定を変更する必要がなくなった。現在待機状態にある術式が無駄にならず、アミィはほっと胸をなで下ろす。
とはいえ、トールがフィンリスに戻ってきてしまった。念のために想定はしていたが、まさか本当に戻ってくるなど信じてはいなかった。
「こうも常識外のことばかりされると、自信を失っちゃいますねー」
アミィが幾分疲れたようにため息をつく。フィリップの策が破られた時、アミィは彼を無能だと思った。もっと慎重に行動すれば、トールに目をつけられることはなかっただろう、と。
しかし、いざ自分の番になってみると、トールの異様さがよくわかる。
あれは、人間の姿をかぶった化け物だ。
彼が動くだけで、すべての状況をひっくり返す。
ならばと、今回はどう転んでもいいように策を企てていた。
幸い、こちらにはまだ首都で集めた魂が幾ばくか残っている。これを使って神の御業を発動すれば、いかな生物だろうと手も足も出なくなる。
「本日晴天、雲はなしー」
待機状態の魂の器を抱え、謳うようにつぶやいた。
「夜の帳が降りる頃、ところにより悪魔が降るでしょうー」