表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/141

プロローグ

 水梳透(みなすきとおる)が穴に落ちたのは突然のことだった。

 仕事でくたびれた体を引きずるように夜道を歩いていた透は、突如浮遊感を覚えた。

 疲れが溜まって腰が砕けたのかと思った。慌てて足を踏ん張るも地面がない。


「えっ? な――ッ!?」


 足がぴんと突っ張った。横隔膜を押し上げる浮遊感が持続する。

 そこから10秒経って、ようやく透は異変に気がついた。

 瞼を開いているのに、辺りは真っ暗だった。相変わらず浮遊感は続いている。


 落ちた。


 透がそのことに気がつくとほぼ同時に、視界を真っ白な光が満たした。


 ぽん、という冗談のような音とともに透は腰から地面にぶつかった。

 落下時間の割に、衝撃はまったくなかった。


「えっ、えぇえ……?」


 状況が飲み込めない透は、しばし尻餅をついた形で辺りを見回した。


 辺り一面、何もない。

 ビルも家も道路も電柱もない。

 すべてが白一色の空間が広がっていた。


「な、なんだここは……?」

「あれぇ? なんでここに人間がいるのよ」


 突如背後から声が聞こえた。その声に、透はびくっと肩を振るわせた。

 振り返ると、白い空間の中に見目麗しい女性がいた。


 その女性は、白い貫頭衣のようなものを着ていた。

 長い髪の毛は透き通るほどの金色だが、顔立ちは外国人よりも日本人的だ。

 ただ深紫の瞳は、日本人ではまずお目にかかれない色である。


「貴女は、誰?」

「ふぅん、アンタには女性に見えるのね」

「えっ?」


 透は慌てた。もしかして綺麗な男性だっただろうかと。そんな内心を読み取ったか、女性は苦笑して、


「違うわよ。人によって見え方が変わるのよ。しばらく前に来た男は、アタシを男だと思ってたみたいだったし」

「男には全然見えないですけど……」

「なんかオーマイゴッド、ジーザス・ハレルヤ・エーイメンだかってしきりに口ずさんでたわ。たぶんその男は、男が考える神に見えたんでしょうね」


 そう言うと、女性は袋に入ったポテチを取り出し、ポリポリと食べ始めた。


(……一体そのポテチはどこから出した?)


 透には彼女がポテチ袋を持っていたようには決して見えなかった。まるで手品のようである。


「説明すると、アタシは神よ」

「あーはい、そうですか」


 途端に透は彼女の言葉を聞く気が失せた。

 自分を神だと言う奴に(ろく)な人間はいない。


「地球の人間――特に日本人ってみんな似たような反応をするわよね。神をなんだと思ってるのかしら?」

「史上最高の詐欺師」

「……どうやらアタシは一度、日本人を再教育しなくちゃいけないみたいね」


 女性は目元をヒクヒクさせた。


「ところで、ここはどこですか? なんか僕、道を歩いてたら落ちたような気がするんですけど」


「それで正解よ。アンタは落ちたの。アンタが落ちてきたのは次元の裂け目よ」

「次元の裂け目?」

「ええ。裂け目はごく希に、地球上のどこかにランダムで出現するバグね。どれだけプログラムを弄っても消えないのよねぇ。アンタはその裂け目から落下していま、ここにいる。ここまでは大丈夫かしら?」

「……う、うん。まあ、はい」


 透は彼女の話が信じられなかった。

 だが信じようが信じまいが透は現在、己の理解を超えた場所にいる。


 これが夢であればと思ったが、頬をつねると痛みを感じた。

 先ほど落下して尻餅をついたときは、一切痛みがなかったというのにだ。


 否も応もない。無理にでも信じるしかない。


「とりあえず、明日も仕事があるから元の場所に戻りたいんですけど」

「それは無理よ」

「どうして」

「戻るならあそこだけど――」


 女性は上を指さした。そこには微かだが、白い天井の中に小さな黒い点が見えた。

 距離感がまるで掴めないが、その黒い穴に向かって進めば、元の場所に戻れるのだろう。

 だが、そこに行く方法は不明だ。


「――アンタ空飛べる?」

「無理ですけど……」

「じゃあ諦めて」


 どうやら、穴に入るには飛ぶ必要があるらしい。

 なんとも原始的な解決方法だ。


「いやいやいや! まだやりかけの仕事が残ってるんです。明日も進めないと、納期に間に合わない。あなたは神様なんですよね? だったら僕を神様パワーかなにかで元の世界に戻してくださいよ」

「戻しても良いんだけど……」


 女性はポリポリとポテチを食べながら、透の頭からつま先までじっと眺めた。


「その姿で戻っても仕事は出来ないわよ」

「……どういう意味ですか?」

「いまのアンタは、魂だけの存在になってるのよ」

「へっ?」


「まさか次元の裂け目に落ちても、普通の人間の肉体が形を保てているって思ってるの? 人間の肉体は三次元よ。三次元の存在である限り、二次元にも四次元にも行けないじゃない」

「そんな……」

「まあそんな顔をしないの。どうせアンタが持ってる仕事なんて、他の誰でも出来る仕事なんでしょう? アンタが来ないとわかったら、きっと誰かが問題なく引き継ぐわよ」

「ぐっ……」


 この自称神。的確に痛いところを突いて来おる。

 透自身、そのことは重々承知している。だが面と向かって言われると、己の存在の軽さに心が砕けそうになった。


「それで……僕はどうなるんですか」

「それじゃあ、その話を進めましょうか」


 彼女はポテチ袋を消し去りパンッと手を叩いた。

 すると真っ白だった床が、一斉に色を変えた。


 まるで床一面が巨大なモニターになったように、床には白と緑と青の模様がゆっくりと流れていた。


「アンタには二つの選択肢があるわ。一つはこのまま消える。なんの苦労もせず、なんの痛みも感じずにあの世へ行けるわよ」

「はあ。あの世ってあるんですね」

「ないわよ」

「じゃあ何故言った!?」


「二つ目は――」彼女は透の問いを無視して続けた。「この星に移住することよ」


 星――白と緑と青の模様は、星の映像だった。

 それに気づき、透はじっと星を見下ろした。


「上から落ちてきた魂を再び上に戻すのは難しいわ。けど、下に降ろすことなら簡単なのよ。アンタはいま肉体を持たないけど、アタシなら丁度良い体に入れてあげられる」

「丁度良い体、ですか」

「そう。魂が抜けたてほやほやの体よ」

「それって、もしかして遺体?」

「そうとも言うわね」

「えぇえ……」


「そんな嫌な顔しないの。アタシでも、新しい体を一から作るのは大変なのよ? 馬鹿みたいにリソースをつぎ込まなきゃいけないし、そのせいで知らない場所にバグが出来るかもしれないんだから」


「まだ生まれてない赤ん坊に移してもらうことは出来ないんですか?」

「そのためには、赤ん坊の魂を抜かなきゃいけないわよ。赤ん坊だって、魂を持ってるんだから。生まれてくるはずだった魂を消し去ってまで、アンタは赤ん坊に乗り移りたいの?」

「いや、それは……」

「それに、赤ん坊に乗り移ったら、アンタはその精神年齢(とし)でママからオッパイを貰わなきゃいけないわよ? そういう趣味があるならアタシは別に手を貸しても――」

「いいえ結構です!」


 そのような言われ方をすれば、誰しもNOと答えるに決まっている。

 中にはそういう特殊な趣味を持つ者もいるかもしれないが、透は違う。


「それじゃあ決まりね。いまからアンタを死た――丁度良い体に送り込むわね!」


 いま死体って言おうとしたかこいつ。

 透はじっと女を睨めつけた。


「ところで、僕は向こうの世界のことを何一つ知らないんですけど、生きて行けるんでしょうか?」


 国が変わると言語が変わる。

 希に言葉はなくともボディランゲージのみで会話出来る人はいる。だが異世界人と言語なしのコミュニケーションが取れるほど、透はコミュ力が高くない。


 また生活様式の変化も大きいと想像に易い。

 地球で最も恵まれた生活環境を持つ日本でぬくぬく育った透が、それ以外の地域に前知識なしで放り込まれても、生きて行ける自信はなかった。


「その辺りはアタシに任せて。これまで次元の裂け目に落ちた人も、アタシのフォローを受けて別世界に移住したから」

「他にも移住してるんですね」

「ええ。天寿を全うした人もいるし、途中で……」

「途中で?」

「……うん。アンタなら天寿を全う出来るハズだから安心して!」


 女性は誤魔化すように声を張り上げた。


(途中で一体なにが起こったんだよ……)


 安心してと言われても、透は不安しか感じない。


「――と、言ってる間に準備が整ったみたいよ」

「早いですね」

「いったい一日に、世界中で何人が死ぬと思ってるのよ」

「……それもそうですね」


 地球では1秒間に1,8人が死亡していると言われている。

 こうして話している間にも、何人もの人が死んでいるのだ。

 透が降りるのに最適な体など、すぐに〝生まれる〟というものだ。


「じゃあ向こうに行く前に、これを上げるわ」


 そう言って、女性は透にA4サイズの透明な板を差しだした。アクリル板のような見た目のそれを手に取った瞬間、パッと光を放ち板が消えた。


「えっ、あれ? 消えた?」

「いま渡したのはスキルボードよ。……スキルボードって言って通じるわよね?」

「大体は」


 透は頷いた。

 人並みにゲームを嗜む透は、スキルボードがなんなのか大体把握出来た。

 ようは、本来人間には操作できない潜在能力を、自由に変更出来るシステム、あるいはデバイスだ。


「どうして消えたんですか?」

「それはアンタの魂に結びついたから。向こうの世界に行ったら使えるようになるわよ。地球でマトモに生きたなら、使えないってことはないだろうから」

「えっ? 使えないこともあるんですか!?」

「うん、まあ、アンタは真面目そうだし、大丈夫だと思うわよ?」


 真面目なら大丈夫?

 透は首を傾げる。


 不真面目だったら、なにかペナルティがあるのだろうか。

 心に手を当てて、過去の自分を思い浮かべる。不真面目だった記憶ばかりが蘇って、透は背中にダラダラと冷たい汗が流れた。


「それを上手く使って、長生きしするのよ。それじゃあ移動させるわね」

「ちょ、ちょっと待ってください! まだ尋ねたいことが――」

「大丈夫よ。これが今生の別れにはならないから。条件を満たせば、アタシはいつだって会ってあげるわよ。んじゃ、頑張ってねー」


 女性は笑顔を浮かべ、手を前に差しだした。

 手の平に白い光が集中した。

 それは瞬く間に、透の視界を覆い尽くした。


「沢山――を送ってね」


 そんな声を最後に、透の意識は途切れたのだった。


          ○


 人間を送った後、神は「ふぅ」とゆっくり息を吐いた。

 魂だけとはいえ、現世に介入するのはなかなか骨が折れる。それでも、この場に落ちてきた魂を、新たな道に送り出すのは神の務めだった。


 務め……いや、楽しみか。


「今回の人間はどうやって生きるのかしらねぇ」


 神は今回、スキルボードにこっそり仕掛けを施していた。

 スキルボードは人間を送った星『エアルガルド』で生きるための補助システムだが、〝正しく使えば〟過剰な力が得られる。


 といっても、十全に使えた者はいまのところ一人もいない。


 まず、スキルボードが使えなかった人間が全体の半分を占めている。

 スキルボードが使えないのは、元の世界で徳を積み重ねて来なかったためだ。


 因果応報。

 怠惰な人間に、神は力を与えない。


 次に、スキルボードが使えた者でも、ほぼ全員が〝必須技能〟を取得しなかった。

 取得したくても出来なかった者と、取得出来たけれどしなかった者の両方が居る。


 いま送り込んだ魂はどうか。


「まー、あの子ならスキルボードの使用は問題ないでしょう。あとは、絶対に必要なスキルに気づくかどうかねー」


 もし必須技能に気づけたら、彼は人類史上かつて無い力を手にすることになるだろう。


 その力を持った時、あの人間はどう変化するか?

 マトモでいられるか、あるいは狂気に侵されるか……。


 彼がどう動くか? 神はいまから楽しみで仕方がない。

 だが、それよりも楽しみにしているのがあった。


 彼女が仕掛けた力を、彼が使った際に送られてくるモノである。


「沢山送って欲しいなあ」


 神はそれ――人間にはポテチに見えていた――を取り出し、ゆっくりと口に運ぶのだった。

またしばしの間、物語にお付き合いくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新作「『√悪役貴族 処刑回避から始まる覇王道』 を宜しくお願いいたします!
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ