5.熊のミーシャ
全てのサイバードロイドを破壊し、研究所に残るデータの全てを破棄する。
いや念のため、機体スペックやパーソナル・データといった、彼女の"取説"にあたる部分だけを自分の携帯端末にコピーしてから、キョウはその作業を終えた。
冷凍ポッドから慎重に少女を取り出し、自分の着ていた二式を装着させたキョウは、ようやく緊張から解放されたように大きく息を吐き出していた。
これでいい。まさかこの研究所内から外へと通信出来るわけもなかろうし、ここで起きた事を正確に知っている者はもう居ない。
あとは、後日こいつを調べに来た者達がNMUの仕業と誤認してくれるのが最良だ。
キョウは破壊されたサイバードロイド達を眺め、考えるように唸っていた。
やはりプラズマカッター……杖と、電磁レールガンによる損傷は少々目立つか。
しかしこれらは戦前からあったものだし、キョウが未だ所持しているように、他にも完動するものを所持している者がないとは思えない。
互角のはずのハイブリッドソルジャー相手に完敗を喫したとするなら――相手がそれだけの物を持っていたという結論に至る可能性は高いとは思うのだが。
あっさりとサイバードロイド7体を撃破しておいてなんだが、インセクト・タイプが他の遺伝子強化兵に比べてやや能力的に劣るという点には間違いはない。
限られたリソースのうち少なくない部分を変身能力に割いているのだから当たり前だ。
その外見的特徴である外骨格装甲は、他の遺伝子強化兵が皮下装甲と強化筋肉、そしてその再生能力で充分に敵弾を止められるのに対して、防弾性能で劣るからこそそうしなければならないものであるし。
複眼のような頭部センサも身体の反応速度をそこまで高められないからこそ、先に敵の動きを察知出来るよう動体視力を向上させることで補おうとした結果に過ぎない。
そして最後が武装であった。
先手を取れば必ず敵を撃破出来るよう、プラズマカッターとレールガンという歩兵に与える武器としては過ぎたものを固定武装として持たせたのだ。
勿論欠点はある。どちらも電力を馬鹿食いするものであり、一度使い果たせば長いチャージ時間を必要とした。
そしてサイバードロイド7体を全て不意打ちで始末したことで、そのパワーはほぼ失われていた。
敵がこれで打ち止めであったからこそ遠慮なく使えたことだ。
もうしばらくの間、少なくとも24時間はあらたな敵とは会いたくない。
そんな事を思いながら、キョウは二式を着た少女を背負い、この軍研究所を出ようとした。
研究所外殻に近い通路で、既に警備システムを眠らせたはずである場所で、無警戒に一つの曲がり角を曲がろうとして、キョウの背筋にはぞわりと悪寒が走っていた。
何かが居る。
持って来た自動小銃を構えながら通路の先に視線を送り、キョウはその外骨格に覆われた仮面の下で盛大に顔をしかめていた。
「ふん……インセクトか。見るのは10年ぶりだな」
一体の遺伝子強化兵がこちらを待ち構えている。
黒い被毛に覆われた熊の頭部、日本の植生にはやや合わない――といって、今の日本に植生などといったものは存在しないに等しいが――秋季迷彩の戦闘服。
体格からすれば小さすぎる自動小銃を冗談のように抱え、同様に小さなナイフを軍用サスペンダーの肩部分にテープで括り付けていた。
まるでオモチャのアクションフィギュアのように見えたが、笑える代物ではない。
ロシア製の遺伝子強化兵、通称ミーシャ・タイプだ。
「見逃してくれないか、と言っても駄目かい?」
キョウは曲がり角から身を晒さないままそう言っていた。
ミハイルはその言葉を鼻で笑い、声を返す。
「さて、貴様一人であればそうしてやっても良かったかもしれん。貴様らインセクトは所詮スペアキーだ。そもそもが代用品だ」
一度見逃しても、ほしければ他で探すことが出来る品だろうとミハイルは言った。
「だが、貴様が抱えているそれは違うだろうインセクト。俺は別に、個人的には人の姿に戻ることに対して、さほどの願望も持たない。性能が変わらないのならばともかく弱体化するのではな」
だから、個人的にキョウを見逃す事については構わなかった。
「しかし、それは俺が判断出来る問題でない。機士修道会に渡してはならんものだ。よってこの場で始末する以外に、俺に出来る回答はない」
くそったれめと口中で毒づく。
模範的な回答だ。交渉がいっさい通じない事をはっきりと告げる、無意味な会話だった。
これ以上無駄に舌を回すこともなく銃弾を送り込む。
しかしミハイルはそれを躱すでもなく、顔の前に左腕をかざしただけで受ける。
5.56ミリ弾程度では話にもならないのは分かりきっていたことだ。
そして打ち返されてくる銃弾はキョウが隠れる角のコンクリートをあっさりと穿った。
高速徹甲弾を装填しているか。インセクトの外骨格で受けるには少々危険な代物だ。
肉弾戦では勝ち目がなく、撃ち合いでも不利とは。
腰と太腿に吊った武装をうらめしげに見下ろすが、それら2つが未だ使用可能なほどエネルギーを回復してくれているとはとても思えない。
どうしたものか――そう思うが、考えるだけの時間を与える気は、相手にも無いようだった。
角から突如として突き出される振動ナイフ。
ミハイルは、キョウが銃撃に頭を引っ込めた一瞬の隙を突いて走り出していたのだ。
高周波振動ブレードは、格闘戦において遺伝子強化兵がおのれの肉体以外に唯一用いる武器である。
素手で鋼鉄をへこませたり、砕いたり、引き千切ったりする事が可能な彼等であるが、それをバターのように切り裂くこの玩具は、戦闘において彼等に新たな遊び方を提供してくれるのだ。
突き出されてくるナイフを必死で避ける。
こんな物を喰らってはキョウの装甲も数秒とは持たない。あっさりと解体されてしまうだろう。
だが受ける事も出来ず、躱すにも限界がある。仕方なくキョウは腰の杖を抜いた。
未だプラズマ刃を形成することは出来ないが、磁力フィールドによる斥力場でなんとか敵の振動ブレードを押し止める。
触れ合うことなく静止する、まるで寸止め試合のような鍔迫り合いを演じながらキョウは後退していった。
これは風船を間に挟んでいるようなあやういものだ。
一瞬敵の刃を止める事が出来たとしても、そのまま押し切ることなど不可能である。結局のところは相手が力を込め直す前に後退することしか出来ない。
そして、こんな対処をさせられた事により、この戦闘中にプラズマカッターの使用が一撃でも可能になるのではないか、という淡い望みはもはや奪われてしまった。
当然、磁力フィールドの形成だけでもパワーは失われるのだ。
「どうしたインセクト。自慢のレールガンはまだ使えんのか」
ミハイルが口を開いた。わかっていながら聞くな、とキョウは心中で吐き捨てる。
ここを切り抜けるには確かにそれしかない。
だが、一発撃つだけでもチャージまではまだ数分かかる。
それまでこうして切り抜け続けられるか、と思った瞬間、背後に鈍い衝撃が走った。
背負っていた彼女――二式を着せて防護していた少女の身体が、どこかに引っかかったのだ。
これ以上下がることも出来なくなったキョウは、万事休すとばかりにエネルギーの無い杖を構え、ミハイルの繰り出すナイフに備えていた。