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プロローグ

「三次大戦は宗教戦争だったわ」


 薄暗いバーのカウンター席で、女は酒盃を目線の高さに掲げる。

 グラスを満たす琥珀色の液体を、ゆらゆらと揺らすばかりで口をつける素振りすらなく。

 溶けた氷にやや薄められたウイスキーを、それと同色の瞳でただ見つめていた。


 一次大戦は領土と賠償金を賭けたスポーツ。少なくともそのつもりで始められた。

 そして二次大戦は商売敵を殴り倒して、暫くの間立ち上がれないようにしようという影響力の取り合い。


「人間ってのはいつも、これまで通りに物事が進むと思い込んで。そして実際始まってしまってから変質に気づくのね?」

「……歴史の講義をしに来たのか?」


 油断なく女の全身を視界に入れながら、キョウは口を開いていた。

 僅かな体重移動に、尻を乗せるスツールが軽いきしみを立てるが、女の視線は一切動かない。

 カウンターの隣席同士、2メートルの間合いも無い今の状況で圧倒的優位にあるのは女の方だと、二人ともが理解していた。


 黒いスーツに包まれた豊満なボディ。しかし開いた胸元から覗くのは白い柔肌ではなく白銀の獣毛。

 肩の上にはその声から想像される美貌ではなく、大型の犬科動物を思わせる首が鎮座している。

 狼の遺伝形質を強く発現させた、中国製の遺伝子強化人間ハイブリッド、通称レアン・タイプが、彼女の正体であった。


 キョウが妙な動きでもしたが最後、彼の頭部は容易く胴体から引っこ抜かれるであろう。

 常人の数倍から数十倍の反応速度を誇り、その膂力たるや鋼鉄をも素手で引き裂くハイブリッドソルジャー相手に接近戦など自殺行為でしかない。

 この距離まで詰められた時点で、彼の命運は全てこの女に握られていたのだ。


「別に、そんなつもりじゃないわ。ただ、これは昔話。そしてこれからを考える上で必要な話」

 女は初めてこちらを向いて、その獣面に笑みを浮かべる。

「グローバル時代において、ビジネスを考えるなら決してやるべきでなかった戦争に、人類はあっさりと足を踏み入れてしまった。殆どの一般市民が抱いていた予想に反して、ね」

 それはまさに、一切の妥協が許されない宗教対立であればこそ。

 異教徒と異文化を少なくとも自分の目に見える場所から消滅させるための聖戦。


 そしてその象徴的存在が、自分自身であると彼女は語っていた。


「遺伝子操作とサイバネティクス。一神教徒達はSF創作の中では平然とそれらが普及した未来を描くくせに、実際にそれが現実を侵し始めるとヒステリックに反発するのね。西側諸国にありながら、貴方達日本人にだけは、決してそれが理解出来なかった」


 キョウは、自分の手の中ですっかりぬるくなってしまったビールを苦々しく見下ろす。

 そうだ。近づきつつある開戦の予感、漏れ聞こえる敵の新兵器情報、そしてその存在を前提にしなければ一切の防衛計画が破綻するにも関わらず、肝心な所で信用しきれない同盟国。

 それら全てが、決定的に道を誤らせる要因となった。


 遺伝子強化兵ハイブリッドソルジャーの配備。

 中国の後追いであった筈のその技術が、まさか発表の直後から世界的な非難を浴び、結果的に世界の30%が焦土と化したあの戦争の引き金を引く事となろうとは。


「貴方達には、先駆者たる発想は存在しても覚悟が無い。だから、誰かに先んじられたと知れば待っていたとばかりに。深く考えることなく付いて行ってしまう。悪いクセ、よね」

 日米離反策の最後の仕上げだったとはっきり暴露され、しかしキョウの中には怒りはわかなかった。

 そんな事は先の大戦が始まった直後から、知れていた事だったのだから。


「それで? スカベンジャーの姉さん。破壊され尽くした日本の瓦礫の中から、埋もれたテクノロジーを発掘に来てるあんたが、その案内人をこうしてからかってる理由はなんだい」

「ふふ。……憂さ晴らしよ。優秀な案内人と評判の貴男が、ほんの一足違いで別の依頼人クライアントに雇われてしまったと聞いたから」

 キョウはうんざりと頭を振っていた。


「次の雇い主になる気があるんだったら、友好的な人間関係を構築した方がいいと思うぜ」

「あら、そのつもりで来たのだけれど。気を悪くしたのならごめんなさいね」

 憂さ晴らしと言った舌の根も乾かぬうちに、女はしれっとそう口にする。

 どうにも、キョウにはこの女が気に食わなかった。たとえ今後オファーがあったとしても受ける事はなかろうと心に決める。


 その苦い表情からキョウの内心は十分女に伝わっただろうが、何ら気にする必要はないとばかりに女は席を立っていた。

 同時に、バーの入り口を固めていた強化人間10人ばかりが一斉に立ち上がり、女の後に続く。


「それじゃあ、機会があればまた会いましょう。案内人キョウ=スズキ」

 側近からコートを受け取りながら、女はバーの出口へと歩んでいった。

 が、ドアを目前としてその足がふと止まる。


「最後に一つ。機士修道会マシン・ブラザーフッドをあまり信用しない方がいいわよ」

 睨むキョウの目を軽やかにいなしながら、それだけを捨て台詞に、女は去った。


 大きな溜息が漏れる。ぬるいビールを一息に飲み干し、目の前のバーテンに視線を向ける。

 アッシュと名乗るその女バーテンは、特に顔色を変えるでもなくキョウを見返していた。

「ここに網を張られていたの、知ってたな?」

「ええ。でもあんたとは個人的に連絡を取り合うような仲じゃないし。それならどのみち、店に入ってきた時点で手遅れでしょ?」

 反論を返す事も出来ずに舌打ちするキョウ。

 押し黙った彼に、アッシュの問いが続けられる。

「ところで、あんた、中国人チャイニーズじゃなかったのね」


「……ああ。まさか本物相手に経歴を偽り続けたってすぐにボロが出るしな。戦後に渡ってきた中国人って言ってた方が面倒が少ねえのは、あんたも分かるだろ?」


 カウンターを挟んで向かい合うキョウとアッシュは、無言で互いの姿を眺める。

 顔を走る火傷痕と、片眼に埋め込まれた電子義眼。

 グラスを磨く度にアクチュエータの軋み音を立てるサイバネティクス・アームを装着したアッシュに対し、キョウは傷一つ無い全くの生身。


「そうね。そんな綺麗な体した日本人なんて、そうは居ない」

 アッシュは溜息を吐くように、そう言っていた。


 支払いを済ませ、席を立つ。

 バーのドアを開ける前に、忘れずに両腰に吊ったタンクの残量を確認し、電源ボックスのスイッチを入れる。

 タンクから流れ出るように展開されたナノマシンがキョウの全身を覆い、動甲冑のフレームと装甲を形成してゆく。

 軽くジャンプして靴裏の装甲を完了させ、たった数秒でキョウの姿は一回りほど大きくなっていた。


 戦前に作られた二式動甲冑。

 主に戦車兵や補給部隊での使用を想定しており、動甲冑としての性能は大したことがないが、このように着脱と持ち運びに優れる環境防護服としては唯一無二のものだ。

 特に所属勢力を持たないスカベンジャーにとっては、日本で残骸漁りをするにあたり、これが第一の獲物と言って良いだろう。未だ大量に出土する上、値段も需要も安定しているためである。


 先程の狼女が出て行った時と同様、汚染物質の流入警告が鳴り、除染機がうなりをあげる中、キョウは路地へと踏み出してゆく。その眼前に広がるのは灰色に染まる大気と、バラックの山だった。


 ハイブリッドとサイバードロイド、そしてキョウと同じくパワーアーマーなどの強化服、防護服を着た人間達だけがまばらに行き交う廃墟街。

 それが、この日本に現在唯一存在する大型の補給拠点、ニューコエドシティの風景である。



 戦後10年――。

 大戦中ありったけのNBC兵器をぶち込まれた日本は、破壊・汚染されていない地域など存在しない有様となっていた。

 たかだか10年でそれが抜ける筈もなく、復興・再建しようという者とて居はしない。

 もはや政府も無く、民も無く。他国へ逃れられる者は逃げ、行き場の無い者とこの廃墟で稼ごうという物好きだけが、どうしようもなく此処にへばりついているのだ。


 前者――他国へ逃げるための条件は一つ。身体改造を受けていないこと。

 本来ならば容易に思えるその条件も、市街地も民間人も関わりなく無差別攻撃が行われた後の日本において該当者は少なかった。

 それはつまり、遺伝子改良とサイボーグ手術無しに、生身のまま戦後まで生き延びたという事を意味していたのだから。キョウの存在自体が訝られるとはそういうことだ。


 幸運だった、で誤魔化しきれるとも思えない。

 ただ隠れ、ただ生きるだけであっても身体は蝕まれる。そういった場所しか無かったのだから。

 だからこの身体は偽りだ。

 彼はどこから見ても生身の人間にしか見えないようでありながら、実はその身体の全てが――脳神経系を除いた全てが――つくられたものであった。

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