閑話10 "事は、誰も知らない影の中で"
「シャ、シャーリィさん……本当によろしいのですか……?」
「ええ、だから来て。アザミさん」
深夜。誰も他に人影の無いネーデル王国城内のとある部屋で、二人の小さな声が囁いていた。
あれからシャーリィを追いかけたアザミは、思っていたよりも簡単にシャーリィを捕まえ――いや、逆に捕まえられて? 現在、アザミも訳が分からないまま城内に引き込まれた……という経緯である。
「……私、前から気になっていましたから、そう言われて後から駄目はナシですよ」
「私達魔法使いのサガみたいなものだからね……さあ、来て」
シャーリィの誘惑するような言葉と共に、ギィィイ、と重く、誰も使うことが無い重い扉が押し開かれる。
その扉の上には埃を被りながらも、“禁書室”と書かれた文字盤が貼り付けられていた。
「それにしても、どうして禁書室に……?」
「ちょっと改めて調べたい事があってね……貴方の力を少し借りたかったの。便利ね、あの青の媒体の魔術。鍵なんてあってないようなものじゃない。しかも痕跡まで残さないと来た」
「うう……でも罪悪感が凄いです……」
シャーリィは昔、この部屋に入り浸るように魔術を学び――結果、ルーン魔術は覚えたものの、父から「二度とこの部屋に入ることを禁ずる」と、禁止され鍵をかけて二度とは入れなくされていた。
……それも、これ以上魔術の才能という重荷を背負って欲しくないが故に行った行動だったのだが……それはもう、ユウマが若干ながら解決している。
しかし、危険だという認識は変わっていないため未解放のままだった。未だに鍵をかけられた部屋に入るために、シャーリィはアザミの魔術――“代償”の要素を持った魔術で擬似的に――その辺の花瓶の水で――鍵を作りだし、不法侵入しているというのが今現在。
アザミは“もし見つかったら私は処刑かもしれません……”と、よよよと涙を流していたり。でもシャーリィは無慈悲にもそのことすら気づいていなかった。
「アザミさん、明かりとか出せる?」
「よよよ……はい、共謀犯は狐火が出せます……よよよ」
「……何で泣いてるの。まあ、ありがと」
小さな火の点く音を立てて、シャーリィの近くに火の塊が漂う。ランタンより少し暗い程度の明かりだが、夜道――例えばこんな明かり一つ無い部屋を隠れて歩き回るにはちょうど良いものだった。
「1、2、3、4、5……ここだったかな」
「ここがその、ルーン魔術の?」
「そう。私が初めて見たお母さんの本……ルーン魔術への記載があった本棚」
懐かしむように、埃を被った本棚をなぞるシャーリィの後ろ姿を、アザミはただ眺めることしかできなかった。
「……懐かしいなぁ。この手帳がお母様の残した物なの」
「……お手製にしては、随分と綺麗に作られてますね……元々は製本家だったとか? いえ、でも製本家なんて、それこそミストアイランドの代名詞みたいなものですし……」
「ふふっ、私のお母様って完璧主義でね、こういうのを作る時は本物に匹敵する物じゃないと納得出来ない性格だったみたい」
(シャーリィさんみたいですねぇ……)
密かに心の中で言葉を漏らすアザミだったが、シャーリィはそれに気がつかない。
……いいや、別のことに気がついた。といったほうが正しいのかもしれない。手にした本を懐疑的に、上下に軽く振ったりして首をかしげる。
「……? シャーリィさん?」
「…………いえ、ごめんなさい。この本、こんなに重かったっけ……?」
「? 重い、ですか?」
「いえ、きっと古い本だから湿気でも吸ってるか、昔の記憶だから勘違いしているだけだと思う。なんでもないわ」
そういいながらも、違和感は拭えずにシャーリィは手にした母の手帳を丁寧に開き始める。当然、アザミにも見えるようにしながら、自身の家に伝わる秘術をなんのためらいもなく開示してみせた。
「……本当によかったのですか?」
「何度聞くのよ。もう魔術とか魔法の唯一性とか秘伝なんて言っている場合じゃないのよ。そんなこと言ってて完全に滅び絶えたらそれこそ先祖に顔向けできないわ」
「それは、そうですけど……あ、ここからルーン魔術の研究のレポートなんですね……なんだかシャーリィさんがまとめているメンバーレポート? にそっくりですね」
「私の起源だから、似てるのはそういうことかな……そうそう、最初に学んだのがこの文字でね、試しに使ったらバルコニーで焚き火をしちゃって……」
「え、ええ……」
シャーリィの懐かしむようなトンデモ発言に、少々驚き引きながら反応するアザミ。その後は無言で何枚かのページをじっくりと二人がかりで読み続ける。
内容はアザミにも見覚えのある魔術だった。
Kano、Isa、Hagall、Nied――どれもシャーリィが魔術戦をする際に扱っていたものだ。レポートにはその文字の解釈の幅――KanoをKanoとして扱う方法など、綺麗な文字で書かれている。
「……それで、ここからが昔の私じゃできなかった領域ね……今でもできるか分からないけど」
「持ち出して研究に使ったりとかは?」
「できればやりたい。でもその前に色々下準備で手を打たなきゃなぁ……ん?」
丁寧になぞるようなシャーリィの手が、不意にピタリと止まった。
そして再び、まだ読んでいない残ったページの厚みをなぞって、何かに取り憑かれたかのようにシャーリィはページを流し読みし始めた。
「………………」
「シャーリィさん? どうしたのですか?」
アザミの問いにシャーリィは答えない。
ただ、一心不乱にページを捲り続け、そしてようやく結論を見つけ出して、彼女はようやくその問いに答える。
「……やっぱり、変。この本、ページが増えている……!」
「ぺ、ページが増えている、ですか? そういった魔術でも……」
「いいえ、この本はそんな変な代物じゃないわ。やっぱり重いと感じたのは気のせいじゃなかったって訳ね……じゃあ、何が増えて――!?」
原因を探すようにページをやや雑に捲り続けるシャーリィ。
しかし、その求めていた項目を見た途端、彼女は思わず母の遺品でもあるその手帳を、地面に落としてしまった。
「シャ、シャーリィさん!?」
「……嘘よ、なんで、なんでそんな……」
「……? 一体何が……?」
再び、シャーリィは答えない。
一歩、二歩、三歩。
そこでようやく壁に背が当たって、力なく寄りかかるようにシャーリィは酷く動揺した様子で落ちた本をただ眺めていた。
「……失礼します。魔術的な認識阻害が組み込まれているなら、“代償”の媒体で肩代わりさせられます。精神に作用する魔術が込められているか、確認させて頂きます」
強気に、保険こそあれどアザミは自分を犠牲にする勢いでその本を拾い上げて、ページを捲り始める。
一度見たページを読み飛ばし、知らないページも読み飛ばし、ただシャーリィが手を止めたであろうページを探し続ける。
「……。……、……、ッ!? こ、これは……!?」
該当するであろうページは、初見のアザミですら容易に理解出来た。それほどに衝撃的――いや、ありえない記載が、そこには存在していた。
……綺麗な文字だ。文章も綺麗に整列されている。
完璧主義だというシャーリィの言葉に嘘は無いのだろう、とアザミは思考を放棄するように呑気な意見を頭に浮かべる。
だが、そんな空想に逃げず、アザミはそこに書かれていた言葉を、困惑混じりに読み上げる――
「――“異世界に関する観察レポート”……!?」
そこには、その時代には存在しなかったであろう“異世界”という単語の異空間に関するレポートが何件も載せられていた。
本当に実在する異世界らしく、中にはアザミやシャーリィが一度足を踏み入れたことがある物まで存在していた。“砂漠の町の異世界”なんてものは、完全に以前の魔道の密会関連で足を踏み入れた場所の特徴と一致している。
それは、シャーリィの母の時代にその異世界が存在していた“証明”であった。
「どういうことですか……!? 異世界はそんな昔にあるはずが……いえ、あったとしても“異世界”と呼ばれているのはおかしいです……!」
「……そう、よね。ええ……信じられない。頭が痛い……」
「シャーリィさん!? 大丈夫ですか!?」
「おかしい……そんな記憶はない……私に、そんな記憶はなかった……なのに、どうして。誰がこんな……」
……いいや、シャーリィはもう理解している。
このページ、この文字、このレポートの書き方は間違いなく母のものだと。誰かが勝手に付け足した項目なんかではない。
自身の母親が、キチンと調査をした末に残したレポートなのだと、頭痛と共にシャーリィはなんとかようやく認知した。
「…………」
「どうしますか? やはり一度回収して、詳しく調べるべきでは……?」
「駄目。禁書ってのは国同士の関係もある……持ち出すとすれば、宣言が必要よ」
「……昔のシャーリィさん、結構危ないことをしてらしたんですね……いえ、今もですけれど……」
ユウマさん曰く、ギルドマスターも国王もシャーリィも、国家の秘密を簡単に漏らしがちだ――なんてアザミは聞いていたが、今回の件でなるほどと納得する。
そしてそんなことに自分が巻き込まれ、振り回されているのも、いつぞやの夜の彼の忠告通りだ――なんて今更思い出していたり。
「……シャーリィさん、この記述を見て下さい」
「……“この異世界がいつから発生し始めたのかは不明。比較近年だと思われる”……ですって?」
アザミが指をさして示した部分には以前、シャーリィがユウマに言った言葉がそのまま書かれていた。
……いや、寸分違わず同じ内容が書かれていることが問題ではない。問題なのは――
「お母様の時代でも、異世界は比較的近年のものだった……?」
「で、ですけど私達――転生使いの概念が五年前程度に樹立して、それから異世界の概念ができたのですよね!? 矛盾しています……!」
「矛盾……ええ、辻褄が合わない……どういうことなの」
異世界も、転生使いの概念も、こちらからすれば比較的近年に樹立されたものだ。なのに、この過去の遺物にも同じく“近年”と書かれている。
それはおかしいとシャーリィは確信する。なぜなら、その異世界の概念を国々が制定した瞬間に、彼女は王女として参加している。目の前で執り行われた事が嘘な訳がない……そう確信していても、目の前の矛盾と異常で頭が痛くなる。
「やっぱり、この世界は何かが狂っていると思う……私達も知らず知らずに、そんな世界の影響を受けているのかもしれないわね……」
「……シャーリィさん、今し方思い出したことなのですが、あの怪物――異世界で魔道の密会の魔術師の成れの果てが言い放った言葉を覚えていますか」
「…………」
――――覚えておけ時代遅れの魔法使いの残りカスども! 貴様らの薄っぺらいプライドが、この壊死した世界を悪化させているのだとなァ――
……確か、一言一句違わずそう口にしてたのをシャーリィは覚えている。
壊死した世界……確かに、この世界の異常を一言で言い表すなら、その表現はおかしくない。異世界という壊死が進行しつつある世界を、死につつある世界と呼ばずに何と呼ぶのか。
ならば、あの怪物が言った“悪化”とは何か?
異世界の形成の進行? それとも別の何か? 推測は止まらないが、結論は何処にも見当たらない。
「……とにかく、収穫は想像以上にあった。謎の更にあった……今晩はそういうことにして、今日は仕切り直しましょう。これは……一枚岩じゃない案件みたいね」
「そうですね。今回は犯人の居ない異常ですから……シャーリィさん、頭痛は大丈夫ですか?」
「一応。問題ないし、寝れば治ると思う……頭痛で眠れるかは分からないけど」
「でしたら私の調合した頭痛薬があります。ですから、もうギルドに戻りましょう。ユウマさん達もきっと心配してます」
「ユウマ……ベル、かぁ」
「もう、まだ気にしてるんですかシャーリィさん」
そう言われてシャーリィはバツ悪そうに頭を掻く。
シャーリィは、ベルには悪い事を言ったと今でも覚えている。彼女達の力になろうとして、思わず根掘り葉掘り情報を聞き出そうとしてしまう――それは、シャーリィ自身が自覚している悪癖だった。
いや、謎の追求自体は悪い事ではない。ただ、王女である彼女にはどうしても対等な関係への経験が薄い。どうしても詰め寄るような言い方になってしまう。
「……帰ったら、まず謝ることにするわ。今夜の件は改めて言うことにする」
「謝ったら、ベルさんも誤り返して来そうですけどね……はい、そうしましょう。シャーリィさん、気がついていないと思いますが疲れた顔をしてます。早く撤退して休みましょう」
「……そうね。ええ、じゃあアザミさん、鍵の後始末もお願いね」
「……よよよ、また私は共謀者に……よよよ」
「だからなんで泣くのよ。私が居るでしょ、大体のことは許される王女の私が」
「でもシャーリィさん、王女やめたってユウマさんが言ってましたよ……?」
「都合の良いものは都合良く使う主義なの。というか、私じゃなくてお父様がまだ王女だって扱ってくる筈よ。実際、そのために呼ばれたのだし」
「? その為にですか?」
そのために呼ばれた――その言葉に、アザミは首をかしげる。
そういえば、政治的に厄介な事になるとは聞いていたが、アザミもユウマ達も詳しい内容を聞いていないことをアザミは思い出した。
「ええ、だって今月は私の誕生月なの。王女殿下の祭典が月単位で行われるのに本人不在じゃ問題でしょ?」
「ああ……シャーリィさん、誕生月だったのですね! おめでとうございます! シャーリィさんにとって今年も良い一年であることを祈りますね」
「ん、ありがと。貴女が最初に祝ってくれた人ね。それで、祭典で顔を出すことになるんだけど、その時はユウマと一緒に私についてきてくれないかしら? ちょっとしたサプライズを用意しててね……」
「さ、サプライズ……ですか」
シャーリィの小悪魔な笑みを見て、アザミは直感する。
これは、ユウマさんの言っていた“シャーリィが人を振り回すときに浮かべる笑み”なのだと。そしてその被害者は、哀れにも自身とこの場に居ないユウマさん達なのだということを――
「さあ、帰りましょ。祭典はまだ先の話だから、心の準備をしておいてね」
「は、はい……ユウマさんにも伝えておきますね」
「んや、私はベルに一言言わなきゃいけないから、その際に伝えておくわ。貴女も結構疲れ顔よ? お互いもう休みましょ」
「……はい、ですね。では、早く戸締まりをして退却しちゃいましょう」
……こうして、新たな謎を掘り起こしてしまった二人の人影は書庫を立ち去り、闇に消えていく。
ただ、突き当たった謎が、まだ自分たちではどうしようもないという事実を噛み締めながら、彼女達は帰路につくのだった。




