閑話9 臨時会議/事の元凶と組織命名について
「……それで、言っている事に嘘は無いわよね?」
ネーデル王国城のとある一部屋。
シンとした雰囲気かつ白塗りで統一された部屋の中、シャーリィは目の前に拘束された男を前に尋ねる。
その男は、以前ユウマによって助け出され、そのまま連行された“魔道の密会”の唯一の生き残り。たった今、彼は尋問を受けている真っ最中だった。
「……そうですね。今のところ装置上では嘘は口にしていないと判定が出ています……再三言いますが信頼度はそこまで高くないので目安程度にお願いします」
その問いに答えるのは、男ではなく隣に立つ白いローブを着た“研究員”と呼ばれる役職の女性だった。拘束された男にケーブル越しで繋がれた装置を眺めながらそう答えるのだった。
ネーデル王国の城内には“研究科”という様々な分野に関して研究を行っている部署のようなものが極秘裏に存在している。
主な功績は革命的なものからしょーもないものまで。
一番の功績は微生物の概念の発見、細菌学の樹立であった。ちなみに最近アツい研究は“低温水による肉の調理法の確立”である。シャーリィには正直、その価値がまっったく分からなかったり。
「わかってるわ。なるほどね……ミストアイランド、か。アイツが居る国よね、確か」
「アイツが何を指しているのか、察した上で言うならその通りです。以前の謁見でシャーリィ様と大いに喧嘩したあの――」
「あ"ーもう! その話は良いから! つかここですんなっ」
「も、申し訳ございません……!」
本気でではなく、じゃれ合うような怒りをシャーリィは研究員にぶつける……一方で、男への懐疑的な目は常に外さない。
それは拘束されている男にとっては恐れに繋がるものだった。常に“視られている”という不安感。それが男の心の隅をジワジワと火で焼くように焦燥感に近い感情に駆らせるのだ。
「それで、“ガラスの魔法使い”については本当に何も知らされていないの?」
「ほ、本当だ。見れば一目で分かるとは言われただけで、正体なんて想像がつかない……ガラスを媒体に使う魔法使いなのか、あるいは魔法適正が“ガラスの概念”に特化した魔法使いなのか……」
「……判定は」
「フラットです」
「専門用語はやめてよね。嘘かどうかよ」
「失礼しました。装置上は嘘はついていないと判定しています」
「…………」
シャーリィは腕を組み、顎に手を当てて考え込む。
ガラスの魔法使い――それがベルを指していると聞いた当時はそう判断していたが、今冷静になって考えるとその決めつけは、あまりに短絡的なのではないだろうか? と彼女の中で迷いが生じていた。
確かにベルは記憶喪失で素性が不明だ。その上、魔法――しいては、シャーリィの家に代々伝わる転生の技術を知っている。魔法使いの可能性が高い……が、そこで一つの疑問が浮かぶ。
(そもそも、仮にベルが敵の目的だとしても、彼女に何を求めているのかが全く分からないのよね……)
確かに彼女は叡智をもたらすように様々な知識を持っている、とシャーリィは評価している。しかし、だからといって他国の魔術使いに呼びかけてまで欲する存在なのだろうか――そう考えると、頭に疑問が浮かぶのだ。
だとしたら、無くした記憶に何か重要な事があるのか――と、考えた辺りでシャーリィは溜め息をついた。
「……無いものをどう推測すりゃ良いのよ」
つまり、考えるのを諦めたのだった。
そもそもミストアイランドの連中が、ベルが記憶喪失だと知らない可能性もある。そうなれば連中が欲しているものをベルは持っていないだろう。
――とはいえ、だからといってそう易々と彼女をミストアイランドの元凶に差し出す気など、シャーリィにはない。
「……決まりね」
「? シャーリィ様? 一体何を……」
……そう。“考えるのを諦めた”というのは同時に、シャーリィのいつもの癖――悪癖に近い発想が生まれた瞬間とも言える。
「だったら殴り込みゃ良いんでしょ。その指示を出した元凶を、ミストアイランドに乗り込んでね」
「……!? しょ、正気ですかシャーリィ様!?」
「ええ、か~な~り正気。あとその台詞、また後で言わせるから覚悟しといて……ほら、撤収するわよ。機械も椅子も、全部片付けて」
「ああええっ、お待ち下さいシャーリィ様!」
そう言いながら、男に貼り付けていたケーブルを慌てて引き剥がし、男を座らせていた椅子や装置を乗せていたテーブルを持ち上げて、研究員は牢獄から慌てて抜け出した。
「お、おい……! 待ってくれよ! 俺はずっとこのままなのか!? ずっとこんな真っ白で何も無い部屋に閉じ込められ続けるのか!?」
……と、二人が完全に撤収する前に、拘束されている男が叫ぶ。
「……まあ、そういうことね。死ぬよりは良いでしょ」
「こんな、こんなの苦しい……息苦しいんだよ! 何も無いこんな場所、生き地獄だ!」
「まだ本当の地獄に落ちる前に、今まで犠牲にしてきた人々に祈りを捧げられるんだからまだ良い場所でしょ。努力次第で煉獄で済むかもしれないわよ?」
「あ、ああああ……」
男はもう、発狂が近い状態であった。
数日も前から彼はこの何も無い、真っ白な牢獄に閉じ込められている。
明かりは十分ある。息苦しいと彼は訴えたが空気の循環も全く問題ない。食事も一日に三度提供され、厠もベッドもある。
ただ、それだけだ。永遠にそこでの何も無い生活が続いていく――そう考えるだけで気が狂いそうになるから、男は自身の未来を考えられない。
「まあ、牢の鍵は閉めたから今拘束は解くわ。……Hagall」
そう言うとシャーリィは片手間に転生して、男の拘束具に刻み込まれていたルーン文字を発動させる。バチン、と音を立てて男を拘束していた物は千切れて身は自由になった。
「――――」
……そう、身が自由になっただけ。
魔道の導きのままに、我らの昇華のために――その理念を掲げて多くを犠牲にしてきた組織の生き残りの末路は、導きも昇華もない、永遠の足止めであった。
■□■□■
「――と、いうのが尋問の成果だったんだけど」
城での一仕事を終えたシャーリィは俺の部屋のベッドに腰掛けてそう語った。
……いやあの、この人家主を差し置いて一番くつろいでるよ。アザミは椅子に座っているのはいいとして、俺の席が壁なのは少し納得がいかない。この前もこんな感じに壁に寄りかかっていたんだぞ俺は。
「……で、なんなのよこの集まりは」
……と、そこでシャーリィはようやく俺達の集まりの目的に触れてくれた。
まあ、こんな狭い部屋で転生使いが三人、ベルも含めて四人集まっていたらそりゃなんの集まりだこれと思うよな。
「何って、組織の命名会。ほら、シャーリィも参加してくれ。リーダーだろ」
俺はシャーリィに向けてそう言いながら手をパンパン、と叩いて意見を促す。
そう、この集まりの目的は俺達の所属している組織の命名をするというものなのだ。だっていっつも組織組織って、俺達にも魔道の密会みたいな固有名詞が欲しいのである。
「いやそんなことよりも! 話聞いてた!? ミストアイランドに攻め入る件も、ベルが“ガラスの魔法使い”と関与している可能性があるって話とか!」
「聞いてた。その上で命名会を開始する。アザミ、問題ないよな」
「はい。いい加減に所属名が無いのは気になってました、私」
「あーもーはい、わっかりましたわよ。もういい、雑に乗ってやるわ」
バタン、とベッドに倒れ込んでシャーリィは議論的にも物理的にも折れた。よろしい、ならば議論再開だ。
「……で、まず俺から提案なんだけど、ガデリアから候補を幾つか考えてもらってて、メモがある――が、俺には読めないのでベル、頼んだ」
『……私もシャーリィ寄りの意見だったんだがなぁ。まあ、サッサと済ませて話を戻そうか……えっと、何々……』
メモの上にガラスを近づけて、ベルが見やすいようにして彼女の読み上げを待つ。
文字自体は読めないが、七個ぐらい名前が羅列されているように見える。頑張ったんだな、ガデリア……
『うーん、シャーリィ団』
「ダサくて恥ずかしくてヤバいから止めて。人の名前を使わないで」
即否定が割り込んできた。
でも確かに人の名前を組織名として名乗るのは俺も――ちょっと面白そうだけど――ナシな意見だ。
速攻で拒否されたので、ベルはさっさと続きを読み上げ始めた。
『ツインスターズ……いや、これはアザミさんを考慮してないな』
「なっ……!? 私、ハブられてます!?」
『いや、この提案がアザミさんの加入前だったからってのが理由だと思うぞ』
「じゃあ素直に数増やせば良いんじゃないのか? ツインの次ってなんだっけ」
「トリオ。でも私達ってそんなスター要素無いし、今後メンバーが増えたらまた変える必要あるから却下」
「むむ、難しいな……すまんガデリア。希望が通るか怪しくなってきたぞ。文字読めないけど」
アレもナシ、コレもナシ、と次々と読み上げられては却下されていくメモの名前一覧。ああ、すまないガデリア。君の意思を俺は上手く引き継げなかった……だって文字読めないし。
「で、では私から……!」
そこで不意に、アザミが席を立って手を掲げた。いや、別にそんなことしなくてもそう言ってくれれば話は聞くんだけど……まあ、今に始まったことではないか。
「む、アザミさんから意見が出るとは思ってなかったわ」
「え、ええっと、具体的に決まってるわけでは無いのですが、私達の組織は一応王国に関与していると聞きました。ですので、騎士兵隊のように特殊部隊感のある名前が良いのではないかな~と」
「…………確かに、立場上孤立する名前よりかは王国所属って感じを出した方が良いかもしれないわね」
おお、シャーリィからまさかの可決が下りた。確かにアザミの言うとおり、立場だとか気にするとそういう意見も正しいだろう。仮に魔道の密会とか名乗ったら王国に所属してる感とか全く無いし。
ただ、可決したとはいえ具体名が出たわけでは無い。大きな進歩なのは違いないが、あくまで方向性が決まっただけだ。
「参考程度に特殊部隊名を挙げるけど……最前衛戦闘部隊『ファーストエンド』、包囲専門騎馬隊『クランベリー』、特殊弓兵部隊『ヘレシーアロー』……一部はそんな感じかな」
「えっ……やだ、かっこよ……」
「絶対反応すると思った。私からすれば恥ずかしいと思うんだけどねぇ……横文字の名前とか要らなくない?」
「要る!」
「要ります!」
『なんでこういう時に息ぴったりなんだ!?』
その部分の名前は要る。絶対に要る。こっちにはアザミが味方に居るんだ、真っ向から“必要”に票を入れるぞ俺は。ところでなんでアザミはこっちサイドなの?
「……もうわかったって。取り敢えず部類は特殊部隊。対異世界部隊とか、転生使い部隊とか、そんな感じで良いでしょ」
「対異世界部隊に一票」
「転生使い部隊に一票入れます」
「…………」
「…………」
『なんでそこで意見が割れるんだよ!?』
なんで……なんでなんだろうな? でも俺は受けて立つぞ。若干怖い睨み方で俺のことを睨んでいるけど、俺は負けないぞアザミ。でも力勝負は止めて欲しい、絶対勝てないので。
「んじゃ、リーダーの私がその辺の決定権を預かることにする。それで良い? 二人とも」
「……はい。考えて下さるなら、リーダーのシャーリィさんに任せます」
「む……じゃあ、俺も任せるよ」
『ああ、良かった。これで話も一件落着か』
あーよかったと、まるでどうでも良いことが終わったみたいな反応をしているベル。なんだよ、こういうことって結構重大だと思うぞ俺は。なんだよ、頭が良い人にはそういう部分の良さとか重要性が分からないのか!?
「さて、一件落着したところで尋ねて良いかしら、ベル」
『ああ、“ガラスの魔法使い”についてだろう?』
そんな頭の悪い――いや、俺は決して悪くないが――人の考えを、頭の良い人達はサッサと片付けて、真相に触れそうな会話を再開する。
……個人的には、この真相に触れることが少し怖くて、さっきの話題に逃げていた節があったりするが……いい加減、真面目に向き合う時なのだろう。
『結論から言おう……可能性は、高い』
「……!」
ベルからそんな肯定の言葉をハッキリと言われて、俺は思わず身を乗り出してしまう。ガラスの魔法使い……つまり、ベルは魔法使いだって……?
『少しずつ思い出した事がある……私は、“並の魔法使い”って呼ばれていた……らしい』
「並の魔法使い? 並って、普通のってことか?」
「らしいって疑問系な言い切りが気になるけど、確証はないってことなの?」
『ああ、ぼんやりと思い出せた部分だからな……記憶喪失って結構厄介な怪我だな……じれったいよ』
……その感想には大いに同意する。
掴み所が無い感じと言えば良いのか、そもそも自分が何を忘れているのか分からない不安感でモヤモヤして、じれったいという表現は同じ記憶喪失としてよく分かるのだった。
「そう……じゃあ、国が貴女のことを求めている理由について、何か心当たりは?」
『それが、全くないんだ。これは断言できる。だって私は“並の魔法使い”だぞ? 天才でも秀才でもない、その辺に転がっていそうな――』
「――待った、そもそもその認識がおかしいわ」
ピシャリ、とそこでシャーリィから突然待ったがかけられる。
「今はもう、魔法使いなんてその辺に転がっているとか、並程度とかそういう表現ができるほど存在していない」
「……! 確かに、そうです。何か妙な引っかかりを感じるとは思いましたが……ベルさんの記憶では魔法使いが多く居る……ということでしょうか」
言われてみれば……それは確かにおかしい。
魔法使いは希少な存在だ。俺みたいなじゃじゃ馬な転生使いですら、ギルドが特例で迎え入れるほどのイレギュラー。そんな現環境で“並の魔法使い”だなんて陳腐でありふれたような表現をするのは、何かおかしい。
なんというか……彼女の記憶と俺達の間で、価値観の齟齬が起こっているような、そんな気がする……
「ベル、貴女は何者なの……? いえ、いつの時代の魔法使いなの……?」
「いつの時代の、魔法使い? な、なんだよそれ、まるでベルが過去の人間みたいな言い方じゃないか……!?」
「そうね……私の推測だと――いいえ、根拠が無いし、何より不要な混乱を招きたくないから言うのは止めておく……」
『…………』
「でも、ベル。貴女には間違いなく普通じゃない事情を抱えていることは確かよ。こうしてガラスに映し出されている以前に、貴女は何かを抱えている」
勝手な推測を語るのを止めながらも、シャーリィはベルに向けてそう冷静に言い放ってみせた。俺は……俺は、何も口出しできずにシャーリィとベルの様子を交互に伺うことしかできないでいる。
……そんな膠着状態の中、最初に動きを――首を横に何度も振って――みせたのは、ベルだった。
『……わからない。わからないよ、私には』
「そう……わかった。そうしておく……でも何か思い出したらその時はすぐに教えて。こればっかりは貴女に関する重大な件だから」
『……ああ』
俯くように、ベルは力なく答える。
「…………」
「…………」
『……』
……沈黙が、痛い。
三人とも――いや、俺もか――シンとした冷たい空気で、まるで身内の誰かが死んでしまったかのような重苦しい、そんな嫌な空気が漂っていた。
「……ハァ」
その様子を見てシャーリィは、一度俺やアザミを見て、申し訳なさそうな顔を浮かべて小さく溜め息をついた。
絹のような髪をガシガシと掻きながら、申し訳なさそうな顔を浮かべて"あーあ"なんて後悔の呟きを言いたそうだった。
「……私ったら、空気を悪くする才能でもあるのかなぁ」
「し、シャーリィさん……そんな自分を責めるような言い方は良くないですよ」
「ごめんなさいね、ベル、アザミさん、ユウマ。強い言い方しちゃったけど、仲間として心配なのは本心だって事は伝えておく。私も、貴方達の無くした記憶を取り戻す手伝いがしたいって心もね」
「シャーリィ……」
最後にそう謝罪の意を込められた言葉と共に、シャーリィはこの部屋を立ち去ってしまった。
「ッ、あ、おい! 何処に行くんだよ!?」
なんというか……また自己犠牲紛いをして変に抱え込む癖は治りきってないな、シャーリィ……!
はやくシャーリィを追いかけて、説得というか、「そんなことはない」と彼女を励ますような言葉の一つでも――
「……ユウマさん。シャーリィさんは私に任せて下さい」
「ッ……? アザミ?」
「ユウマさん、きっとシャーリィさんに何か慰めの言葉でもかけようとしていたのですよね。ですが、彼女に寄り添う言葉を語れるのは貴方だけなのです……ですから、シャーリィさんは私に任せて下さい」
「彼女……? えっと、アザミ? ちょっと――」
バタン、と続いてアザミの手によって閉められる部屋の戸。
よく分からないまま閉ざされた戸から振り返って――ようやく、この愚か者はその意味をやっと理解した。
『…………』
静かに、何も言わずにただ落ち込んでいる様子だった。
決してシャーリィの言葉に傷ついたとかではなく、ただ自分に対する複雑に絡み合った感情が、彼女をああしているのだと雰囲気で理解出来る。
「……ベル」
彼女が立てかけられたテーブルの近く――俺のベッドに腰掛けて、囁くように俺は声をかけた。
『……実を言うとだな、ユウマ。お前に秘密にしていたんだ、私が魔法使いだって記憶を取り戻していたことを』
「…………」
――それは、どうしてだ? なんて聞きたくなってしまったが、今は我慢する。
そんな俺にとっては純粋な興味本位の問いが、もしかすると彼女を傷つけてしまうかもしれない――そんな気がしたからだ。
『お前に嘘をついていたんだよ、私は。一緒に記憶を取り戻そうって――でも、思い出したことを言い出すのが怖くなったんだ』
「……怖くなった?」
『うん……お前は昔、記憶を失って改めて新しいことを知るのは楽しみだって言っていたな。でも、私は逆なんだ……怖い。怖くて、仕方ないんだ……過去に向かって歩くのが』
身を縮こませるように、ベルは答えた。
俺から目を逸らして、恐怖心に身を震えながら彼女は続ける。
『記憶を取り戻せば取り戻すほど、今の自分が大きく変わっていく――いいや、過去の私からすれば元通りになっていくと言った方が正しいのかな。“テセウスの船”って言葉があるんだけどさ、古い船の木材を全て変えてしまえば、それは元の船と呼べるのか? という哲学なんだ』
そういう哲学には明るくないが、今の解説でおおよそ彼女が言いたいことがわかった……気がする。
『今の自分を解体して、元の自分に置き換わった時、そこに居る私は誰だ? 過去の記憶を持っただけの私か? それとも、完全に今を失った過去の私になるのか? ……そう考えてしまうよ』
「過去の自分が怖い、か……それは俺も、同じだよ」
ポフン、なんて軽い音を立てながらベッドに横になって、俺は溜め息のようにそう口にした。そんな様子を、意外そうな目でベルは見つめている。
『俺も同じ……? なんだよユウマ、楽しみじゃなくなったったのか……?』
「いや、そこは変わらない……けれど、あの頃の何も無かった自分から、今の俺は“俺の立場”を手に入れちゃったんだ。だから今のこの時間、この瞬間が恋しくて仕方ない……記憶を取り戻して、昔の自分にこの心地良い場所を譲りたくない」
ある種の独占欲、だろうか。今の俺は“俺”だ。過去の記憶を完全に取り戻せば、きっと今の俺は死んで、過去の俺になる……彼女と同じく、それが怖かった。
『もしかして、あの時の言葉はそういう意味だったのかい? 私とアザミさんとシャーリィ……みんなと居る今が好きだって』
「…………多分、そういうことなんだと思う。確信がないけれど」
『そっか……そっか、うん。そうなんだな』
「なんだよその反応は。俺、変なことは言ってないつもりだぞ」
『いや、別に否定したり馬鹿にする気持ちは無いよ。やっぱり、ユウマと私は同じだったんだなって……』
「それは、どうしてそう思ったんだ?」
今の彼女の表情は柔らかい。だから俺は純粋に、そう尋ねてみる。するとやはり、ベルは柔らかな笑みを浮かべて答えてくれた。
『私も今が好きなんだ。人は足を――“成長”を止めてはならないけれど、それでも立ち止まりたくなる。記憶を取り戻す義務感と、今のままを楽しみたいっていう義務を投げ捨てたい気持ちが、きっと私とユウマの中にはあるんだ』
「そうだろうな……うん、あいまいな感情が、ベルのおかげで言葉になった気がする」
足を止めてはいけない、か……確かにそんな“記憶を取り戻す”という義務感に駆られて、俺達はずっと歩き続けていた。でも、今を失うぐらいなら、足を止めて停滞してしまうのも悪くはない――そう思えてしまったりもしている。
「つまり、俺に記憶を取り戻していたことを隠してた罪悪感と、その今のままで居たい気持ちがあってあんな暗い顔をしていたんだな」
『……人の心を当てるのが上手いよ、ユウマは』
「良いことなのかな、それ……まあ、とにかくベルはそんなこと気にしなくて良いんだよ。二人二脚だなんて言ってたけど、お互い別の人間だ。だったら、秘密にしていたいことだって一つや二つあるだろ。それを打ち解け合いたいから二人二脚って名乗ったわけじゃないんだよ」
そう、俺達は一蓮托生とはいえ、いくら何でも限度がある。
他人なら当然、シャーリィと国王のように肉親同士でも秘密を抱えていることもある。俺達だってその例外じゃない。
『気にしなくて、良い……』
「ああ。そうだ。なんだったら、今からベルを置いていって俺だけの秘密を作ってきてやろうか? 一生ベルには話さない秘密をだぞ?」
『……フフ、なんだその元気の付けさせ方は。ユウマはやっぱりお馬鹿だよ』
お馬鹿、か。
何度も言われたフレーズだが……もう今はそう呼ばれても別に構わないとすら思えている。それぐらいに、今の自分とこの時間が大好きだ。
「ああ……誰かが笑顔になれるなら、俺はお馬鹿で良い。それが俺の恋している人ならば、もっと良い」
……そういえば、シャーリィ達はどうなったのかな。なんてそんな呑気なことをぼんやりと思い浮かべながら、俺はベルとそのまま他愛ない語り合いを続けるのだった――




