Remember-78 ――/――
……ユウマ達を乗せた馬車がネーデル王国に向かう途中。
野宿で夜を越そうと皆が寝静まる中で、一人だけ深夜に動く人影があった。
獣の耳を動かして、他人の馬車の中がどうなっているか――寝息が聞こえるか、アザミは注意深く警戒しながら音を立てないように慎重に馬車を降りて、そのまま平野を歩いて他の人達から彼女は距離を取る。
……月は発酵して膨らむパン生地のように、以前よりも満ちていた。
そんな月下でアザミは同じく以前通りの手慣れた動作で簡易通信装置を起動して、ノイズの向こうから聞こえる声を待つ。
『……待たせた』
「はい……私です」
『ああ、分かっているさ……どうした。そもそも君と私以外にこの通信に答える人間は居ないだろうに』
「そう、でしたね……ハハ、少し疲れているかもしれません」
自分でも可笑しな受け答えをしてしまったことを、アザミは笑って誤魔化すように流す。実際に異世界での連戦での疲れでユウマやシャーリィは深い眠りに落ちているのだ。それはアザミも同じだが、この連絡のために体に鞭を打っている。
『疲れているなら、無理に連絡しなくても良かったと思うが……いや、お疲れ様と言っておくよ。そういえば、あの件はどうなった?』
「はい、その件ですが――」
装置越しの問いにアザミは包み隠さず、起きた出来事を伝える。
魔道の密会との戦闘、その際に一人が魔道具を使って流転して村を襲おうとしたこと。しかし、孤島の異世界に逃げ込んだ怪物を別の組織と共に討伐して防いだこと――包み隠さずに話した。
『……そうか。そんなことが……気になる点は多いが、まあ良いだろう。それで、これは私の推測だが――私に何か言いたいことがあるのではないか?』
突然、キッパリと腹に抱えていたものを言い当てられてアザミは動揺し、一筋の汗を流す。当然そんなことはノイズ越しに伝わらない……が、この相手に嘘は付けない。アザミは正直に、むしろ言いたいことを話す好機だと捉えて口を開いた。
「…………はい。先程は疲れなんて言いましたが、本当は言いたいこと、聞きたいことがあって緊張しているんです」
『そうか。まあ、肩の力を抜いて構わないよ……私に君の自由を怒るような権利は無いのだから』
「そんな……そんな姿勢じゃ駄目ですよ。自分の心はちゃんと前に出さないと、本当に言いたいことが言えなくなってしまいます」
……と、思わず言葉に熱が籠もってしまったことをアザミは言い終えてから理解して、あっ、と声を漏らす。
ユウマから受けた影響は少なからず彼女に影響を与えていた。装置越しの弱気な返事に対して、アザミは普段は言わないようなキッパリとした意見を唱えてしまう。
『珍しいな……君がそんな言葉を口にするだなんて。ああいや、嬉しい話だよ。正直、君は昔から謙虚過ぎたからな……何か切っ掛けでもあったのかい?』
「はい……私に“主役”を教えてくれた人がいたんです……それよりも、話したい件ですが――」
言いたいことを話すチャンスを逃したくない意思と、ユウマの件について話すのが少し気恥ずかしくなったアザミは、話題を切り替えるようにそう切り出した。
「その、貴方の存在をやむを得ず開示することになりました……ただし、貴方の正体、行動の目的などは話していません。孤島の異世界についての情報提供者として説明しています」
『……フフ、それで私が怒ると思ったのかい。別に構わないさ。組織――いや、君の仲間への説得に必要な情報だったのだろう?』
「寛大な対応、ありがとうございます……」
見える訳でもないが、アザミは装置越しに深々と礼をする。
別に通信相手が怒ることを恐れてはいなかった。ただ、相手にとって不利な状況になってしまうような、そういった自体を何よりも恐れての報告だった……が、反応からしてそうたいした支障はないらしく、アザミはホッと胸をなで下ろす。
『それで、だ。言いたいことは今のだとして、聞きたいこととは何のことだ?』
「はい……魔道の密会の一人が口にした単語が気になったのです……“ガラスの魔法使い”。この意味は一体――?」
『……今、“ミストアイランド”で大規模な命令が出てるのさ。その“ガラスの魔法使い”を連れて来れば、国規模の多大な支援を行う……国王が何を考えて求めているかは分からないが、それをその魔道の密会が小耳に挟んだのだろうな』
「そう、ですか…………」
『……? 何かあったのか』
思わず、ベル――あの少女のことを思い浮かべる。きっとガラスの魔法使いとは、彼女のことなのだろう。その彼女を何故、その国王は求めているのか……推測しか浮かばず、アザミは言葉を詰まらせる。
「……いいえ、何も。因みにその特徴は分かりますか?」
そこで、アザミは初めて嘘を口にした。
ガラスの魔法使いなど知らない、と。まるで自分も興味があるようにそう尋ねてみるのだった。
『ガラスの魔法使いについてか? すまないが、私にも何も分からない。ガラスと魔法使い……この二つが結びつかない。どういう関係で、どういう容姿をしていて、どのような魔法を行使するのか――私にはなんのイメージも湧かない』
「そうですか……わかりました」
『……そうだ、最後に私からも聞かせてくれ。その君を変えてくれた人は、一体誰だ? ネーデル王国の王女様か?』
……ネーデル王国の王女、シャーリィも彼女にとっては変えてくれた人の一人だ。カーレン村という小さなコミュニティから外の世界に連れ出してくれた、初めての友達だった。
――けれど、それよりも彼女の心には青年の元気づけるような笑顔が焼き付いていた。雰囲気を読んで、力不足や役割の無さを感じながらも自分なりに考えて奔走していた青年。そして、自分の知らない役割を教えてくれた人。
その時の心地は、まるで生まれ変わって転生したように新鮮で、清々しい心地だったのを、アザミは今でも覚えている――
「いいえ、私を変えてくれた人は、一人の型破りな青年でした……彼の名前はユウマさん。私に主役となる機会を与えてくれた、不思議な人でした」
『…………ユウマ?』
予想しなかった部分で、何か困惑するような声色が装置越しから聞こえて、アザミは思わず首をかしげてしまった。この動作も相手には伝わらないというのに。
「……? どうかしました?」
『いいや、なんでもないさ。ユウマ、か。その青年の名はよく覚えたよ。今度、お礼参りをしなくてはな』
お礼参り――というのは、本当にお礼をしに行くのか、あるいは物騒な方の隠語なのか――アザミには分かりかねなかったが、きっと前者だと信じたいと思った。
……正直、彼女に対してこの相手は過保護な面がある、とアザミは思っている。なので万が一に後者だったとしても……まあ、驚きはしなかったり。その時は止めに入ろうと心に誓うのだった。
『……唐突だが、アザミ。君に頼みがある』
そんな誓いを心に刻んでいるところで、ふとそんな頼み事を言われて、アザミは居住まいを正してしかと聞き受ける準備を整えた。
「はい、なんでしょうか」
『君たちの組織を、“ミストアイランド”に連れて来て欲しいんだ』
「……“ミストアイランド”に? 何故でしょうか?」
『すまないが、詳しくは現地で説明する……魔道の密会が行動を起こした原因に、そのガラスの魔法使いの存在が関わっていて、その元凶がミストアイランドの国に居る――そう伝えれば、きっと君たちの組織が動いてくれる筈だ』
「…………」
……確かに、そう話せばシャーリィさんもユウマさんも黙ってはいないだろう、とアザミは静かに確信する。
特にユウマは無くした記憶を求めている。そんな中、ベルに関する情報を得られる可能性があると聞けば、喜んで飛びつくことだろう。
『嫌だろうか? それならすまない。忘れて貰って構わない――』
「いいえ、わかりました……ただし、メンバー全員の了承を得ることが出来ればの話、です」
確実に了承は得られるだろうが、あくまで社交辞令のようにアザミは答える。
安請け合いは避ける。もしかすればシャーリィが反対する可能性もあるため、この場で自己判断はしないでアザミはそう答えることにした。
『……そうか。どうやら君は良い仲間に恵まれたようだな……私は嬉しいよ』
「はい、私にはもったいないぐらいに素敵な方々でした……貴方にも今度、会わせたいと思っています」
『それは――まあ、いいだろう。楽しみにしているよ……通信装置の燃料が切れる。他に言うことはないか?』
「はい。ありがとうございました」
『……やっぱり、変わったようでも、時折君は元の謙虚な君に戻るな。まだまだこれからも成長するのが私は楽しみだよ』
その言葉を最後に、ノイズは音を増した。相手の通信装置が切れたのだろう。
そのことを理解したアザミは、何事も無かったかのように通信装置の燃料を引き抜いて、懐にしまい込む。
もしも仮に、今誰かにこの姿を見られようが、ただ夜風に当たりに来たようにしか見えないだろう。
「――――」
……そうして、彼女は空を見た。
空は暗く、月明かりを除けば、小さな星明かりしかこの世界には存在しないような錯覚を感じる。
――夜の帳は下りている。一日は終わり、舞台は終演を通り越して何も無い。
……だが、また朝日が昇ってくるように、私自身の終わった舞台が、再び幕を上げ明かりを灯し、今度は一人の主役として登場する――そんな可能性を、少女は儚げにそんな“希望の夢”を見上げていた。




