Remember-72 開戦の一矢/海中の死闘、地上の戦闘
「ごぼ――っ!?」
勢い良く背中から海の中へ叩き落とされて、肺の空気が思わず全て飛び出してしまう。マズイ、それはとてもマズイ状況だ。
転生使いでも、俺は人間であることには変わりない。水の中に落ちれば当然、溺死の危険が付きまとう……!
(っ、泡をかき集めて……こうなったら、瓶の空気も……ッ!?)
勢い良く海に落ちたことが不幸中の幸いというやつだった。周囲には大量の気泡が地上に向かって浮上している。俺はそれを咄嗟にかき集めて、呼吸用の空気の塊を口と衣服の中に固めて酸素ボンベを擬似的に作り上げた。
……だが、問題はそれだけじゃないことに今気がついてしまった。シャーリィから渡された大量の瓶がどこにも見当たらない。
海に落とされる直前まで腰に袋を下げていたのだが……どうやら落下の際に崖上に落としてしまったらしい。
(持っているガラス瓶は……ポケットに詰めていた四つか……)
すぐに使えるように、と念には念をの精神で準備していたのが功を成した。心許ないが、使える武装が一応手元に存在している。
(使える武装はある程度の空気、瓶が四つ、近接武器二種類が一対、そして――)
――そこで、ある違和感に気がついた。
「……? ッ……!? 何故だ……!? 水に“形”を上手く与えられない……!」
『水に形を与えられない……? まさか魔力の不調か!?』
「いいや、そんな理由じゃない……ないんだが、理由が分からない……!」
今まで、水に関しては空気や土、電流なんかよりも上手に扱えてきた。
だが、今はなんというか……境目が視えない? 水に形を与える切っ掛けが見つからない状態と言うのか――
『……推測だが、もしかしたら、水中だからじゃないのか? 地上で空気に上手く形が与えられないように、水中では逆に水に形を与えられない――現に今、ユウマは空気に形を与えて酸素ボンベを作れているじゃないか』
「た、確かに……そうか……そうなのかもしれない……水中では水は空気みたいな使い方しかできないってことか……!」
……しかし、空気とは違って水は圧縮できない。
つまり、普段よりもあまりに使い勝手が悪い。水流なら自在に巻き起こせるのだが、空気の様な爆発力を水は持たない――
『……! 待てユウマ! そんなことよりも、あの怪物は何処に行った!?』
「……ハッ!?」
そこでいい加減に、自分がとんでもない呑気をしていたことを自覚した。
そうだ、そうだよ。たった今その怪物に襲われて海の中に居るんだから、まず最初に視るべき存在は敵だって分かっているだろうに、このお馬鹿め……!
しかし、その肝心の敵の姿は何処にも見当たらない。左右を見回してもそれらしい姿が見えなかった。
……おかしい、あの時確かに一緒に落ちた筈だし、俺をまず殺すと宣言して――やっぱり、知性が以前よりも高くなっている気がする――襲ってきたんだ。このまま水底で放置するだなんてことはしないだろう。
『……? 影……――! ユウマ、上だ! 横に避けろ!』
「ッ、何――ぐおッ!?」
突然の警告を耳にして、俺は脊髄反射で貴重な空気を使い、推進力として放って回避運動を行った――直後、まるで雷のように“何か”が垂直にドボン! と音を立てて落ちてくるのを水中を舞う気泡で感じ取った。
「……いつまで経っても、水面に首を出さなかったのはそういう手品か」
「お前……やっぱり、喋ることが出来るんだな……」
怪物が忌々しそうに納得の声を響かせている。この怪物の口ぶりからして、もしも空気を求めて海面に顔を出していれば、アッサリと殺られていた――そう直感する。
それに、やっぱり知性が以前より高い。この人間のような流暢な言葉も、俺を確実に殺す作戦を立てる発想も、この怪物は人間と同等かもしれない。
「“魔道の導きのままに、我らの昇華のために”――ク、フフ……フハハ、ハハハハハッ! 見ろ! 時代遅れの魔法使いめ! これが魔道の導き! 俺をこの存在にまで昇華させた力だ!」
「ッ、昇華だと……? 道を踏み外した魔術使いが良くほざく……!」
自身の異形を昇華と表現する、蛇のようにうねり俺を睨みつける存在は、まるで誇らしい偉業を成し遂げたかのように高々と笑った。
少なくとも、それが昇華だとか偉業だとは微塵も思わないし、それに至るまでに一体何人の村の人々や子供を犠牲にしてきたんだよ、この外道め……!
「……さあ、貴様をなぶり殺しにしてくれようじゃないか。感謝して歓喜しろ、魔法使い。この俺の記念すべき最初の魔法使い殺しは貴様なのだからな……!」
「怪物に成り下がったヤツが、まるで人を見下すように言うんじゃない――ッ!」
『待てユウマ! 少し冷静になれ!』
「この程度で頭に血は上らない! それよりも、ヤツの舐め腐ったあの口を叩く!」
売り文句に対して買い文句だ。冷静さを欠いたわけではないが、一発決めてやる“やり方”なら頭の中で設計図が出来ている……!
……空気なら先程のヤツの奇襲で舞い込んだ気泡で、十分に補充できている。
俺は両手に持った瓶の蓋を開け、中に空気を圧縮して入れる。しかし、今回は蓋をして密封するわけではない。
事実、水中で投擲は不可能だ。ならば、投擲物そのものが推進力を持てば良い……!
「ッ、空気魚雷――!」
圧縮空気を封入した二つの瓶は、その場で爆発することなく、空気と水をきりもみ状に噴出することで推進力を持って射出される――!
「ッ!? なんだコイツの魔法は――ッ、ぐ! ゴアッ!?」
「間合いは完璧だ……逃げる判断がスットロいぞ、このクソッタレめ……!」
……初速こそ遅かったが、途中からは指数関数的に――ベルからの受け売りの言葉だが――加速し、一気に怪物の懐へ到達したところを、俺が目視で位置を把握して爆破させた。
あの怪物の鱗がどれ程の硬度を持っているかは知らないが、少なくとも以前の怪物の岩盤よりかは柔らかいに違いないだろう。
だからあの至近距離での爆発なら、ガラス片で中々の深手を――
「ぐぅう……ッ、なんだ……変わった手だと思ったが、この程度か。拍子抜けだな」
「……なに!? どうした! 何故威力が低い!?」
『ユウマ! 今の攻撃は爆弾と違って圧縮空気を起爆剤だけではなく推進力としても使用している! そうなると威力は低下する筈だ!』
「…………!」
……計算を間違えた。ただの空気爆弾や空気地雷と同じ要領で威力を想定していたが、与えたダメージはその半分程度だった。
敵に負傷こそ与えているが、相手の口ぶりからして大きなダメージではないのは見るからに分かる。
「貴様がその程度なら、こちらから本当の力をみせてやる!」
「ッ、こうなったら……!」
俺は右手で一本のコテを取り出して、左手にはシャーリィから貰った、ベルの分の珈琲の小瓶を取り出す。そしてコテの面に押しつけて瓶を割り砕き、中の珈琲を漏洩させて――今度こそ、完全な形を与える。
水の中で水に形は上手く与えられないが、色の付いた液体になら境目が分かる。地上と同じく形を与えて、シャーリィの魔術による長剣のように、コテのリーチを伸ばして剣のようにしてみせた。
「む……! また妙な魔法を……!」
「遠距離戦が駄目なら近接戦だ! それにさっきの攻撃は無駄じゃない……弾数は心許ないが、堅実にやってやる……!」
『気をつけろよユウマ、相手の動きは素早いぞ! 守りに徹しながら隙を伺うんだ!』
「わかってる! ……今度こそ得意な防衛戦で、隙を狙う逆転戦術か……いいね、やってみせるさ」
念のために残り二つの空気の入った瓶を近くに浮遊させて――浮いてしまわないようにその場に固定する程度の水への魔法はできた――もう一本の普通のコテを取り出して身構える。
『……しかし、シャーリィ達は今何をしてるんだ……? 流石にこの状況、援護が欲しいんだが……』
……ベルの言うとおり、一つだけ気かがりなのはシャーリィ達は今、一体何をしているのだろうか――
■□■□■
「――チィ! なんなのよこの……ああもう! 怪物が本当に怪物らしく振る舞うんじゃないわよ!」
崖上に一人取り残されたシャーリィは、決して呑気にユウマの身を案じている状況ではなかった。彼女もまた一人で一体の怪物と戦闘を繰り広げている。
あの怪物――蛇のような形態になったドラゴンが残していった胴体、翼。
切り離された肋骨はまるで歯のようにガチガチと噛み合わされているし、その口のような部位から、まるで舌を伸ばすように触手が伸びてくる。
しかも、その触手は何度切り落としても、一度引っ込めばまた再生している……いいや、予備の触手が控えているのか? ただ、真っ向勝負ではジリ貧だということだけは、シャーリィは十分理解していた。
「――フッ! ッ、……ぐぅぅ……! 触手もだけど、あの翼の風圧もうっとうしい……! ハッ!」
そんな形容しがたい置き土産の繰り出す触手や翼による風圧を、シャーリィはルーン魔術で形成した長剣で叩き切り伏せ、直後に長剣を地面に突き立てて風圧から身を守る壁を擬似的に作る。
「██████――ッ!!」
「ッ、脳味噌はユウマの方に行ったから、コイツは考えて動いていない……脊椎も存在していない……なら、何で判別しているの……?」
シャーリィの呟き通り、この怪物は何も思考していない。だからといって防衛本能や脊髄反射の反撃でもない。彼女が口にした通り、怪物の脳も脊椎も存在していないのだ。
ならば、考えたり反応するシステムが、何かしらの形で存在している――そうシャーリィは推測する。
(……? 妙ね。攻撃が……止んだ?)
地面に突き立てた長剣を盾にして、背中を合わせて身を守っていると、中々攻撃が来ないことにシャーリィは気づく。
……いいや、攻撃そのものは止まっていない。実際、周囲にある岩や小さな瓦礫なんかをバシン、バシンと触手で叩き潰している。
「あの反応は、何かしらの条件で動くシンプルなモノなのかしら……でも、何を条件に、どうして周辺のガラクタを攻撃しているの……? ッ……!」
身を乗り出して考察しようとしたその時、再び翼が大きく動くのを目視してシャーリィは慌てて身を長剣の影に隠す。直後、風圧が周囲の物体を押し転がした――と、
「██████――ッ!!」
突然、怪物が鳴いた――いいや、発声器官が無いから蠢いたと表現するべきか。まるで何かを察知したように、明確な意思を持って触手を空中に伸ばして何かを弾く。
カラララン……と、軽い金属の音を立てて“ソレ”はシャーリィのすぐ近くへと偶然転がり込んできた。
「これは……アザミさんの、矢?」
この異常に気がついて、援護射撃を開始したのだろう。転がってきたのはユウマが目を輝かせていたあの通常矢の残骸。つまり、アザミさんの放った矢は呆気なく撃墜されてしまっていた。
思わず拾い上げようと手を伸ばしかけるが、咄嗟にシャーリィはその手を引っ込める。今のは決定的な情報だ。あの怪物は、確実に何かを理由に撃墜している。ソレが分かれば、こちらからの攻撃手段が思いつくかもしれない……!
(敵意があるものへの自動迎撃……ではない。それだと周辺のガラクタに攻撃している理由の説明がつかない。音……も違う。私が音を立ててるのに襲われていない)
推測を挙げては、即否定する。
状況を確認すればするほど、答えは出てこない――
「…………ユウマに無謀って、二度と言えないわね」
だからシャーリィは、行動で答えを突き止めることにした。
近くに落ちていた、小さな礫を拾い上げて、怪物に目掛けて投擲する――が、
「……! 軽かったか……翼の風圧で跳ね返ってきた」
礫が軽かったのか、怪物の巻き起こす風圧で容易く跳ね返されてしまった。
明らかに敵意を持って投げたのだが……怪物に反応は無かった。これは攻撃する理由では無いらしい。
「……なら、こいつで――どうよッ!」
シャーリィはポーチの中から予備のナイフを一本取りだして、今度は逆風に負けないように回転をかけて投擲する。
怪物の風圧に逆らい、そのまま怪物の胴体に――当たっても、どうせダメージなんて与えられないが――命中しようとして――
「██████!!」
(!? 迎撃、した……! そうか……あれが理由なのね……!)
今、確かに怪物は明確な敵意を持ってナイフを触手で迎撃した。ガァン、と金属が地面に叩きつけられてひしゃげる音と共に、シャーリィは確信を得る。
(判別方法はあの“風”だった……! あの風は牽制なんかじゃない。レーダーのように周囲を探知するための探知機なのね……!)
さっきから何度もこまめに送り出される翼の風圧。それに逆らうモノ――風に吹き飛ばされない物体を、あの怪物の残骸は敵だと判別して反撃しているのだと……!
(ッ、まるでユウマの魔法を敵に回してる気分だわ……!)
信頼している仲間とそっくりな手口にシャーリィは無意識に怒りを感じていた。小さく舌打ちを漏らしつつ――時間が経てば、この長剣の盾も“風に逆らうモノ”としていずれ攻撃されるのだと彼女は冷静に理解する。
(……こんな状況、悪いけどアザミさんの援護射撃は期待できなさそう……この推測が正しければ、アザミさんの攻撃は全て迎撃される……でも、私に決め手が無いわ)
心の中で自分の実力不足を痛感し、シャーリィは奥歯を噛み締める。
以前から課題になっていたシャーリィの魔法による決定打不足。ユウマのような爆発力やアザミさんのような切り札を持ち合わせていない。故に、こうして一人だけになってしまうとジワジワと押し負けてしまうのだった。
「ッ、ユウマ……アンタ、無事でいてよ……」
心の不安が大きくなって、シャーリィは弱音のようにユウマの身を案じながら、彼が落としてしまったガラス瓶の袋を抱きしめる。
……怪物の攻撃する範囲は徐々に広がっている。シャーリィの隠れている長剣の盾を攻撃し始めるのも、そう遠い話ではない――
〜∅《空集合》の練形術士閑話「空気魚雷」〜
圧縮空気と水流の操作を同時に行うことによる、水中での推進力を持った空気地雷。名前の通り、水中専用技。
ただし、爆発用の圧縮空気を推進力に使い、更に水中であるため、空中よりも殺傷範囲、殺傷力が共に低いのが弱点。
想定では、大量の瓶を一気に発射して数でカバーする技であった。




