Remember-71 開戦の一矢/サプライズ・シューティング ⭐︎
「――さて、やりますか……いえ、やらなくてはなりませんね」
灯台の屋上で一人、長弓を構えた魔女は一人ごちる。
行動を起こす起爆剤のような一言から、自分がやり遂げなければならないという戒めの言葉に変えながら、身を伏せて怪物の様子を伺う。
(地形は聞いたとおり、遮蔽物の無い平地で助かりました……異世界の霧も、此処なら狙撃に支障はあまりないはず……)
状況を把握しながら、アザミは黒い魔女帽子を脱ぎ捨てて、地面の隅っこに――ちょうどさっきシャーリィが蹴り飛ばして集めた照明器具のすぐ側に投げ寄せる。
自身が獣人族だとユウマ達に秘密にしていた時は深々と被っていた帽子だが、邪魔な帽子を脱いで獣の耳を立てて、弓の弦が耳に当たらないようにするのが彼女本来の――ハンデ無しの狙撃のやり方だった。
「…………」
それを、出し惜しみ無しの全力を出せる状況と捉えるか、それほどに追い詰められて余裕がない状況と捉えるか――そう迷いが脳裏に生まれるのを感じて、アザミはビン、と弦を楽器のように弾いて意識に活を入れた。
和弓の弦の音は破魔の力が宿る――のは、流石に大げさすぎる表現だが、少なくともそれでアザミの中に居座ろうとした不安は退散した。大きく深呼吸をして、冷静な目で怪物の挙動を確認しながら立ち上がる。
ここから自分の存在、位置が気づかれる可能性はあるのだろうか。
……いいや、可能性はあるが、それは順番的には後の方だ。もし私達に気がついたとして、真っ先に気がつかれるのはシャーリィさん、そしてユウマさん達だと理解し、尚のこと弓を握る手に力が籠もる。
「……私は、殺人鬼なんかじゃないけれど」
――以前、魔道の密会の連中の一人が、私のことを“殺人鬼”と表した。
きっと彼らは転生者伝説について詳しく熟読していたのだろう……でも、それは残念ながら間違いだ。自身にそんな自主的に動くような能力は無い。カーレン村での隠居生活が良い例だ。
「大切な友人達を、仲間を守る為ならば。私は喜んで敵を穿ちます――」
そんな自分を変えてくれた青年。手紙を介して、こんな正体を明かさないような自分に何度も仲良く接してくれた少女。そして、彼と彼女を影ながら支えているガラスの少女。
あんな素敵な人達を守る為なら、私はその“殺人鬼”とやらを再現してみせよう――
「――転生……!」
決意と共に、アザミは赤い小瓶を右手で掲げて砕く。
赤い炎に包まれて、それを空いた右手でブン、と振り払い焚刑を終えて転生する。
「フゥ――」
アザミは静かな深呼吸と共に、自身のコンディションを、まるで仕事道具の点検の様に再度確認する。
彼女の獣の耳には、それを延長するような赤い炎の耳が。尻尾は薄く炎を纏っていて、更に普段は無い二本目の炎だけで構成された尻尾が揺れている。
(……不備は無い。これなら、いけます)
アザミは自身の二本目の尻尾――魔力の炎の塊に手を伸ばす。
まるで背中に装備して矢を携帯する靫のように背中に回した手で握り締めた尻尾を、アザミは当然の如く引き千切ってみせた。千切れた尻尾は、以前ユウマが見たような、マフラーのように風になびいて曖昧な形を保っている。
「――Check……!」
その曖昧な境界線が、一言の呪文で一本の歪みの無い直線へと変貌する。
“Check”の意味を持った一本の赤矢。特筆すべき能力は、その貫通力にある。
防御も反射も許さない、一度放たれればその先にある物を射程距離内であれば減衰することなく穿ち続ける魔弾のような代物――その貫通力故に、だからこそタイミングは効果的な瞬間でなければならない。
「ッ……! 動いた……でも、まだ駄目……」
大きく翼を広げる怪物が見えて、アザミは思わず動揺する。
的が体を大きくしたのに、射撃の姿勢を取れていない事への動揺ではない。彼女の動揺は、仲間達への心配だった。
大きな動きを見せたということは、何かに気がつかれたのではないか――そう心配したが、事はそう問題的ではなかった模様。
ただの伸びのような、生物的な動きだったらしいことを悟り、アザミはホッと胸をなで下ろした。
「……ですが、今ので体の向きが変わった。あともう少し、角度が変われば――」
貫通力があるが故に効果的なタイミング――簡単な話、それは“どれだけ長時間、敵の体を貫けるか”という点にある。
先程の怪物が翼を広げた時に放っても、貫通力の高さ故に皮膜一枚貫くだけで終わってしまう。この貫通力は強みと同時に、弱点でもありえるのだ。
(――狙いは背骨。理想は背を完全にこちらに向けたタイミング……尻尾の先端から口先まで貫けば、確実に一撃で仕留められる)
純粋に貫通時間だけではなく、もしも脊椎を穿つことが出来れば、いくら怪物だろうと生物である限り行動不能になる筈だ、と。アザミは赤く光を帯びる矢を弦につがえながらその瞬間を待ち続ける。
しかし、使用している武装が弓である限り、和弓だろうとシャーリィの弓だろうと弓という武器には共通した弱点がある。それは弦を引き絞るという自己の制御が必要であり、長時間発射可能な状態を保つのは難しいという点である。
これは精密射撃ではあるが、まるで早撃ちのようにチャンスを悟った瞬間――いや、チャンスが来ると予知した瞬間から攻撃態勢を取らなければならない――
「……ッ、――!」
それを理解した上で、アザミは弓つがえた矢を大きく掲げ、前方へ平行移動させ――弓を持った腕の骨を完全に伸ばして固定し、引き降ろすように弦を大きく引いてみせた。
その魂胆は至ってシンプル。アザミの転生中の会の動作――弓を引いたまま姿勢を保ち続けることができる時間は、約五分程度。しかし、一度射撃姿勢を取ったからと言って必ず射らねばならない訳ではない。何度でも何度でも、射撃姿勢を体力の続く限り繰り返し行い続ける――それがアザミの選んだ戦術。
先程の綺麗な射法八節からは想像もできないような、言わばあまりにも脳筋なやり方である――!
(……これが、今回の私の“存在意義”……必ず、成功させてみせます……!)
その脳筋なやり方はただの焦りから選んだものではなく、彼女の与えられた役割に対する誇りを賭けた全身全霊の返礼であった。
この瞬間を成功してみせるなら、余力は要らない。だからこそ「やってみせる」と、誓いをアザミは自身の存在意義に立てるのだった。
「――――」
「……!」
怪物の姿勢が、変わった。それも待ち望んでいた理想型に。
会を保って僅か二分半程度で舞い降りた奇蹟に感謝を感じながらも、アザミはまだ冷静に、会を保ったまま精神を刀のように鋭く研ぎ澄ませる。
「スゥ――――フゥ――」
高ぶる心を、動揺でブレた肩の水平を、呼吸で落ち着かせ、肩を落とす。
和弓に必要以上の筋力は要らない。骨を強固な形に保ち、それを利用して射る――今みたいに、動揺や歓喜で筋肉に力が籠もれば、それが阻害の原因になる。
故に彼女はただ平常心に心を落ち着かせる。使うのは骨だけで、筋肉は不要なら使わない状態にする。動いているのはゆったりとした肺の呼吸と心臓の鼓動だけにする。まるで弓と使い手ではなく、一つの塊――弓銃のような状態だ。
「――――――」
ただ、弓銃との違いは、それ自体が意思を持っていること。
雑念を常に押し退け――迫る体力の限界を、冷静に理解し――目を牛の目の様に、絞って視界を必要最小限にする。必要な情報は的の位置のみ。それ以外に視界を使わない。
――静寂が支配する。
静粛とはかけ離れていて、今ではアザミが灯台の照明装置のように存在が希薄になっている。ただ、視界と標準を敵に定めて、ただ、静かに待ち続け――
「――ゴォォオオオ!」
その静寂を、迂闊にも破いた不届きモノが、愚かにも尻尾をみせた――瞬間。
(ッ――今ッ……!)
不意打ちの赤い射は、問答無用に放たれた。
パシュン、と軽くも威圧のある音と共に、魔力の矢は一直線に解き放たれた。
螺旋状に魔力の残光を撒き散らしながら、全てを貫く魔弾は怪物の尻尾のやや上から貫通し、黒い血しぶきを派手に散らしながら――固い物を砕き続ける音と共に――怪物を確実に貫いてみせた……!
「………………駄目でした、か」
しかし、完璧な手応えの一方でアザミは小さく己を軽蔑するように呟いた。
正確な弓返り、水平に行われた射、そして――完全には開ききっていない、矢を握っていた離れの動作。それを見てアザミは自分の未熟さを悔やむように噛み締める。
……いや、決して駄目などではない。例えるなら100点満点のテストで95点を取った反応がこれだ。ユウマですら手を焼く自身への厳しさがこの独り言によく表われている。
「……脊椎通しは、無理でしたか……ですが、その脊椎すぐ隣――右肋骨は全て穿てた……でしょうか」
……端的に言って、確実な致命傷だ。
それで命を落とさなかったとしても、胸部を守る肋骨は支えを失い意味を成さない。純粋な打撃で心臓や肺を潰すことが可能だろう。
「……皆さん、ごめんなさい。私の腕はここまでです。後は、どうかお願い……します……ッ」
カラン、と弓を落とす音と同時にアザミは膝を付き、ドッと汗を額や頬から溢した。今まで押し殺していた分が一気に流れ出たかのような勢いで汗が出る。それは、無理矢理極限まで練り上げた精神力への跳ね返りだった。
「はぁ……はぁ……」
アザミはしばらくは動けない状態で、体力の回復に専念することになる。
それに彼女にはまだ、援護射撃の役割がある。だから今は、アザミはただ回復に専念するのだった――
■□■□■
「――すげぇ……」
『まるで流星だ……なんて一撃だ』
空を一瞬で通り過ぎた赤い閃光を見て、零れ出た感想は余りにも幼稚なものだった。それぐらいに彼女の放った必殺の一撃は凄まじいものだった。
近くを通ったが故の風圧も、目の前で怪物の背中をグシャグシャに砕く無慈悲さも、どれも“衝撃的”と言わずになんと表現すれば良いのか、俺には分からない。
「でも大丈夫かしら……今の魔力、結構込められてたように見えたし、無茶してないかしら……」
「無茶はするけど、アザミはこんなところで自己犠牲をする性格じゃないと思うよ。それよりも、後は俺達の仕事だぞ、シャーリィ」
「……ええ、そうね。行くわよユウマ――!」
今の一撃で断末魔のような声を上げた怪物に向かって、俺達は一気に距離を詰める。場所は拓けた崖の近く――平らな地形だが、立ち回りを間違えれば海に突き落とされてしまいそうな不安のある場所で、その怪物は不意打ちの一矢に苦しんでいた。
「グ――ゥゥゥゥゥウウウ……イ、イマ、ノ……ハ、魔法ツカイ共か……!」
『前より知性が上がっている……?』
「確かに、前よりも言葉が流暢な気がするけど――」
「そんなこと気にしてないで! 一気に仕留めるわよ! 今ので折れた肋骨が剥き出しになってるわ。ユウマは左側に回って空気砲を最大限に叩き込んで! それだけで決まる筈よ!」
確かに、背中の右側が抉れて骨が剥き出しになっている。あんな状態では、胸部を守ることなど不可能だろう。そして折れた肋骨の側――怪物を正面に捉えて、左側から強い衝撃を与えて心臓を打つ……って寸法か。
「足止めは!」
「ええ、任せて!」
もう何度もやったコンビ技だ。シャーリィの足止めと、俺の殲滅力。
アザミが用意してくれたこの好都合な状況、最大限に活かさなければ彼女に合わせる顔が無い……!
「――dipict、duplication――isa、nied!」
いつものシャーリィの援護が飛んでくる。怪物はとても動ける状態では無いが、それでも念には念をが彼女らしい。
氷の柵はこの巨大な怪物には足止めになるか分からない程度の大きさだが、足や尻尾を凍りづけにしているから、少なくとも胴体を動かすことは不可能なはずだ。
「ッ……! なんか俺も呪文欲しいなぁ!」
『集中しろユウマ! 確かになんか味気ないのは分かるけどさ!』
唱える言葉も無く、無言で手元に空気を圧縮しながらごちる。そんな言葉に反論しながらも理解を示してくれるベルはやっぱり最高の相棒だよ……
(……崖際に回り込むのは不安だが――)
ヤツの正面左に回り込むには、どうしても崖を背に立ち回らなければならない。海の波が岩に叩きつけられて大きな音を鳴らしているのが、じわりと恐怖心を煽ってくる……
「オのれ……おのれおのれおのれ魔法ツカイ……!」
(あんな致命傷なのに、痛がる素振りがあまり無い……?)
憎しみの言葉を吐き出す怪物――とは裏腹に、何か妙な違和感を感じてしまう。あんな抉れた傷跡、仮に俺がやられたら一撃で気絶するか、痛みの余りのたうち回っているだろうに……怪物というのは、本当に恐ろしい体力を持っているのか、あるいは痛覚が鈍いのか――
『ユウマ? どうした! 早く撃て!』
「ッ、ああ! コイツを撃ち殺すのに、ためらい一つすらないね!」
俺は怪物の前方に回り込み、圧縮した空気を構えて――
「ッ――空気砲!」
その空気砲を最大限、怪物の胸部に撃ち込んでみせた――が、
「ッ……!? なんだ……どういうことだ……!?」
『ユウマ? 何かあったのか?』
「何かあったというよりは……何も無いんだ。まるで手応えが無い……コイツ、まるで中身が空っぽなんだ!」
「な、なんですって!? どういうことよユウマ!?」
遠くからシャーリィの困惑の声が飛んでくるが、俺にはそれ以上の説明が出来ない。本当に事実をそのまま口にしただけなのだから。
空気を叩きつけた時の感触は、まるで風船でも押したような、そんな感覚。内臓が何処にも無い……あるのは、空洞……?
「――ククッ」
「ハッ……!?」
動揺して動きを止めていた俺に対して、今、怪物が不敵な笑みを浮かべて笑っていた。思わず顔を上げると、そこには憎しみを唱えていた姿はない。
そう、まるでさっきまでの態度が演技だったかのように――
「騙されたな、魔法使い……ドラゴン? ハッ、笑わせるな……俺は怪物だ……この世界を食い殺せる力を手にした、新たな超越者だ……惜しかったな。危うく殺されるとは思ったが、さっきの不意打ちは外したな……!」
「な、なんだ……!?」
今、目の前で不気味な現象が始まっている。
怪物の背骨から、まだ破壊されず残っていた肋骨が順番に外れていく。ブチリ、ブチリと無理矢理な肉体改造を施して、ついに全ての肋骨が外れ、頭から首、背骨と尻尾だけが切り離され、まるで蛇のような姿を現した。
「まずはお前からだ魔法使い! 貴様が、貴様が存在しなければ、全ては上手くいったに違いなかった! まずはお前を殺してみせる……!」
私怨を燃やし、俺へ狙いを定めた怪物は、本物の蛇の如く、素早く一直線に俺に目掛けて跳びかかってくる――!
(ッ……マズイ、防御するしか……!)
俊敏すぎて回避が間に合わない……!
咄嗟に取り出したコテを両手に構えて、守りの姿勢を取る――が、
「ッ、うわぁあああ!?」
「ユウマ――!」
初めから警戒していたのに、このザマとは笑い話にもならない。
跳びかかった反動を押し殺すことが出来ず、俺は怪物と共に背中から海の中へと叩き落とされてしまうのだった――
〜∅《空集合》の練形術士閑話「射法八節」〜
和弓を使う際に行う基本的な八つの動作。現代では弓道でまずお目にかかる単語である。
西洋の弓のように筋力で真っ直ぐ引き絞って放つのとは異なり、和弓は骨を利用して弓を引く。その動作を八つに分けたモノが射法八節と呼ばれるモノである。
ただし、戦場でわざわざ丁寧にこの動作をやっている例は少ないとされており、普通に西洋の弓と同じ引き方で射る事も多かったとか。実際このような遠距離射撃でもなければ、アザミも丁寧に射法八節の工程をなぞることはない。




