Remember-68 決戦の地へ/覚悟の追い風
これから挑む決戦の為に、俺達は一度解散して各自準備を整えていた。
シャーリィとアザミは馬車に戻って武器や道具を補充しに行ったらしいが、俺はそんな大層な準備は要らない。精々、コテを砥石で研いで切れ味を保つぐらいだ。
だから俺は一足先に、集合場所になっている海辺へと足を運んだ……が、
「よお、兄ちゃん。準備はできやしたかい? ……まあ、兄ちゃんは荷物が無くて身軽だから、そもそも準備なんてものはありゃしないか」
そこにはなんと、船の整備をしているクレオさんの姿があった。
こちらに気がついて声をかけてきたが、どうやら調整の真っ最中らしい。顔をこちらに向けず、真剣な顔をして船に張られた帆の縄を吟味するように張り直したり、または緩めたりを繰り返していた。
「クレオさん! どうしてここに!?」
「さっき嬢ちゃんから聞いたぜ。これから三人であの霧の孤島を目指すとかじゃないか。だからその準備を……っと、これで良いだろ」
そう言いながらバンバン、といつもの俺の背中を叩く時みたいに、クレオさんは帆の支柱を誇らしげに叩いた。
「そうだけど……船はアザミが手配をするって聞いてたからビックリした」
「アザミさんも準備で忙しそうだったからな……俺が代わりに交渉して用意したって訳さ」
「交渉? 言葉が話せないのに?」
「おうとも、伊達に長年運送業をやってねぇさ。この村に初めて来た時は意表を突かれて何も出来なかったが……目、顔、表情、動き、絵……言葉が無くてもどうにかなる。抽象的でも互いの言いたいことさえなんとか伝われば良いのさ」
そう誇らしげに腕を組んで胸を張るクレオさんの足下。そこには枝で描いた船のような絵が描かれている。その横にも色々と試行錯誤したのか、色々な絵が描かれていたり、グシャグシャに引っかき回して消されていたりしている。
……なるほど、言葉を使わなくても色々な手段で必要な物を村人に伝えてくれたのか。この人の行動力は俺には無い凄みがある。
『言葉を使わずに意思疎通をする技術……簡単じゃないことをよくもまあ簡単そうに言っているな』
「ガハハハッ! 一応俺さんは兄ちゃんや嬢ちゃん、ベルちゃんよりも年長者だからな。腕っ節の方は……まあ、その転生使いってのに譲るが、こういうところは最年長としての矜持ってやつさ。誇らせてくれよ」
「……ありがとう。馬車だけじゃなくて、クレオさんには何度も頼りにさせてもらっている」
「おいおい、よせやい水くさい。礼なんて良いさ。それ以上に面白いものを兄ちゃん達には見せて貰っている……だけどよ」
……そこでクレオさんの表情が僅かに固くなった気がした。
まるで俺の身を案じるように、少しの間俺の顔を見守るように見ると、クレオさんは口を開いて続きを語り始める。
「……こんなところで死ぬんじゃねぇぞ。俺さんはその姿を見逃しちまったが、なにやらとんでもない怪物と殺り合おうって話じゃないか」
「ああ……心配ない。俺は生きるよ。じゃないと、約束を一つも果たせなくなる」
『ユウマ……』
「……ふ、ハハハッ! おうよおうよ! そういう義理堅さってのが兄ちゃんの良いところさ! 芯が通ってて、嘘偽りが無いって感じのその顔よ!」
「痛、痛っ、痛いって……う”っ」
いつも通り豪快な笑いを発しながら、俺の背中をバンバンと叩くクレオさんに止めるよう訴えかけるが、声は届かず何度も叩かれ続けた。
そうして、何度も俺の背中を叩いて笑って満足したのか、クレオさんは改めて俺の顔を見て、先程とは違う笑みを浮かべた。
「……信じてるぞ、兄ちゃん」
「ああ、応えてみせるよ」
『私も見守っているから、ユウマのことは任せてくれ』
「おう! そうだな。兄ちゃんには心強い相棒がいるもんな。兄ちゃんのお守り、任せたぜ」
「お守りって……」
その表現には不服だが、異世界に関してはクレオさんは自分が関われないからこそ、任せたと言いたいのだろう。
それに、心強い相棒というのは同感だ。この先も彼女の知恵や知識には頼りになることだろう。
「ユウマさーん! お待たせしました-!」
「……ふぅ、お待たせ。もう先に着いてたのね」
そこで、遠くからアザミとシャーリィが二人並んで駆けて来た。
船で出ることもあって荷物は最小限にしているらしいが、それでも二人揃ってリュックサックを背負っているところから準備の度合いが窺える。
『今までの地上の異世界とは違って、今回は海の上だからな……準備は念入りにしているって訳か』
ぼんやりと頭に浮かべていた感想を、ベルがハッキリと言葉にして表してくれた。
確かに、今までとは状況が大きく異なる異世界への突入だ。万が一に力尽きるような事があれば、異世界を抜け出すのには船が必要になる。それ以外に抜け出す手段は無いだろう。
それが示す意味は……いや、そもそもあの空を自由に飛び、全速力で逃げる俺達を追い越すほどの速度で移動できる怪物を前に、のろまな手漕ぎの船で逃げ出すなんて、出来るわけがないか。
つまるところ、一時撤退が許されない出し惜しみ無しの一発勝負なのだ。
今回の作戦で賭けられているのは二つの村の住民だけではない。俺達も命が懸かっている一大勝負。“念には念”をの言葉は、まさに今の状況の為に用意された言葉のように感じる。
「……本当、ユウマって決戦でも軽装備よね」
「む、でも今回は反ギルドの時よりも重装備だぞ。ほら、コテ。ホラ見ろコテだぞ」
「それ見てどう反応すりゃ良いのよ……まあ、前も言ったけど貴方はその場にある物を臨機応変に扱う戦い方だものね。でも、準備をするに越したものは無いのよ?」
そう言いながらシャーリィは小袋を取り出してそれを投げ渡してくる。カラン、と割れ物特有な音が袋の中から溢れてくる。
「……またコレか。コレがシャーリィの言う俺に必要な準備だって言うのかよ」
「手札は多いに越したことはないでしょ。それと、貴方が以前提案した仕込みもちゃんとやっておいたわよ」
「仕込み……それはありがたいけど、ってことは……また瓶かぁ」
使い方は……まあ、彼女の言う通り、臨機応変に扱うことにしよう。俺の強みはそういうところしかないのだから。
「び、瓶ですか? 一体何をどうやって、何をするんですか……?」
「あー、ユウマの魔法はちょっと特殊だからね。ベルの知恵もあって頼れば期待以上のことをやってくれる奴よ」
「ベル……あの女の子ですか」
話題に挙げられたのでポケットからガラスを取り出す。
そのガラスの中にいる彼女の表情は……やっぱりなんとも言いにくそうな、微妙な表情だ。彼女の表情は分からなくもない……いや、恐らくだが俺もベルと同じことを考えているのだろう。
できることなら、もっと落ち着いた場面で紹介したかった。
こんな突然出会わせるような――それも、今までベルの存在を隠していたという点で、隠し事をしていたという非があるような感じがすると言えばいいのか……
『仕方ないよユウマ、今は緊急事態なんだ。アザミさんも、今は何も問わないでくれると助かる』
「……そうですね。わかりました。今は時間が惜しいですから」
『すまないね……今回の件が終われば事情を話すことを約束する。だから私にも助力させてくれ』
ベルはそう申し訳なさそうに話すが、対してアザミの眼はいつも通り暖かく――
(――ッ)
――いや、氷柱が落ちてくるような、もう通り過ぎた一瞬の冷たさ。
今はもう既に優しい瞳。だけど、今さっき何かを“見定められた”気がする……
「助力……あの、すみませんがベルさんはどういったことができるのでしょうか……? 失礼承知で言わせて頂きますが、ガラスの中では何も成すことはできないと思えます」
『はは、ハッキリと言うじゃないか』
「あっ……えっと、す、すみません」
『いいや、間違えてないよ。……おっかないや。常に優しい態度だけかと思っていたが、その奥深くには必要か不必要か見る眼を持っている。邪魔になると思えば、冷徹に捨て置ける程の』
途中、俺に聞こえる程度の声で、ベルは小さく告げた。
……その評価が正しいかは俺の分かる範疇ではないが、アザミは“やる時”には冷静に“やる”人間なのは薄らと理解しているつもりだ。
なんというか、温かさと冷たさが綺麗に割り切られているのを彼女から感じる。
冷たい性格を隠すために優しそうな雰囲気を纏っているのではなく、本当にハッキリと両立されている。スイッチのオンオフで切り替えてしまえそうな程に。
……とにかく、今は関係に歪みを作らないためのフォローにまわろう。
隣で出方をうかがっているシャーリィもいるのだから、余程の事がなければ上手くいくだろう。
「ベルは俺達が知らないような知識を持っている上に、戦術を考えるのが上手くてさ。きっとアザミの助けにもなると思う」
「そうですか……戦術立案に長けている、という訳ですね……わかりました。ベルさん、何か考えがありましたら遠慮なく申してください」
『ああ、こちらこそ何かあれば遠慮なく言ってくれ』
今は時間が惜しい。ベルの存在についての説明をしている暇は無いから、一先ず事情は置いといて協力関係を作れたのは良い状況だ。
シャーリィも口を挟む必要は無いと判断したのか、腕を組んで口元を緩めていた。
「……何、私を見てホッとしたような顔を浮かべてるのよ」
「仕方ないだろ。緊張してるんだよこっちは。そういうシャーリィこそ、口元が緩んでないか?」
「さあ、どうかしらね……みんな、準備は良い? 漁師の話だと昼頃ぐらいには異世界に到着できる筈よ。体力の温存も大切だけど、今は最速で到達する事を考えて動くわ」
俺の問いをのらりくらりと避けるシャーリィに、渋々頷いて応える。異世界に突入するのだから体力の温存は大前提だが、それでも時間が惜しい状況だ。
夜になれば、俺達は問答無用で敗北する。だからこそ、最速を提案しているのだろう。
『シャーリィ、異世界の規模はどれくらいだ? 島を完全に覆い隠してるのか?』
「そうね……恐らくだけど、規模は貴女たちが経験した中では最大でしょうね。島の全域は当然、その周辺の海すら異世界に包まれているわ」
『……だとしたら、問題があるかもしれない。今まで踏み込んだ異世界内部は外とは全く別の空間が形成されていた。そうなると、海の上だろうと異世界の中は陸地の可能性もある。船で異世界の内部に突入した結果、船は座礁……いや、最悪の場合だと大破する。なんて事態になったら生還は不可能だ』
「それは……うーん、ごめん。その考察は盲点だった……マズったかな……」
ベルのもっともな話にシャーリィは困った顔をして悩み始める。
確かに、山の麓に形成された異世界が平地だったことがある。洞窟の奧の異世界が空のある空間だったこともある。ベルの危惧はもっともというか、言われてみれば考えて当然のことなのだろう。
「……クレオさん、他に船は無いの? 多少岩と激突しても平気な船が欲しいんだけど、この船じゃたった一度の衝撃で穴が空きそうだわ」
「いや、今この村にある船の中から俺さんが選ばせてもらったんだが、それが一番良い船だ。というか、沖で漁をする船にそんな耐久度を求められてもな……荒波には耐えるが、岩の衝突は考慮してないだろうからな」
「異世界に入る手前で船から下りるのは駄目なのか? ちょいと濡れるが泳いで異世界内部に入れば確実じゃないか」
「前にも言ったけど、異世界を覆う霧は腕の先が見えないほどに濃いわ。徒歩なら一直線に歩けば良いけど、泳ぐとなれば話は違う。最悪たどり着けず溺死するかもしれないわ……いや、そもそもユウマのその格好で水になんか浸かってみなさい、服が水を吸って沈むわよ」
安易な提案をバッサリと却下される。
……そういえばそうだった。以前手を引いて貰って異世界を脱出したぐらいに異世界を包む霧は濃い。足の着かない海の上で前後左右が分からない霧に包まれてしまえば、呆気なく溺れてしまう想像を思い浮かべるのは容易い。
それに、シャーリィは以前から寒そうだと思えるぐらいに軽装の薄着だし、アザミは和服の袖が重そうだが、戦闘時には上半身の和服を容易く脱いでいた。あの薄着の格好なら、少なくとも腕の動きを邪魔されることなく泳ぐことができるだろう。
一方、俺の方は……この大きくて分厚い感じの上着が問題だ。ある程度の雨なら弾くだろうが、水に浸かれば間違いなく海水を吸い取って重くなる。
うーん、困った。時間はそう多く残されていないのに、こんなところで迷っている場合ではないのに、迷いが生まれてしまった。
だがこの迷いは悪いモノではない。ベルの指摘が無ければ、土壇場でもっと大きな困難に突き当たっていたことだろう――と、
「……いいえ、大丈夫です。あの異世界は元々の孤島ではありませんが、少なくとも島の形はしています。周辺も海が存在していて、恐らくその船でも問題なく上陸が可能な筈です」
そんな困っている中、何か根拠があるのかアザミがそう断言する。
それは冷静な言葉だ。俺達の不安を紛らわすための根拠の無い言葉ではないらしい。何かしら根拠を持って彼女はそう言っている。
「何か知っているの? いえ、そんなことをどうして知ってるのかしら。貴女が孤島の異世界を調査したなんて話、私は聞いてないんだけど」
「……すみません。詳しい事情は混み入ってて説明するには時間が足りませんが……以前、私の協力者が情報提供してくださったので、孤島の異世界に関しては大凡把握しています」
「協力者? 魔道の密会の連中のこと?」
「いいえ、別の人です。……まあ、どちらかというと私は調査に必要な器材の“提供者”のような立ち位置でしたが……その方が提供してくださった異世界の情報が、こんな形で役に立つとは思いませんでした」
「あんな異世界の地質調査……? 集落の近くの異世界ならまだ事情は汲み取れるけど、わざわざあんな遠くの異世界に踏み込む理由が謎ね。魔道の密会みたいに何かしらの研究目的なのかしら……」
そう呟くように一言吐くと、シャーリィは腕を組んで眉間にシワを寄せていた。
彼女の反応も無理はない。魔道の密会という最悪な例があるから、異世界の研究をするその“協力者”とやらに良い感想は浮かばないのだろう。
「……すみません、これ以上私からは、何も」
その疑わしく見る目を肯定するかのように、アザミは一言そう謝る。
謝るだけ。何も付け足さず、隠しもしない。だがそこに清廉さは感じられない。まるで身を削ってでも援助するような、苦しい顔。
「……そう。察するに今の情報、本当は話したくないことだったのね。いいえ、話したくないのは情報じゃなくて、そこから芋づる式で問われるその“協力者”についての情報を……ってところかしら」
シャーリィの確信めいた問いに対し、アザミは沈黙で答える。
片手の中のベルも、シャーリィと似た表情でアザミを見つめている。口にはしていないが、その表情はシャーリィと同じ結論に至った故か。
「……すみません。情報元として信用出来ないかと思いますが、少なくともその“情報そのもの”は信用に値すると、私は信じています。ですので、どうか――」
言えない“ワケ”があるが、信じて欲しいと。彼女は謝罪のように口にした。
初めて尻尾を見せた彼女の裏。隠していたモノ。口が裂けても詳細は言いたくない様子だが、それでも俺達の力になりたくてその情報を提供してくれたに違いない。
……それが嫌でもひしひしと伝わってくるから、俺もシャーリィも彼女への応え方は同じだ。
「……まあ、私達もベルについての説明は後でにしてって言った事だし、その協力者について今は掘り下げない。一先ず私はアザミさんのことを信じることにするわ。それで問題ない?」
「俺が問題を唱えたことがあるか? 悪いけどそれはベルの領分だ」
『丸投げしないで取り組む姿勢ぐらいは見せて欲しいな……ああ、私からも当然無いよ』
各々がそう応えると、アザミは驚いたような、困惑が混ざった顔を浮かべていた。
まあ、アザミの言い方からして“疑わしいと思われるだろうけど、どうか信じて欲しい”と無理を頼もうとしたのに、こんなアッサリと受け入れられたのだから、そんな顔を浮かべるのも仕方ないだろう。
「――――」
「……どうしたの? 信用されるのは嫌だった?」
「い、いえ……なんと言いますか、思ったよりも簡単に聞き受けてくださるとは思っていなくて……」
「何言っているのよ。貴女と私の仲じゃない。少なくとも私は貴女の考えや言葉は信用に値するって思ってるわよ」
「シャーリィさん……」
「それに、そんな顔をされたらね。文通じゃ分からなかったけど、こうして顔を合わせて話して初めて分かった。貴女、他人の為に自分に都合の悪い行動――お人好しができるのね」
俺の知らないところでの関係。シャーリィは「水くさいわね」と言わんばかりに笑顔でそう言ってのけた。
……と、そこでシャーリィがくるりと振り返って俺のことを見てくる。
なんだ、何も言わず何で見てくるんだ。
ああ、もしかしてそういうことか? 俺からも何か言えと?
「俺もアザミのことは……いや、信じてるってのは違うな。そういうのはシャーリィぐらいの仲じゃないと言えないか。なんていうか……アザミは不必要な嘘をつかないって言うのかな。こういう時に無責任なことは言わない性格だってぐらいは、今までの短い仲でわかってる」
『そうだな。アザミさんの村を守りたいって思いは本物だってのは伝わっている。村を守るためにできる限りを尽くしたいから、その話をしてくれたんだろう』
「そういうこと。でもまあ、理屈とか無しに俺はアザミを信じたいから信じるよ」
シャーリィに負けじと、俺達も俺達なりの答えを口にする。
でも結局俺の行き着く結論は本能だ。こうあって欲しいと思うから、俺はただ信じるのだ。
もしもその果てに後悔があったとしても、今信じることが出来ずに後悔するよりかはサッパリと割り切ることが出来ると思えたから――
「……不思議な答えですね。いえ、それは答えになってませんよ、ユウマさん」
「それでも良いよ。俺は後悔だけはしたくないだけだ。俺は裏切られるまでは信じていたいだけ……前に言ったみたいに、俺はアザミとは良い仲間でありたいと思ってるからさ」
『言いたいことはよく分かるけど、どこか危なっかしいなぁ、ユウマは』
「……そうですね、ベルさん。目を離したら何処かに無くしてしまいそうなぐらい、儚げで危うい人です」
俺の答えを聞いたアザミとベルは、お互いに笑みを浮かべてそんなことを言う。
……。
…………ん?
「……んん!? え……なんか俺、二人からやんわりと非難されてない!? さっきまでなんて言うか、二人ともビジネスライクな雰囲気だったのに、急に意気投合してない……!? 俺を非難するために……いや、ためだけに……!」
「まあまあ、非難ではないから安心しなさいって。ほら、私達と……この馬鹿は貴女を信じてるんだから。それよりもありがとうね、その話を口にするのに、少なくない葛藤があったことでしょうに」
「非難した!? 今非難した! 今この人確実に“この馬鹿”って非難した!」
指をさして異議を訴える俺の腕を横目でパシパシと受け流しながら、シャーリィはアザミにそう語りかけてやがる、クソッ、絶対忘れないぞ今の言葉……!
「あー、ゴホン、ゴホン! 兄ちゃん、嬢ちゃん、それとアザミさんや。一刻を争うんだろ? 信頼し合うのが時間の無駄と言うつもりはねぇが、今は急いだ方が良いと俺は思うぜ」
「! そうね……アザミさん、ユウマ。荷物は船に乗せて。それとユウマは転生しておくこと。貴方の風の魔法なら帆で船を進めることができる。時短になるし、体力も温存できる」
「俺の精神的な体力温存を考慮してない点に文句を言いたいところだが、わかったよ。それが良い、それが一番手っ取り早い」
船に荷物を載せて、アザミもシャーリィも船に乗り込む。場所を取らないように身を小さくして、なんとか狭い木造の船に収まった。
その最後に、俺はリーダーのようにドンと立ち、帆を張った柱をしっかりと握り締める。
「兄ちゃん、船を押すぜ」
「いいや、必要ない。下がっててくれ。それと、船に乗ってる時の姿勢は低くな。特にシャーリィはだ」
刃物を首筋に添える。未だに慣れず残る恐怖感とか嫌悪感を溜め息と共に吐き出して、首を掠めるように斬る。
それだけで風は羽衣のように俺の周りで渦を巻いた。俺はその風を――の前に、船の中にあった桶を掴み、雑に海水を汲み上げてまた雑に帆に目掛けてぶちまけた。
『ユウマ? 一体なんのつもりだ……?』
「クレオさんから貰った斧の一件で理解しているつもりだ。この船は転生者の使用を前提にしてない。派手にやったら派手にぶっ壊れるだけだ。だから、足りない部分は俺の魔法で補う」
帆も、柱も、それを握る俺の腕も、上から流れるように滴る水は硬化してそれらを保護する。これでいい、これなら手加減を忘れていられるだろう。
「これで風を受け止めて進むんだろ? 風が強ければ強いほど背中を押してくれるんだろ? だったら風の塊を、ぶち込み続ける――ッ!」
空気の塊を手のひらから手放す。指先から飛び立つテントウムシのように、風の塊は後方を漂い、狙いを付ける。
『あ、あわわ……!? ぜっ、全員舌を出さずに衝撃に備えろ! ユウマのお馬鹿め! 本当に容赦なくやるなぁ!?』
――そして、空気の塊は俺の後方から船の帆に向けて発射される。
爆発音のような音を立てて、爆風を受け止めた帆は砂の上だろうと構わず船を押し出して、海面を飛び跳ねるように前進した。
■□■□■
……遠く、信じられない速度で海面を水切りの石の如く滑って行く船を見守る。
周囲では事の成り行きを見守っていた村人達が目の前の出来事に呆気を取られていたり、歓声のような声を上げている。
きっと兄ちゃん達のことを、この村を守る英雄のように見送っているのだろう。
(……だが)
こんなタダのおっさんだけど、分かっていることはある。
兄ちゃんも嬢ちゃんも、力を持つが故に力の持つ者の宿命に従って戦っている。彼らは英雄なんかじゃない。ただ、今を変えたい若者なんだ。
だから不安が胸に残る。
怪物と戦うのは簡単な事じゃない。断片的に話を聞いただけだが、それでも今回の遠征は彼らにとって困難を極めるものなのだろう。
失敗すれば、本当に全てを失う。その圧力を背負いながら戦う様は、恐ろしく勇敢で、無謀のようにしか感じられない。
「……死ぬな、傷つくな。兄ちゃん達はこんなところで欠けて良いタマなんかじゃない」
ただ一人、事の成り行きを最後まで眺められない男は、静かに言葉を口にし、ただ安全を心で祈り続けた。
〜∅《空集合》の練形術士閑話「船」〜
基本的に漁業のある村では丸太を削って作った船が主流である。
また、多人数用に複数の船を合体させて安定性を作ったり、帆を立てて移動を楽にするなどの工夫がされてるものがあるが、基本的に少人数用の丸太一本の船が主流である。
本来高級品な為、客人なんかに貸し出すことはまずあり得ないが、今回上手いこと説得して、多人数用でしかも帆付きの船を用意できたのは、クレオさんの頑張りであった。




