Remember-62 “最悪”の状況/決裂していく仲
……森を抜けるまで、こんなにも時間が掛かるものだったっけ。
草や枝を掻き分け進む単純な作業を何度も、何度も繰り返してようやく村に着いた時に抱いた心情は、そんなしょうもない事だった。
「! ユウマ! 戻ってくるって信頼はしてたけど、怪我とかしてないわよね!?」
村に戻って来るなり、シャーリィが飛んでくるようにこちらに走ってきた。
……ああ。本当に、この少女は強いなぁ。俺なんかよりも、ずっと。
「……ああ、あの怪物には無傷で勝ったよ」
「……嘘。そんな酷い顔色で、無傷な訳が無いでしょ。こっちに来て、温かい飲み物でも飲みなさい」
シャーリィは半ば強引に俺の手を取ると、村の中央部――もう夜が明ける頃なのに、今も村人が集まっている――に連れ出した。そこでは焚き火が大きく燃え上がっていて、鉄製の容器でお湯を沸かしているのが見える。
火の中の容器の様子を見守りつつお茶の準備でもしているのか、焚き火の近くには大きな帽子を被っている見知った人影が見えた。
「あ……ユウマさん」
「私がユウマと別れて異世界を出た後、待っていたアザミさんと合流したの。お陰で保護した子供は全員無事よ」
シャーリィからその後の動きについて聞いている間に、アザミから微かに色味がかった液体が満たされた木製の器とスプーンを渡された。
具は無いが、匂いからしてどうやらスープらしい。ほんのりと魚の香りがする。
「ありがとう、アザミ……」
「ユウマさん、一体何が……いえ、話さなくて大丈夫です」
俺の顔色がそんなに酷いのか、シャーリィに続いてアザミまで心配そうな感じで話しかけてくる。
俺は……俺は、一体どうしたんだろうな。そんな問いの答えは簡単で、手に握り締めたままの貝殻の首飾りが答えを表している。
……今思えば、あんなにも呆気なく倒せてしまう怪物だったことが胸に傷を残している。苦戦して俺の体がボロボロになる程に強い怪物だったなら、こんな暗い気持ちを思う余裕なんて無かったのに。
決してそんなことはないのだが、まるで無抵抗の相手を容赦なく殺したような、そんな後味の悪さがずっと残っている。
「アザミさん、四人目の子供については行方不明って伝えて。それ以外に説明の付けようがない」
「……そうですね。そのように伝えておきます……」
受け取った器から昇る湯気を眺めることしかできない俺の横で、冷静に事後処理が進んでいく。
四人目の少年は、行方不明。だけど本当はそんな曖昧なものじゃない。怪物になってしまったあの少年を、間違いなく、俺がこの手で殺したんだ。
「……ユウマ、貴方は何も間違ってない。アレはただの酷い事故。貴方はその事故の悪化を食い止めた英雄よ」
「……成りたくなんかないよ、英雄なんて。こんな悲しいことをするのが英雄なら、俺は英雄に対して心底失望するよ」
「その気持ち、私も少しは分かっているつもり。異世界が脅威なのは、ただ怪物を生み出す事じゃない。大切な人を奪い、流転って形でその大切な人の尊厳を汚すこと……そして誰かが、その大切な人の全てを奪うのを強いること――そう私は思っている」
……もしも、あのまま俺が動揺して動けず、シャーリィの助けが無かったらどうなっていたのか。答えは簡単で、醜い怪物に成ったあの少年が子供達を皆殺しにしていた。
あの少年が友達を殺すような、そんな手を汚してしまう前に、俺は少年を殺した。救うことはできなくても、少年の名誉を汚すことなく止めたことをシャーリィは英断だと言いたいのだろう。
それは仕方のないことだった。客観的に見れば俺に非は無い。むしろ三人の子供を救出できた行いは褒め称えられる功績だ。だけど――
「……酷い怪我だ。優しい言葉なんかじゃ癒えないぐらいに深い傷が、胸の内に刻み込まれてる心地だよ」
「ユウマ……」
……だけど、そんな簡単に割り切れる冷徹な心は持っていないから、心に重石がのしかかった心地でいる。
これが異世界の脅威なのだと改めて認識した。今まではただ生き物が怪物に成るだけだと思っていた。しかし、もしも知り合いや知人、例えばシャーリィやアザミが怪物に成ってしまったなら――俺はその怪物を、殺せるのだろうか――?
「……もう、頃合いね。早急に行動を起こさないと」
「? シャーリィ?」
ぽつり、と何か意味深に呟くシャーリィの言葉が聞こえて思わず尋ねる。だが、彼女は返答すること無く、首を横に振るだけだった。
「アザミさん、ユウマ。一度馬車の方に戻りましょう。私達も色々と話し合わないといけないわ」
「はい……わかりました」
「……ああ」
シャーリィの言葉を聞いて、一口も口にできなかったスープの入った容器を地に置いて立ち上がる。重いのかもうよく分からない足を引きずるように、三人揃って悲しみと困惑に包まれた村を後にした……
■□■□■
……馬車の元には誰も居ない。村人達は子供の捜索を現在もしているらしく、クレオさんも手伝いとして繰り出しているのだとか。
行方不明なんかじゃなく、死んでしまった――いや、俺が殺したのだと知っている身からすれば、なんとも言い難い罪悪感を感じる。
「今回の件について、統括した情報を共有しておくわね。アザミさんはある程度知っているだろうけど、みんなよく聞くように」
シャーリィは俺とアザミの前に出て、人差し指を立てながらそう話を切り出した。
まるで俺に向けて“よく聞くように”と言っている様子だが、俺は初めからちゃんと聞いている。ただ、上手く反応ができないぐらいに落ち込んでいるだけ。
「夕方頃に突然、ノールド村の子供が四人行方不明になった。四人の共通点は普段からよく一緒に遊んでいる仲間って聞いたわ。そしてその全員が異世界、あるいはその付近で発見された……そのうち一人は異世界内部で流転。残り三人は私達で保護した……ここまでは良いかしら」
「……ああ」
似たような経験をした身であるシャーリィの俺に対する配慮なのかは分からないが、心の傷跡を掘り返さないように事実を淡々と説明されるのは、こちらとしてはマシな気分だ。
「その三人うち、一人の子供からアザミさんの通訳のお陰で話を聞くことができた……“遊んでいる間、四人のうちの一人が居なくなって、その居なくなった一人が助けを求める声がした”、“その声を追いかけたら、近づかないよう言われた霧の森に近づいてしまった”……霧の森ってのは、異世界のある森――私達が探索したあの森ね。この村では禁足地として子供達に伝えられていたみたい」
「それで、その子供達は異世界に迷い込んだってことか……?」
「ええ。そしてここが肝心なんだけど、今回の件は何者が意図的に異世界に誘拐したに違いない。流転した怪物の習性を考えると、子供を異世界に連れ込むのは考えられない……怪物は人間をその場で殺すからね。それにそもそも、異世界周辺の怪物なら私とユウマで駆逐したんだから、怪物が人をさらうなんて事態がそもそもおかしいのよ」
……確か、怪物は基本的に異世界内部で生息して、時々そのテリトリーから外に追いやられた怪物が周辺で被害をもたらすと聞いた。
もしも異世界周辺の怪物が誘拐の原因だとしたら、異世界に連れ込むことは無いだろう。自分を追いやった天敵が異世界に居るのだから、そこに連れ込む理由が無い。
だとすれば……確かに、誰かの意図的な仕業と考えると納得出来る部分がある。その目的や理由は不明だけど、怪物が子供をさらったと言うよりは矛盾が無い。
だけど、そうなれば疑問が一つ。その子供を異世界にさらったのは誰なのか、だ。
もう領主が怪しいとかの話はおしまいだ。間違いなくこの村に現行犯が存在している。そうでなければ、子供をさらうなんてマネはできっこない――
「ところで聞きたいのだけど、アザミさん。貴女は今日何をしていたの?」
疑問を頭に浮かべていると、突然シャーリィは凜とした声で尋ねる。
……何か、嫌な寒気を背筋に感じた。冷たい声。いつぞやの宿屋での問答の時の様な、冷酷な瞳、声色。
「し、シャーリィさん……?」
「いいから、話せるだけ話して。ただ、出来る限り話した方が立場が有利になるとだけ言っておくわ」
「……私は、朝は畑仕事の手伝いをして、昼前に切り上げて料理を村の人々に振る舞っていました。それはシャーリィさんも見てましたよね」
「そうね。確かに言ってる通りだわ。でもその後はどうしていたのかしら」
問い詰めるように、重ねて尋ねる。
そこでいい加減に、今更ながら思い出した。態度などで露骨にそれを表すことはないが、シャーリィはアザミの事を疑っている。
もしかすると――いや、間違いなく今シャーリィは、子供が異世界にさらわれた原因が彼女にあるのではないかと思っている。
「……子供たちに読み聞かせをしていました。まだ文字が読めない子たちのために朗読を……」
「ふーん……?」
「ッ、シャーリィ! 子供への読み聞かせは本当にやっていた事だぞ! 俺達が昼飯を食べに休憩する頃に、確かにアザミはしていた! 俺が保証する!」
「ゆ、ユウマさん!?」
思わず前に出て弁護をする。シャーリィの態度が敵対していると分かると口が思考よりも先に動いて言葉を紡いでいた。
あの時見た光景、子供達の前で本の読み聞かせをしていたのは紛れもなく本当のことだ。それを嘘だとは言わせない。
「なるほどね……なら、それについてはユウマの言うことを信じることにするわ。んじゃ、その後は何をしていたの?」
「えっと……木陰が心地よかったので、読み聞かせで少し疲れたこともあって仮眠を――」
「……そう。悪いけど私からすればその時間が一番怪しいのよね。貴女が本当に仮眠をしていたことを証言できる人、居るかしら?」
沈黙が空気を支配する。
俺はそこまで見ていないし、シャーリィも見ていないのなら誰も彼女が本当のことを言っているのを証明できない。
『……村人に仮眠をしていたアザミさんを見た人はいるかもしれない。だが、村人達の言葉は彼女を介して通訳が必要なのが問題だな。通訳の際に、彼女にとって都合良く内容を改変する可能性がある。アザミさん以外に通訳ができる人が居なければ、村人の証言は信頼性が無い』
「ッ……」
小声でベルが冷静な分析を口にする。それではやはり八方塞がりだ。アザミの無実を証明することができない。できても精々、押し問答しかこの先にはない。
「もう一度状況を話すわね。夕方頃に突然、行方をくらませた四人の子供……その全員が異世界、あるいはその付近で発見された。何者かが意図的に異世界へ子供を誘拐したに違いないわ。それを踏まえてアザミさん、私は貴女があの現場で最も怪しい人と思っている。転生使いで、異世界に問題なく入ることができる貴女が」
「……そう、ですか」
「だけど、貴女が本当に子供を異世界にさらったのだと証明することも私にはできない。目的も理由も分からないからね」
「そう、ですね……」
淡々と客観的な意見を述べていくシャーリィに対して、アザミはただ俯いて肯定する。やはりわかっていた事だが、アザミは押し問答などせずにシャーリィの言葉を真っ向から受け止める。
「だから今、ここで貴女を悪人として裁いたりはしないわ。極めて疑わしいだけで決定的な証拠がある訳じゃないからね。私に貴女を拘束する権利も無い……だからこちらの対応としては、金輪際、私達の組織は容疑者の貴女とは関与しないことにする。契約も関係もチャラってことね」
髪の毛をふわりと撫で払いながら、シャーリィは続ける。
アザミはまるで今から裁かれる罪人かのように、シャーリィの判決の言葉を待ち受けている。
「――つまり、今この場で、貴女を私達の組織から追放するわ」
そんなアザミに対して、シャーリィは真っ直ぐに彼女を見捉えて冷酷にもそう言い放った。
「追放……!? 今、追放って言ったのか!?」
「最低限、カーレン村への移動費ぐらいは出してあげる。手配が必要だって言うなら馬車を呼んであげるわ。でも、それだけよ。私達は貴女とこれ以上関わりを持たないから――まあ、貴女からすればその必要すら無いかもしれないけどね? そろそろ貴女の組織から迎えが来るんじゃないの?」
「ま、待てよシャーリィ!? それは、それは……何だよ!? 貴女の組織って、何を言っているんだよ!?」
混乱のあまりに語彙力を振り絞っても、言葉が上手く出てこない。そんなとりつく島も無い対応に、聞いている俺の方が動揺して息が乱れてしまう。
「第一、アザミがそんなことをする筈がないだろ! だって、だってアザミは……」
「良いんです、ユウマさん」
弁護しようにも説得できる言葉が上手く思いつかない。口だけが勝手に動いている錯覚を覚える。そんな中、こちらも冷たく感じるぐらいに冷静に、アザミは俺を止めようとしてきた。
「これで良いんです。シャーリィさんがそう考えているのなら、私はここを離れます」
「おい……なんでそんな、そんなに潔い良いんだよ……!? 違うんだろ!? アザミは犯人なんかじゃないんだろ!? そうなら違うって言ってくれよ!?」
息が続く限り必死に、傍から見ればすがるようにすら見られそうな勢いでアザミに問い尋ねる。
シャーリィの推察が違うなら違うと言ってくれ。違うと言ってくれたなら、俺はそれを信じてみせる。証拠が必要ならその証拠とやらを探してみせる。犯人を見つけ出せと言うのなら探し出してみせる。
「…………」
「なん……で」
なのに、彼女は首を横に振るだけ。
呼び止めようとしなければ、そのまま何も言わずに立ち去ってしまう雰囲気だ。いや、もう既に背を向けてこの場を立ち去り始めている。
「シャーリィ! なんだって追放だなんて言ったんだ!? こんなのおかしいだろ!」
「…………」
「なんで何も言わないんだよ! 答えろよ!」
真っ向から、怒鳴りつけるみたいに言ってもシャーリィは何も口にしない。普段の彼女からは考えられないような対応だ。普段なら何かしら筋の通ったことを答えてくれるのに――
『ユウマ! アザミが行ってしまうぞ!』
「……ッ、ああクソッ……!」
何も答えないシャーリィと、後方でどんどん遠くへ歩いて行ってしまっているアザミを交互に見て、吐き捨てるように唸り声のような言葉を発して、俺はアザミを追いかける。
もう何が、一体どうなってしまったんだよ……!?
俺達は一体、どこで何を間違えてこんな最悪な状況になっちまったんだ……!
■□■□■
別に彼女は逃げている訳ではないので、走って追いかければ簡単に追いつけた。
「……どうして、追いかけて来たのですか」
彼女の隣にまで走ると、困惑しつつもアザミは足を止めてくれた。
……全力で走って疲れたのでありがたい。ぜーぜーやかましく呼吸しながら説得なんてしたくない。
「アザミ! どうしてそんな諦めが良いんだよ……いや、そんなことよりも戻ってきてくれ。ちゃんと説得すりゃシャーリィも分かってくれるって!」
「ユウマさん……」
アザミの道を遮るように回り込み、大の字で立ち塞がる。そうでもしなければ一言二言の返事で切り上げて行ってしまいそうだったから。
「ユウマさん、そこを退いてください」
「……嫌と言ったら」
そんな俺をアザミは強い目つきで視てくる。こちらも負けじと睨み返す――と、
「――“無駄だ”、と。魔女の代わりに私から言い返しておくよ、小僧」
一触即発な空気の中で突如聞こえた、今までの中で聞き覚えの無い男の声。
俺とアザミの間を遮るかのように挟まれた言葉は、山の方から聞こえた。
「……!? 誰だ!」
木々や草に紛れて暗い山の中だが……見える。いや、目立っていると言うべきか。
大雑把に言うならば、真っ白い装束だ。頭にはアザミがいつも被っている魔女帽子みたいな形をした白い帽子を被っているから、男の姿は見えても顔は見えない。
「……悪趣味ですね。さっきのやり取りを盗み聞いていた訳ですか」
「ああ。あの小娘の爆発力は侮れないからな……大切な協力者があんなところで殺されたら、こちらとしてはたまらんさ」
「何……!? アザミ、あの男を知っているのか……? いや、それよりも大切な協力者って……」
男とアザミを交互に見て尋ねる。さっきから困惑しっぱなしだ。
情報が頭の中で錯綜して、何をすれば良いのか、何を聞けば良いのか分からない。アザミとあの男の関係性も気になるし、あの白い服装、何か頭に引っかかるような――
「お初にお目にかかるよ、ユウマ君――いいや、クソッタレな魔法使いの残りカスめ」
「ッ、なんだよ……初対面でずいぶんな御挨拶じゃないか」
「彼は“魔道の密会”の一員です。現存する魔術師が集まって出来た組織……と言えば良いでしょうか」
「魔道の密会……? シャーリィが言っていた“組織”ってやつか……!」
「当たり障りの無い正確な紹介を感謝するよ、山奥の魔女。“魔道の導きのままに、我らの昇華のために”。我々は失ったモノを再びこの世に普及させるために存在しているのだよ」
「失ったモノ……?」
「……チッ、これだから頭の悪いガキは嫌いなんだ。その程度、少し頭を捻れば分かるだろうに」
「ッ、さっきから何だよ! 理不尽に人を見下して! 何をオトナ気取りが!」
正体の分からない――いや、魔道の密会なんてうんくさい組織だということは分かっているが――男からの当たりがやけに強くて、癇に障ったので俺は言い返してみせるが、男はすでに俺から感心を失っているらしい。
クソッ……本当に心底失礼な奴だな……!
「君の理想と我々の目的は一致している。彼女に拒絶された今ならもう分かるだろう? もうその理想を叶えるには我々と共に征かねばならないことを」
「――――」
「彼女は君を追放した。もう後戻りできない身なのは君が一番理解しているだろう」
「……ええ、そうですね。残念ながら」
「……!? アザミ!?」
土を踏む音を聞いて咄嗟に振り返ると、なんということかアザミは男の方へ足を進め始めた。
俺の制止も虚しく、そのまま男の元へ、山の斜面を登って行ってしまう――
「……良いでしょう。貴方達と私は、今から行動を共にするということで」
「やっと理解してくれて私は嬉しいよ、魔女よ」
「はぁ、貴方達のしつこさに折れたのと、私と貴方達との利害の一致だけが理由です。馴れ合いは要りません」
「それでも嬉しいとも。君が気にしている例の件は私達が対応しよう」
「……元凶が何を言ってるんですか。アレが貴方達のやり方でしょう。マッチポンプも良いところです」
「はて、何のことやら……」
……遠く、遠くで話が進んでいる。
なんだろう、何を話しているんだろう――分からない、分からないや。いや、分かりたくもないって言った方が正しいのかな。
アザミが、裏切り者? いいや、そんな、嘘だ。嘘だって。目を覚ませよ。たとえ悪夢だからとはいえ、こんな妄想、本人に失礼ってものだろうに――
――――立ち止まるな! 早く彼女を止めろ、ユウマ! ――
「……! ッ!?」
以前にも感じたこの感覚、鼓膜を介さない声。
訳も原理も分からないが、だからこそ今の一喝は一番効いた。
引っかかって回らなくなっていた歯車が、直った途端に遅れを取り戻すかのように回り出す。思考も、判断も、自分のものとは思えないほどに加速する。
「待てアザミ! 貴様逃げる気か! お前の掲げていた大和撫子とやらも、俺達と良い仲で居たいって言葉も、ただのお飾りだったのかよ! それがお前の本性なのかよ!?」
「――――ッ」
加速した思考の歯車が導き出した答え。俺の雄叫びに近い制止の声で、ようやく彼女は足を止めた。
俺の方へ戻ってくるどころか、振り返りもしなかったが、それでも彼女の足を止めることに成功した。
「喧しい小僧だな……」
「――待って下さい。彼への対応は私がします。元はと言えば、私が招いたイレギュラーですから」
懐から何か――武器だろうか――を取り出そうとする男の前にアザミは遮るように出て、そう説得した。
……なんだよそれ。これじゃあまるで今から俺とアザミが戦うみたいな雰囲気じゃないか……!
「……私はまだ、お前を信用しきっている訳ではない。裏切りの可能性も考えている」
「ええ、だからその証明をしてみせるのです。……それに、もし貴方がここで彼を殺してしまえば、貴方の言う小娘まで敵に回すことになりますよ。それは私と貴方――ひいては、組織に利の無い行いではありませんか?」
「……的確な正論だな。良いだろう、組織の未来を考えたその提案に免じて、この場を譲ろう。早くあのガキを追い払え。山頂で待っている。それで君の意思を証明したと定義する」
「はい。山道にはお気を付けて」
心から身を案じるというよりは、まるでそういう作法のような会話はそれで終わった。無機質な声色で淡々と言葉を口にするアザミを後にして、白ずくめの男はこの場を後にした。
きっと今の会話通り、山頂へ向かったのだろう――が、今の俺には微塵も関係ない。目的はここに留まって、敵意の爪を研いでいる。
「……シャーリィさんの元へ引いては頂けませんか、ユウマさん」
「ああ。さっきは動揺して何も言えなかったけどさ、山ほどあるんだよ……言いたいことが」
だが、まだ口にはしない。
お互い相手の“戦闘態勢”を待っている。譲り合いのような状態だ――が、そんな中で、アザミがいい加減に口を開いた。
「…………転生、しないんですか。それぐらいは待ちますよ」
「気が合うな。俺も待っていた。じゃあさ、同時で良いじゃないか? よーいドン、でさ?」
「……そんな公平性、戦の場で見せれば隙を突かれて死にますよ」
「死んでも生きるさ、俺は」
前菜のような会話は終わった。
よーいドン、なんてするほど可愛げがある訳ではないが、お互いナイフと小瓶を取り出して、いつでも転生できる状態になっている。
静粛が空気を支配する。だが、転生すればその空気は全て俺のモノになる。
あんな可憐で清楚な女性にやって良いことじゃないが、顔面をぶん殴ってでもシャーリィの元に引きずり戻してやる……!
「――転生」「――転生ッ!」
パリン、と砕ける音と、シュン、と掠める音。別々の音と同時に重なる掛け声。
互いに同時に転生し、戦闘態勢を取った瞬間だった。
「――ッ!」
先手を取ったのは俺の方だ。転生で増幅された脚力で愚直にも真っ直ぐ飛び出す。
……俺からすれば奪還戦で、アザミからすれば防衛戦だ。ついさっき俺の転生を待っていたように、彼女からしてみれば自分から動く必要は無いのだ。
(……そもそも、逃げずに真っ向から受けに来るとは)
些細な疑問点はそこだ。
彼女の魔法で一撃、二撃強力なものを俺の周囲にぶち込んでしまえば、その隙に逃げ出せただろう。だが、彼女から逃げの姿勢はまるで感じられない。
……逃げずに受けて立つのは自信や余裕の現れか? いいや、彼女がそんな慢心をする性格だったとは思えないが――
『ッ、ユウマ思い出せ! それじゃあ、あの怪物と同じ末路を辿るぞ!』
「……あの怪物と? ――ッ! そうか、しまった!?」
俺もただ何も考えずに飛び込んだわけではない。手の内に圧縮した空気を潜ませていた。アザミが相手でも恐らく一度は通じるであろう不意打ちの一手だった。
――その手の内を晒してまで、俺は空気を前方に噴射して強引に減速し、後方へ距離を取る。
カーレン村の山で行った怪物の殲滅作戦を思い出す。
あの時襲いかかった狼の怪物はどうなった? まさしく、このまま俺がやろうとした行動だ。目にも止まらぬ速度で刀を手にし、切り裂かれていたかもしれない。
「……? 今の声は」
ベルの声が聞こえて困惑しているのだろう。アザミは不思議そうな顔を浮かべている。ベルの存在が彼女にバレてしまうのは良くないが、それでも命を間一髪で拾えた方が大きい。
「ハァ……ハァ……ッ」
……恐ろしいな、本当に。あんな穏やかな顔をして、人を殺せる技術が爪を研いで待ち構えているだなんて。
「……ああ、なるほど。警戒しているんですね……私の殺し方を見たことがあるから、間合いに入れないと見ました」
「……? 何を……」
カタン、と複数の重量のあるモノが落ちる音。
あろうことか、アザミはなんと短刀を二本、何処に隠していたのか金属製のワイヤーを二束、背負っていた長弓を落とす。武装を自ら落として、手にしているのは一本の仕込み杖のみ。
「言いましたよね、ユウマさん。私と魔道の密会の方々は貴方を殺さない、と」
「ああ、聞いたさ。ナメてくれるよ……俺よりもシャーリィの方が怖いってか?」
「合理的な結論です。ただ、転生使い同士の決闘なら、使うのは魔法だけで良い」
「隙のある公平性を見せれば死ぬって言ったの、誰だったかな」
会話ではアザミの手を抜いたような態度に対して喰ってかかる姿勢を取っているのだが、この状況はチャンスだ。
正直、刀だの弓だの、あの技量と破壊力を上回る手段が思い浮かばなかったし、何より俺の知らない暗器まで出てきた。手の内を隠していたのは相手もだったらしい……真っ向勝負は俺の想像以上に危険な選択肢だった様子。
だから魔法一つで戦えるのならば、それは有利……と断言はできないが、少なくとも無謀な戦いではない。
彼女の扱える魔法が幾つあるのかは知らないが、警戒するべき対象があの杖一本に絞られている。彼女の魔力は弱まっていて、魔道具の補助が無ければ扱えない……あの言葉が嘘でなければ、一手上回る望みがある……!
「不殺で、自ら武器を縛るか。そこまでする意図は掴めないが……その余裕、たっぷりとつけ込ませてもらおうじゃないか……!」
『……気をつけてくれ、ユウマ。もう私も姿を隠している場合じゃない。私も可能な限り全力でサポートする!』
ベルの縛りも気にしていられる場合じゃ無い。ならやれる。俺達なら、きっとやってみせる!
ここで何が何でも、彼女の暴走を止めて連れて帰ってみせる――!
〜∅《空集合》の練形術士閑話「組織(魔術)」〜
魔法が消えた世界でもなお、魔術や魔法を再び求めようとする勢力は各地に存在すると、各国から報告がされている。
殆どの組織に共通している情報で、異世界を中心とした拠点を持つこと。非人道的な行いを何度か行なっている事が挙げられており、危険組織として国は注意深く探っている。
……しかし、異世界を拠点にしてる以上、そう簡単に見つけられる訳でも、確保できるわけでもない為、国からすれば心底困った存在として腫れ物扱い――対策したいが、どうしようもないので実質放置されている。




