Remember-59 ――/――
――月明かりが頭上を照らしている。
パチパチと火の粉を散らす焚き火を眺めるのを止めにして、私はその場から立ち上がった。
「? アザミさん、何処へ行くんですかい? 兄ちゃんの馬車はあっち――ああいや、すいやせん。今のはデリカシーってやつが無い質問だった……」
「あはは……気にしなくて大丈夫です。そういうのはお構いなく」
お手洗いに行くのだと勘違いしたらしいクレオさんが、腕をブンブン振りながら申し訳なさそうに謝ってくる。
「それに、お手洗いではありませんから」
「そ、そうですかい。でしたら何をしに? 夜の山は危険ですぜ。さっき獣の足跡があったから、間違いなく野生の動物が住んでますぜ」
「ええ、だからです。ユウマさん、ふらっと山奥に行ったっきり戻ってこないので、心配なので呼びに行こうかと」
「……確かに、用を足しているにしては長いな。それなら俺さんが行きやすよ。獣への対応はある程度慣れてやすから」
「聞いた話ですと、クレオさんは罠猟じゃないですか。追い込み猟と待ち伏せ猟では要領がまるで違いますよ。それに私、転生使いですから」
「ムム……それを言われると、何も言い返せないぜ……兄ちゃん、今の俺さんにゃ漢の立つ瀬ってもんが無いよ」
転生使いの名前を出されてクレオさんはガクリ、とうなだれる。
……この人は優しい人だ。だけど、申し訳ないけれど、大人げない主張を使ってでもこれは譲れない。
「任せて下さい。ユウマさんはちゃんと連れて帰りますから」
「……任せやしたぜ、アザミさん。だけど、不要な心配かもしれやせんが、くれぐれも用心してくだせぇ。転生使いだとか聞いてても、みんな少し変わっただけのただの人間なんですから。皆等しく怪我をするし、ヘタすりゃ死ぬんでしょう」
「私も人間ですか? 獣人族ですよ?」
「おうさ、俺さんから見ればチャームポイントが付いただけの人間さぁ! 仮に優しい人の心さえありゃ、その流転した怪物だって人間だとおもうぜ、俺さんは」
「あはは……それでは、行ってきます」
おうよー! と背中からクレオさんの声を聞きながら、私は明るい焚き火から離れて、暗い山の中へ足を踏み入れた――
■□■□■
――簡易通信装置の手順は簡単だ。
下部のスロットに燃料源となる四角形の媒介瓶を装填し固定する。次に半分に折り畳まれていた上部を開いて、コードを入力する。
これで十五分程度の通話が可能になる。
私は耳を伏せて、簡易通信装置のスピーカ部に耳を近づける。こういう時、獣人族であることを常々不便だと思う。
「…………」
……五分ほどノイズが続く。
あの人も常に暇なわけではない――いや、むしろ忙しいのに私のためにわざわざ時間を設けて下さっている。
燃料の媒介瓶も貴重品だ。一旦中断しようとした――その時、ノイズの変化を聞き取った。
『……すまない、時間をかけた。状況は?』
「現在、私はノールド村に居ます。こちらも簡易通信装置で連絡している状態で、残り時間は十分ぐらい……でしょうか」
『ノールド村……まさか、行動を起こす気なのか?』
「ええ……成り行きみたいな形ですが、結果論で言うならそういうことになりますね。ただし、まだ本格的には行動せず、潜伏しているような状況ですが……」
『何か問題があるのか?』
「ええ、思ったよりも付きまとわれている……といったところでしょうか」
そう答えながら暗い森を振り返る。
……本当はここでの通信も控えるべきだ。何時何処で、連中が耳を澄ましているか分からないのだから。
だが、それでもこの現状報告は何よりも最優先事項だ。想定していたよりも状況が大きく変わりすぎてしまった。布石は既に打ってあるが、万が一を考慮するとこの人の力を借りる必要性があるかもしれない。
「一先ず、残り三日がリミットなのは確定です。その間にどう動くかで――」
『……随分と緊張しているな。いつもより緊迫してるように聞こえる』
「……多分、その通りかと思います」
『了解した……時間はかかるが、私も君の元へ向かおう。それと、組織について追って聞きたいことが一つあって――』
「――待って下さい」
シン、と静寂が訪れる。
ノイズの向こうも言葉を止めて、私の状況をうかがっている様子。
『……追跡者か?』
「……誰かが近づいて来ます。まだ遠いですが……確実にこちらの方向へ向かってきています」
『どう対応する?』
「……いえ、対応に関しては恐らく大丈夫かと。任せて下さい」
こういう時、自身が獣人族であることを有難く思うのだった。
きっとこの足取り、荒い息の音……推測するに、ユウマさんだろう。あの人はなんというか、勘が良い――いや、違う。空気を読むことに長けている。何かを感じ取って、私の存在に気がついたに違いない。
『……では、通信はここで止める』
「はい、忙しい中ありがとうございました。それでは」
『ああ。それでは、組織の件は頼んだぞ』
「…………」
簡易通信装置を折り畳み、下部から媒介瓶を抜き取って懐にしまい込む。
……もうしばらくすれば、きっとユウマさんはここに来る。きっとこっそり、あの夜のように、私の様子を伺いに来るのだろう。
「…………」
彼は私に何かを隠している。
何を隠しているかはまだ分からないが……きっと恐らく、いや、間違いなく“そう”なのだろう。
(……疑われることには、慣れているつもりなんですけどね)
溜め息を夜空に。
獣の少女は、まるで処刑を待つ罪人のように小さく震えて、静かにその場で佇むのだった――