Remember-47 山奥の魔女/真っ向からの対話
俺達はあの後、アザミさんに客室へ案内され、今はシャーリィと二人で少し狭めの部屋で待たされていた。
……綺麗に管理された人の部屋だというのに、ここはやけに乾いた牧草のような匂いがする。匂いの原因はこの床なのだろう。王国でよく見た木の板とか大理石の床ではなく、この干し草を編み物のようにして造られた床板から香ってくる。別に不快な匂いって訳じゃないが、独特って感じがする。
それと、この部屋に入る前に靴を脱ぐというのもまた変わった対応だった印象だ。寝室でもないただの客室で靴を脱ぐ……というのは王国との文化の違いを感じる。
「……っと、お待たせしました。粗茶ですが、よければどうぞ」
まるで壁画のような引き戸を開けて現れたアザミさんが、足の短いテーブルの上に人数分、黄土色の液体が注がれた椀を置いた。
……ちょっと青っぽい匂いだ。でも悪臭ではないし、床の草の匂いとも違う若い植物の匂い。でもなんだこの……何だ? 不安が募る一方で、どこかこの感じに既視感はあるんだけども。
「粗茶……? えっと、ごめんなさい。初めて見るんだけど、これは……?」
流石のシャーリィも困惑している様子で、目の前の液体を指差してそう尋ねていた。俺もシャーリィの問いに便乗して滅茶苦茶頷いてみたり。
「……ああ! えっと、そうですよね。王国とこの辺りの村と比較すると、文化とか暮らしとかが色々違って戸惑いますよね……あはは……えっと、こちらは緑茶って言いまして……紅茶の原材料、と言えばいいのでしょうか」
「こ、この液体が、紅茶の原材料……!?」
シャーリィは酷く驚いた顔をしてもう一度その液体――緑茶とやらに向かい合った。こんな動揺している彼女は珍しい。
シャーリィはまず、疑い深そうに緑茶の匂いを嗅いで、紅茶を飲む時のような優雅さは無いが、穏やかに一口緑茶を口にして――なるほど、と呟いて頷いた。
「……確かに、似てる。うん、昔飲んだファーストフラッシュって銘柄の紅茶の風味と後味がする。美味しいわ」
「いや、そんな紅茶の銘柄なんて俺は分からないんだが……」
「あの、ユウマさん……こういう飲み物が苦手なようでしたら、遠慮せずおっしゃって下されば……」
「いや、大丈夫です! そんなもったいないことをする気はないので!」
申し訳なさそうにそう言ってくるアザミさんに凄まじい罪悪感を感じて慌てて問題ないと告げる。
……うん、シャーリィが大丈夫だったんだ。俺も飲める筈だ……紅茶なら何度か飲んだことがあるし、その原材料――いわば、これは紅茶の原点だ。俺に飲めないわけが無い! 多分! ああ、違いない!
「ッ…………」
シャーリィの紅茶とは違う器――取っ手の無いジョッキのような、円柱状に造った陶器、と言えばいいのだろうか。優雅さとは違って……なんと表現しよう、渋い? って感じがする。
……観察はこの辺までにしておこう。俺は少し重く感じるその器を両手で持ち、中の透明な黄土色の液体を口の中に少量、薄く広げるように味わった。
「ッ――キツすぎない程度に鼻を通り抜ける清涼感に、優しい甘味が後味に残る感じ……紅茶とはまるで違う、まるで“若い”って感じがするけど、口に残る濁りのような渋みは紅茶に似ている……この奥の深い感じが――」
「え、ええっと? ゆ、ユウマさん……?」
「気にしないでアザミさん。彼のこの感想を語る癖はもはや持病なの」
「なんて言うか……食事用じゃない、嗜好品って味がする! 味わって楽しむ為の飲み物――紅茶とか珈琲とか、そういう感じの味だ!」
「……ふふっ、とりあえず喜んで下さったようで私も嬉しいです」
脳が嗜好品だと認識すれば、後はもう抵抗感無く飲める。人肌よりちょっと高めの温度がまた優しい風味を際立たせている……うん、美味しい。お淑やかな味わいだ。
「……話が逸れちゃったけど、本題に入って良いかしら」
「はい。手紙でおおよその話は把握していますが、こうして直接お話を聞きたかったので、どうかお願いします」
新たな文化との遭遇はこの辺にしておいて、シャーリィが静かに提案するとアザミさんは凜とした姿勢と声で答えた。その手元にはシャーリィがアザミさんに宛てて書いた手紙が握られていた。
……アザミさんの姿勢があまりに綺麗だから、足を崩して座っている俺とシャーリィも、その雰囲気に飲まれて自然と姿勢が正される。さっきから正座を保っているが、アザミさんは足が痺れたりしないのだろうか?
「まず確認がしたいわ。貴女とは手紙でやり取りした時、通訳者って名乗っていたけど……これは本当?」
「はい。至らぬ点はあるかと思いますが、日常会話程度でしたら五種類の地域語を話せます」
「えっと、俺たちが最初に向かった村……名前はなんだっけ、海が近い村なんだけど……そこの地域語も?」
「海が近い……ああ! ノールド村でしょうか? そちらの地域語も問題なく話せますよ」
なんて心強い返事なのだろうか。アザミさんは胸に手を当てて“任せて下さい”と言わんばかりに微笑んでいた。
……しかし、シャーリィは頷くだけで喜んだりはしていない。まだ確認とやらは終わっていないのだろう。
「そう。最後に確認しておきたいんだけど、貴女は転生使いで間違いないわね?」
「…………はい。私も転生使いです」
「疑っている訳じゃないから無理強いはしないけど、試しに今この場で転生してもらえないかしら?」
ピン、と鋭い金属音。異音にハッとして振り返った時には既に、シャーリィは短剣を引き抜いてテーブルの上に――アザミさんの手の届く所に――置いていた。
そんな気軽に自分の首を刃物で切れって頼むか普通……!?
「えっと……シャーリィさんは短剣で転生する人なんですね」
「……ん? え、えっと……それ以外にあるの?」
「私は刃物じゃないやり方で転生するタイプで……ああ、刃物でも出来ますよ! ただ普段とは違うのでちょっと不安が――」
刃物以外の転生の方法。それについてはシャーリィも知らなかったらしく、少しきょとんとした反応をしていた。
その一方、アザミさんはワタワタと慌てながら出来ると主張して、短剣に手を伸ばそうと――する前に、俺はシャーリィの短剣に手を伸ばし、回収していた。
……流石にあの慌てながらで、刃物を使った転生は危険すぎる。手元が狂いかねない。
「……シャーリィ。確認したいのは分かるけど、今回は止めた方が良いと思う」
「…………そうね、ありがとユウマ。アザミさんも無理を言ってごめんなさい。そういうことなら、これは危ないものね」
「いえいえ! 私こそ、その……期待に応えられなかったみたいで申し訳ないです」
「そんなことないわ。むしろ興味が湧いた。後でその刃物以外での転生方法について聞かせて貰っても良いかしら?」
「はい、もちろん構いません。いえ、是非とも情報共有しましょう! 私、こうして直接転生使いと会うのは初めてなので、楽しみにしていました!」
「ありがとう。それで頼みたいことがあるのだけど、その手紙に沿って事情を説明すると――」
一瞬、ヒヤッとするやり取りがあったが、その後は変なことも無く円滑な会話が続いた。
反ギルド団体との一件があり、地方の人々を切り捨てること無く、問題解決に当たる存在がこの世界には必要だと再認識したこと。その中でも、転生使いにしか解決できない異世界絡みの問題に挑む存在が今の世界には必要で、我々はその存在に成りたいということ。その為に各地の転生使いを集めていて、アザミさんの力が必要だと判断したということ――
……大雑把にまとめると、そんなことをシャーリィはアザミさんに話していた。シャーリィの熱意のある演説に、アザミさんは真摯に答えるように頷いたりしていた。
「……という訳なの。これが私達の目的。ただそれは簡単なことじゃなくて、まだまだ力不足だと感じているわ」
「それで、私に助力を求めた……そうなんですね。はい、伝わりましたよシャーリィさん。貴女の背負っている覚悟と、その熱意が。聞いているだけで胸の奥底に伝わってきました」
「ありがとう……それで、急かすようで悪いんだけど答えを聞かせて貰えないかしら」
――静寂。
この部屋は、外の自然の音や気配が感じやすい。小川が流れる音だけが一瞬、この部屋を支配していたように感じられた。
「……私の感情で答えるなら、シャーリィさん。貴女の考えに私は賛成しています。この世界はどこかおかしくなってしまっている……突然存在が消えた魔法に、そのポッカリ空いた空白を、後付けで埋め合わされた“魔法はおとぎ話の存在”だなんて矛盾した辻褄。山奥で暮らしているだけの私ですが、そんな私でもおかしいって違和感は感じていたんです」
「やっぱり、違和感を感じているのは他の転生使いも同じよね……」
「それなのに加えて、この世界は“異世界”を各地に生み出して、シャーリィさんの言う通り転生使いを必要としている……こんなの、おかしいです。この世界は何かが狂ってしまっているような――そんな感じがします」
「アザミさん……」
宛ての無い怒りのような言葉を、アザミさんは視線を落として語る。膝上に置いている手にも力が籠もっているように見えた。
……やっぱり、転生使いはこの現状に疑問や怒りを感じているのか。むしろそんなことを知らずに呑気している俺が異例なのだろうか。
「貴女の感情での答えはよく分かった。でも実際は、何か理由があってそれはできないんでしょ?」
「えっと、その……はい。確かに、諸事情でこの場を離れるのは難しいです……」
「? 逆に言えば、その諸事情ってのがどうにか解決すれば協力してくれるってことか?」
「……確かに、今私が抱えている問題を全て解決することができたなら、心残り無くこの場を離れることができます。そうなれば、あなた方に対して全面的に協力したいと思っています」
「! シャーリィ」
アザミさんのとても前向きな返答を聞いて俺はシャーリィの方を見る。彼女も俺の顔を見ていて、どうやらお互い考えていることは一緒らしい。
「決まりね。その諸事情ってのは幾つあるのかしら。“全て解決することができたなら”、っていうことは複数あるんでしょ? 全て片付けるわよユウマ」
「そうだな。アザミさん、その内容を聞かせて欲しい。何をやるにしても内容が分からないと何もできないからな」
「シャーリィさん、ユウマさん……! そんな、事情があると口にしておいて言える立場ではありませんが、ご迷惑をかけしてしまって良いのですか?」
「困っているなら手伝う他ないですよ。それと――」
粗い手触りの土製のコップをズズ、と手で押してテーブルの上を滑らせる。椀の中身はすっかり乾いていた。
「……この緑茶のお代わりを頂けませんか? ついつい飲みたくなる味って言うか……」
「ッ、はぁ……アンタねぇ……」
ガク、と一瞬うなだれる反応をして、呆れた様子で俺に湿度の高い視線を送るシャーリィ。
……確かにお代わりだなんて図々しい発言だったかもしれない――って、そう言っているシャーリィもいつの間にか全部飲み干しているじゃないか! シャーリィだってお代わりが欲しかったんじゃないのか!?
「……ふふっ」
そんな俺たちを見て、アザミさんは口元を手で隠す上品な仕草で笑っていた。
「はい、分かりました。お二人に協力をお願いしたいので内容についてお話します……が、先にお茶のお代わりを持ってきますね」
〜∅《空集合》の練形術士閑話「和室」〜
この手のモノは極東の国の文化とされていて、ネーデル王国にも記念物として城の敷地内に存在しているが、アザミの客室のような一般人が和室を持つのは極めて珍しい例である。
……いや、珍しいというよりは「なんでわざわざ用意したの?」と表現するべきか。畳や襖は高価だし、運送も大変だし〜と、机と椅子に慣れたネーデル国民からすればそんな認識である。ネーデル国王曰く、「足がビリビリして痛い」。
ってか、そもそも和の文化を知らない人の方が多いのである。




