閑話1 戦いの傷跡/治療とかその他諸々の溢れ話
「ん……ふぁ~、あぁ……眠……」
トン、トン、と階段を降りながら大きく伸びをして欠伸をする。
……このギルドで寝泊まりするのはこれで二回目だ。意外と少ないんだな~とか、そんな呑気な思考で寝ぼけた頭のウォーミングアップをする。
(ッ、傷は塞がったけど、まだ打ち身が治りきってないな……不意に押したり動かしたら痛む)
なんとなく肩を回して、不意に感じた痛みに思わず顔をしかめた。
反ギルド団体との激戦はたった昨日の出来事なのだ。むしろ切り傷なんかの治りが良すぎるだけで、この打撲みたいに怪我はフツーこんなに早く良くなるものじゃない。一部の騎士兵はしばらくベッドの上で生活することになってるみたいだし、それぐらいがフツーってやつなのである。
この傷の治りの良さも転生使いの恩恵ってやつなのだろうか。因みに比較対象になりそうな同じく転生使いのシャーリィは、目立った怪我を全く負ってないので参考にならない。あんなに暴れるだけ暴れておきながら怪我が無いだなんて、本当にあの王女様はメチャクチャ過ぎる。
閑話休題。
「……ん、レイラさんおはようございます」
階段を降りきって大広間に出たところで、書類仕事をしているレイラさんの姿が見えたので挨拶する。
……あまりにも呑気な朝だ。遠くで小鳥の声が聞こえる。そんな雰囲気に誘われて、俺は思わず欠伸を浮かべて――
「ゆ……ユウマ君……!? どうしたの、それ!?」
欠伸で開いた口を閉じ、呑気に瞼を擦っていた俺に対するレイラさんの朝の挨拶は、そんな緊迫した声だった。
“それ”が何を指し示しているか分からないが……俺の体の何処かってのは確実だ。胴体を満遍なく触れてみたが、特に何も分からなかった。
「えっと……何かありました? 服に変な染みとか――」
「何かありました、じゃない! えっと……とにかくベッド! ベッドに戻って!」
「ええ……? 何で?」
「良いから! ペーター! バーン! 大変! すぐに来て!」
「???」
レイラさんに背中を押されて階段を上り、自室に押し戻されてしまう。予想もしなかった事態に俺は頬をポリポリと掻いた。
……? なんかちょっと、ヒリヒリするような。でも頭のモヤモヤの方がでかい。あの対応は何だったんだ?
『なんか騒がしいな……どうしたユウマ、顔を洗ってくるんじゃなかったのか?』
上着のポケット――部屋の上着かけに引っかけたままだ――からベルの不思議そうに話しかけられた。いや本当に俺にも分からない。下で顔洗ってくるつもりだったのに。
「いや、それが……レイラさんにベッドに戻れって怒られた」
『は? そりゃなんで……ユウマ、そこには誰も居ないな? 私がユウマを視てみようか。ひょっとして、来客中に酷い寝癖のままほっつき歩いていたんじゃないのか?』
「別に誰か来てるって感じじゃなかったと思うけどな……」
そう言うと、窓ガラスからベルがひょっこりと顔を出して俺の顔を観察し始めた――その直後、酷くびっくりした顔を浮かべていた。
『ユウマ! 大変だ! なんて言うか……全身が発赤している! 白目まで酷く充血してるぞ!』
「全身が、ほっせき? 目が充血?」
『肌が真っ赤ってことだよ! 日焼けした直後みたいにさ!』
「肌真っ赤ってどんぐらい? 顔中?」
『あー、腕もだよ腕も! ってかそこが一番酷いんじゃないか!?』
そう指摘されて腕を見てみると……本当だ、赤いし、肘より先の腕がカサカサと乾燥しているように見える。
……自覚した途端、なんかかゆみを覚えてきたぞ。肌がピリピリするし、腕は痛痒い感じ。目に関しては……よく分からない。
『簡単に言えば、重度の日焼けだ! 腕の状況は火傷に近いかもしれない。確かにコレは怪我人として対応されておかしくない。というか何事も無さそうなユウマが変だよ変!』
「……外は気持ちの良い朝だなぁ。なんで俺、朝から色々言われなきゃ駄目なんだ」
『現実逃避は良いから! 私からも頼むからベッドで安静にしててくれ』
……今日は色んな人から寝てろ! と叱られる日らしい。
俺は素直に、若干やけっぱちにベッドに背中から飛び込んで大人しくすることにした……
■□■□■
「……日焼けね。しかも重度なやつ。腕の所は火傷かな。でも表面だけで肉まで影響は無いと思う」
「シャーリィさん、本当にそれだけ? その、スモッグって体に悪いガスが充満しているんでしょ? それそせいとかは……」
あの後、レイラさんは緊急でシャーリィを――例の藁小屋で寝ているところから――呼んできたらしく、俺はレイラさんとシャーリィの二人がかりで診察を受けていた。
……あと、一般人からの異世界……いや、スモッグへの認識はそうなっているのか、とひっそり勉強になった。人を近づけないカバーストーリーが色々仕組まれているんだなぁ……
「違うわ。でも、だからこそ逆に謎なのよね……なんでこんな火傷一歩手前の日焼けなんてしてるのか……」
「……それについては、ちょっと心当たりが」
塗り薬でベタベタに、その上から包帯でグルグルにされた腕を上げて主張する。
「心当たり?」
「えっと……スモッグの中でさ、ベルホルトと戦った時に電撃を利用して装甲をこじ開けただろ? あの時凄い熱と光を浴びてさ……もしかしたらなんだけど、それが悪かったりしない……?」
レイラさんが居るから言葉に迷ったが、流転したベルホルトとの死闘の際、俺は電撃を利用して溶接の要領で鉄板を切断した。で、その際に発した太陽の光にも勝る閃光を至近距離から、遮蔽物もなく浴びたのだ。
それが日焼けの原因なのかは不明だけど、腕の火傷に関してはそれが原因だろう。目の充血もその閃光を見たのが原因かもしれない。
「……答えは出たようね。レイラさん、普通に火傷の時の対処法で大丈夫みたい。問題は目だけど……冷水で冷やした布を当てるぐらいしか思いつかないなぁ。後は任せて良い?」
「う、うん……全身の日焼けはどうすれば良いの?」
「……本人はそんな気にしていないし、そのままで良いんじゃない?」
雑なこと言われた気がするけど、実際少しヒリヒリする程度なので気にしなくて良いと思う。
シャーリィはレイラさんに対応を諸々一任すると、立ち上がってこの場を去ろうとする。俺のことを心配していない、という訳ではないっぽいけど、なんか寂しい対応だな。
「……何か言いたげな顔ね。ああ、そうだ。ユウマ、貴方のガラス、今日は暫く借りても良い?」
「ベ――いや、ガラスをね。そこの上着の右ポケットだよ」
「ん、それじゃあユウマ、お大事にね。出発の件はまだ先の話だから、お互いゆっくり体を休めておきましょ」
そう告げると、シャーリィはベルをこっそり連れて俺の部屋から出て行った。
……そういえば、シャーリィは怪我こそ負っていないが、体力の消耗は俺以上に激しかった筈だ。こんな俺の怪我なんかに対応していないで、自身の回復に専念していて欲しいのが正直な感想だ。
でもベルを借りて行くということは、今後――異世界の問題解決に挑み、俺たちの記憶の手がかりを探す旅――について色々相談したり、行動方針を話し合ったりするのだろう。やっぱり彼女は何もない日にでも働き続けてしまうタイプの人間だ。或いは仕事が息抜きになってしまっているタイプか。
「…………」
「……? レイラさん?」
「ああいえ、その……うん、そうね。ユウマ君には色々な事をしてくれたんだから、これは恩返しの時ね!」
「……恩返し?」
「ええ! その充血した目とか焼けた肌とか、その怪我……怪我? が元通りになるまでの間は、私たちに任せて!」
フンス、と一人で意気込むレイラさんにさっきから困惑してばかりだ。
だけどまあ、俺が事の重大さを把握できてないだけで、立派な怪我人であることはシャーリィからも言われた。ギルドの人員は少ないのだし、正直に言うと手を煩わせるようなことはしたくなかったが……
「えっと……お願いします。お手数をおかけしますが――わばっ!? し、視界が!?」
「っと、ごめんね! まずはその濡れ布巾で目を冷やしてて。朝食とかはペーターに頼んで食べやすい物を持ってくるから!」
冷たく冷えた布巾で目を覆われて視界が隠された中、トントンと駆け足でこの場を立ち去る足音が聞こえた。
……確かに、皮膚と目が熱を帯びている。少しずつ冷えていく目元が心地良い……と、また駆け足が聞こえてきた。
「――お待たせ! 今日はバーンが担当でね、お得意の野菜のスープを作ってくれてたの」
「えぇ……早いぃ……スープなのに運び出す速度に遠慮が無いぃ……」
レイラさんの持って来たトレイの上には、ちょっとだけ野菜が転がり落ちた野菜スープが載っていた。
……案の定、スープは惨事だ。でも無視できる程度なので気にしないことにしようかな。
「ありがとうございます。食べ終わったらトレーを戻しに行きますね」
「? いや、それだとユウマ君を歩かせることになるでしょ。トイレとかは仕方ないけど、目の布巾なんかも出来るだけ取りたくないから……ほら」
と、口元に近づくスープ入りの木製スプーン。
……ひょっとしてだけど、レイラさん。この人、俺に食事の介助をしようとしていらっしゃる……?
「ほら、口を開けて」
「…………」
「不本意そうな顔で食べたわね……目元隠してても分かった。どう? 口に合う?」
「ん、サッパリとした塩気が溶け込んだ野菜に合ってる。ベーコンの塩気と肉の風味がちょうど良い感じに――」
「オーケー、ユウマ君が褒めるって事は間違いなく美味しいってことね。ほら、食べ終わったら口を開けてね。ほら、あーん」
「……はい」
……色々ツッコミ所が多いが、助かるのは間違いない。あと美味しい。
流れのままレイラさんに食事の介助をしてもらって、お腹を良い感じに満たし終えた。レイラさんは目元に当てる布巾を冷水に漬けなおして絞っていた。
「……今日はやけに優しいですね」
「え? やけに、優しい……?」
「ええ、ここまでして貰うとは思ってなかったので」
「……正直に言うなら、嬉しかったから」
ほんの一瞬の静寂の中、布巾から絞られた水滴がバケツに落ちる音。レイラさんはまるで母親のような微笑みを浮かべてそう答えた。
「嬉しかった……? えっと、無事に帰ってきたことがですか?」
「そう。ユウマ君って無茶する性格じゃない」
「それに関してはシャーリィには負けますよ」
「いいえ、シャーリィさんにも負けず劣らずって感じ。この前のギルドマスター救出の際に大体分かった。だからこうして、怪我をしたのは問題だけど、無事に会えて話せるのは私にとってこの上なく嬉しいことなの」
「レイラさん……」
「それに、反ギルド団体を殺さず、王国に連行するようにしたんでしょ? ユウマ君もそれに賛同していたってシャーリィさんから聞いたわ」
「? 待って下さいよ。そこも嬉しいって感じた点の一つなんですか?」
「まあ……そうね。その人達は悪い人だけど、政策に翻弄されて苦しんでいた人達でもあるから……私達との違いは、たまたま幸運に恵まれなかっただけだもの」
「……?」
何か、心に思い浮かべて“それ”と今の話題を重ねている様子。
気にはなるけど、それについて詳しく掘り下げるつもりは無かったので、新しく添えられた濡れ布巾に身を預けることにした。ちょっと冷たッ。
■□■□■
「――のう、ユウマ。調子はどうじゃ」
……いつの間に寝てしまっていたのだろうか、気がつくと耳元で……えっと、この声は、ギルドマスターだ。彼女の声が聞こえた。
「もしかして、もう寝てしまったのか?」
「……いえ、起きてますよギルドマスター」
「ああ、よい! 目元の布巾はそのままで良い。会話だけで十分だ……窓、開けて良いか?」
「お願いします」
トテトテ、とした軽い足音の後に「うんしょ……ッ」なんて身長差に苦しんでいそうな窓を開ける音がした。
「……もう夕方ですか? 早いですね」
「お主、外の匂いで時間が分かるのか?」
「ええ、特に夕方は簡単ですよ。空気が冷えてくる頃の匂いに混ざって、何処かからスープを煮込む良い匂いが風に乗ってくるんです」
「……本当だ。でもまあ、バーンの作った塩ベーコンの野菜スープには敵わんだろうな」
「そうかもしれませんね……でもこの王国の料理はどこも美味しいですよ」
ちょっと油っぽい気もするけど、実際この王国の料理は美味だ。とても恵まれている……
「……こうして幸せな営みを得られるのも、我々が裕福層に属しているからだな。近辺の農村ではそろそろ肉体労働を終えて、質素な食事と共の疲れを癒やすらしい」
「ギルドマスター……」
「まあ、話に付き合っておくれよ。どこから話に付き合ってもらおうか……そうだな、レイラ達の話からにするか」
呑気な口調だが、その表情は……見えねぇ。濡れ布巾で一切の視界の情報が遮断されてしまっている。
「レイラ、ペーター、バーンはのう、どちらかと言えば貧困層の人間だった。まだ奴らが幼い子どもの頃の話な――ああっと! この話をしたことは内緒でな?」
「……まあ、内緒は今に始まったことじゃないし」
国家機密級の内緒話を手渡された事とかありましたし。
「私が王国の政治に関わる身分になった直後、自分がどう国を動かしていけば良いのか分からず、責任の背負い方にも苦労して、夜の町を一人歩いていた時のことじゃ。こっそり王国に忍び込んでいた貧困層の子どもが三人、偶々通りかかった道の路地裏でゴミを漁っていた」
……それからギルドマスターは語り続ける。
自分の今後、あり方に悩んでいたギルドマスターと、生きるために彷徨っていた当時のレイラさん達。ギルドマスターにとってそれが妙に心に引っかかって、思わず拾ってしまったらしい。
当時のペーター、バーンさんはもう精も根も尽きていて大人しかったが、レイラさんだけは違ったらしい。ガラス片を片手にギルドマスターに抵抗しようとしたが……大人げない方法で叩き伏せたとか。扇子で目潰しして両耳を叩いて鳩尾に握り拳は子供にすることじゃないと思う。
「そうして私が三人に居場所を与え、育て上げた。三人を選んだ理由は何も無い。ただ、偶々そこに迷い込んでいて……ちょうど、私も色々と迷っていたからだった。そんな訳で今に至る訳だが……三人とも、反ギルド団体のことを自分たちと同じ境遇の者たちだ、なんて少なからず感じているに違いないだろうな……」
「そういえば、俺があの場で反ギルド団体を殺すことに反対したって話を聞いて、嬉しそうにしていたな」
「おお、よくやったぞユーマ! レイラの好感度、アップじゃな!」
「…………」
「……のうユーマ、お主の顔はよく分からないが、今お主は冷めた目をしておらぬか?」
その台詞、どう反応すりゃいいのやら。
多分そういう深刻な内容に対してノリが軽い部分が、シャーリィから絶妙に反感を買うんだと思うんですけど。
「コホン、それで……私も、もう一度あの時の気の迷いをやってみようと思う。私も今、この国のあり方にほんの少しだけ疑問を持っていてな……貧困層への助けがもっとあって良いと思う。いやまあ、その辺はシャーリィとユーマが異世界問題のついでに取り組んでくれるらしいが……私も私で変わらねばならぬ」
「それで、一体何を?」
「ああスマン、話が逸れていたか。あの反ギルド団体、政策に不満があるが故の行動だったらしいが、逆を言えば政策に不満が無ければ良いのだ。だからまず政策を見直す。そして、反ギルド団体を拾おうと思う。レイラ達を拾った、あの日のように」
「反ギルド団体を、拾う……」
外の風が部屋に流れ込む。何処かの家の今日の夕食がなんとなく把握できる。
ギルドマスターはどんな顔で今の言葉に決意を込めているのだろうか。この濡れ布巾を取れば分かりそうだが……止めた。そんな興味本位で、あの人の決して軽くない決意を覗き込んではいけない気がした。
「反ギルド団体の今後の処遇について決める裁判は明後日。ネーデル王国中の貴族が集まると聞いた……いやー、骨が折れるのう……でも、私はやるつもりだよ」
「昔と違って大変そうだけど、それでも彼らを拾おうと?」
「シャーリィもペーターもバーンも、そして反ギルド団体も。みんな一緒なのじゃよ、ユーマ。これでも私はギルドを任された責任者だ。全く同じモノを救えなくてどうする」
「でもそんな簡単な話じゃ――」
「幸運は誰にでも訪れるモノだ。私はそう考えている……あの時レイラ達が拾われたことが幸運であったなら、同じく彼らにも幸運が訪れるべきだろうて」
窓をなんとか閉める大きな音の後に、トコ、トコ、と軽い足音が遠ざかるのが聞こえる。
話すことを話して、ギルドマスターはこの場から立ち去るつもりらしい。
「……今朝方、レイラさん達に看病して貰ったんだ」
「聞いてるよ。あの時の心配そうなレイラの顔ときたら……フフッ」
「……もし、これからやることが。反ギルド団体をまた拾おうとするんだったら……きっと拾われたその人達は、今日のレイラさんみたいに人を思いやる優しい人達になると思うよ。だって、ギルドマスターの言うあの時と全く同じことをこれからするんだから、同じ人になって当然だ」
「……ふふ、ユーマ。お前も負けじと人を思いやる気持ちが強いな……よーし! 気合いが入った! あの殺処分しか頭に無い貴族連中に一泡、いや滅茶苦茶泡を吹かせて泡風呂にでもしてしまおうかなー! あ、今日の夕飯は魚じゃぞ」
優しい言葉と決意表明と夕飯情報が嵐のように飛び交い――パタン、と優しく閉じたドアの音と共にそれらは止んだ。
……静かな夕時。前よりも肌が赤く熱を帯びている感覚は薄くなっているし、包帯でグルグル巻きの腕は目視こそできないが良くなっている予感がする。夕食の魚とやらは自分の手で食べることが叶いそうだ。
「……彼らがタダの悪人じゃないって感じるのは、他の人も一緒なんだな」
眠気は無いが、ベッドに身を任せながらポツリと。だがそれを聞いてくれる聞き手はここには居ない。
何処かから香る夕飯の匂いのように、この小言も夕暮れの空気に混ぜて、何処か遠くへ流してしまおう――




