Remember-38 少女青年の∩《共通部分》/朝焼けと共に
――ありがと。でもちょっと気分転換でもしてこようかな、私――
――そこまで遠くじゃないわよ。気が済んだらすぐ戻るから、ユウマ達は引き上げる準備が終わるまで適当にゆっくりしてて――
……こんなこと言ってたから、そう遠くないって思うじゃん?
きっとその辺をブラブラ歩いて、今までやってきたことへの感傷に浸る程度だと思うじゃん?
シャーリィの“そう遠くない”発言を信じている以上、疑う余地なんて浮かばないじゃん?
「ぐ……なぁにが“そこまで遠くない”だシャァァアリイイィィ……!」
「……いやあの、勝手に後を追ってその台詞はどうなのかと思うんだけど、私が悪いのコレ……?」
『すまないが甘んじて受け入れてくれ、シャーリィ。ここまで来るのにユウマは三回も斜面で転んだんだ』
「あー、それも私が悪いんだぁ……」
腹からゼーゼーと荒い呼吸をしている俺を見て、シャーリィは岩に腰掛けたまま引きつった表情を浮かべていた。
……まさか、彼女の言う“ちょっと”が崖の上だなんて聞いてない。いやまあ、実際目的地を聞いてないし、移動距離自体はそこまで遠くないのだが。しかし転生していても崖登りは苦痛以外の何物でもないのである。
『なんて言うか……ただの八つ当たりだから気にしないでやってくれ』
「そうするわ……で、貴方たちも気分転換に来たって訳?」
「とりあえずそんなところ。俺は騎士兵と関わりが全くないし、ベルはそれ以前に人前に出して良いのか分からないから。どうしても窮屈に感じて」
「あー、確かに貴方たちじゃそうなるか。なんか取り残しちゃってごめんなさいね。隣、座る?」
シャーリィはそう言うと腰掛けている岩を小さく叩いて誘ってくる。地面から半分だけ顔を出している岩は彼女が小柄なこともあって、あと一人ぐらいはギリギリ座れるぐらいの余裕はある。
このまま立っているのもアレなので、俺は彼女に誘われるままに隣に座ることにした。
「……ち、近いわね思ったより」
「流石にこれ以上お互い離れるのは無理じゃないか?」
「……汗とかかいてないわよね。変な臭いとか……」
「特にしないと思うけど……というか俺は気にしない――あ、いや。シャーリィ自身が気にするのか」
「よく分かってるじゃない。でも気にしないでいてくれるなら……その、助かる……わ」
ほんの少し横に傾くだけで寄りかかってしまう程に近い距離――というか、互いの腰が触れあってるし距離なんて呼べるものすらない状況だ。
……別に汗の臭いはしない。それどころか花か果実みたいな……なんとも表現しづらい良い香りがする。嗅いでいると落ち着くような鼓動が早まるような――って、あんまりそうやって匂いとか嗅ぐのは失礼かもしれない。咳払いをして頭の中を仕切り直した。
「……今日はその、ありがと。いや、ありがとうだけじゃ足りないぐらい感謝してる」
「良いってそんなの。忘れてるかもしれないけど、俺が無理言って頼んだんだからな? 窓から侵入して即バレしながら」
……自分で言っておいて中々酷いな自分の行動。酷いっていうか残念だ。
そんな感じに気にしていないと告げるが、シャーリィはうんともすんとも返事らしい反応をしない。いや、それどころかさっきより険しい表情になっている。眉間にしわを寄せて、ムッとした表情で俺をジッと睨んでいた。
「えーっと……何だ?」
「……そうじゃない」
「だから何を……シャーリィ? 何を……」
さっきよりも重みのようなものを感じて、シャーリィの体が重みを預けるように俺の体に寄りかかっていることに気がついた。
もしかして気づかぬ間に俺が座る場所の幅を取り過ぎてしまったのだろうか……? そう思って離れようとしたところで、腕に彼女の手が絡んでいることに遅れて気がつく。いつの間に絡んでいたのだろうか、これでは離れることが出来ない。
「あの。シャーリィさんや」
「……私は、貴方に何か形のあるお礼がしたい。どれもこれも、一生忘れられないぐらいの恩だっていうのに、貴方はたいしたことじゃないように言って……そうやってすぐ逃げる」
……なんか、頭の中がクラッとする。頭の中に火種でも投げ込まれたみたいにジリジリと妙な感覚がして、顔は熱く頭の中は真っ白だ。
俺のことを逃さないように俺の腕を抱きしめるように絡みつき、上目遣いで訴えかけるシャーリィの表情は……なんだコレ。本当に何なんだコレ!? なんで内心慌ててるんだ俺は……!?
「……ちょっとシャーリィ待った。なんて言うか……近い」
「ッ……わ、分かってるッ、わよ……! でもそんなこと気にしていたらユウマってばすぐ逃げるから」
「いやいや、逃げない。逃げないから」
「いや逃げる。隙を突いてすぐ逃げる」
「……逃げない」
「逃げる!」
「逃げませんってばさ」
「逃げるってば! 絶っっっ対にッ!」
……お互い何をそこまで本気になっているのだろうか。気がつけば真っ白に焼けた頭の中はおかしな方向にへと白熱してしまっていた。
逃げるとか逃げないとかそんな謎の張り合いがもう少しだけ続き、体力を消耗して互いが疲労した頃にようやく収まったのだった。
「ぜぇ……ぜぇ……わ、分かった。そこまで譲られなかったら受け入れるしかない……実際シャーリィにお願いしたいことがあったから」
「フー……フー……そ、そう。ふぅ、分かってくれたのなら、ハァ……良かったわ」
「……なんで俺たち、こんなことで息切らせているんだろうな」
『本当だよ。全く、シャーリィまで何をしているんだか』
今更なことだが、我ながら何をやっていたんだろうな。ベルからもツッコミを入れられてしまったし。
そんなこんなでいい加減に冷静になると、熱とか勢いに任せて口にした言葉とか行動に対して羞恥心が働き始める。シャーリィは慌てて絡めていた腕を放して、俺は密着していた体を少し動かして距離を取る。
「……な、なんか変なことしたせいで会話に困るわね。と、とりあえず用件から聞こうかしら。私に頼みたいことがあるんだっけ?」
「ああ。シャーリィ、もう一度“交渉”がしたい。俺たちの今後を決めようとした、あの交渉をだ」
「……ああ、あの宿屋で話した件ね。貴方ってそういうところ変に真面目よね」
ほんのりと茶化すように――だが、用件に関しては真摯に受け止めるように、シャーリィは微笑みながら頷いた。
「シャーリィは魔法の衰退、異世界の問題に立ち向かいたい。俺とベルは自分の記憶を取り戻したい。これがお互いの目的……で合ってるよな?」
「大体ね。魔法衰退の謎を解き明かして、できるか分からないけど世界に魔法を取り戻したい。そして、唯一立ち向かえる転生使いとして、異世界の問題に立ち向かいたい。ここまでは貴方に話したことのある目的ね」
『……? 他にもあるのか?』
ベルが尋ねた通り、まるでシャーリィには他にも目的があるかのような口ぶりだ。この人貪欲すぎない? とか冗談半分に口にしたら話が脱線してしまいそうなので口は閉ざす。
「……残った僅かな魔法使い、転生使いを各国は兵器や資源のように、“我が国のモノ”として取り扱っているの。でも今はそんなことをしている場合じゃない。国や経歴、身分なんてモノを越えて、今この世界に残された魔法使い、転生使いを集めて現状に立ち向かう必要があると、私はそう考えているの」
座っていた岩から立ち上がり、演説のようにシャーリィは語り出す。
そこには自由奔放な“少女”の姿は無く、未来を憂い行動を決意する“王女”の姿に見えた。
「だからこれは今叶えたいんじゃなくて、最終目標って感じ。魔法の衰退や異世界に立ち向かえる、この世界に貢献できる大きな組織を、私は作りたい」
「……なんだか、話がデカすぎてついて行けなさそうだな」
「でしょ。私もまだ無理な話だと思ってるわよ……話が逸れたわね。貴方の交渉を続けて」
……やっぱり、この少女は凄い。
自分の中の語彙力じゃ上手く表現できないけれど、とにかく未来を遠く遠く捉えて、架空にならない程度の夢を追いかけている。自分には無い眩しさが秘められていたのが今の話で伝わってきた。
「あの時の交渉だと、両極端だったじゃないか。自分の目的一筋か、シャーリィ一筋か、的な」
「あの時は……ごめんなさいね。異世界の件を話す訳にはいかなくて……」
『まあ……そんな世界に関わる重大な話をされたらこっちも自由な選択ができなかっただろうからな』
「だからさ、お互いの目的を取り入れた行動方針って選べないか!? 俺はシャーリィの手伝いをする。異世界や魔法衰退の件に力を合わせる。そして隙あらば俺の記憶に関する情報も集める。お互いの事情を知って、お互いがどんな人間か知っている今なら、不可能なことじゃないと思うんだ」
「お互いにとっての良いとこ取り……って感じね。成る程……」
腕を組んで考え込むシャーリィの表情は……上手く見えない。夜が明けてきたのか、逆光で顔が隠れてしまっていた。
「……ねえベル、貴方はどう思う?」
『わ、私か!? 急だな……実は少し前に一度相談したんだ。私は賛成だよ。ユウマのためにも、シャーリィの為にもなる。一番良い選択肢だと思っている……ただ、お互いの目的の主張の塩梅が課題点かな……』
「それ。そこが唯一の問題点かな……ま、なんとかなるでしょ。私達、色々あったけど実際ここまでなんとかしてきた訳だし」
そう言うと、シャーリィは俺に手を差し出す。逆光の中、確かに微笑みがが見えた。
「その交渉、成立させましょう。お互い力を合わせて、楽しく目的を果たしてみせましょ!」
「……! ああ、楽しく、だな! 三人で!」
『楽しくやるのも交渉に含まれているのかい? ふふ、私からもよろしくな』
朝焼けの中、しっかりと握手をして“交渉”を成立させた。以前手を繋いだ時には儚げだった彼女の手が、今はこんなにも心強い。
これから先、一体どうなるかは分からないままだが、それでも悪い事にはならない予感だけは、胸の中に強く存在していた。
■□■□■
「……そうだ、これ返すわ」
「? ……ああ、魔道具だっけか」
近くに置いていたのか――そもそも、ポーチと共に置いて行ってなかったのか――シャーリィは焦げた本を座っていた岩の影から取り出すと俺に手渡してきた。
相変わらず表面は黒く焦げていて、本の角なんかを強く触るとポロポロと黒い粉が落ちる。
「もう殆ど魔力は残ってないけど、ちょっとした魔術程度ならできるんじゃないかしら。それよりも驚いたのは完成度よ」
「そんなにコレって凄いのか? いやまあ、確かに凄かったけど」
どれぐらい凄かったかというと、危うく感電死するぐらいには。
しかしもう、雰囲気はただの焼け焦げた本にしか感じられず、ベルホルトと戦っていた時の様な“得体の知れない危険性”はもう微塵も感じられない。
「魔道具をある程度作ったことある人なら一発で分かると思う。ベルホルトの生命力を代理していただけでも魔力容量は一級品って分かる。それに出力の精度も完璧。精度が粗いと一発限りの使い捨てになるけど、コイツは魔力を温存して利用すれば紙一枚で何度か扱える。しかもそんな精度の代物を使い捨て前提に作られているから――」
『……シャーリィすまん、私もユウマも魔道具なんてろくに知らないから説明されても分からない』
専門家特有の理解不能な解説に置いてけぼりになっているところで、どうやら俺と同じ状態だったらしいベルが口を挟んでくれた。
シャーリィは「そう?」とでも言いたげに首をかしげて見つめてくるので、俺は同意の意を込めて無言で頷いた。
「あー……そうね。大雑把に言えばとんでもない凄腕の術師が作った代物って訳。以前ギルマスを狙っていた刺客がいたでしょ?」
「刺客……ああ、痛覚が無かったあの……」
「そう。アイツの体みたいに肉や骨に何の影響を与えず、脳の一部や神経だけを焼き切ることが出来る確実な精度……もしかしたら、“転生者”の作り出した魔道具の一つ……だったりして」
「……? 転生者?」
少し興奮気味に話すシャーリィだが、分からない単語が出てきたので即座にストップをかけた。話が分からないままにしておくと後々理解が大変なのだ。
「あ、そっか。記憶喪失だってすっかり忘れてた。貴方ってあんまり記憶喪失って感じがしないっていうか……どちらかというとただ単に無知なだけって感じで」
「何だと貴様」
焦げた本をパラパラと捲りながら、ジト目でシャーリィを睨む。
魔道具の本のページには何も書かれていないように見えて、よーく目を凝らして視れば、何かの回路のような幾つもの線が繋がり合った模様が薄らと描かれている……と思う。
……炙ったりしたら良い感じに模様が浮き出て見やすくなったりしないかな。そんな安易な代物じゃないとは分かってるけど。
『それはユウマやシャーリィの“転生”とは違うのか?』
「むしろ転生者が本家で、転生はそっくりさん? みたいなもの。“転生者伝説”ってのがあって……他の作り話の伝説とは違う、本当にあった言い伝えの人物よ」
『本当にあった伝説ってことか?』
「……まあ、本当に居たって確証付ける証拠なんて無いけど。簡単に話を纏めると、昔の規律とか法律なんかが無くて荒れてた時代――暗黒時代とか呼ばれていたんだけど、その時代に別の世界からやって来た人達が大陸を渡り歩いて、世界を統制したって話。そして三人の転生者が登場するんだけど、そのうち名前が分かっているのが――」
「……“きりゅう”」
シャーリィの話をどこ吹く風に、俺は目に入った言葉を口にした。
魔道具の最後のページに書かれた、他のページとは違うサイン書きのような名前。文字など読めない筈なのに、ここに書かれている文字だけは俺にもハッキリと読み取ることが出来た。
「そうそう。なによユウマ、ひょっとしてこの話は知ってたの――って、それとも、まさか」
「魔道具の最後の部分に書いてあった。ほら、ここに」
「…………」
見ていたページをシャーリィにも見えるように、俺は本を広げる。しかし、シャーリィは何も言わず、眉間にしわを寄せていた。
「……ユウマ、貴方これが読めたの?」
「ああ。シャーリィは読めないのか?」
「……ええ、私の知ってる文字じゃない」
「じゃあ……ベル、ベルはどうだ?」
俺の問いかけに対してシャーリィは無言で首を横に振った。なので、今度はベルに読めるかどうか確認をしてみるが……
『すまない、私も分からない。何かの文字ってのはなんとなく分かるんだが……』
「つまりこれで、俺に“他の人には読めない文字が読める”ってアイデンティティが……」
「いやそこじゃないでしょ。とにかく、私たちの知らない言語をユウマは理解できている……ってことよね、これって」
俺にしか分からない文字……ひょっとするとだが、これは何か大きな手がかりになり得るのでは。
『なあユウマ、これって』
「ああ、わかってる。これは間違いなく俺のことを知る手がかりになる」
この文字を使っている地域とか大陸とか、そういったところを調べていけば俺についての手がかりが掴める筈だ。それにこの“きりゅう”という文字。俺と確かに関係がある。
「ベル、覚えてるか? 初めて出会って俺が名乗った時にさ、俺が覚えてる名前が“桐生”と“悠真”だったのを」
『……! そうだ。そうじゃないか! シャーリィ、その転生者の名前ってありふれた名前なのか?』
「え、えええっ、そんなこと聞かれても……でも、“キリュウ”なんて名前、まず聞かないわね……」
『じゃあ、もしかするとユウマは……いや、考えすぎかもしれないが』
「まさか、俺がその転生者とか言いたいのか? いや、流石にそんな大層な話……ありうるかなぁ?」
「いや、私に聞かないでよ……分からないわよ」
うーん……確かに共通点だが、だからといって安易に関連していると決めつけるには、少し根拠が足りないと思う。
そもそも、俺が何故“桐生”という名前を知っているのかも不明なのだから、どうやったって何も証明できないのである。俺がその“桐生”という名の転生者と関係している可能性もあれば、その辺で聞いた名前を偶々覚えていただけ――なんて馬鹿げた可能性もある訳で。
「……まあ、貴方にはその文字が読めるって分かっただけ良かったじゃない。あと転生者が作った証明付きの魔道具。たとえ焦げてても魔道具なら売ったらかなりの金額になると思うけど?」
「……いや、売らない。本当に手がかりになることだってあり得るから」
「ん、まあそうよね」
魔道具を膝の上に乗せてお断りすると、シャーリィは提案をあっさり引っ込めた。
元々、本気でその提案を推すつもりはなかったのだろう。彼女の発言が本心のものか冗談のものか、その辺の区別がいい加減ついてきたなー、なんてしみじみ思う。短いけど濃い付き合いだし。
「……ふぅ、気分転換もこの辺で終わりかな。それについての考え事は後回しにしない?」
『だな。ここで考えても答えは出なさそうだ』
「……分かった。んじゃあ、この本は俺が預かるってことで」
魔道具の本を腋に挟んで、来た道――道じゃないけど――を引き返す。その後ろで呑気に伸びをしながらシャーリィがついてくる。
……きっと、ここまでやってきたことは“無意味”じゃなかった。
色々な人達に支えられながらも、その時その時の最善を尽くそうとしたから“意味”を得ることができたと、俺は信じている。
『……? ユウマ、なんで笑ってるんだ?』
「ちょっと、理由無く笑うのは不気味だから止めて欲しいんだけど?」
ポケットの中と背中からそんな指摘を貰いながら、俺は胸を張って朝焼けに照らされている森の中に足を踏み入れた――
〜∅《空集合》の練形術士閑話「魔法の機密性」〜
昔から魔法使いには、「神秘は暴かれないからこそ力を持つ」という考えが深く根付いている。それ故に魔法の存在は認知されていても、それを公に出す事は避ける傾向にあり、それを破る事は禁忌でもあった。
しかし、現在では魔法使い、転生使いは国の重要な資源、戦力と見られている。他国から戦力などが見破られるのを防ぐというように、現在は“魔法の機密性”の意味合いが変わりつつある。




