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第十三話 ダンジョンと後輩(前編)

「はぁ……」

 ダンジョン・グラリアード地下百三十層のマイスター専用食堂。その端のほうに置かれたテーブルに突っ伏し、ハチルエットは大きくため息をつきます。

 手に持っている紙コップのコーヒーは既にぬるくなっていました。それを一気に飲み干します。

「はぁ」

 そして、ため息をもう一つ。

「お疲れみたいっすね、先輩」

「なんだ、リリーか。何か用? あまり聞きたくないけど……」

 不意に声をかけられたハチルエットは、椅子に座ったまま、振り返って声の主を確認します。しかし、それが後輩のメルノリリーだとわかると、再び目の前のテーブルに突っ伏すのでした。

「自分も先輩は見つからなかったってことにしてあげたいっすが、そうすると自分が怒られるんで、できれば話聞いてほしいっす……」

 そう言いながら、申し訳なさそうに頭のイヌ耳をかくメルノリリー。着ている白衣をお尻の下に引かないように気を付けつつ、ハチルエットの横に腰掛けます。

「で、なんなの? 話って」

「端的に言うと、先輩んとこの主任が探してたっす。見つけたら俺のところに来いって、伝えるように頼まれたんすよ。自分、部署違うのにひどくないっすか?」

「そうねー、ひどい、ひどい」

 そう言ってハチルエットは、感情のこもっていない相槌を打ちます。

 メルノリリーは、ハチルエットの一個下のダンジョンマイスターで、属している部署も違うのですが、同性で話が合うのか、二人一緒にいることが多いため、メルノリリーがハチルエットへの伝書鳩となることが最近多いのです。

「ひどいと思ってないっすね……。えーと、なんか、プレゼン資料のデータを差し替えてほしいとか言ってた気がするっす」

 メルノリリーがコーヒーを片手にそう伝えると、横からまたも『はぁ……』と言う大きなため息が聞こえました。

「また!? またなの!? 何度目よ! さっきあれでいいって言ったじゃない! ……そろそろ、ワイバーンにでも食べられてしまえばいいのに」

「心中お察しするっす」

 ハチルエットが声を荒らげますが、最後の方はその勢いも失われていました。そのおかげで、さらりと発した物騒な発言は、周りの人に聞こえてはいないようです。

 そんなハチルエットの背中を、メルノリリーは茶色いモフモフの手でポンポンと優しくたたきます。

「そろそろ行くわ。遅いとまた怒られそうだし……」

「頑張るっす、先輩!」

「ん、じゃあね」

 そう言ってハチルエットは、食堂の出口に向かって歩き出しました。その背中に向けて、メルノリリーが声をかけます。

「先輩、後で一緒にお昼にするっす。待ってるっすから」

 後輩の言葉にハチルエットは、右手を上げて答えたのでした。



「で、結局、元に戻すことになったわけ」

「ああ、いつものパターンっすね」

 あれから二時間後、ハチルエットとメルノリリーは食堂で遅めのお昼ご飯を食べていました。ピーク時間を過ぎているため、食事をとっている人はまばらです。

 例のプレゼン資料については、紆余曲折あった末、二つ前のバージョンに戻すことになりました。メルノリリーの言う通り、よくあることです。

「なんで、ダンジョンにモンスター一匹追加するくらいで、あんな大層な資料作らなきゃならないのかしら」

 ハチルエットは熱々のドリアを食べながら愚痴をこぼします。

「だれも責任を取りたくないんすよ。資料に不備があると、そこが攻撃対象になるっすからね」

 メルノリリーもボンゴレスパゲッティを食べながら、そんなハチルエットの愚痴に付き合っていました。

「モンスター追加することの責任ってなによ? 偉い人が何考えているのか私にはわからないわ」

「お金がかかわるとシビアになるんすよ」

「はぁー、リリーはいいわよね、楽そうな部署で。うらやましいわ」

 一つため息をついたハチルエットは、羨望というより、嫉妬に近い感情でメルノリリーを見つめます。

「それ皮肉っすか? 残念ながら、自分にはそういうの通じないっすよ。あと、暇なのはたまたまっす。上から仕事が降ってくれば、寝る時間も無くなるような超ブラックなとこなんすよ、うち。そうなると、こうして先輩とお昼も食べられなくなるっす」

 ハチルエットの視線をさらりと流したメルノリリーは、そう言って、淡々と答えました。

 メルノリリーが属する開発部門は、ひとたび仕事が舞い込めば、納品までの迅速な作業が求められる部署です。それこそ寝る間も惜しんで開発を進めるわけですが、それがないときは、細々と新しいアイテムやトラップなどを作成しています。



「そうそう、実はいいお酒が手に入ったんすよ。お土産(みやげ)として持って行くんで、今日先輩の部屋に行っていいっすか? 愚痴くらいなら喜んで聞くっすよ」

 もうすぐ昼食を食べ終えるというタイミングで、メルノリリーはハチルエットにそう尋ねました。

「まあ、いいけど、変なことしないでよ」

 ハチルエットが首肯します。

「なんすか、変なことって? そんなことしないっすよ」

「ほんとかしら、こないだもうちに来て――」

「――じ、じゃあ、仕事終わったら連絡するっす。お酒、楽しみにしててくださいっすー」

 ハチルエットの言葉を遮るように席を立ったメルノリリーは、そのまま、手を振りながら食堂を後にしました。

「嫌な予感しかしないわ……」

 一人残されたメルノリリーはポツリとつぶやき、自身の仕事場へと戻るのでした。



「先輩、来たっすよー」

 その日の夜、メルノリリーは約束通り、ハチルエットの暮らす部屋を訪れました。

 ハチルエットが住んでいるのは、ダンジョン・グラリアードのマイスター専用マンションです。1DKの間取り、風呂とトイレは別となっております。

 ちなみに、メルノリリーも、同じマンションの三階下に住んでいます。

「どうぞ、上がってー」

「お邪魔するっす」

 ハチルエットは、来客であるメルノリリーを部屋の中に案内しようとしますが、何度もここを訪れているメルノリリーにとっては、勝手知ったる他人の家といった感じで、何も言われなくても、置かれているクッションの一つに腰を落としました。

「先輩、いつの間に二人暮らしになったんすか? かわいい同居人っすね」

 メルノリリーは、ベットの上の()()()を見ながらキッチンにいるハチルエットに尋ねます。

「ヤバッ! しまい忘れた……」

「いいじゃないっすか、彼? 彼女っすかね? 一緒に飲むっすよ」

 メルノリリーは、ハチルエットの同居人――大きなクマのぬいぐるみを飲みに誘いますが、反応はありません。

「油断したわ……、ネタにされるのはわかりきってたから、リリーが来る前に隠しておこうと思ったのに……」

 キッチンから二人分の飲み物をもって戻ってきたハチルエットは、メルノリリーとテーブルをはさんで反対側のクッションに座りつつ、自身の失態を口にします。

「別にネタになんかしないっすよ、かわいいじゃないっすか。あ、今の”かわいい”は、先輩のことっすよ」

「ほら、すぐそういうこと言う」

「別に他意はないっすよ。はい、これ、昼間言っていたお酒っす」

 口を尖らせるハチルエットの機嫌を直すため、メルノリリーは持参した紙袋から立派な箱に入ったお酒を取り出しました。

「なんかすごいの出てきたわね!」

 純米大吟醸じゅんまいだいぎんじょう蒼眼(せいがん)。滅多に手に入らない貴重なお酒――ニホンシュと呼ばれるものです。

「おいしいっすよ。まぁ、飲んだことないんで多分っすけど……」

「どうしたのよコレ?」

 照れているメルノリリーに、ハチルエットが目を輝かせながら尋ねます。

「実は、こういうのを取り扱ってる知り合いがいるんすよ。その人から融通してもらったっす。こいつは冷で飲むのがおすすめだって言ってたっすよ」

 そう言いながら箱から青い瓶を取り出すメルノリリー。四合瓶がテーブルの上でその存在感を放っています。

「へー、うらやましいわ」

「ほしいお酒があれば聞いてみるっすよ。まぁ、絶対手に入るかはわかんないっすけど」

 メルノリリーは、しゃべりながらニホンシュの瓶を開封します。

「ほんと? 実は、この部屋にビールサーバーを置きたかったのよねー」

「マ、マジっすか……?」

「うそ、うそ。冗談よ」

 ハチルエットは、本気で言ったのではないと、笑いながら主張していますが、メルノリリーとしては、この人ならやりかねないと、心の中で考えていました。

「そこまで引くことないじゃない」

 どうやら顔にも出ていたようです。

「そ、そんなことないっすよ……? あー、もういい時間っすね。じゃあ、そろそろ始めるっすよ」

「そうね、早く飲んでみたいわ」

 メルノリリーは、いささか強引な話題転換で、その場を切り抜けました。今度は顔に出さないように気を付けます。

 ハチルエットも、お酒の方が気になるようで、異論はないようです。

 長い夜が始まりそうな予感がします。



「おつまみ、これしかなかったわ」

 一旦、キッチンへと下がったハチルエットが、乾きものが入った袋をいくつか持って戻ってきました。

「自分は、問題ないっすよ。何なら食べれればなんでもいいっす。あ、先輩の手料理があれば、それがいいっす」

「料理とかすると思う?」

 ハチルエットの問いかけに、メルノリリーはフルフルと首を振ります。その後に、『ダメもとで聞いてみたっす』と付け加えていました。

 そもそも、この部屋のキッチンには、調味料どころか、調理道具すらありません。一目見れば料理などやらないとすぐに気づきます。それでもあえて聞いたのは――

「昼間のお返しなのかしら?」

 ハチルエットの皮肉に対する返しを狙ったものかもしれません。

「そんなことないっすよー。もしかしたら、玉子焼きくらいはあるかもしれないじゃないっすかー」

「悪かったわね。玉子焼きすら作れなくて」

 そう言いながら、ハチルエットは手に持っていた袋を、ドサッとテーブルの上に置きます。

「ほんとに嫌味とかじゃないっすよ。まぁ、どうぞっす」

 目の前に座ったハチルエットのために、おちょこにお酒を注ぐメルノリリー。雰囲気づくりのため、お酒はとっくりに移されています。調理道具はなくても、こういうものはあるのです。

「ありがと。はい、リリーも」

 今度は、ハチルエットがメルノリリーのおちょこにお酒を注ぎます。

「どうもっす。じゃあ、乾杯するっすよ」

「ん、乾杯」

「乾杯っす」

 乾杯の合図でおちょこを軽く掲げた二人は、注がれたお酒で口を潤します。

「うん。おいしいわね」

「そうっすねー」

 そう言って、二度、三度と、お酒を口にする二人。おちょこの中はすぐに空になってしまいました。

「これならいくらでも飲めそうだわ」

 再びおちょこに注がれたお酒を飲みながら、ハチルエットが上機嫌で感想を述べます。既には顔が少し赤くなっていました。

「水みたいにスルスル飲めるっすねー」

「それ褒めてるの?」

 さきイカを食べながら口にしたメルノリリーの言葉に、ハチルエットは首を傾げます。

「もちろんっすよ」

「じゃあ、それちょうだい。代わりにお水持ってくるから」

 そう言ってハチルエットは、メルノリリーのおちょこを素早くくすねると、中のお酒をグイッと一気に(あお)りました。

「あっー! 先輩何するんすかー! 比喩っすよ、比喩」

「にしし」

 まるで、いたずらを成功させた子どものように笑うハチルエットに対して、メルノリリーは苦笑いをします。開始十分で約一名、既に出来上がっているようです。

「もう、愚痴を話すんじゃなかったんすか?」

 自分のおちょこを取り戻しながら、メルノリリーはハチルエットにそう指摘します。

「そうね、今日の話なんだけど、結局あの後――」

 メルノリリーに言われて思い出したハチルエットは、今日の出来事を語りだしました。もちろん、上司への愚痴なわけですが、それをメルノリリーは、時折相槌を打ちながら聞いています。

 それから数時間、メルノリリーが用意したお酒が空になっても、ハチルエットの愚痴は続きました。空になったニホンシュの代わりに、ハチルエットが用意した発泡酒を飲みながら、メルノリリーもそれに付き合います。こうして、決して華やかとは言い難い女子会は夜遅くまで続くのでした。


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