第九話 ダンジョンと友人(後編)
ダンジョン・グラリアード――。それは世界最大級のダンジョンの一つで、個のダンジョンでありながら、何人ものマイスターが管理・運営に携わる超大型ダンジョンです。
当然ながらそこに係われるのはエリートばかり、今のハチルエットの成績ではマイスターとしての採用はかなり難しいでしょう。
「なんでまた……」
「……チィはさぁ、……桜って知ってる?」
あきれるチシィに対してハチルエットが告げた言葉は、今までの話とはなんの脈略もないものでした。
「……う、うん。学園の隅っこに生えている木でしょ? 春になるとピンク色の花が咲くやつ」
突然の話題転換でしたが、チシィはもう少しこの話に付き合ってみることにします。
「そうそう、その木。でもね、ここにある桜の木って、そんなに花が咲かないんだよね」
「そうなの?」
ハチルエットの言葉を受けて、チシィは学園の隅に立つ桜の木が、春どうなっていたかを思い出そうとしました。
しかし、あまり印象に残っていないため、ぼんやりとか思い出せません。なんとなく『きれいな花が咲いてたなぁ』程度です。
ハチルエットの言う通り、あまり花が咲かないので、薄い印象なのかもしれません。
「小さいころにね、おじいちゃんに桜を見に連れてってもらったことがあったんだ。そこにはたくさんの桜の木が植えられていてね、上を向いても満開の花で空の青が見えないの」
上を向いて話すハチルエットに、チシィは首を縦に振って無言の相槌をうちます。
「で、ちょっと前なんだけど、そのおじいちゃんが亡くなったの……」
ハチルエットによる二回目の話題転換。ですが、チシィにそれを茶化すことはできませんでした。ハチルエットの話は続きます。
「お葬式の時とかはね、あんまり悲しくなかったの。それからも結構普通に過ごしてたんだ。でね、このあいだ、ふと、その桜のことを思い出したの。で、時期はずれだっただけど行ってみたんだ。一人で」
「……うん」
「桜、なくなっちゃってた」
そう言って淡々と語るハチルエットの髪と耳を、冷たい風が揺らしていきます。
「住宅地になってた。その時初めて、”悲しい”って思ったの。いろいろと……」
「……うん」
チシィは『うん』としか言えない自分に、はがゆさを感じずにはいられません。
「もう一度、満開の桜が見たかったけど、あきらめた、――つもりだった……。でもね、この前偶然知っちゃったんだ。ダンジョン・グラリアードにはフロアディレクターって役職があって、それに就ければフロア一つを好きにしていいんだって」
「そこで満開の桜を再現するの?」
チシィの言葉にハチルエットが頷きます。ようやく話が元に戻ってきました。
「そう。だからグラリアードを目指そうかなって」
「先生はなんだって?」
「お前の学力では無理って一蹴された」
チシィの質問にハチルエットは、はにかんだような笑顔で答えます。
「で、どうするの? あきらめる――、訳ないわね。こんな重い話聞かせるんだもの」
「もちろんあきらめない! こんな重い話聞かせたんだもの。これからちゃんと勉強する。さっきのは、チィに話したら後には引けなくなるかなって、決意表明みたいなもの」
スッと立ち上がったハチルエットは、不退転の決意のもと、手に持った紙パックごと右手を強く握りしめました。
「それはわかったけど、どうするの? 試験まであと三ヶ月くらいしかないわよ」
「とりあえず……、うん! がんばるっ!」
「はぁー、なんだか心配だわ……」
いまだこぶしを握り続けるハチルエットの言葉は、今一つ具体性に欠けるものでした。それを聞いたチシィは、隣で一人ため息を漏らすのでした。
それから試験までの三ヶ月はあっという間に過ぎていきました。
ハチルエットは宣言通り、寝る間も惜しんで勉強に励んだのです。あらゆる誘惑(ただし、お菓子を除く)に抗い、時にはチシィからの教示も受け(最後にはお菓子パーティーになってしまったものの)、彼女は頑張りました。
そのかいあって、ハチルエットはこの三ヶ月で着実に力を付けることができたのです。
そして、試験当日を迎えます。
「じゃあエティー、がんばってね」
「ん、チィもね」
互いのこぶしを合わせたチシィとハチルエットは、それぞれ別の部屋に入っていきます。
同じく試験を受けるチシィと別れたハチルエットは、今自分のいる部屋を見渡しました。そこには何人ものマイスター候補生が備え付け席についています。今日はここにいる全員がライバルなのです。
「よし!」
自分に割り当てられた席に座ったハチルエットは、周りに聞こえない程度の声で気合を入れます。
しばらくすると、試験管らしき男性が入ってきました。室内がしんと静まり返ります。試験管の男性は、それを気にすることもなく、淡々と試験に関する諸注意を述べた後、答案用紙を配り始めました。ハチルエットは緊張した表情で、自らの前に裏返しで置かれた答案用紙を見つめます。
合図と共に試験が始まると、周りからはペンを走らせる音と、緊張した雰囲気だけが伝わってきました。
ハチルエットも答案用紙に解答を埋めていきます。分かる問題もありましたが、分からない問題もそれと同じくらいありました。
時計の針が進んでいきます。焦りを抑えて問題に取り組むハチルエット。分からない問題も空欄にせず、何かしらは記入するようにしました。
すべての空欄を埋めたところでちょうど時間となり、解答用紙が回収されていきます。
「ふぅ……」
ハチルエットの深呼吸ともため息ともとれる吐息は、寒い部屋の中に消えていきました。これから休憩をはさみ、残り四科目の試験が待っています。
先ほどの解答内容を再考している暇はありません。次の試験に向け、散々読み込んだ参考書を開きます。悪あがきかもしれませんが、何もしないで試験開始を待つほどの余裕はありません。
しばらくして部屋に入ってきたのは、先ほどと同じ試験官でした。淡々とした動作で配られた答案用紙を前に、ハチルエットに再び緊張が走ります。しかし、それはわずかな時間でした。
腕時計を見ていてた試験官が、顔を上げると同時に発した『始め!』の合図と共に、ハチルエットは裏返された答案用紙をひっくり返します。
本日二科目目の試験が始まりました。
「全っ然っ、分かんなかった……。チィは?」
「私も~」
全ての試験を終えたハチルエットとチシィは、ハチルエットが試験を受けていた部屋で、今回受けた試験の感想を語り合っていました。
同じようなことがこの部屋のあちらこちらで行われており、『絶対落ちた――』とか『あの問題の答えは――』といった会話が聞こえてきます。
そんな受験者と比較しても、ハチルエットは一段と元気がありません。試験が終わったにも拘わらず、不安そうにソワソワしています。
それを心配したチシィが思い切って尋ねます。
「グラリアード受かりそう?」
「二十パーくらいで……」
「それはすごい! かなりの高確率ね」
「……茶化してんの?」
「リラックスさせてんの。今更何しても遅いんだから、試験のことは忘れて気長に結果を待ちましょ、ね? さ、帰ろ、帰ろ」
「……そだね」
ハチルエットの後ろに回り込んだチシィに、文字通り背中を押されて、二人は試験会場を後にするのでした。
それから数ヶ月後、季節は廻り、チシィとハチルエットはそろって卒業の日を迎えました。
「あー、もう卒業なんだね。あっという間だったなぁー」
「――そうね」
学園の出口に向かって進むハチルエットとチシィは、この時間を名残惜しむようにゆっくりと歩いていきます。思い出を語り合いながら歩く二人は、笑顔でしたがどこか寂しそうです。
「あ、あれだよね?」
しばらく歩いたことろで、チシィが何かを指さします。その先には一本の桜の木がありました。枝にはわずかですがピンク色の花が咲いています。
「あー、うん。よく覚えてたね。チィ」
「簡単には忘れられないよ」
「そっか」
二人は桜の木の下までやってきました。見上げた桜の木からは、風に撫でられていくつかの花びらが空に舞っています。
「私はこれでも十分きれいだと思うけど、エティーの見た桜はもっとすごかったんだよね?」
チシィの言葉にハチルエットが『うん』と頷きました。
「木の枝がね、見えないくらいに花が咲いてるの。それがいっぱい……。あぁー、グラリアード受かってれば、チィにも見せてあげれたのに……」
悔しそうに話すハチルエットでしたが、そこに悲壮感はありません。
「でも絶対に行けなくなったわけじゃないし。また受けるんでしょ? 試験」
「もち! 今度こそ受かってみせるよ」
「そう。じゃあ、いつか見せてよね。満開の桜」
「おう!」
チシィからのお願いにハチルエットは満面の笑みで応えます。未来への約束を交わした二人は再び歩き始めました。
通いなれた学園の門は、卒業式のため、鮮やかに彩られていました。それをくぐった二人に別れの時がやってきます。
「じゃあねチィ。ティバリスでのマイスターがんばってね」
「エティーもね。クラリスでがんばって」
向かい合って別れの挨拶をするハチルエットとチシィに涙はありません。ハチルエットの合否通知が届いたあの日、涙が枯れるまで泣いた二人は、もうマイスターになるまで泣かないと決めたのですから。
「またね。エティー」
「またね。チィ」
最後の言葉は、別れの挨拶ではなく再開の約束でした。いつかと同様に、互いのこぶしを合わせたチシィとハチルエットは、それぞれ別の道を歩んでいきます。いつか満開の桜を二人で見るために――
* * *
「――っといったお話。ね、そんなに面白い話じゃなかったでしょ?」
三年前の話を語り終えたハチルエットが、照れた感じでそう締めくくると、ミルミラーレはブンブンと首を大きく横に振りました。
「ううん。目標があって、それに向かっているハチルエットさんカッコイイです!」
「ふふ、ありがと。ミリーちゃんには目標とかあるの?」
それまでおとなしく話を聞いていたミルミラーレは、ハチルエットの言葉に腕を組んで考えます。しかし、すぐに輝いた眼をハチルエットに向け――
「チー姉といっしょにここを大人気のダンジョンにするの!」
――と答えました。
「そっか、じゃあ頑張らないとね」
「うん!」
ハチルエットがミルミラーレの頭を撫でると、ミルミラーレはくすぐったそうに目を細めます。
その後も、チシィを交え三人で話をしていると、すっかり夜になってしまいました。
「おっと、もうこんな時間。私そろそろ帰るね」
「えぇー、帰っちゃうの? やだー!」
ハチルエットの膝の上にチョコンと座ったミルミラーレが上を向いてワガママを言います。最初の人見知りが嘘のように、すっかりハチルエットに懐いてしまいました。
「じゃあ、私と一緒に帰る?」
「うん、そうする。じゃあね、チー姉。短い間でしたがお世話になりました。」
ハチルエットの提案にミルミラーレが頷きます。そして、そのままチシィに向かってペコリと頭を下げました。
「なにバカなこと言っているの。エティーも、ミリーが本気にするわよ」
「ん? 私はそれでも構わないけど。ねー」
「ねー」
チシィの言葉に飄々と答えるハチルエット。ミルミラーレと顔を合わせて互いに『ねー』と言葉を繰り返しています。
「はぁ……、ミリー、そろそろそこをどきなさい。エティーが動けないでしょ」
「……はーい」
チシィが本気で怒り出しそうな気配を察したミルミラーレは、渋々、乗っていた膝から降りて、ハチルエットを解放します。
「あぁ、お持ち帰り……」
「エティー!」
「……はーい」
「じゃあね、ミリーちゃん。また遊ぼうね」
「うん!」
元気よく返事をするミルミラーレの頭を再びハチルエットが撫でます。帰り支度を整えたハチルエットを見送るため、玄関には三人の姿がありました。
「じゃあ、またね、エティー」
「うん、また」
手を振るチシィとミルミラーレに見送られて、ハチルエットが玄関の扉をくぐります。
扉が閉まると、そこにはチシィとミルミラーレの二人だけ。いつもと変わらないはずのこの部屋が、なぜかいつもより寂しげに感じられました。
「……ねえ? チー姉」
「なに?」
ミルミラーレがチシィの目を見て尋ねます。
「クラリスに行けばハチルエットさんに会えるかな?」
「あー、彼女、もうクラリスにはいないのよ」
「え? じゃあどこにいるの?」
ミルミラーレの質問にチシィは笑顔で答えました。
「ダンジョン・グラリアードよ」




