第九話 ダンジョンと友人(前編)
「ただいまー」
本日の作業を終えてダンジョンの地下百層に戻ってきたミルミラーレは、玄関の扉を開け部屋の中へと入ります。しかし、いつもであればすぐに返ってくるチシィからの返事がありません。
「――おかえりー」
そして、しばらく間をおいて聞こえてきたのは、チシィとは別の人の声でした。
「チー姉?」
ミルミラーレが訝しげに、声のしたリビングをのぞき込むと、そこにはチシィともう一人、楽しそうにおしゃべりをする女の人の姿がありました。どうやらお客さんのようです。
「おかえり、ミリー。ご苦労様」
壁から半分ほど顔を出したミルミラーレにかけられたのは、今度こそ、聞きなれたチシィの声でした。
「こんにちは。あなたがミリーちゃん? ちんまりしててかわいいわね。チョコあるよ、食べる?」
チシィとテーブルをはさんで対面に座る女の人が、チョイチョイと手招きをします。先ほどミルミラーレに『おかえり』と声をかけたのは彼女のようです。
「こ、こんにちは……」
いつまでも壁に隠れている訳にもいかなくなったミルミラーレは、二人のところまで行き、人見知り全開で挨拶をします。その後はチシィの後ろに隠れるのも忘れません。
「ミリー、この人はハチルエット。お姉ちゃんの学生時代の友達。でね――」
「――明日からあなたの代わりに、ここでダンジョンマイスターやってもらうことになったから」
「え!?」
ミルミラーレの顔が絶望に染まります。
「うそうそ、冗談よ。彼女、別のダンジョンでマイスターやってるから、うちに来ることはないわ」
「……うそ?」
「うん、うそ」
動揺しているミルミラーレに対して、チシィが頷きます。
普段であれば、姉のチシィがこんな嘘をつくことはないため、ミルミラーレが疑問に思っていると、その顔が若干赤くなっていることに気づきました。そのことについても不思議に思っていると――
「もー、チィはひどいなー。こんなかわいい妹ちゃんをいじめるなんて。今日は遊びに来ただけだから安心して。それじゃあ、改めてよろしくね。ミリーちゃん」
――ハチルエットから話しかけられました。
先ほどの冗談で機能が停止していた、ミルミラーレの人見知りモードが再始動します。
再びチシィの後ろに隠れたミルミラーレに、ハチルエットは笑顔を向けると、それに合わせて彼女のキツネ耳としっぽがピョコッと動きました。
「ミルミラーレです……。よ、よろしくお願いいたします」
「うんうん。よろしくしちゃう!」
恐る恐る、チシィの後ろから出てきたミルミラーレの頭を、ややかがんで同じ目線となったハチルエットが、容赦なくナデナデし始めました。
黄色の体毛を包む白のブラウスと紺のタイトスカートからは、普段一緒にいるチシィとは違ういい香りがします。最初は戸惑っていたミルミラーレでしたが、『これが大人な女の人の”いろか”ってやつなのかな?』などと考えられるくらいには心の余裕が戻ってきました。
「うーし、満足した。はい、いい子にはポッチーあげる、『あーん』して」
「あーん」
ナデナデし終えたハチルエットに言われるがまま口を開けるミルミラーレ。そこへ、スティック状のビスケットにチョコレートがコーティングされたお菓子が差し出されます。
ミルミラーレはそれを口でパクりと咥えると、器用にポキポキと食べ始めました。
「いいなぁー。私にも『あーん』して」
そう言って口を開けたチシィの手には、大事そうに缶チューハイが握られていました。
「チー姉、お昼からお酒飲んでるの?」
「はいひょうふ。よはいやふはから(大丈夫。弱いやつだから)」
「あっそ」
口を『あーん』状態でしゃべるほろ酔いのチシィに、ミルミラーレは若干あきれつつ、テーブルの上にあったピーナッツをつかむと、チシィの口目掛けて放り投げました。
「――んぐ! ゲホゲホ!」
きれいに口の中入ったピーナッツがのどを直撃してチシィが盛大にむせます。その姿を見てミルミラーレは益々あきれてしまうのでした。
「ハチルエットさんは、チー姉と昔からの知り合いだったんですか?」
人見知りモードを解除したミルミラーレは、いまだむせている姉を放置し、ハチルエットとおしゃべりを始めました。
「そうだよ、学校を卒業して以来だから、チィと会うのは三年ぶりくらいかな。メールはよくしてたんだけどね」
「へー、学生時代のチー姉ってどんな感じだったんですか?」
「うーん? 頭よくて優等生って感じ? 卒業したらダンジョン・ティバリスに行くって進路もちゃんと決めてたしね」
「そういうあなたは、ギリギリまでどのダンジョンに行くか迷ってたわね」
ピーナッツの襲撃から復活したチシィが二人の話に加わりました。
「そうなんですか?」
チシィの話を聞いたミルミラーレは、ハチルエットのほうを向いて首を傾げます。
「うーん。迷ったとはちょっと違うんだけど、最初はね、適当に小さなダンジョンでいいやって思ってたんだ。でもね、あるきっかけがあって別のダンジョンを目指すことにしたの」
ハチルエットは缶チューハイに口をつけながらミルミラーレの質問に答えます。
「きっかけ? どんなきっかけなんですか?」
「知りたい?」
若干の気恥ずかしそうに尋ねたハチルエットに、ミルミラーレはウンウンと二度頷きながら目を輝かせています。
「そんな大した話じゃないよ。学校を卒業する前だから三年半くらい前だね。チィと進路について話してたんだけど――」
* * *
「じゃあ、チィは卒業したらティバリスに行くの?」
「ん、実家から近いからねー、規模もそれなりに大きいし」
今から三年半前、ダンジョンマイスターの育成を目的とする私立学園の中庭に、チシィとハチルエットの姿がありました。
ブレザーの制服に身を包んだ二人は、ベンチに並んで腰掛け、自動販売機で買ってきたパックのジュースを飲んでいます。
「チィならもっといいとこ行けるのに、もしかして妹ちゃんのため?」
「なんでそうなるのよ」
季節は秋。色づき始めた落ち葉が舞う中庭には、いよいよ寒くなり始めたこともあり、二人以外に人の姿はありません。
「妹ちゃんもダンジョンマイスター目指してるんでしょ? 一緒にやるなら近いほうが何かと便利だしね」
「まだ先の話だよ。まぁ、その時になってミリーがまだマイスターやりたいって思ってたら、見習いとして呼んでもいいかなとは思ってるけど」
飲み終えたパックを横に置いたチシィが、最近はいっそう高くなりだした空を見上げながら答えました。
「いいお姉ちゃんだね」
「そんなことないよ、普通」
「やっぱり、いいお姉ちゃんだ。妹ちゃんかわいい?」
「……普通」
「かわいいんだー」
「エティー、私の話聞いてる?」
チシィが左隣に座るハチルエットのほうを向くと、彼女もまた空を見上げていました。しかし、その表情には、陰りというか迷いのようなものが浮かんでいます。
「何かあったの?」
ハチルエットの表情が気になったチシィは、再び空を眺めながら訪ねました。快晴の空は夏のそれとは違い、ゆっくりと時間が流れているように感じられます。
「うーん。まぁ、ちょっと進路についてね……」
「クラリスかサンタ・ヴァデリアじゃなかったの?」
チシィは、隣に座る友人が、先日話していたダンジョン名を思い出しながら答えました。
ダンジョンマイスターになるためには、協会が実施する試験を受ける必要があり、希望のダンジョンに就けるか否かは、その試験の結果により決まります。
先のダンジョンは、どちらも規模は小さく、たいして人気もないため、ハチルエットの多少残念な成績を考慮したとしても、妥当なところとではあります。
「……実はもう一個増えたの」
「どこ?」
「……グラリアード」
「は!?」
驚いたチシィが再び隣を向くと、肩をすくめたハチルエットが、ばつが悪そうにチシィから目をそらしたのでした。




