第八話 ダンジョンと暴走(後編)
「うぅ、何もいませんように……、ああ、でも何もいなかったら帰れないし……。今思ったけど、ミリー、あれに食べられたりしないよね……」
モニターに映った巨大な何かと、消えたモンスターの謎を追うべく、勢いよくチシィの下を飛び出してきたミルミラーレでしたが、いざ地下九層に到着すると、その勢いはすぐにどこかへ行ってしまいました。ビクビクしながらへっぴり腰状態でダンジョンの中を進んでいきます。
「見つからないなぁ……、はぁ~、もう帰りた――。ん?」
既に一時間近くが経過していますが、それらしきものは見つかりません。あきらめて帰ろうとしたその時、前方でなにか大きなものが動いた気配がしました。
ミルミラーレは心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、前方にある曲がり角からそっと気配のした方をのぞき込みます。
(いたー!)
そこにいたのはゴワゴワとした毛に覆われた四本足で歩く獣でした。体長は五メートルを超え、横幅も通路ギリギリで三メートルはあるでしょう。
顔の真ん中にある豚のような鼻からは、呼吸のたびに荒々しい蒸気のような息を吐き、口には、ミルミラーレの身長をも超える、上を向いた二本の大きな牙が生えていました。
曲がり角から姿を現したその獣とミルミラーレの目が合います。それは、通常ではありえない大きさとなったトゥーファングボア。二日前にダンジョンへ配置した、イノシシ型のモンスターでした。
トゥーファングボアはミルミラーレの存在を認識すると、口にくわえていた空のビンをペッと吐き出します。それは、先日ミルミラーレが無くしてしまったアイテム――強壮薬のビンでした。
「君……、あれ飲んじゃったの?」
強壮薬は、人が飲めば単にスタミナを回復させるアイテムなのですが、それをモンスターが飲んでしまった結果がこれのようです。
強壮薬でモンスターが巨大化するなんて話を、ミルミラーレは聞いたことがありません。しかし、現に目の前には巨大イノシシがいるのです。これが先ほどモニターで見た『巨大な何か』であるならば――
(放置するわけにはいかないよね……。このまま帰ったらお夕飯のハンバーグがお預け――、じゃなくて、冒険者の人が困っちゃうもんね)
一瞬、夕ご飯の心配が頭をよぎりますが、かぶりを振って考えを改めます。『よし!』と気合を入れ、ミルミラーレは行動に移りました。
「よーし、いいこいいこ、おとなしくしててねー」
『巨大な何か』の正体がモンスターだと分かってしまえば、もう怖くはありません。ダンジョンマイスターはモンスターからダメージを受けることはないのですから。
そして、モンスターならば触れば回収できるはずです。ミルミラーレは巨大イノシシを回収すべく、それに近寄っていきます。
「な!?」
あともう少しで触れるというところで、突如、トゥーファングボアが器用に体を反転させ、ミルミラーレの前から一目散に逃げ始めました。
ミルミラーレも慌ててそれを追いかけます。
「待てー!」
ミルミラーレから逃げるトゥーファングボアは、進路上のあらゆるものを吹き飛ばしながら、文字通りダンジョン内を猪突猛進に突き進んでいきます。
今もトゥーファングボアの前をノシノシと歩いていたハレツガメと、壁に張り付いていたアシッドリザードが、運悪く跳ね飛ばされてしまいました。
はねられたハレツガメは、二、三回ほど壁や天井をバウンドすると、地面に落ちて爆発し、消滅。アシッドリザードにいたっては、トゥーファングボアとぶつかった瞬間に、吐き出した酸を残して消えています。
「やっぱり、君が犯人か!」
モンスター消失の件も、やはりトゥーファングボアの仕業でした。本人にその意思はなくても、走っているだけで他のモンスターが次々と倒されていくのです。
そして、ダンジョン自体への被害も次第に増えていきます。
「うぅ、ひどい状態になってる……。後で直しとかないと……」
トゥーファングボアが通った後は、倒されたハレツガメとアシッドリザードのせいで、地面はへこみ、壁が溶かされています。このまま暴走を続けられれば、ミルミラーレの仕事が増える一方です。
どうやったらこの巨大イノシシが止まるかを考えていたミルミラーレは、あることを思い出しました。
「この先に落とし穴仕掛けたっけ」
先日、ミルミラーレはモンスターを補充するついでに、気まぐれで落とし穴を一つ仕掛けていました。サイズ的には、トゥーファングボアがすっぽりと入る大きさです。
そうとは知らないトゥーファングボアが、落とし穴に向かって走り続けます。そしてついに、その落とし穴の上に到達しました。
それまであった地面が消え、トゥーファングボアが、ぽっかりと開いた穴に落ちていきます。しばらくして、ドッスーン! という大きな音がフロア内に響き渡りました。
「うわー! すっごくキレイにはまってる」
ミルミラーレがのぞき込むと、落とし穴にピッタリとはまったトゥーファングボアが、ジタバタともがいていました。
「ふぅ、これでやっと回収でき――、ゲッ!?」
モンスター回収のため、落とし穴に飛び込もうとしたミルミラーレは、トゥーファングボアが落とし穴の壁に前脚をかけているのを見てしまいました。そして、そのまま壁を垂直に上り始めたのです。ピッタリ過ぎる穴の大きさがあだとなりました。垂直に上ってもひっくり返ることがないのです。
あっという間に落とし穴を上り終えたトゥーファングボアは、絶句するミルミラーレを置き去りにして、再び逃走を開始しました。
「前のイノシシ……、止まりなさーい……」
追いかけっこを始めて三十分余り。さすがに走り疲れてきたミルミラーレが、気力なくそう言うと、それまで猪突猛進で走り続けていたトゥーファングボアがピタリと止まりました。
「あれ? ホントに止まった」
まさか、本当に止まるとは思っていなかったミルミラーレは、驚きの表情をしますが、改めて周りを確認すると、ミルミラーレの言葉に従ったのではないことに気づきました。
「行き止まりか……」
トゥーファングボアは袋小路に迷い込み、これ以上進むことができなくなっていたのです。千載一遇のチャンスに、ミルミラーレがじわじわと近づいていきます。
「今度こそ、おとなしくしててねー」
ミルミラーレが一歩ずつ近づくたび、トゥーファングボアは焦りを募らせているようでした。そして、あと数歩というところまで近づくと、突如、トゥーファングボアはミルミラーレに向かって突進してきたのです。
「ちょ、ちょっとー!」
普段、攻撃などしてこないモンスターが襲ってきたため、ミルミラーレは焦りました。本当は襲った訳ではなく、ミルミラーレを避けて逃げ出そうとしただけなのですが、通路いっぱいの巨体なため、ミルミラーレからすれば襲い掛かってきたようにしか見えません。
そのまま走り去ろうとしたトゥーファングボアでしたが、案の定、体が大きすぎてミルミラーレを避けきれず衝突してしまいました。
ダンジョンマイスターであるため、ミルミラーレが吹き飛ばされることはなく、ダメージもありません。しかし、ぶつかった拍子に、意図せずトゥーファングボアの背中に乗ってしまいました。
「ビックリしたぁ……。うわっ! ここ結構高い!」
視界が広くなったミルミラーレは驚きの声を上げます。疾走するトゥーファングボアの背中から見るダンジョンの風景は、いつもより小さく感じられました。
「おぉ、すごい早い。ダンジョン内の移動これでいいじゃん。ダンジョン特急イノシシ便」
トゥーファングボアの背中ではしゃぐミルミラーレでしたが、次の瞬間、暴走イノシシに弾き飛ばされたハレツガメが、顔の真横を通過し、後ろのほうで爆発しました。ミルミラーレの背中を冷たい汗が伝います。
「あ、今のは本気でヤバいやつだ……。そうなんだよね、この子モンスター吹き飛ばしちゃうんだよね。うーん。やっぱりイノシシ便の運航は中止です。はい、戻ってね」
腕組みをして首をひねるミルミラーレでしたが、ダンジョンへの被害が大きいため、これを移動手段にする案はお蔵入りとなりました。
当初の予定通り、トゥーファングボアを回収することにします。
「バイバイ。よし! ――って、ああああああああ!」
別れの挨拶をしたミルミラーレがトゥーファングボアの背中に手をかざすと、それは一瞬で消えてしまいました。
しかし、安心したのも束の間。走っていた最中に回収したため、慣性の法則でミルミラーレは勢いそのままに空中へ投げ出されます。
「ぎゃぶ!」
浮遊感を体験した後、顔から壁にぶつかりようやく止まりました。
「鼻、痛ったーい! もう、やー!」
ミルミラーレは赤くなった鼻の頭をさすりながら地下百層に戻るのでした。
翌朝、地下九層には再びミルミラーレの姿がありました。トゥーファングボアによって減らされたモンスターの補充と、ダンジョン修復のためです。
昨日の夜、チーズ乗せハンバーグを食べながら、チシィに事の顛末を報告したのですが、強壮薬の出どころについては、『冒険者の人が落としたんじゃないかなぁ?』と自らの失敗を誤魔化してしまいました。
チシィは『そう』としか言いませんでしたが、嘘をついたことへの罪悪感から、自ら進んで地下九層の後片付けにやってきたという訳です。
「これでだいたい片付いたかな? それじゃあ――」
モンスターの補充とダンジョンの修復を終えたミルミラーレは、昨日のトゥーファングボアを呼び出します。
出できたそれは、すっかり元の大きさへと戻っていました。
「よしよし、ちゃんと小さくなってる。えっとね……、昨日は追いかけまわしたりししちゃったけど、元はといえばミリーのせいなんだよね……、ごめんなさい。それ言いたくて……。あと、お詫びにこれあげるねっ」
ペコリと頭を下げたミルミラーレは、トゥーファングボアの後ろに回って、クルンとしたしっぽに赤いリボンを結びつけました。
「それ、一点ものなんだよ」
結ばれたリボンには小さく『ダンジョン特急イノシシ便』と書かれていました。
おとなしくリボンを結ばれていたトゥーファングボアでしたが、そこに書かれた内容を知って、心なしか複雑そうな顔をしています。
「じゃあね! 倒されないようにがんばってねー!」
ミルミラーレが手を振ると、リボンのついたトゥーファングボアは、トコトコとどこかへ行ってしまいました。
「あ、今日は走らないんだ」
結んだリボンが見えなくなると、ミルミラーレは、満足そうな顔で地下百層への転移ゲートを開きます。
「さて、今日の朝ごはんは何かなー」




