Which one shall we choose?
「選択肢の話をしよう。人生と言うのは常に選択に溢れているのはもうわかっているよね。簡単な例として例えばここにケーキが1つあったとする。これをまずぼくと君のどちらが食べるのかという選択肢が生じる。いや,この際半分にして食べるという選択肢も混ぜておこうか。これで,3つの未来が見える。ぼくが食べるか,君が食べるか,2人で分け合うか。手渡されておきながら食べないという選択肢もある。これがさっきのそれぞれ3つの選択肢に対して生じるなら,ここまでで6つの未来だ。更に食べるという選択肢を選んだとして,それを全量食べるか半量食べるかでまた選択肢になる。さあこれで未来は9つだ。攫いここに,2人で分け合ったとしてどちらか一方が完食し,どちらか一方が全て残すという選択肢を付け加える。どちらが食べるか食べないかでしめて11通りの未来になるわけだ。この通り,ケーキ一つからごく限られた事象にのみ選択肢を絞って考えた今だけでも11の未来が想定される。これらの未来中には,どの選択肢を選ぶかで消去される未来もあり,また考えられなかった選択肢も出てくる,だから実際にその数は単純な確率統計では導けないものとなるだろう。今は2人の人間と1つのケーキからこれだけの未来が出てきた。実際人生で係わる人間や事案はこんな事例に例えるのも馬鹿馬鹿しいほどに多い。一人の選択だけではどうにも変わらない運命もあれば,たった一人の選択が世界をひっくり返しかねない重大な流れを引き寄せる事もある。そういう周囲との係わりがそれはもう散々なほどに絡まり合って一人の人生が形作られている。ところでここで少し話を変えても良いかな。君はシュレーディンガーの猫の話を知っているかい?青酸ガスが入った瓶と生きた猫を密閉する事の出来る箱に入れる。その中に放射線……アルファ線だね,これを発生するラジウムを一緒に入れて,放射線をガイガーカウンターが感知すると瓶が割れるような仕掛けを作る。もしも放射線が検知されて割れた瓶の中から青酸ガスが流れ出したなら,猫は死ぬ。一時間後にこの箱の蓋を開けるとして,一時間のうちにアルファ線が検知される確率は50%だと仮定しよう。この時選択としては,『アルファ線が感知されて青酸ガスが流れ出す』と『アルファ線が感知されず青酸ガスも流れ出さない』という二つが存在し,アルファ線の感知の有無にのみその選択が左右されるから,それぞれの事象が発生する確率はイーブンだ。ところが,一時間後にその猫が実際生きているのか,或いは死んでいるかどうかというのは箱の蓋を開けて確認してみなければわからない,シュレーディンガーはゆえにこう考えた。『箱を開けて確認するまで,箱の中では猫が生きている状態と死んでいる状態が同居した状態である。』ってね。有名な思考実験でこれは量子力学の基本的な考え方だ。これと同じことが未来にも言えると,ぼくたちは考えた。つまり,生きている人間が選択をし,行動し,結果が出るまでは,複数の未来が同時に存在していると考えるんだ。もちろん目に見える形になっているとは言わないがね,単純にそこに存在するものとして生きている当人に認識されずともあるものだと。それじゃあ選択されなかった未来はどうなるかって?消滅するのか,または別の形で存在し続けるのか。それについて議論するために更に話を変えよう。SFによく出てくるパラレルワールドと言う概念は分かるね。自分が今存在している世界を現実だと仮定した場合,その現実世界に非常に類似した並行世界が存在するとした場合の並行世界のことだ。類似であって同一でないのは,選択によって変わったものがあるからだ。本編からの分岐が非常に幼いころであればあるほど,パラレルワールドは現実と仮定したものとは大きく変わってくる。その中には人生を揺るがすほどの重大な決断がある場合があるからね。ぼくの生きる世界ではこのパラレルワールドこそが,選択されなかった未来であると位置づけられている。この理論に基づくと人の選択の数だけパラレルワールドが存在し,その数は星の数すら及ばぬほどに膨大に膨れ上がることになる。時には,本当にたった一つの道を歩く運命しか持っていないという稀有な人もいるけどね。時にパラレルワールドは圧倒的に飛躍した進展を見せて今の世界とは全く違ったものになる事も有れば,今とほとんど変わらないこともある,かと思えば後退しているなんてこともある,実に興味深い。その発展や後退は時に人間の精神的あるいは性質的なものであることもあれば,科学技術的なものであることもある。それも蓋を開けてみないとわからないそれと同じだ。更に話を変えよう。ドッペルゲンガーって現象は知っているかな,自分に瓜二つの自分が同時に同じ世界に存在するってあれ。この世界では医学的に証明しようとしたりしているようだけれど,未だに不可解な点も多い。それに加えて自分のドッペルゲンガーを見ると死んでしまうと恐れられているらしいね。それがなぜなのか,今まで話した全ての話を統合してぼくが教えてあげよう。この世界には選択されるまでは複数の未来が存在している。その選択されなかった未来はパラレルワールドとしてこことは違う時の流れを刻むんだ。そのうちの一つくらいが驚異的な進歩を遂げてこの世界では考えもつかないような技術を生み出していたとしても何ら不思議ではない,タイムトラベルに限らず他のパラレルワールドに干渉する技術あるいは能力を持っていないと誰が断言できるだろう。その世界でもしこの先に存在する一つの可能性を垣間見ることができるとしたら?それが自分の望まない結末だとしたら?それをもし過去を変えることで変えられるとしたら?つまり,選択肢としてそうならないものを選ぶことができるとしたら?過去に遡ってその選択をした自分を消すことを望まない人間は少なからず出てくるだろう。そうやってほかの世界に干渉した自分でありながら自分ではない存在の自分が,他の世界ではドッペルゲンガーと言われる。中には忠告にのみ来る者もいる。だが全員がそうじゃない,中には分岐点にいる自分を殺そうとする者も,いる。ドッペルゲンガーは喋らないとされているけれど,あれは単純に覚悟がないか中途半端な覚悟で分岐の世界に渡った人間が,決心が揺らがないように口を開かないだけ。本当に覚悟のできている奴ほど饒舌になるものさ。ドッペルゲンガーに会えば死ぬ,殺すために来てるんだ,そりゃあそうだろう。その世界の科学では他殺とはとても考えられないような方法で何でもないような顔をして自分を殺す術を大量に抱えて世界を渡る。たとえ拳銃で脳天をぶち抜かれたとしても,そこからは自分の指紋しか出てこない,だって自分で握っているんだから。病死だろうが怪死だろうがなんだっていい。ある地点の分岐を潰してしまえば,確認されるはずの未来は確認されず結果として主流として存在することができなくなる。そうなれば未来の改竄が成功するってわけだ。時々死んだはずの人間に会うなんて現象もあるだろうけど,それは,違う未来の自分が主流になっている世界がどうなったか確認しに来ているんだと考えれば説明がつく。君たちが恐れている現象は,全て並行世界からの干渉で出来ているんだ。……さて,ここまで話せばぼくが何をしようとしているかわかるよね?」
目の前の私が私の額にピタリと銃口を押し当てて歪に笑う。嗤う。
「少し喋りすぎたか。まあいいさ,わかっていようといるまいと,君の存在はここで消える。君がこれから先選ぶはずだった選択肢はすべてなくなるんだ。そうすれば,ぼくはもうあんな悲しい思いをしなくてもいい。」
屈託のない笑顔。その笑顔がどこか見たことがあるようで見慣れないと,私の顔ながら不思議な気分になった。私がこの笑顔を最後に見たのはいつだったか。
「……ぼくはこんな状況でも顔色一つ変えないんだね。我ながらなかなか気味が悪いよ。普通なら震えて怯えて泣きわめくところだろうに。」
「いつかあなたに殺されるような気がしていたから,今更って感じだよ。」
そうだ,私はいつだってそうだ。
「私なのに私じゃない,けれど間違いなく私が自分よりも少し高いところから話しかけてくる。その選択肢で本当にいいの?その選択肢はいつか君を殺すかもしれないよって。私の選択の手はそれで止まる。結果として一つを選ぶことになったとしても,自分の思うままの選択はどこにもない,どこか客観的で,どこか他人事,どこか自分をどうでもいいものとして扱いながらも最後は自分のためを考える,矛盾に満ちた選択。いつでも完璧な選択を求めて,間違いのないあやふやな未来を求めて,少しでも正解に近い選択肢を自分をないがしろにして選んできた。囁いてきていたのはもしかしたらあなたじゃないのかもしれないけれど,あなたによく似て私によく似たどちらでもない誰かがいつも私の思考回路を操っている。」
それに。
「どんな選択をしてもいずれ死ぬなら,いつ死ぬかの問題だけが残るんじゃないかと思うから,ああ今か,って思うだけ。」
「……っ……。」
目の前で私が身じろぎする。銃口が僅かに額から浮いたのが分かった。私が動揺していることくらいわかる,だって目の前のこれは私だから。
「案外幸せだったけどね,それでも。友達も一応いるし,彼氏にも出会えたし,楽しいと思えることも見つけた。未来が分かろうが分かるまいが,正解か否か分かるまいが,それはそれで幸せだった気がする。だから,今なら悔いはないからさっさと殺してよ。」
「よくそんなに簡単に自分の命を諦められるね。ここで全てが閉じるって事が分かんないのかな。この先により良い世界への選択肢があるかもしれないのに,それすら放り出して今ここで死んでもいいって言うのかい?」
はて,なぜそんなこと言うのだろう。
「どこかで私から分岐した私であるあなたが私を殺したいと思うほど凄惨な目に遭ったんでしょ,なら私の選択は間違っていたって事。時系列から考えてあなたが今の私より後の私かどうかはわからないけれど,少なくともどこかで一度は私は選択を間違えたって事よね。」
だったらきっと,今死ねた方が楽になる。
「なら,あなたのために私を遠慮なく殺せばいいんじゃないかな。」
「ふ……ふざけんなよ……そんな,こんなのって……。」
「随分饒舌に語ってくれてたけど,まだ私は生きてるよ。」
まだ殺さないの?
「覚悟のある人間ほど饒舌になるものじゃなかったっけ,自分で言ったことくらい覚えときなよ。」
「あ,う……。」
銃口がぶれ,更に遠ざかる。黒を基調とした服に身を包んだ私が,中途半端な部屋着に身を包んだ私から離れていく。
「ぼ,ぼくは……。」
「私を殺しに来たんでしょ。この先のあるはずの選択肢を無くすために。じゃあさっさと済ませてしまえばいいのに。覚悟があるから饒舌なんでしょう。」
「そ,そうさ,ぼくは…….ぼくは!お前を殺す覚悟で!」
「じゃあ。」
私は私に問いかける。
「私は何でそんな悲しそうに泣いてるの?」