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武蔵野ギフテッズ・リパブリック  作者: 杉並よしひと
終章
83/83

2:ふたりのこれから

「ただいまー」

「おお、おかえり」

 透は鉛筆を握り、机に向かったまま、声の主に言葉を返した。小さな足音が床を踏みしめながら、どんどんと近づいてくる。土曜日だったから、早く授業が終わったのか、と、透は思った。

 もう扉が開く、と思った透は、座っていた車椅子を器用に回転させ、扉の方を向いた。

 引き戸がスルスルと開き、少し日に焼けた陽菜の笑顔が覗いた。

「おかえり」

「ただいま、透。今お昼の準備するね」

「おう」

 透の返事を聞くと、陽菜は二つのお下げ髪を翻して、台所へと小走りで消えた。


 あの夏の日、透の体は、霊力増強剤の過剰摂取と、それによって生じた強大すぎる霊力によって神経を損傷し、下半身麻痺になった。調停局員としての戦闘は不可能になり、分室にいる必要もなくなった。

 それから入院したり、大きな喪失感に苛まれたりもしたが、それはまた別の話だ。今は今へと続く話をしよう。今は定期的にリハビリだってしている。

 調停局中枢部、つまり、各分室への指示を一括して行う部署への転属も打診されたが、透は断った。もう、自分があの世界に関わることは内容に思われたからだ。

 調停局を辞める、と車椅子で挨拶に行くと、M伊藤は調停局退職後のバックアップについて話してくれた。

 様々な理由で調停局を退職した局員に対して、調停局は再就職のバックアップを行うと言うのだ。好きな道を選べ、とM伊藤に言われた透は、共和国を出て、地方公務員になる道を選んだ。聞けば、公にはされていないが、公務員の採用に際しては、元調停局員用の枠があるという。

 しかし、透は「勉強しますよ、俺高校生だし」と言い、公務員試験を受けることを決めた。M伊藤は「ほう」というと、その選択を止めることもしなかった。その場合、受験に関する諸経費は全て調停局の負担になるという。

 もしかしたら、こう言った退職後のケアがあるからこそ、調停局に就職する人間が絶えないのかもしれない、と透は思った。

 もう一つ、彼には考えなければならないことがあった。もちろん、陽菜のことである。

 はじめ、透は、陽菜はこの国に残り、M伊藤の元か、それともどこかの家の養子になるか、そうやって生きていくのだと思っていた。寂しいが、まあ、それも仕方ないだろう、と思っていた。その証拠に、透が入院している間、陽菜はM伊藤の家に預けられていた。

 陽菜は透の筋肉を取り込んだ。世界最強の霊力を自分の力として使えるようになり、その上、今回のことが明るみに出た以上、彼女に護衛は完全に必要なくなった、と透は思っていた。

 そんな中、透はM伊藤に呼び出された。指定されたのは、分室に近いごみごみした横丁の小さな飲み屋だった。てっきりM伊藤と差しで食事をするのかと思っていたが、慣れない車椅子を転がして行ってみると、すでに一杯やりはじめていたM伊藤の卓には、悠里と陽菜もいたのだった。

 そして、透は人生で初めて酒を飲んだ。色々と積もる話を三人と話していて、透明な冷酒と水と間違えてしまったのだった。

 意識が朦朧とした。もう二度と酒なんて飲んでやるものかと思った。自分は酒に弱いのだと嫌なほど教えられた。世界がぐるぐると周り、体がぽおっと熱くなった。

 眠りそうになった透に、悠里が決定的な質問を投げかけたのだ。今でも覚えている。

「陽菜ちゃんと別れたら、寂しい?」

「寂しいっすよ、そりゃあもう」

 酒は人を正直にする、とはいうが、これほど覿面に効くとは思わなかった。悠里はその透の言葉を聞くとニッコリと笑い、気づけば話が全て済んでいた。

 目を覚ました時は深夜の分室で、隣には陽菜が座っていた。

「酔っちゃったんですか?」

「ああ」

「お水、飲みますか?」

「ああ、ありがとう」

 そんな何でもない会話の後に、次の言葉を投げ込んできたのだ。酔いなんか全て飛んで行ってしまった。

「透さんが寂しいみたいなんで、私も一緒に行きますね」

 小憎らしい言葉とは裏腹に、陽菜の笑顔は、今まで見た中で一番輝いていた。

 と、透は思ったが、これは、誰からも隠しておこう、と透は思っている。

 それからは、全てがとんとんと進んでいった。透としてはどこの公務員になっても良かったので、陽菜に「どこがいい?」と訊いてみた。陽菜が、西がいい、そして、海が見てみたい、というので、それなら、と沖縄に決まった。

 退職金がある程度出て、いざ沖縄へ移らん、というときに、陽菜の護衛任務の報酬が出た。出処はよくわからなかったが、調停局から直接出たが、もしくはM伊藤のポケットマネーだろう。その額が大きかった。当分の生活には困らなそうだった。

 沖縄に移ってからは、陽菜との生活を立ち上げるのに大慌てだった。陽菜は地元の中学校へ通うことになった。もともと人付き合いの上手く行きやすい性格の彼女だ。すぐに友達もできたようで、何度か遊びにも出かけていた。

 透の心配は一つ、陽菜が自分に負い目を感じているのではないか、ということだった。透に負い目を感じて沖縄へついてきたのなら、それは果たして陽菜の人生と言えるのだろうか?

 一度、透は陽菜に訊いてみたことがある。

「お前、俺についてきて、ほんとに良かったのか?」

 陽菜は驚いたように目を丸くした後、柔らかく微笑んだ。

「私の人生です。透さんがついて来て良いって言ってくれた。私はついて行きたい。なら、これ以外の選択肢はありえません」

 今度は透が驚く番だった。透はしばらく黙った後、世にも詰まらない答えをした。

「ああ……、そういうものか」

「そういうものです」

 そして、仕方ない、というふうに、また微笑むのだった。

 その後、透は悠里にも電話で確かめた。「そういうもんなんですかね、悠里さん」と尋ねる透に、悠里も陽菜と同じような声色で、「そういうものよ。疑わないの」というのだった。

 ま、悠里さんがそう言うならそうなんだろう、と透は納得した。

 それから、最後に一つ。

 陽菜は話し言葉の敬語をやめた。他人行儀だから、と透が止めさせたのだ。陽菜も、敬語は意識して使っていたらしい。初めは戸惑っていたが、今はそれが気に入ったみたいだ。昔よりも、さらに話が弾むようになった気がする。

 あと、もう一つ。

 先月の夜、透は陽菜に告白された。月の透き通る光が、世界を照らす夜だった。

 返事は、試験が終わってから、と言うことになっている。

 返事はもちろん、決まっていた。


 車椅子を転がしてダイニングへとやってきた。ダイニングからは、エプロンを閉めた陽菜の背中が見えた。

「なんか手伝うこと無いか?」

「あ、できたら車椅子押したのに」

「いいっていいって。で、何かある?」

「無いよ。座ってて」

 陽菜は笑みを一つ残して、再びコンロへ向かった。

 自分は罪を背負ったと思う。しかし、元気な陽菜の姿を見ていると、それでも、やっぱり、捨てたものじゃ無いと思うのだ。

 陽菜を幸せにしたい。それこそが、今の透の夢であり、願いでもあった。

 強く強く、願うのだ。

「できたよー」

 陽菜が振り返る。透と目があう。しばらく見つめ合う。

 二人はそれから、ゆっくりと微笑んだ。

 暖かい十一月の昼下がりのことだ。


   (了)


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