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武蔵野ギフテッズ・リパブリック  作者: 杉並よしひと
終章
82/83

1:共和国のこれから

「ひゃーっ、寒くなってきたな」

 所用で外に出ていたM伊藤は、コートの襟をかき合わせながら、井の頭分室へと駆け込んだ。

「今日はまた一段と冷えてますからね。まだ十一月なんですけど」

 部屋の中では、悠里一人が待っていた。M伊藤はコートを適当なハンガーに引っ掛けると、「おーさむさむ」と言いながら、奥のコンロのある流し台へと小走りで向かった。

「あ、お茶なら私が」

「いやいや、たまにはこうやって自分でやらないとね」

 と言いながら、もたつく手つきで急須へ茶葉を入れる。悠里の目に、それは多すぎるように感じたが、何も口出しはしなかった。

 M伊藤はコンロの火を点け、しばらくは早く沸け早く沸けと念を送っていたが、それにも飽きたようで、くるりと悠里の方を振り向いた。

「なあ、あの二人はまだ来てないのか?」

「はい。なんでも来年のための進路説明会があるみたいで」

「進路説明会かあ…………」

 もともと、二人は「払いが良いから」という理由と、「能力を持ち合わせているから」と言う二つの理由で募集に応じて来たアルバイトである。やがて大学へ進学し、その後、定職に就こうというときに、やはりどこまでも命の危険が付きまとうこの仕事を選んでくれるかは、M伊藤にとっても謎だった。

 そもそも、二人は中学生の頃からここで臨時に働いていた。調停局がどうしてそんな幼い子供を局員として派遣してきたのか、そもそもなぜ二人がそんな仕事に応じたのか。いくら昔はM伊藤という名前だけで方々を震え上がらせた彼にしても、いち中間管理職となってしまった今となっては、その理由を知りようもなかった。

「あいつらも、もうじき二十歳になるんだなあ」

「まさか一緒にお酒が飲めるとか、そんなこと考えてるんじゃないんですか?」

「まさか」

 図星だった。M伊藤はモニョモニョ言ってごまかそうと頑張った。悠里はわざと頬を膨らませて見せたが、今度はふふふ、と柔らかく微笑んで見せた。

「別にあの子達、二十歳になったって三十になったって、室長のこと忘れないと思いますよ」

「そういうものかなあ」

「そういうものです。あ、これ、頂き物なんですけど」

 悠里はお菓子の乗った盆を、ソファの前のローテーブルから取り上げようとした。

「あっ」

 腰を屈めた悠里が、一瞬バランスを崩す。

「おいっ、大丈夫か?」

「はい、大丈夫ですよ。そんなに驚かないでくださいってば」

 バランスを崩した悠里は、隣のソファにぽふん、と尻餅をついた。とても二十五とは思えないあどけない照れ笑いを浮かべながら、悠里は履いていたズボンを払って立ち上がった。

 彼女は、三ヶ月前のあの夏の夜、分室になだれ込んできた吸血鬼の実行部隊太腿を狙撃され、暫くは歩くのに松葉杖が必要だった。幸い、M伊藤がじっくり教え込んだ射撃の腕が生きたようで、実行部隊五名は全員悠里に射殺された。死ぬ間際に放った苦し紛れの銃弾の一つが、幸運にも急所を外れ、太腿に当たったのだ。

 彼女はそれから一ヶ月とちょっと松葉杖で暮らし、今はもうほぼ元どおりになりつつあった。が、まだ筋肉が戻りきっていないのか、未だにさっきのように、怪我を感じさせるところがある。

 あれから、共和国は大きく変わっていった。調停局が、共和国内で人権を無視した残虐な行為が行われていたと告発し、それが、日本だけじゃない、世界中に波紋を巻き起こした。

 しかし、騒ぎの中心の内、社会的な印象で『悪』とされやすいのは、どう考えても幼気な少女を『解体』しようとした、吸血鬼族を始めとする共和国側である。沢山の犠牲者を出した争いの後でも、調停局は一貫して平和の友軍フレンドリーであり続け、そのおかげで、あの場で闘った井の頭分室の職員も、なんの咎めを受けることもなかった。

 ただ、井の頭分室以外の分室は、ほぼ壊滅状態で、共和国内に二重あった分室の内、十七では、その場にいた局員全員が殉職している。

 共和国も、調停局も、再建の道を模索している最中なのだ。

 共和国は、再び建国三種族が強大な権力を握るかもしれないし、もしかしたらもっと別の解決策を探るかもしれない。

 調停局は、再び積極的に共和国の政治、治安維持に関わっていくかもしれないし、もしかしたら監視役に徹底するのかもしれない。

 未来だけがそれを知っているのだ。

「どうしたんですか?」

 M伊藤ははっと我に返った。目の前には湯気を立てた湯飲みと、菓子が盛られた盆がある。

 ふと首を回せば思ったよりも近くに悠里の顔があった。もろに目があって、M伊藤は視線をそらしてしまう。

 悠里はそれでも微笑んだまま、娘が父にそうするように、M伊藤の背後に立ち、両肩に手を置き、そのままグイグイと揉み始めた。

「あーっ、そこ。そこが気持ち良い」

「こうですか?」

「あーっ、おおっ、そうそう、そんなかんじ」

 悠里はいたずらっ子のように笑いながら、えいえい、とM伊藤の肩を揉み続けた。

 二人とも、子供のようじゃれ合った。

 しばらくそうやって遊んだ後、荒い息を吐くM伊藤を抱き込むようにして、悠里は一通の手紙を彼の目の前に差し出して見せた。

「今日、透君と陽菜ちゃんから手紙が届きました」

「ほう」

 M伊藤は悠里の手から手紙を受け取った。手元のカッターで封を開ける。几帳面に折りたたまれた便箋が入っていた。

 M伊藤が手紙を読む間、悠里も彼の肩越しに手紙を読んでいた。

 手紙は、近況を伝えた短いものだった。

「あいつらも元気にやってるんだなあ」

「みたいですね」

 M伊藤はふう、と一つ息を吐くと、もう一度、便箋と封筒を眺めた。

「それなら、まあ、安心だ」

 彼は、二人の暮らす沖縄に、思いを馳せた。


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