26:遅すぎた助っ人
「何者って誰だい?」
「分かりません。でも…………」
ジェフの答えより、扉が高い音を立てて開く方が先だった。ジェフは咄嗟に集と扉の間に位置取り、銃口を構える。
開いた扉から現れたのは、冴紀だった。扉を潜るとすぐに壁に沿って移動し、狙いを定めさせない。冴紀は拳銃を抜き、ジェフと間合いを図る様にしばらく動いた後、止まった。
二人とも、拳銃を向けあっている。平衡状態はやがて、暫くの膠着状態となった。
そこで初めて、冴紀は透の骸を見た。陽菜へ一ミリでも近づこうと、頭は手術台へ向き、手は今ももがいている様に見えた。
辛かっただろう。苦しかっただろう。
でも、この仕事をしている限り、感傷に浸れない時というのは、確かに存在するのだ。
冴紀は一瞬目を閉じ、また目の前の無表情な若者と、派手な出で立ちの男を睨みつけた。
可愛い弟分の永い幸福を祈ったに違いなかった。
冴紀の目が赤く光った。
「君が、ジェフ・ブランドン君だね」
「ああ」
「静かに、おやすみ」
冴紀が引き金を絞るのと、ジェフが引き金を引くのは同時だった。冴紀もジェフも同時に横っとびに跳ね、相手の銃弾を避けた。
二発の銃弾が壁にめり込む音がした。
その残響が消えた時だった。
ガラスの砕け散る音がした。まるで天災だった。天に切れ目が入って、空の欠片がひとつ残らず降り注いだような、そんな音だった。
上方にあった大きなガラス窓が、割れたのだった。一つ一つの欠片がゆっくりと落ちていく。それを、その場にいた誰もが、つまり、集も、ジェフも、冴紀も、執刀中の技術士も、全員が見上げていた。
幾千ものガラスの欠片が、まだ空中に浮かんでいるのに、二発、銃弾の音がした。欠片が邪魔になって、ガラスの向こうが見えない。
手術衣姿の男が二人、叫び声を上げることもなく倒れた。手術台の上で、お腹に大きな穴を開けられた陽菜だけが、ポツンと取り残された。彼女の目はまだ閉じられている。
「誰だ!」
やっとの事で、ジェフが声を上げた。いわゆるオープンスタンスで立ち、ガラス窓と冴紀、両方を同時に確認しながら、集を背中へと庇った。
「俺だ。M伊藤だ」
「M伊藤だと…………」
集の声がした。歪んでいた。震えていた。彼の顔は恐怖で、逆に笑っているかのような表情になっていた。
「俺を殺しに来たのか…………?」
「いや、殺しに来たのは俺じゃない。透だ」
「そいつなら、そこで死んでるぜ」
今度はジェフが、激しい剣幕でM伊藤を睨みつけた。胸元から拳銃をもう一丁取り出し、両手に一つずつ拳銃を持つ。一つは冴紀へ、一つはM伊藤へ。
「はは、冗談を言うなよ」
M伊藤は可笑しくて堪らない、というふうに笑うと、四、五メートルありそうな窓のすぐキワまで寄った。
この部屋の床からは見えないが、M伊藤がいるところの床には、幾つかの屍が斃れているようだった。
「どれかなーっと」
M伊藤は何かを選ぶような仕草を見せた後、「あ、これだこれ」というと、ひょい、とそれを持ち上げ、窓際まで戻ってきた。
「そいつ、お前のこと読んでたぜ。死ぬ間際にな」
まるでゴミを投げるように、M伊藤はその亡骸を投げた。どさりと床に屍が着地し、注意深く、ジェフはそれに近づいた。
遺体の顔を覗き込んで、ジェフは一瞬固まった。亡骸を抱きしめ、声を殺して、泣いた。
彼は、紛れもなく、泣いていた。
その瞬間だった。彼の注意力が、途切れた。
冴紀は素早く彼の背後に忍び寄った。
「君、後悔してるんじゃないの」
「…………」
ジェフは無言で銃口を冴紀の体に押し付けた。しかし、トリガーを引くべき人差し指は、トリガーガードの輪の外にある。冴紀は一瞬哀れむような表情をした。
「俺は…………、何を間違えたんだ…………?」
「正義は、いくつもあるってことだよ。正しさは、相対的なものでしかない」
冴紀は、彼の背中の向こうに、今にも目を覚まして、ジェフの手を取って遊びに出かけそうな、溌溂そうな少女の顔を見た。栗色の髪の毛も、太陽のような魅力があった。
冴紀は目を閉じ、一つ息を整え、そして。
ジェフの背中に、深々とナイフを突き刺した。
彼の意識が途切れた瞬間に、素早く霊力拮抗剤を口に押し込む。冴紀は心を殺して、流れ作業のように、その仕事を完遂した。
これで、彼の体の霊力としての回復力は、消えた。後はもう、出血量が致死量を超えるのを待つのみである。
つまり、彼は絶命したのだった。




