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武蔵野ギフテッズ・リパブリック  作者: 杉並よしひと
第四章
76/83

24:救いの手は跳ね除けられて

 無機質な扉が、勢いよく開いた。扉は壁にぶつかって、大きな音とを立てた。

「陽菜ッ!!」

 透は真っ白な部屋の中を見回した。上方には体育館のギャラリーのような空間があり、ガラス窓がはまっていた。その向こうにはスーツ姿や袴姿の、一目でお偉いさんだとわかる大人たち。部屋の真ん中には、手術衣を纏った何人かの大人と、無影灯、そして、手術台の上に寝かされた、陽菜の姿が見えた。

 陽菜はもう、モノになっていた。

 裸にさせられ、腹は大きく切り裂かれ、赤黒い内臓がむき出しになっている。心臓が、一人でに動いているのが見え、薄い瞼は眠りについたみたいに、そっと閉じられていた。手術衣を纏った奴らは、無感動にメスを走らせ、まるで工具箱の整理をするみたいに、臓物を取り出して、几帳面に並べていった。

 陽菜が、モノになっている。

 透は地面に倒れこんだ。両手両膝をつき、真っ白な床を見た。ダメだ。脳みそが忘れさせてくれない。何度もなんども、モノとなった陽菜の映像がリフレインして。

 胃が縮み上がった。ぐるんと反転して、中身がせり上がってくる。透は吐いた。胃の中身が空になっても、まだ胃は動き続け、透は実りのない吐き気を必死に耐えた。

「おやおや、騎士ナイトさまのお出ましかい?」

 揶揄うような、嘲るような声がした。透は立ち上がった。フラフラしそうだ。が、そんなことは言っていられない。

 いつの間に現れたのか、派手なスーツを纏った濃い顔つきの若い男が、目の前に立っていた。

 目の前のこいつが、岳彦の言っていた集とかいうやつだろう。こいつをぶっ飛ばして亡き者にして仕舞えば、平和が訪れる。透はそれを願っている。

 果たしてその平和に、陽菜はいるのだろうか?

 透はびしゃりと吐瀉物を踏みつけて渡り、目の前の彫りの深い男に向かい合った。

「てめえか」

「ああ、僕さ」

 短い言葉の応酬だった。しかし、それで全てが通じた。

 透は一瞬沈み込み、脚力を爆発させた。膝が跳ね、彼我の距離を瞬時に詰める。目の前の男の鼻っ面へ、拳を叩き込む。

 と、脇から、その拳を押しとどめるものが現れた。透とさほど変わらない手だ。しかし、その手は、決して弱くはない透の拳の勢いを、まるで玩具の車を止めるかのように、殺してしまった。

 透は飛び退った。飛び退ってから、改めて室内の様子を確認した。

 手術台をガラス窓から見下ろす奴らの中には、見覚えのある顔がかなりいる。どいつもこいつも著名な政治家ばかりだ。天狗や精霊など、吸血鬼ではない種族の政治家の顔も見える。

 どいつもこいつも、ふてぶてしい顔をしていやがる。透は思った。

 そして、今、透を止めたのは、目の前の若い男だった。青い瞳、金色の短髪、熱さを微塵も見せない表情。底知れぬ恐ろしさがあった。

「集様に手出しをしようとは、飛んだ不届きものだ」

「うるせえ。てめえは誰だ」

「俺はジェフ・ブランドン。集様の護衛だ。冥土の土産に知っておけ」

 透は目を剥いた。目の前の男の名は、嫌という程聞いたことがあった。つまり、涼華の想い人だったわけだ。

 どうなっているかはわからない。が、もしこの戦いで分室側が勝つなら、涼華はまちがいなく死ぬ。そして、そうなる蓋然性が小さくないことは、透だけが信じているわけでもないはずだ。

 自分を思ってくれている人間が死線の上を歩いている。そんな時なのに、目の前の男はこんな平気な顔をしている。

 殺してやろう、と透は思った。ここにいるやつらを全員殺して、陽菜の體を抱いて、どこかこの世から切り離されたみたいな、平和な場所へ逃げよう。そう思った。

 ジェフは着ていたスーツの胸元から、拳銃を取り出した。銃口が透を捉え、流れるような動きで引き金を引く。

 ひるんでいる場合ではなかった。陽菜を救い出さねばならないのだ。

 透は再びジェフの懐へと飛び込まんとした。こいつを超えて、陽菜の元へ。

 しかし、ジェフは一枚も二枚も上手だった。飛び込んできた透をいとも簡単に去なすと、一歩だけ後退して間合いを取り、一拍もおかずに引き金を絞った。乾いた音がした。透はとっさに銃口の向きを見て体をずらしたが、銃弾はそれでも二の腕を抉った。

「ああっ!」

「なかなか早いじゃねーか」

 透が苦しみの声を上げる横で、ジェフは感情のこもらない声を上げた。

 透は急いで距離を開け、ジェフと正対した。彼はまだ霊力を使っていない。ただのヒトと同じだけの力を使って、透をあしらっていたのだ。やっかいだ、と透は感じた。

 少なくとも、あいつが吸血鬼であることに間違いはない。ならば、時が来ればその霊力を使うであろうことも簡単に予測がついた。

 今の自分の強みは、どうしてか分からないが、とりあえず傷の修復がとんでもなく早くなったこの体だけだ。

 攻めるしかない。

 透がそう思った瞬間だった。ドタドタと大きな足音がして、その後、扉が開いて、たくさんの大人がなだれ込んできた。さっきまで上の階にいた大人たちの顔も、さっき超えてきた実行部隊と同じ服をきた大人も見える。全員で三十人ほどはいると思われた。

「動くな!」

 有象無象の大人の中の一人が、そう叫んだ。幾つあるか分からない銃口が、全て透の方を向いている。このまま壁際に追いやられたなら、透は蜂の巣だろう。

 透はちらりと手術台を見た。二人の男がくるくると立ち回り、陽菜の体はどんどんと処理が進んでいた。人間の体の中には、本当に、大きな穴が空いているのだ。

 ちらりと、透の頭を、何のために戦っているのか、という疑問が掠めていった。

「おい!」

 腹の底から出したであろう低い声が、透を追い立てた。ジェフがいた。短いナイフを持って、透を威嚇していた。

「おめえは何をしようとしてたんだ? 集様が狙いか? それとも」

 ジェフは、悪趣味な笑みを浮かべた。

「〈無限霊力炉〉か?」

「だまれえええええっ!!」

 透の中の何かが、ぷっつりと切れた。めちゃくちゃに、手元のナイフを突き出した。刺され刺され刺され! こいつがいなければ、もっと話は早く済む! 集とかジェフとか、それとも吸血鬼の誰か。誰でもいい。誰か一人でも死ねば、陽菜を、陽菜を!

 楽にしてあげられるのに。

 しかし、ジェフは全ての攻撃を静かに受け流していった。刃は空を切る。振り出される手は、手首を払われ、ジェフの体には傷一つ付かなかった。

「ほら。おめえはあいつを救いたいんだろ? ほら、刺してみろよ。刺してみろよ」

 ジェフは、子供をいじめるかのように、透を威圧し続けた。透は後退せざるを得なかった。

 頭が真っ白になっている。どうにか、どうにかして、状況を好転させねば。

 そうだ。

 透はポケットに手を突っ込んだ。ブラフとしてナイフを一回降り出す。ジェフはそれを手首でいなした。

 透は、ポケットから拳銃を取り出した。銃口を、ジェフ越しに、集へと向けた。

 集は、分かりやすく慌てた。銃口を、地獄の門のように睨みつけ、ジリリ、と足は一人でに後退した。

 透は引き金を引いた。

 銃弾は、集へ当たると思っていた。血しぶきが上がり、がくりと力を失った集が、床へ崩れ落ちると思っていた。

 銃弾は、高い天井へとめり込んだ。

 一瞬、何が起きたのか、透には理解できなかった。

 そして、透は、自分の手首がジェフに握られていることに気がついた。手首が上へ持ち上げられ、銃口は天井へ向いている。

「さよなら」

 ジェフはそういうと、乱暴に手首を放った。その勢いだけで、透の体はよろけた。

 銃弾の雨が降り注いだ。

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