24:救いの手は跳ね除けられて
無機質な扉が、勢いよく開いた。扉は壁にぶつかって、大きな音とを立てた。
「陽菜ッ!!」
透は真っ白な部屋の中を見回した。上方には体育館のギャラリーのような空間があり、ガラス窓がはまっていた。その向こうにはスーツ姿や袴姿の、一目でお偉いさんだとわかる大人たち。部屋の真ん中には、手術衣を纏った何人かの大人と、無影灯、そして、手術台の上に寝かされた、陽菜の姿が見えた。
陽菜はもう、モノになっていた。
裸にさせられ、腹は大きく切り裂かれ、赤黒い内臓がむき出しになっている。心臓が、一人でに動いているのが見え、薄い瞼は眠りについたみたいに、そっと閉じられていた。手術衣を纏った奴らは、無感動にメスを走らせ、まるで工具箱の整理をするみたいに、臓物を取り出して、几帳面に並べていった。
陽菜が、モノになっている。
透は地面に倒れこんだ。両手両膝をつき、真っ白な床を見た。ダメだ。脳みそが忘れさせてくれない。何度もなんども、モノとなった陽菜の映像がリフレインして。
胃が縮み上がった。ぐるんと反転して、中身がせり上がってくる。透は吐いた。胃の中身が空になっても、まだ胃は動き続け、透は実りのない吐き気を必死に耐えた。
「おやおや、騎士さまのお出ましかい?」
揶揄うような、嘲るような声がした。透は立ち上がった。フラフラしそうだ。が、そんなことは言っていられない。
いつの間に現れたのか、派手なスーツを纏った濃い顔つきの若い男が、目の前に立っていた。
目の前のこいつが、岳彦の言っていた集とかいうやつだろう。こいつをぶっ飛ばして亡き者にして仕舞えば、平和が訪れる。透はそれを願っている。
果たしてその平和に、陽菜はいるのだろうか?
透はびしゃりと吐瀉物を踏みつけて渡り、目の前の彫りの深い男に向かい合った。
「てめえか」
「ああ、僕さ」
短い言葉の応酬だった。しかし、それで全てが通じた。
透は一瞬沈み込み、脚力を爆発させた。膝が跳ね、彼我の距離を瞬時に詰める。目の前の男の鼻っ面へ、拳を叩き込む。
と、脇から、その拳を押しとどめるものが現れた。透とさほど変わらない手だ。しかし、その手は、決して弱くはない透の拳の勢いを、まるで玩具の車を止めるかのように、殺してしまった。
透は飛び退った。飛び退ってから、改めて室内の様子を確認した。
手術台をガラス窓から見下ろす奴らの中には、見覚えのある顔がかなりいる。どいつもこいつも著名な政治家ばかりだ。天狗や精霊など、吸血鬼ではない種族の政治家の顔も見える。
どいつもこいつも、ふてぶてしい顔をしていやがる。透は思った。
そして、今、透を止めたのは、目の前の若い男だった。青い瞳、金色の短髪、熱さを微塵も見せない表情。底知れぬ恐ろしさがあった。
「集様に手出しをしようとは、飛んだ不届きものだ」
「うるせえ。てめえは誰だ」
「俺はジェフ・ブランドン。集様の護衛だ。冥土の土産に知っておけ」
透は目を剥いた。目の前の男の名は、嫌という程聞いたことがあった。つまり、涼華の想い人だったわけだ。
どうなっているかはわからない。が、もしこの戦いで分室側が勝つなら、涼華はまちがいなく死ぬ。そして、そうなる蓋然性が小さくないことは、透だけが信じているわけでもないはずだ。
自分を思ってくれている人間が死線の上を歩いている。そんな時なのに、目の前の男はこんな平気な顔をしている。
殺してやろう、と透は思った。ここにいるやつらを全員殺して、陽菜の體を抱いて、どこかこの世から切り離されたみたいな、平和な場所へ逃げよう。そう思った。
ジェフは着ていたスーツの胸元から、拳銃を取り出した。銃口が透を捉え、流れるような動きで引き金を引く。
ひるんでいる場合ではなかった。陽菜を救い出さねばならないのだ。
透は再びジェフの懐へと飛び込まんとした。こいつを超えて、陽菜の元へ。
しかし、ジェフは一枚も二枚も上手だった。飛び込んできた透をいとも簡単に去なすと、一歩だけ後退して間合いを取り、一拍もおかずに引き金を絞った。乾いた音がした。透はとっさに銃口の向きを見て体をずらしたが、銃弾はそれでも二の腕を抉った。
「ああっ!」
「なかなか早いじゃねーか」
透が苦しみの声を上げる横で、ジェフは感情のこもらない声を上げた。
透は急いで距離を開け、ジェフと正対した。彼はまだ霊力を使っていない。ただのヒトと同じだけの力を使って、透をあしらっていたのだ。やっかいだ、と透は感じた。
少なくとも、あいつが吸血鬼であることに間違いはない。ならば、時が来ればその霊力を使うであろうことも簡単に予測がついた。
今の自分の強みは、どうしてか分からないが、とりあえず傷の修復がとんでもなく早くなったこの体だけだ。
攻めるしかない。
透がそう思った瞬間だった。ドタドタと大きな足音がして、その後、扉が開いて、たくさんの大人がなだれ込んできた。さっきまで上の階にいた大人たちの顔も、さっき超えてきた実行部隊と同じ服をきた大人も見える。全員で三十人ほどはいると思われた。
「動くな!」
有象無象の大人の中の一人が、そう叫んだ。幾つあるか分からない銃口が、全て透の方を向いている。このまま壁際に追いやられたなら、透は蜂の巣だろう。
透はちらりと手術台を見た。二人の男がくるくると立ち回り、陽菜の体はどんどんと処理が進んでいた。人間の体の中には、本当に、大きな穴が空いているのだ。
ちらりと、透の頭を、何のために戦っているのか、という疑問が掠めていった。
「おい!」
腹の底から出したであろう低い声が、透を追い立てた。ジェフがいた。短いナイフを持って、透を威嚇していた。
「おめえは何をしようとしてたんだ? 集様が狙いか? それとも」
ジェフは、悪趣味な笑みを浮かべた。
「〈無限霊力炉〉か?」
「だまれえええええっ!!」
透の中の何かが、ぷっつりと切れた。めちゃくちゃに、手元のナイフを突き出した。刺され刺され刺され! こいつがいなければ、もっと話は早く済む! 集とかジェフとか、それとも吸血鬼の誰か。誰でもいい。誰か一人でも死ねば、陽菜を、陽菜を!
楽にしてあげられるのに。
しかし、ジェフは全ての攻撃を静かに受け流していった。刃は空を切る。振り出される手は、手首を払われ、ジェフの体には傷一つ付かなかった。
「ほら。おめえはあいつを救いたいんだろ? ほら、刺してみろよ。刺してみろよ」
ジェフは、子供をいじめるかのように、透を威圧し続けた。透は後退せざるを得なかった。
頭が真っ白になっている。どうにか、どうにかして、状況を好転させねば。
そうだ。
透はポケットに手を突っ込んだ。ブラフとしてナイフを一回降り出す。ジェフはそれを手首でいなした。
透は、ポケットから拳銃を取り出した。銃口を、ジェフ越しに、集へと向けた。
集は、分かりやすく慌てた。銃口を、地獄の門のように睨みつけ、ジリリ、と足は一人でに後退した。
透は引き金を引いた。
銃弾は、集へ当たると思っていた。血しぶきが上がり、がくりと力を失った集が、床へ崩れ落ちると思っていた。
銃弾は、高い天井へとめり込んだ。
一瞬、何が起きたのか、透には理解できなかった。
そして、透は、自分の手首がジェフに握られていることに気がついた。手首が上へ持ち上げられ、銃口は天井へ向いている。
「さよなら」
ジェフはそういうと、乱暴に手首を放った。その勢いだけで、透の体はよろけた。
銃弾の雨が降り注いだ。




