表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武蔵野ギフテッズ・リパブリック  作者: 杉並よしひと
第四章
68/83

16:罪

 夜は、今までのどの夜よりも早く開けた。陽菜の決心が、彼女の足を早く回転させているのかもしれなかった。細くなってきた道は、左右に波を打ち、急な上り坂では峰を回るように、人気のない場所を貫き続けた。

 そう、貫いてしまったのだ。

 どこまでも続いていくと思った道は、いつの間にか長い長い下り坂に差し掛かっていた。またこれまでのようにすぐに上り坂に変わると思っていたのに、坂はずっと降り続けた。先の先まで見えるのが、陽菜には残念に思えた。

 そして、道は、それまでよりも直線的になった。そして、山と山に挟まれた谷の間から、湧き水のように、道は森の中から飛び出した。

 夜は今、明けようとしていた。今までは、ずっと森の中だったから、自分がどれくらいの位置にいるのか、全く分からなかった。

 自分は今、大きな盆地を見下ろす高台に立っていた。登ってきた朝日に名もしれぬ山肌が照らされ、靄の中で盆地はまさに今、朝を迎えていた。

 ここは、陽菜の知らない街だ。

 息を飲むとはこういうことか、と陽菜は思った。下界の街は足も竦むほど低いところにある。まるで自分は空中に立っていて、気を抜けば下の街まで落ちてしまいそうな気さえした。何か、どこか頭の物を考えるところがショートしたのかもしれなかった。

 ここを超えて、もっと遠くへ行きたいと、心からそう思った。

 その時だった。

 後ろから、肩を叩かれた。


 嫌な清潔感溢れる部屋の扉が、金属的な音を響かせて開いた。陽菜が見た部屋の外は、部屋の外よりも大分暗く、入ってきた者は、まるで闇が固められて人の形をしたようだった。

「やあ、久しぶり。〈無限霊力炉インフィニティー〉」

「…………」

 陽菜は黙ったまま、入ってきた男を睨み付けた。明るい色のスーツ、彫りの深い顔。陽菜は、この男の顔に見覚えがあった。

 紛れもない。自分を追う当本人、四阿集あずまやしゅうだった。

「旅に出て、少しは見聞が広まったんじゃないかな」

「…………」

「だんまりもいいけどね」

 集は歌うようにそう言うと、室内をゆったりぐるぐると歩き回り始めた。

「君には悪いけど、もう君はここから出られなくなるだろうね」

「どうして?」

「だって、ここを出ても、君の戻るところなんてないだろう?」

 陽菜は、自分で自分の声の低さに自分で驚いた。こんな低く、攻撃的な声を出したのは生まれて初めてだ。前は、集を相手にしても、こんな声を出したことはなかった。もし透や冴紀や静がこの声を聞いたなら、ひっくり返って驚くに違いない。

 多分、透が、こんな自分にしたのだろう、と、陽菜は薄々思った。そう思うだけで、目の前の男と対峙する力が湧いてくるようだった。

 …………透?

 陽菜は、透に自分が何をしたのか、思い出してみようとした。

 自分はさっき透を刺したんじゃないのか? 自分は透を刺したいと思ったりはしない。

 しかし、確かに、自分はここで目を醒ます前、あの人気のない道で、透の背中を、この手で、刺した。血が湧き出て、手にはぬらぬらとした温もりを感じた。手加減はしなかったように思う。内臓は傷ついただろう。痛かっただろう。

 透は自分を憎むだろう。

「一つ聞かせて」

「なんだい?」

「なんで私は、透さんを刺したの?」

 我ながら変な質問だ、と陽菜は思った。でも、そう訊くしかない。

「それを知ってどうするんだい?」

「あなたには関係ない」

「君、たった三日間の旅でかなり冷たくなったなあ」

 集はへらへらと笑って見せた。陽菜はそんな集に眉を歪めた。何か一言言ってやろう、と思って口を開いた瞬間、集に先を越された。

「君の質問に答えよう。精霊族は他者の精神に干渉することができる。君の意思に反して君の腕を動かすことなんて、造作もないことだ僕たちにとって、彼がいると色々迷惑だったからさ。今は地下牢でおとなしくしてもらってる。これじゃあ、君は納得いかないかもね。どうせここからはもう出られないんだ。外との決別の証に、一つ教えてあげよう。

 いま、君の霊力は僕たちだけのものじゃない。共和国中の霊族がこの計画に賛同している。君の霊力がこの国の力を増し、やがて、真に協調的な霊族の国が出来上がるのさ。

 どうだい? 素晴らしいだろう?」

「そんなの嘘だ!」

 陽菜は絶叫した。

「あなたの言う協調なんて嘘。いくらこの国が霊族にとって幸せな国になっても、透さんが傷つかなきゃいけないなら、そんな平和なんてなくていい!」

「おお、ハネるねえ」

 集は悪趣味な笑いをくつくつと喉の奥で押しつぶした。

「じゃ、言い残すことはそれだけだよね。早速執刀に移ろうか」

「透さんを解放して」

 もはや、陽菜はここから自分が解放されることなど望んでいなかった。自分はあの景色を見られただけで、学校に通えただけで、あの人に出会えただけで十分だった。そう思えるほど、この一ヶ月ほどは幸せなことばかりだった。

 何も知らなかった私に、新しい世界をくれた。

「約束できないなら、私はここで舌を噛んで死ぬ」

「舌を噛んだって、君ならすぐに傷が治ってしまうだろ?」

「なら、もう一度噛むまでよ、肩の肉だって、お腹の肉だって、足の肉だって、噛み切れる。いつかは血が絶えて死ぬもの」

 いくら霊族といったって、生存に必要な最低限の血液がなくなったら死に至る。

「ずいぶんスプラッタなことを言うね。別にあの少年は邪魔だったってだけだし、君がもう逃げ出したりしないなら、解放してあげてもいいかな」

「今すぐ。今すぐ解放しなさい」

「えい」

 いたずらっ子のような笑顔で、集は隠し持っていた注射器をプツリと陽菜の腕へ突き立てた。麻酔剤が打ち込まれていく。

「ちょっと、なに…………を…………」

 陽菜の意識が、ゆっくりと、水底に沈んでいく。ぐるぐると回る景色に抗いながら、ヒナが最後に見たのは、部屋の扉から入ってくる何人かの執刀医らしき人間だった。

 しまった、と思った。これじゃあ、何もかもが失敗ではないか。

 悔しさだけが、薄れゆく意識の中で叫び続けていた。

 陽菜は、生まれて初めて、人を恋しく思った。

 叶うなら、もう一度、透に会いたい。

 ちらりと頭をかすめたそんなことは、ろうそくの火のように、ふっと吹き消された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ