9:薬王院の決断
その頃、武蔵野共和国の中央よりやや西、高尾山の中腹の薬王院では、難しい顔をした男たち女たちが、細長い座敷に沿って、細長い車座になっていた。そして、その一番奥、飯綱十兵衛はそこにいた。
「我々は……、膝を折らねばならんのか……」
豊かな髭が、悔しさだけを練り込んだため息に閑かに揺れた。周りでは、ある人は沈痛な面持ちで俯き、またある人は救いを求めるような目で、座敷の奥の老人を見ていた。
「考えても仕方ないよ父さん。今採れる最善の策はこれしか無い」
「わしが悪かったのか?」
「そうは言ってないさ。ただ、こっちには、始めからできるが無かったって事を言いたいだけだよ」
飯綱公平の声にはまだ張りがあった。しかし、彼自身、もう父親を慰めるのが辛くなって来ている事は、その表情からありありと解った。
その場にいる全員、つまり、天狗同盟の中心を担っている面々は、皆一様に憔悴し切っていた。誰の頭にも、武蔵野共和国建国の理念が渦巻いている。
曰く、『非暴力』。
小国が小国のまま、大胆な始まりから一貫して慎ましやかに存続して来る事が出来たのは、ひとえにこの言葉が大きな旗となり、常に風になびいていたからだ。
そして、吸血鬼族は、その旗へ火をつけようとしている。
「この際、背に腹は代えられんっ! 全部喋っちまって、同時に奴らをぶっつぶせば良い!」
誰かの頭に血が昇った声がした。
「だめです。奴らが〈無限霊力炉〉を手に入れる前に私たちが動き始めては、逆に我々天狗族が国賊となってしまいます」
飯綱十兵衛の隣、豪奢な柄を散らした着物をまとった妙齢の女が、閑かに否定した。
「じゃあ、我々が先に〈無限霊力炉〉を回収してしまえば良いではないかっ! 賞金を積めば、誰だって血眼になって探すだろう」
「彼らは〈無限霊力炉〉の居場所を突き止めたと言って脅しを掛けて来たのです。その言葉の信憑性は判断できませんが、出来ないからこそ大胆な手は採れないでしょう?」
「どういう事だ?」
「もし吸血鬼族が〈無限霊力炉〉の行方を突き止めていたならば、私たちが仕掛けた途端に、この国は焦土となると言う事です」
女は言い終わると、そっと口を閉ざし、背筋を整えた。筋の通った反駁に、もう先ほどの頭に血が上った声が返ってくる事は無かった。
「後手後手に回ってしまったのが気に食わないが、もうここは腹を括るしか無いんではないでしょうか」
座敷の、奥とも手前ともつかない所に座っていた男が、おずおずと言った。その場の面々は振り返った。幾ら天狗族同盟の中枢部とはいえ、その大部分は飯綱十兵衛の言葉に逆らえない。いわば、「ヒラ」に近い存在だった。
座敷の奥の者たちも、一斉に彼を見た。
「精霊族とも話をして、それで精霊族と連携して解決の道を探りましょう。それでもだめなら、諦めて平和的な反撃の道を伺うまでです」
場の空気が変質した。
誰もが、もう自分たちが窮地に追い込まれている事を悟ったのだ。
「それしか……、ないようだな」
飯綱十兵衛は重々しくため息を吐き、また大きく息を吸った。広い座敷を見渡した目にはもう、建国当時、多くの霊族を引き連れて独立に向けて争った頃の力は、欠片も見て取れなかった。
最後の威厳を以て、その場の全員に告げる。
「我々はーーーー」




