1:分室の日常
「おはようございます」
透がそう言って雑居ビルの三階、『武蔵野共和国調停局井の頭分室』の表札がかかる扉を開けたのは、梅雨も明けかけた七月の頭の夕方だった。
「あ、トールだ! おはよう!」
「おはようございます、藤村君。こら、冴紀、女子がソファーにそんな座り方しないの」
「お母さんみたいな言い方するねー、静は。静だって女子高生なのにー」
並んで室内のソファーに腰掛けていた二人の少女が透の姿に気づいた。
「冴紀さん、静さん、おはようございます。冴紀さん、昨日は奢っていただいて、どうもありがとうございます」
「良いってことよトール君!」
透は返事を聞くと、軽く会釈をして彼女らの前を通り過ぎ、いくつか並ぶ机たちの奥にある、一回り大きい室長のM伊藤の机の前まで歩いていった。
「室長、おはようございます」
「おお、トールか。今日は遅かったんだな」
「はい、ちょっと学校で居残りをさせられてまして」
透の声はあくまでぶっきらぼうだ。室長はそんな調子の透を見て苦笑いすると、言った。
「ん? お前勉強ができない訳でもないし……、あれか、かわいい女の子からラブレターでも」
「え!? トール、告白されたの?!」
急に透の後ろから、明里冴紀が飛びついてくる。猿の様に透の背中にぶら下がるから、透の首はぎゅうぎゅうしまった。
「室長、そう言う冗談は止めてください。こうなるんで」
透はあくまで冷静に、自分の首と冴紀の腕の間に手のひらを差し込み、引きはがしにかかる。ただ、相手はただの女子高生じゃない。透も苦戦した。
「こら、藤村君困ってるでしょ」
ばふん、と何か柔らかい物をたたく音。
「ひゃんっ! 静、なにしたのっ!」
「なにって、お尻を叩いたに決まってるじゃないの」
同時に、透の首を絞めていた力が消える。透は首元をなでたりさすったり、ぐるぐる回したりして、何ともなっていない事を確かめた。一つ間違えば、冴紀の力なら骨の一本や二本は粉々になって消えているかもしれない。変なところで命がけだ。